福音という名の魔薬

 第八話「人の造りしものたち」

 ネルフ本部、司令公務室。
 司令である碇ゲンドウ一人が執務する為の空間としては、無駄に広く、また不必要に暗く威圧的な雰囲気に見える部屋。
 実は、人類補完委員会が立体映像で集う会議場でもあるがゆえに広くて暗い場所。
 この部屋に置かれている自分の机で、碇ゲンドウはどこへやらに電話をかけていた。
「また君に借りができたな。」
 トライデントに関して政府がやった裏工作を暴露する代わりにテストパイロットの生き残り全員をネルフに移籍させるという裏取り引きにおいて、最も重要な役割を果たしたのはゲンドウが今かけている電話の相手であった。
「返すつもりも無いんでしょう。……彼らが情報公開法を盾に迫っていた資料ですが、御殿場の事件でネルフが入手した情報の詳細とダミーを混ぜてあしらっておきました。」
 声からすると、電話の相手は若い……20代後半から30代前半ぐらいの男らしい。
 その彼が実際に何をやったかと言うと……自分で言った通り、ネルフが御殿場基地に残されたデータから何を知り、何を公表しようとしているかを正確かつ詳細に日本国首相に報告しただけである。
 公表されれば、最低でも大臣級閣僚の首が飛ぶ特大の醜聞沙汰になる内容だと。
 その報告を聞いた鯉墨首相は、泣きながらゲンドウとの取り引きに渋々応じざるを得なかったのだった……。
「政府は裏で法的整備を進めていますが、近日中に頓挫の予定です。」
 人類補完計画と使徒に関してのさして障りの無い情報以外は黒く塗り潰されたネルフの内部資料のコピーがゲンドウの執務机の上に置かれている。
 恐らくこれが電話の相手が日本政府に渡したダミーなのだろう。
 それに、ネルフが本気で情報公開しては自分達の首を絞めかねない情報までもが暴露されてしまうと知ってしまっては、肝心の議員たちも泣き寝入りせざるを得ない。
 情報公開法の強化が頓挫するのは当然の結果と言えた。
「で、どうです。例の計画の方も、こっちで手を打ちましょうか?」
「いや、君の資料を見る限り、問題は無かろう。」
 机の上に置かれた資料とロボットらしきものを写した白黒写真に目をやりながら、ゲンドウは言い切る。
「……では、シナリオ通りに。」
 通話はそう締めくくられた。
 現在までに起こった出来事が、全て予想の範囲内だと言い切らんばかりの台詞で……。



 霧島マナと秋月スズネという二人の少女を自分の部屋に連れ帰って来たシンジは、部屋で待っていた三人の少女に凄い目で睨まれた。
「え…え〜と……」
 憎々しげと言う訳ではない。
 ただ、凄まじく恨みがましい圧力がシンジを見る眼差しにこめられていた。
 ま、要するに、三人揃って拗ねている……と、言っても良いかもしれない。
「碇君……心配、してたのに……」
 シンジが誘拐されたと聞いても、助けにも行けず、使徒に備えて待機していなければならなかったレイの心労は、非常警戒態勢が解除されるやいなやリツコに帰宅を薦められるほど酷かった。
 ただ、自宅で独り休むよりは、ここでシンジの帰りを待った方が気が休まると自主的に判断してやってきていたのだ。
「霧島さんは予想してたけど、まさか知らない人まで……」
 委員会を終えたヒカリは、いつもの訓練の為に碇家を訪れていた。そして、特別非常事態宣言が出された事でお仲間が増えるという事は覚悟していたのだが、まさかシンジが女の子を二人も連れて来るとは思っていなかったのだ。
「おにいちゃん……もう、ごはんさめちゃったよう……」
 テーブルの上にはハルナお手製の料理が全員分、手もつけられずに冷めきっていた。
 おそらく、みんなで食べようとずっと待っていたのだろう。
 怒ってはいなかったが、寂しげな声であった。
「ごめん……」
 拉致誘拐された事、第五使徒ラミエルとの戦い、捕虜救出作戦、最後の止めに父ゲンドウとの対峙……で、シンジは気力を使い果して気絶してしまい、気がついたらネルフ本部に着いていたという有様で彼女らへの連絡が出来なかったのだ。
 更には、そこで電話をかけてから今の時点に至るまで3時間ほどが経過している。
 待ちくたびれるのも分かろうというものであった。
 ただ……
「彼女の姉さんのお葬式とか、彼女たちがこれから住むとことか、色々手続きしなきゃならなくって……」
 シンジの方にも事情はある。
 義務的に課されたとはいえ仕事は仕事だし、後事を託して逝った少女の妹のこともおろそかにはしたくなかったのだ。
 遅くなると電話を入れたからには、食べるのまで待ってなくても良いのに……とは思うものの口には出さない。確かに待ってくれてて嬉しい気分はあるからだ。
 『葬式の手配』という重い言葉に、三人のジト目は途切れる。
 それは、誰かが死んだ事を意味するから。
 シンジが手続きをしているというなら、死んだのは多分シンジに近しい人なのだろう。
 そういう時にシンジを困らせようとする性格の娘は、ここにはいなかった。
「お、おにいちゃん。おりょうり、あっためてくるね。」
「碇君……良ければ、そちらの二人、紹介してくれるかな?」
「私は綾波レイ。彼女が鈴原ハルナ。そして……」
「私が洞木ヒカリです。よろしく。」
 名前だけの自己紹介ではあるが、無いよりは確かにあった方が良い。
「霧島…マナです。こちらこそよろしく。」
「秋月スズネ。よろしく。」
 実際は快活な娘たちであるのだが、暗く沈んだ声にはその片鱗すら残っていない。
 マナの教室での自己紹介を知ってるヒカリは、そのあまりの落差に傷の深さを感じて慰めの言葉すら出て来なかった。
「おにいちゃん、できた…よ……。」
 パタパタと戻って来たハルナが雰囲気の重さに絶句する。
 が、それを天祐と見たシンジは、
「とにかく、食べよう。お腹が減ってるとロクな事考えないし。」
 何とか事態を動かすべくシンジが提案した事で、のろのろとみんなが食卓に向かう。
 確かに、今何かを考えても良い考えが浮かぶとは思えなかったからだった……。

 会話が弾まず、ただ黙々と食事を食べるだけの遅い夕食であったが、食べ終える頃には格段に雰囲気が柔らかくなっていた。
「シンジさん。色々ありがとう。コトネ姉さんのこととか、色々……」
 場の雰囲気を思い切り盛り下げていたスズネが、かなり持ち直していたからだ。
「後を頼まれたからね。やっぱりほっとけないよ。」
 ただ、
「なんか、シンジさんといるとコトネまでいっしょに居てくれるみたい……。」
 隣の椅子を勝ち取ったのを幸いシンジにべったりと甘える姿に、他の娘たちの機嫌がじりじりと低下していっている。
 ハルナは口をへの字にまげ、指をくわえて物欲しそうにじいっと見ているし、
 ヒカリは、一生懸命『相手は姉さんが亡くなったばかりなんだから……』と必死に自己暗示をかけて気を鎮めようとしているが一向に上手くいかず、
 レイは椅子ごとシンジの隣に移動しようと機会を虎視眈々とうかがい、
 マナはシンジたちを見ているとイラついて仕方が無いので、視線をあらぬ方向へと彷徨わせていた……。
 そんな息詰まる緊張感の中、
 その機嫌が悪くなっているウチの一人、マナが唐突に口を開く。
「ねえ、シンジくん。これ、何かな?」
 テーブルの下から何やら小さな機械を指で挟んでシンジの目の前に置く。
「……な、なに?」
 何が何やら分からないシンジ。そして、目を丸くしている他の面々。
「(この反応からすると、仕掛けた人はここにはいないわね。)盗聴器よ。」
 いいざま、挟んだ盗聴器を捻り潰すマナ。
「え?」
「うそ……」
 ただ、目の前で見せられた物証の説得力は抜群だ。疑う余地すらない。
「ねぇ、おにいちゃん。“とうちょうき”ってなに?」
「離れた場所からこっそり話を聞いたりする為の機械だよ。」
 素朴な疑問に答えながらも、シンジの顔色は暗い。
 この部屋で繰り広げられたあんな事やそんな事が、誰かにこっそりと聞かれていたかもしれないのだ。
 平静を保とうとしても、さすがに無理だろう。
「霧島さん、これって……」
 言われてキョロキョロ辺りを見回していたヒカリが、コンセントに何やら不審なものがあるのを発見した。
「これ……盗撮カメラだわ……」
 スパイとして短期間なりとも訓練を積んだマナだったからこそ見つけられたのであろうが、注意してよく見ればヒカリやハルナ、シンジたちにも探し出せない事は無い。
 そして、それが……この部屋に引っ越してきて以来、空前の規模の大掃除の幕開けを告げるゴングとなったのであった。



 その頃、ネルフ本部某所では……
「レイの部屋から監視機材を撤去しろ。大至急だ。」
 ゲンドウがいつものポーズを装いながら、諜報部に最優先命令を出していた。
「碇、だから仕掛けるのは止めておけと……」
 その傍らで溜息をつきながら書類をゲンドウの事務卓に積み上げている冬月。
『今回ばかりは冬月が提示する常識的意見に従っていた方が良かったかもしれない。』
 と思いつつも
「問題ない。見つかる前に片付ければ良い事だ。」
 虚勢を張るゲンドウ。
 しかし、額を流れる一筋の汗が内心を雄弁に語っていた。
「そう上手く行けば良いがな……」
 立ち去り際に冬月がボソリと漏らした台詞は、ゲンドウの額の汗を5倍にも増やしたのだった……。



 ハルナ・ヒカリ・マナの3人が使徒が持つ超感覚の使い方を把握し、シンジとレイが新たなATフィールドの応用法を編み出し、スズネが仕掛けを発見するコツを掴んだ結果、数時間がかりながらもシンジの部屋内から無粋な覗き見機材は一掃された。
「ふう。やっと終わったよ。」
「ハルナ、もうくたくた……。」
 まさに、全員一丸となった勝利であった。
「それじゃ、そろそろ……」
「帰る。」
 作業が一段落着いたのを機会に帰宅しようと席を立った二人であったが、
「もう終電出ちゃってると思うよ。良ければ泊まっていったら。」
 と言われ、ヒカリの方は再び席に着いた。
「綾波は帰るの?」
「ええ。道具、持って来てないから。」
 お泊りする為のものか学校で使う為の教材か不明だが、何か必要な道具があるらしい。
「じゃ、送ってくよ。こんな時間に女の子一人じゃ危ないから。」
 シンジはごく自然にのたまうと、自分も席を立つ。
 そして……
「シンジくん達だけじゃ危ないから。」
 と言ってマナも立ち上がる。
「留守、お願いして良い?(せっかくの皆の努力、無駄にされたくないから)」
「分かった。」
 貧乏くじを引くのは自分の役目とばかりにヒカリが返事をすると、3人は綾波の住む荒廃した団地街へと向かうのだった……。


 徒歩にして20分近い道のりを経て、解体直前の廃アパートが並ぶうちの一つへと3人は進んでいく。
 と、マナが緊張した声を上げた。
「シンジくん、綾波さん、分かる?」
 唯一、人が住んでいるアパート……つまり、レイの部屋がある建物から人の気配がするのだ。
「ええ。誰かいるわ。」
 身構えるレイだが、幾ら戦闘訓練を積んでいるとはいえ、護身用の拳銃一丁持たない身では戦力になるかどうか、いささか怪しい。
 しかし、
「二人とも、私の傍を離れないで。守れなくなるから。」
 戦略自衛隊の一個師団など歯も立たない戦力であるマナが護衛についているからには、そんな事は瑣末な問題と言えた。
 例え相手が対戦車兵器を持ち出して来たとしても、マナがATフィールドを展開して庇える範囲に居る限り傷一つ負う心配は無いのだ。
「分かった。」
「ええ。」
 二人が後に続くのを確かめながら階段を一歩一歩登るマナ。
「え?」
 しかし、3階あたりまで来た所で、気配は移動した。
「……逃げられたわ。」
「そうね。」
 どうやら、部屋の主たちと鉢合わせするのを避けたらしい。
 彼我の戦闘能力の差を良くわきまえているのか、それとも正体を知られるのを恐れたのか、向こうが退いた理由は判然としなかったが……。
「とにかく、部屋の様子を見てみよう。」
 シンジの提案でそのままレイの部屋へと来たが、ドアには珍しく鍵がかかっていた。
「綾波、鍵持ってる?」
「持ってない。……必要無いから。」
「必要無いって……」
「だって、閉めないもの。」
「閉めないって……」
 常識を覆す発言に困惑するシンジであったが、こうしていても仕方が無い。
「ちょっと、どけてくれる?」
 マナが自分の髪から外したヘアピンを鍵穴に指し、少々ガチャガチャやるとレイの部屋のドアはあっさりと一同に道を譲った。
 スパイと言っても二流未満の促成栽培であったマナに易々と屈するあたり、あんまり作りの良い鍵とは言えないが、レイの場合はそれ以前の問題である。
 玄関から部屋の中を見渡すと、窓が開け放されてカーテンが夜風に揺られており、随所に荒らされた跡が残っているのが見える。
「これって……」
 明らかに何か仕掛けていたと主張しているかの如き有様に、流石のレイの表情も動く。
 いや、タンスの上に置かれていた壊れた眼鏡が床に落ちていたのを見て血相が変わったようだ。
「……良かった。……壊れてない。」
 急いで駆け寄り眼鏡を拾い上げたレイは、丹念に観察して、それが記憶にある姿と寸分違わないのを確認してホッと息をついた。
「……ねえ、綾波。前は聞きそびれたけど、その眼鏡にどんな意味があるの?」
 意味も無く壊れた眼鏡を大事に飾っておく事などしないだろう。
 しかも、男物を。
「……絆。」
 答えは、短かった。
 が、シンジには理解できた。
 この眼鏡が、レイと誰かとの繋がりを象徴する思い出の品であるのだろう……と。
 そして、その相手とは恐らく……
「碇君。」
 そんな物思いは、レイの言葉により途切れた。
「そろそろ帰って。……寝る時間無くなるから。」
「……え。…………こんなとこで寝るって? 危険だよ。」
 侵入者がいたという事は、影で護衛してくれている保安諜報部の要員がどうされているか知れたものではない……と思い、シンジは言う。
 実は、侵入者はその保安諜報部員たちだとは知らずに。
「私達が帰ったら、連中が戻って来るかもしれないわ。」
 マナも、この部屋で休むのは危険だという意見には賛成であった。
 というか、マトモな神経がある人間なら、この状態の部屋で眠れるとは思えない。
 しかし、レイは、
「問題ないわ。」
 自分の身の安全には頓着しない彼女らしい返事を返す。
「そんな訳無いよ。」
 ただ、幾ら何でも不審者が荒らしていったばかりの部屋にレイ一人を残して帰る事などシンジには考えられなかった。
「何故?」
「……僕が心配だから、じゃ駄目かな?」
 シンジが少し考えてから言うと、レイは無言で首を横に振った。
「今日は僕の所に来る?」
 それにも無言で首を…今度は縦に振り、レイは教科書やノートを詰め替え始めた。
 明日の学校に備えて……。
 そして、流石にこの部屋の惨状を目の当たりにしては、マナにも反対する気が起きてこなかったのであった……。



 とある古城の地下にある暗い一室。
 そこに、12枚の黒い板が集まっていた。
「この度の件は知っているな。」
 黒い板には赤い字で番号が描かれ、辛うじて個人判別を可能にしている。
「黄色いサルの基地が潰された事か?」
「さよう。約束の日にネルフ本部に向けられるべき刃の一つを失ったのは大きい。」
「人の手で作り出されし、断罪の“槍”を失ったのもな。」
「今回のことについて、碇の責任は?」
「残念ながら無いと言わざるをえん。計画そのものの遂行は滞り無く行なっているし、判断についても妥当だ。今回の件に関しては、非難はできんな。」
「それよりも、日本政府の方が問題だ。」
「配下の暴走を止められぬとは、人選を誤ったかな?」
「日本の首相と戦略自衛隊のトップが傑物では、我らの笛の通りに踊るとは限らぬ。」
「では、どうする?」
「やはり、ここは鈴を付けるとしよう。太平洋上にちょうど良いのがいる。」
 上座にいる01の番号がついた黒い板が結論を述べると、不気味な会議は幕を閉じた。
「では、シナリオ通りに。」
 彼ら特有のお決まりの台詞で。



 ネルフ本部にレイの部屋が荒らされていると携帯電話でクレームを捻じ込んでから、シンジの部屋に戻って来た三人は、さっそく難題にぶち当たった。
 それは……
 部屋割りである。
 3LDKなので6人では一人に一室と言う訳にもいかない。
 ……ちなみに、マナの部屋は実は隣の部屋になる予定なのだが、今日はもう手続きしている時間も“掃除”しているヒマも無いと言う事でシンジたちの部屋に泊まる事となっていた。
 自転軸がズレたせいで常夏に変じた事と、何故か寝具の備えが充実している事から、布団が足りないという事態は起こらなかったが……
「ハルナ、おにいちゃんといっしょにねる!」
「駄目。碇君は私と寝るの。」
 ハルナとレイが睨み合い、
「シンジくん、添い寝してあげるね♪」
 シンジの背中からマナが抱き付いて胸の膨らみを押しつける。
「碇君、今日は誰と“寝る”の? ……私なら嬉しいけど。」
 更には、一同の中では一番真面目そうに見えるヒカリまでもが咎めもせずアプローチをかけている光景に、スズネの目は丸くなった。
「……ええっと……シンジさん……これ、どういう事かな?」
「……多分、秋月さんの考えている事で間違ってないと思うけど……」
 頬を赤く染め、咽喉から出かかった言葉を無理に飲み込み、
「……そ、そうなんだ。あはは……」
 それだけを、何とか口にした。
「気に入らなかったら、今からでもホテルか何かに泊まる?」
「い、いいよ別に。……それに、もうこんな時間だから、その手のホテルしか開いてないんじゃない?」
 折しも午前0時を回った時刻。
「その手のホテルって……あ!?」
 暗に言われた事に気付いてシンジの顔も赤く染まる。
「ご、ごめん。」
「いいけど……いい加減決めないとホントに寝る時間無くなるんじゃない?」
 妥協ながらも前向きな提案に、シンジの腹も決まった。
「じゃあ、僕が決めるけど……良い?」
 女の子たちから口々に承諾が返ってくる。
「マナと秋月さんは空き部屋になってる部屋、ハルナとヒカリとレイはハルナの部屋で寝るという事で。」
 良く言えば良識的、悪く言えば誰も選ばない優柔不断な答えにスズネを除く女性陣は落胆を隠せなかった。
 が、冷静に現状を考えれば妥当な回答なのも事実。
「それじゃ、おやすみ。」
 表立った異論が出なかったので、シンジは早々に自室へ引っ込む事にしたのだった。


 それから、どれほどの時間が経っただろうか。
 シンジは自分の寝室のドアが開かれる音で目が覚めた。
「……誰?」
「おにいちゃん、ハルナもうがまんできないよう……」
 枕を片手に、ぱじゃまと称するシンジのTシャツ一枚でシンジの寝室の扉を開けたハルナは、開口一番そう言った。
「しょうがないな。おいで……。」
 寝惚け眼のままシンジの毛布に潜り込んで来たハルナは、そのままシンジのズボンのとこでもぞもぞとやり始めた。
「え……」
 瞬く間にシンジのモノがハルナの舌でペロペロと舐め上げられる。
「おにいちゃんの……おいしい……」
 極上のアイスキャンデーを舐めているかのようにトロンとした表情での奉仕に、シンジもたちまちたまらなくなる。
 小さな口一杯にしてもまだ余る肉棒を懸命に頬張るハルナの頭を撫でてあげていると、ほどなく限界が訪れた。
「うっ、出る……」
 シンジの肉棒が白く濁った粘液を吐き出すと、小さな口で受け止め切れなかった分が口の端から滴る。
「そんなことまでしなくていいのに……」
「らって……おにいひゃんの……おいひいんらもん……」
 零れた粘液を手ですくい、肉棒に残った分と併せて美味しそうに舐め取り飲む姿は、ハルナがもう戻れない処まで堕ちていると雄弁に語っていた。
 そして、
「碇君、次は私といっしょになりましょう。」 
 何時の間にやら部屋の中に入って来ていたレイが、一糸まとわぬ姿でおねだりする。
「ちょ、ちょっと綾波…秋月さんが寝てるから……」
「問題ないわ。彼女もいっしょにすればいいの。」
 問題の有り過ぎる発言でシンジを制し、圧し掛かって来るレイもやはり興奮しているのだろう。吐息も身体も火照って熱かった。……もしかしたら、ハルナが舐めている間、順番を待ってジッと見ていたのかもしれない。
 ロクに前戯もせずにレイの中に導かれたとはいえ、そこは湿って熱く絡みついてきた。
「あ。ずるい、レイおねえちゃん……」
「抜け駆けしたのはそっちが先。問題無いわ。」
 恍惚境から帰って来たハルナが抗議するが、聞き入れられるはずもない。
「じゃあ、えいっ。」
 それなら、レイを参らせて早く自分の順番にしてもらおうと、ハルナはレイの背後から敏感なところへと指を滑らせ始めるのであった……。


 咽喉が渇いて夜中に目が覚めたスズネは、どこからか声がするのに気がついた。
 とても苦しそうな
 とても気持ち良さそうな
 かすれた切れ切れの声。
 隣で寝ているマナを起こさぬよう慎重に、スズネは寝床を脱け出した。
 キッチンで水を飲もうと足を進ませるが、何故か向かうのは意志に反して声の源。
 わずかに開いているドアの隙間に好奇心のまま目を吸い寄せられると、そこにはスズネが想像していた以上に刺激的な光景が広がっていた。
 あのおとなしそうな少年が、三人の女の子を全裸で侍らせ、巧みな指さばきで官能を引き出し続けている姿に、スズネの目は釘付けになった。
 鼓膜を震わせるは声をひそめた喘ぎ声。粘つく水音。極みに昇らされながら、更に高みへと引き上げられていく悲鳴にも似た嬌声。
 鼻腔に香るは牝と牡が放つ性臭。発酵した乳製品のものにも似た、甘酸っぱい芳しさ。
「……おにいちゃん……ハルナ……もう…だめ……」
 元気を全身に漲らせていた少女が、疲労困憊で限界を訴える甘い声。
「……碇君……素敵……」
 ともすれば無表情に見えかねないほど表情の硬い少女の蕩け切った笑顔。
「……ゃ……こんなこと……不潔…なはず……なのに……なんでぇ………」
 自ら腰を振りながら、潔癖だった頃の自分との落差に堕ちた歓びを噛み締める少女。
 彼女らの姿を見せつけられて、スズネは生唾をゴクリと飲み込む。
 思考が麻痺しているせいで、自分の手が勝手に自らの胸と股間とに伸びて慰め始めたのすらも自覚できずに……。

 気付いた時には、すっかり身体が熱を持っていた。
『止まらない……止まらないよ……』
 胸を揉む右手の指も、股間を擦る左手の指も、別の意志に操られているかのように言う事を聞いてくれない。
 ひたすら感じるところを探して勝手に蠢いている。
 私も16年生きてきたのだから、この行為が何かは知っている。
 目の前で繰り広げられている痴態がどういうものかも。
 でも、するのも見るのも初めて。
 良いなぁと思う男の子がいなかっただけ……なんだけどね。
 それに、生まれてから今まで姉さんが傍に居たから、そういう機会が無かったってのもあるかも。
 ……って、うわ、そんな事まで……すごっ……あんな大きいのが……
 シンジさんがちっちゃい子……ハルナって言ってたかな……のお尻を持ち上げて、あのおっきなのをズブズブと抉り込んでいく。……良く壊れちゃわないわね。
 ピクピク身体を痙攣させて甘い声で喘ぐ以外全部シンジさんの思うがままに貪られている姿を見てると、こっちまで変な気分になってきちゃう。
 あ、なんかヌルヌルしたモノまで出てきちゃった……。
 ひときわ大きな声を上げて、またハルナちゃんが動かなくなった。
 シンジさんが動いてもグテッとしたままピクリとも動かない。
 そんな彼女を一回優しく抱き締めてから、シンジさんは彼女を布団の上に横たえた。
 抜き放った凶器が、返り血を浴びた槍みたいに光ってるように見える。
 うわ……見た目はおとなしそうなのに……凄く……
 あれが自分の中に入ってきたら、どんなだろうと考え……慌てて首を横に振るものの、想像は頭から離れてくれない。むしろ、手指と結びついてより激しく気持ち良さを貪ろうと膨らみだす。
 3人とも、凄く気持ち良さそう……それに、幸せそう……
 今度は快楽に蕩けた表情の少女……レイだったかな……を抱き寄せて、シンジさんはキスしてるみたい。
 あ……シンジさんの右手が背筋を滑ってお尻に……わ、そんなとこまで……
 あ、あれ? ……もうイッちゃったの? レイさん、動かなくなっちゃった……。
 レイさんも抱き締められてから布団に横たえられた。
 凄い幸せそうな顔……どんな目に遭わされちゃったのかな……あ、駄目……こっちも何かきちゃいそう……
「秋月さん。」
 肩に誰かの手の感触。それに、この声は……
「霧島……さん?」
 ひそめた声での呼びかけに、こちらの声も自然と小声になる。……小声になる理由はそれだけじゃないけど。
「のぞきしてるの?」
 そのものズバリの指摘に、私の心臓がドキンと跳ね上がる。
 答えられない私に、更に言い募る霧島さん。
「ね、今どんな様子?」
 悪戯っぽく私の方を見る目には、多分私の状態もバレバレなんじゃと思わせる色も見え隠れしているけど、努めて触れないよう室内の事に話題を限定する。
「……シンジさんが二人気絶させたとこ。」
「もうそんなに……。ねえ、私にも見せて?」
 こっちが座り込んでいるから、上手くやれば私の頭の上からのぞける格好だ。
 今の状態をシンジさんに悟られると色々な意味でピンチな気がする私としては反対する事もできない。
 それに、ここで争うよりも室内の様子の方が気になるし。
 霧島さんに釣られて、私もまたのぞいてみると……
 見るからに真面目そうに見えた子……確かヒカリだったかな……の、これ以上ないほどふしだらな汁を垂らしているソコを、シンジさんの指が広げていた。
 白くて粘々した汁がドロっと流れ出て来る眺めは凄くエッチで、見てたら霧島さんの登場でいったんは引いていた私の身体の熱が再燃してきちゃった。
 あ……駄目……指が…………指が動いちゃう……
 シンジさんが指で開いてる処に顔を寄せて……ピチャピチャ水音がここまで聞こえて来る。……舐めてるのかな? ヒカリさんが、髪振り乱して悶えてる。
 あ、もう動かなくなっちゃった。……もう何度もイカされてるから、みんな直ぐにダウンしちゃうのかな?
「そろそろ行きましょ。」
 シンジさんがヒカリさんを優しく抱き締めて布団に横たえる姿を見てる私の背が、ドンと押された。
「え、ええっ!」
 そうすると、当然……
 ドアがバタンと開いて私たちの姿が丸見えに……
「マナ……それに秋月さんまで、どうして……」
「シンジくんに可愛がって貰いに来たの♪ まずは秋月さんからどうぞ。」
「え…そんなこと……」
「ここ、こんな風にしてたら説得力無いわね。」
 霧島さんの手が触れたところがくちゅりと水音を立てる。
「やだ……見ないで……」
 恥ずかしくて見て欲しくないけど、本当は同じぐらい見て欲しい。
 この火照った身体を何とかして欲しい。
「本当に見ない方が良い? その火照りを鎮めて欲しくない?」
 シンジさんの囁きは、そんな私の弱いところを的確に抉ってきた。
 ……何時の間に近くまで来たのだろう。
 凄く惹かれる微笑み。
 双子の姉…コトネ…が死んでから感じ続けてた喪失感が、薄れていく気がする笑み。
「シンジさんに気持ち良くして欲しいです。」
 言葉は、思ったよりも簡単に出た、
 続けようとした言葉は、シンジさんのキスで堰き止められた。
 え……舌を……は、はうっ……そ、そんなとこまで……
 舌で口の中の隅々を味見され、耳の後ろを優しく撫でられ、背筋をそっと刺激されているのも気持ち良いけど、何か温かい空気に包まれている気がする。
 全身を優しく触れられているような……そんな感じ。
 そう感じたのも束の間、私の意識は白く塗り潰されて途切れちゃった……。

「どうしよう、これから(このまま初体験……までは流石にマズイだろうし。)。」
 腕に抱いたスズネの処置をどうしようか悩んでいるシンジの背に、柔らかい二つの感触が当たる。
「シンジくん、次は私としよう。」
「マ、マナ? ……うん、いいよ。」
 背に抱きつかれたままの状態ではスズネが下ろせないので、マナに一度離れて貰ってからスズネを布団の上に下ろす。……もちろん、一度優しく抱き締めるのも忘れない。
 それからマナを抱き寄せてキスをしたシンジだったのだが、マナまでもがキスだけで魂を飛ばされてしまった。
 力が抜けた身体の大洪水になっている部分にシンジが侵入したのを感じて、マナは現実へと戻って来る。
「本当にいやらしいんだね、マナって。2回目なのにもうこんなに……」
「シンジくんが、シンジくんがいけないの……。気持ち良過ぎ……あ、あうっ!」
 たった1回抱かれただけで病みつきになってしまったのは、シンジが数々の特訓で身につけたテクニックのおかげか、それともシンジが服用したエヴァの効能なのか……。
 ただ、確かなのは、この夜にシンジの部屋で微弱なATフィールドが発生していたのが観測された事実……それだけであった。



 翌日の朝、学校の教室にて、ヒカリは相変わらず真っ黒いジャージの上下を着たトウジに話しかけられた。
「なんや、センセは休みかいな。」
「うん……何でも親戚の方にご不幸があったって……」
「そいつは大変やなぁ。」
 自分も妹の葬式を出したトウジとしては他人事とは思えず、本気で同情した。
「……ところで委員長。えらい具合悪そうだけど、何ぞあったん?」
 場が暗くなってきたので、話題を変えようとしたトウジの努力は、
「こ、これは……疲れてるだけだから……」
 ヒカリのあんまり触れて欲しくない所を突ついた。
 ……何で疲れているかを知られたら、かなりどころじゃなく恥ずかしいからだ。
「ま、勉強もほどほどにしいや。身体壊したら何にもならんでぇ。」
「うん。そうする。……ありがとう、鈴原。」
 そろそろ朝のホームルームが始まる時間、無限の活力を約束してくれるはずのS機関を持っているにも関らず、太陽が妙に黄色く見えたヒカリだった……。



 秋月スズネの双子の姉、秋月コトネの葬儀を済ませたシンジは、その足でネルフ本部へと赴いていた。
 自室に仕掛けられていた大量の盗聴器・盗撮カメラへの対処の要請、綾波の家に侵入した賊への対処に関する情報収集、元トライデントのテストパイロット達の健康診断と当座の生活に関する手続きなど……今日は、シンジも決済しなければならない事務仕事が色々と貯まっていたので、学校に顔を出すヒマが無かったのだ。
「シンジ君、ちょっと宜しいかしら。」
 慣れない書類との格闘も一段落着いた頃、シンジが公務に携わる為に用意されていた執務室に入って来たのは、金髪黒眉の白衣の女性……赤木リツコであった。
「あ。はい、どうぞ。」
 秘書官として父親から差し向けられた若いお姉さん…白石ミズホ…の手を煩わせる事無く、シンジは自ら来客に椅子を勧める。
「まず、シンジ君が要請していた件だけど……既にこちらでも動いてるわ。実行した連中がどこの組織の者かほぼ特定できたと言っても良いわね。」
「本当ですか!」
「ええ。ネットへの流出は以前からMAGIが厳重に監視してるから有り得ないし、その連中にもネルフから圧力をかけているから、今まで撮られた記録が破棄されるのも時間の問題ね。」
 実はやったのは自分達だというのをおくびにも出さず、リツコは平然と断言した。
 今まで行なわれた数々の実験によって、シンジの生活の観察記録が無くても別途の手段で同様に有益なデータが採取できる事が既に分かっている為に、MAGI内に保存してあるそれらの記録を破棄しても不都合があまり無いのだ。
 逆に、ネルフ内にそういう記録があると知られては凄く困った事になりかねない。
 使徒の能力は未だ未知数であり、幾らMAGIの防壁が優れていても絶対に突破されないとは限らず、あると知られたならばMAGIやネルフ本部が危険にさらされてしまう。
 そんな危険を冒すぐらいなら、さっさと情報を消去した方が賢明である。
 数々の“実験”への友好的な協力関係を維持する為にも……。
「それにしても随分と対応が早いですね……。」
 書類を出したのは小一時間ほど前のはずだけどと考えるシンジに、リツコは苦笑しながら答えた。
「昨夜、レイの部屋に侵入者が出たでしょ。」
「はい。」
「その知らせを聞いた司令が徹底的な対処を厳命したらしいの。保安諜報部の名誉にかけて……ってね。で、調査の結果そいつらがあなた達の事案にも関っていたらしいのよ。」
「そうだったんですか……。ところで“そいつら”って誰ですか?」
 訊ねられて当然の質問。それが出た時、リツコは渋面になった。
「それは言えないわ。」
「何故です?」
 シンジの真剣な目に、リツコもここが正念場とばかりに視線に気合をこめる。
「相手方と取り引きがあったのよ。記録を複製を含めて全て破棄し、再度の盗聴行為も行なわない代わりに、今回の件に関しては不問にする……とね。だから、誰がやったとは言えないわ。ごめんなさいね。」
 確かに、シンジが犯人を知ってしまっては報復に走る危険が無いとは言えない。
 シンジは渋々納得せざるを得なかった。
 それを見て傍目にもホッとしたリツコは、次の話題を切り出した。
「明日の日曜日、何か予定はある?」
「いえ、無いですけど……。」
「日本重化学工業共同体が開発した使徒迎撃用ロボットの完成披露記念会とやらが催されるそうなんだけど、シンジ君たちにも出席頼めるかしら。」
「随分と急ですね。」
 ごもっともな感想に、リツコも溜息混じりに答える。
「招待状が届いたのが今日なのよ。……後で届けられるより少しはマシだけど。」
 そう言われてはシンジもリツコに文句をぶつける気は起きない。
「分かりました。」
 今のところ予定が無いのも手伝って、シンジは首を縦に振った。
「助かるわ。……出席する人数に制限はつけないけど、行く人数が決まったら早めに連絡お願いね。乗り物を手配する都合があるから。」
「僕一人って訳じゃないんですか?」
「そうね。シンジ君一人でも良いけど……もし、ついて来たい娘がいるなら今回は連れて来て構わないわ。別に向こうから人数を指定されている訳じゃないし。」
「分かりました。聞いてみます。」
 妥当な返答を受け取ったリツコは、口元だけに友好的な笑みを浮かべて話題を変えた。
「さて、シンジ君。これから実験に協力してくれるかしら。」
 しかし、目は笑っていなかった。
「リ、リツコさん……目が据わってますよ……」
 使徒は怖くなくなったシンジだが、相変わらずリツコは怖い。
 特に、こういう飽くなき科学探求の欲望の炎を目に灯しているリツコは……。
「大丈夫。今回の実験はシンジ君には何も危険な事は無いわ。」
 秘書のお姉さんも助け舟を出せずにオロオロするばかりで役に立たない。
 ま、それも当然。
 使徒迎撃の要であるシンジに対しては遠慮や手加減が見込めるが、一般人である彼女に矛先が向こうものなら生命の保証はまるでない……と、影で囁かれているのだ。
 誰だって自分の命は惜しい。
 それに、下手をすると死ぬより悲惨な状態になる事も有り得るとあっては……。
 ……結局、抗い切れずに連れ出されたシンジは、リツコの実験室で精を搾り取られる事となった。
 ちなみに、いつもリツコの助手をしているマヤは今回の実験には同席していない。
「リツコさん。それ、何に使うんです?」
 試験管に小分けして大部分を冷蔵庫で凍結させたリツコに、シンジは当然抱くべき疑問をぶつけてみた。
「体外受精の実験よ。人工胎盤は実用化されてないし、誰かの子宮を借りる訳にもいかないから子供までは作らないけど。」
 手を止めずに答えたリツコは、手馴れた様子で実験を開始した。
 採取した卵子と精子が新鮮なウチに最初の実験観察を終えておきたいのだ。
「……あら?」
 卵子と精子を入れたガラス皿に向けていた特殊な顕微鏡が撮った画像を見ていたリツコは、異常な現象に気が付いた。
「どうしたんですか、リツコさん。」
「受精卵が……壊れてる……」
 獲物を見つけた猛禽の笑みを浮かべつつ、リツコは他の卵子の状態も確認した。
「間違い無い。受精した卵子だけが、ことごとく内部から弾けてるわ。」
 実験を補佐しているMAGIも生き残った受精卵はゼロとの推測を弾き出す。
 詳細な原因は不明であるが。
「シンジ君の精子が普通のものと違うのか、それとも……」
 さっそく、別の人間の採取済み卵子を使って再度の実験にかかるが、これも全く同じ結果に終わった。
『普通の人間の卵子では結果は同じ……なら、あの娘達のならどうかしら。……今のところは無理ね。彼女らに普通の人間相手の卵子採取法が通用するとは思えないわ。』
 10人分を試してみて全く同じ結果に終わったのを確かめたリツコは、シンジの精子を遺伝子解析に、実験の結果できた液体を成分分析にかける手筈を整えると改めてシンジに向き直った。
「ご苦労様、シンジ君。もう帰って良いわよ。」
 赦免の御言葉を貰ったシンジは、ずっと疑問に思っていた事を訊いてみる事にした。
「リツコさん。エヴァって何なんですか?」
 あの薬というのもおぞましいエグイ液体は。
「シンジ君、セカンドインパクトって知ってるわね。」
「はい、ミサトさんから聞きました。」
「ミサトから……じゃあ、あれを起こしたのが使徒だって事も聞いてるわね。」
「はい。」
「そこで、予想され得るサードインパクトを防ぐ為に作られたのが、ネルフとエヴァンゲリオンなのよ。」
「そうだったんですか。」
 シンジが聞きたかったのはエヴァの成分や効能のことだったのだが、どうやら上手くはぐらかされてしまったようだ。
 これ以上聞くとロクでもない目に遭わされそうだと本能が警鐘を鳴らしたので、シンジは真実の追求を今日のところは止めて辞去したのだった……。



 その頃、ケイジでは……
「零号機の改修状況はどう?」
 ミサトがマヤたちと今後の打ち合せをしていた。
「この前の使徒襲来でスケジュールが多少遅れてますが、大部分の部品は初号機パペット用の予備部品を加工して使う事になると思いますので、少々の遅れなら取り戻せます。」
「また整備部にしわ寄せが行くのね。……また差し入れ持って行かなくちゃ。」
 エヴァ・パペットは全力出撃する度に分解整備が必要な為、整備員泣かせなのだ。
 もっとも、現状でも5機までなら楽々整備ができるほどの要員は確保しているので、必要なら3交代で24時間突貫作業を行なっても問題は無いとも言える。
「ただ、どうしても新作しなきゃいけない部分もありますから、追加予算の枠ギリギリに近いですよ。……できれば、もう少し予算的な余裕が欲しいですね。」
 マヤが日向の説明を補足する。
「これでドイツから弐号機が来たら少しは楽になるのかしら。国連から運用の為に追加予算が出るって言うし。」
「逆かもしれませんよ。弐号機は未完成品だという噂ですから。」
 噂の出所は恐らくリツコだろう。
 ただ、ドイツ支部が毛嫌いしている日本のネルフ本部で開発中のエントリープラグのデータをハッキングでこっそりと盗み見ようとした事件が最近になって発生した事からみて信憑性は高い。
 なお、その時の事件でドイツ支部がマギコピーとマギオリジナルの性能差を嫌と言うほど思い知らされる結果に終わったのは言うまでも無い。
「それに、地上設備も未完成ですからね。正直、今の予算じゃ足りませんよ。」
「ホント、お金に関してはセコイ所ね。人類の命運をかけているんでしょ、ココ。」
 日向の愚痴にミサトも愚痴り返す。
「仕方ないわよ。人はエヴァのみにて生きるにあらず。生き残った人達が生きてくには、お金がかかるのよ。」
「先輩!」
 愚痴の言い合いになりかけていたところにツッコミを入れたのは、つい先ほどやってきたリツコであった。
「あら、リツコ……シンジ君の実験は終わったの?」
「ええ、今日の分はね。だからこっちの様子を見に来たのよ。」
「零号機の改修は一ヶ月あれば何とか、地上迎撃支援設備の配備も二ヶ月あればどうにか終わりそうです。ですが、これ以上工期を早めるには予算も人手も足りません。これに弐号機の改修作業までが加われば予算が不足する事態も想定されます。」
 日向が要点だけをまとめて伝えると、
「予算ね。じゃあ司令はまた会議なの?」
 ミサトはようやく司令の顔を朝から見ていない理由に思い当たった。
「ええ。今は機上の人よ。」
 その推測に太鼓判を押したリツコの後に、マヤが身も蓋も無い台詞を続ける。
「司令が留守だと、ここも静かで良いですね。」
 確かに、その通りなのだが。
「それより明日、予定通りやるそうよ。」
「了解。腕が鳴るわね。マヤちゃんも日向君も準備お願いね。」
「「はい。」」
 その返事を合図に、ここにいる全員が三々五々散っていった。
 事前にやるべき事をやっておく為に。



 超高空を飛行する国連所属のSSTO。
 ブースターなしで成層圏にまで上昇し、超音速飛行を続ける飛行機。
 ほぼ貸し切り状態のその客室に一人腰掛けるゲンドウに、一人の男が近づいてきた。
「失礼。便乗ついでに…ここ、よろしいですか?」
 ゲンドウが無言で肯いたのを確認すると、男はゲンドウの隣の席に座った。
「零号機改修の修正予算、あっさり通りましたね。」
「委員会も自分が生き残ることを最優先に考えている。そのための金は惜しむまい。」
 即答するゲンドウ。ただ、視線は窓の外に固定されたままだ。
「使徒はもう現れない、というのが彼らの論拠でしたからね。ああ、もう一つ朗報です。米国を除く全ての理事国が、エヴァ・パペット六号機の予算を承認しました。まあ、米国も時間の問題でしょう。失業者アレルギーですしね、あの国。」
「……君の国は?」
「八号機から建造に参加します。第二次整備計画はまだ生きてますから。……ただ、パイロットが見つかっていないという問題はありますが。」
 ウィスキーの小瓶を片手に会話を続ける男。
「使徒は再び現れた。我々の道は彼らを倒すしかあるまい。」
 言い切るゲンドウ。内心そう思っているか見た目では判断できないが、その目は眼下に向けられている。
 そこには、セカンドインパクトによって赤く変色した海、氷も陸も消え去り、名に相応しい位置すらも無くした南極が無惨な姿を晒していた。
「私もセカンドインパクトの二の舞は御免ですからね。」
 世界人口の約半分が失われた未曾有の大災害となったセカンドインパクト。
 その再来を防ぐためにこそ、各国がネルフへと資金協力を続けているのだから……。



 翌日曜日の朝、ネルフ本部に現れたシンジ一行は、実に7人であった。
 内訳は、碇シンジ、綾波レイ、鈴原ハルナ、洞木ヒカリ、霧島マナ、秋月スズネ、そして彼女らを引率する格好の葛城ミサトである。
 つまりは、昨夜シンジの部屋に居た少女全員が参加を希望したのである。
 一行は、彼らを出迎えた赤木リツコと伊吹マヤのネルフ技術陣2人と合流し、ネルフ専用垂直離着陸機1機と国連軍から借りた大型ヘリコプター1機に分乗して出発した。
 会場であるセカンドインパクト後に作られた埋立地、旧東京再開発臨海部に建設された国立第3試験場へと。

 水没した旧都心のビル街を飛び越え、後続の大型ヘリコプターより一足先にミサトとリツコの二人を乗せたネルフ専用VTOLは会場上空へと到達した。
「ここがかつて花の都と呼ばれていた大都会とはねぇ。」
「着いたわよ。」
 人が住まなくなった廃墟の街と殺風景な平地には、目指す施設以外にめぼしいものは見当たらない。
「……何もこんな所でやらなくてもいいのに。で、その計画、戦自は絡んでいるの?」
 再開発地域と言うだけあって、関連施設以外は何もない更地に呆れ返るミサト。これでは、機材の搬入どころかパーティーの準備すら大変だったろう。
「戦略自衛隊? いえ、介入は認められずよ。」
 ミサトの疑問に即答するリツコ。まあ、戦自は戦自でトライデントを開発していた訳だから、民間団体が開発中のロボットに介入していないのも肯ける話だ。
「道理で好きにやってる訳ね。」
 ドーム状のトーチカの脇に仮設された臨時ヘリポートを見下ろしつつ、ミサトは苦笑を漏らしたのだった。


 『祝 JA完成披露記念会』と書かれた紅白の垂れ幕が舞台の上に飾られた豪勢で華やかなパーティー会場。
 大勢の招待客が談笑する大きな丸テーブル6つが囲む真ん中に、ネルフ御一行様と立て札が立ててあるテーブルはあった。
 ……本当にネルフから来た9人だけが座るテーブルが。
 贅を凝らした山海の珍味、種々の酒やジュースが取り揃えられた他のテーブルと違い、ネルフ用のテーブルの上に招待側が用意していたのは、今回の料理の仕出しを頼んだホテルに特注して前日の宴会の飲み残しを集めたビールの瓶が数本だけであった。
 しかし……
「シンジ君がお弁当を持って来てくれて助かっちゃいました。」
 いみじくもマヤが呟いた通り、彼女らの前には重箱に納められたシンジの手製弁当と魔法瓶に入れられたお茶とスープが2種類用意されていた。
「こういうパーティーだと思ってなかったから、皆で食べようと思って持って来たんですけど……。」
 褒められて照れるシンジ。
「きっと今頃苦虫噛み潰してるわよ、あいつら。」
「そうね。でも、これ以上何かしてくるほど大人気無いとは考え難いけどね。」
 愉快さを隠し切れないミサトとリツコの笑顔ほど、この嫌がらせを考えた人間の胃を傷めるものは無いだろうが、二人はそれを全開にして料理に舌鼓を打っていた。
「おいしいね、おにいちゃん。」
「碇君。今度この煮物のレシピ、教えてくれる?」
「碇君のサラダ……美味しい……」
「……いいな、こういうのも。」
「こんなの食べてるとCレーションが食べられなくなりそう。」
 また、5人の美少女が一人の少年をちやほやしている様子は、ネルフの席が客席のほぼ中央に設けられている事もあって、とても良く目立っていた。
「ここまで料理が美味しいとビールが欲しくなるわね。こんな気の抜け切ったヤツじゃないのが。」
 と言いつつお茶をちびちび飲むミサト。
「そうね。……ここまでやられると、いっそ清々しいわね。」
 更に、年長組3人もいずれ劣らぬ美女揃いである事が目立ち方に拍車をかけているが、今更気にしてるのはシンジぐらいだったりする。
「こんなに美味しいものを毎日食べられるなんて羨ましいですね。」
 思わず本音を呟いたマヤに、ミサトがすかさず気軽に言ってのける。
「なら、ウチに食べに来れば良いじゃない。きっとシンジ君も歓迎してくれるわよ。」
「……事前に連絡してくれれば、良いですよ。」
 そこまで言われて断れるほど、普段のシンジは押しが強くなかった。
「シンジ君、私もお呼ばれして良いかしら。」
「あ、はい。良いですよ。」
 どさくさに紛れてリツコもシンジの許可をもぎ取ってからほどなく、今日の集まりの本題について説明を……いや、宣伝を始めるべく役者が舞台に上がったのであった。
「本日はご多忙のところ我が日本重化学工業共同体の実演会にお越し頂き、まことに有難うございます。皆様には後ほど管制室の方にて公試運転を御覧頂きますが、ご質問のある方はこの場にてどうぞ。」
 舞台上で得意げにマイクを握るのは時田シロウ。JA開発の責任者だ。
「はい。」
 目立つ位置を占拠してる場違いな一団に眉をひそめてから、その中から挙手された手の持ち主に慇懃無礼に答える時田。
「……これはご高名な赤木リツコ博士。お越し頂き光栄の至りです。」
「質問を、よろしいでしょうか?」
 真剣な表情のリツコに
「ええ。ご遠慮無くどうぞ。」
 余裕の笑みを浮かべる壇上の時田シロウ。
 火花散る視線の応酬は、これからの舌戦の激しさを無言で物語っていた。
「先程のご説明ですと、内燃機関を内臓とありますが。」
 ちなみに、パーティーに先だって一応今回の主役『JET ALONE』についての説明が行なわれており、性能諸元などが書かれたパンフレットも配られていた。
「ええ。本機の大きな特徴です。連続150日間の作戦行動が保証されております。」
「しかし、格闘戦を前提とした陸戦兵器にリアクターを内蔵する事は、安全性の面から見てもリスクが大き過ぎると思われますが。」
「5分も動かない決戦兵器よりは役に立つと思いますよ。」
 有線での電力供給があれば事実上無限に動ける点には触れず、揶揄する時田。
「遠隔操縦では緊急対処に問題を残します。」
「不完全な安全対策のコクピットにパイロットを乗せて命の危険を冒させるよりは、より人道的と考えます。そうお考えになったから、そちらでも遠隔操縦を採用なさっておられるのでしょう?」
 実際には遠隔操縦時のパペットでは機体内臓のコンピュータに防御を行なう権限が限定的に付与されており、いちいち管制室から操作しないと指一本動かせないJAとは次元が違うのだが、それにも気付かない時田。
「そろそろ本題に入りなさいよ、まだるっこしい。」
 呆れてミサトが小声で呟くが、リツコにはまだまだ議論を切り上げる気は無いようだ。
「人的制御の問題もあります。」
「制御不能に陥り暴走を許す危険極まりない兵器よりは安全だと思いますがねぇ。」
 極秘と書かれた資料をこれ見よがしに掲げる時田。
「制御できない兵器など全くのナンセンスです。」
 そこには、不鮮明ながらも暴走し暴れる零号機の姿が写された写真があった。
「ヒステリーを起こした女性と同じですよ、手に負えません。」
 時田の下手な冗談に追従して会場中で笑いが巻き起こる。
「それは実験中の事故です。実戦において我々の兵器は暴走した事はありません。」
 断言するリツコの鋭鋒を、
「でも、その可能性は秘めている……と。それに、その事故とやらで国連は莫大な追加予算を迫られ、某国では2万人を超える餓死者を出そうとしているんです。それに、あれほど重要な事件にも関らず、その原因が不明とは。せめて責任者としての責務はまっとうして貰いたいですな。良かったですね。ネルフが超法規的に保護されていて、あなた方はその責任を取らずに済みますから。」
 マトモに相手せず攻撃しまくる時田。
 その言葉を聞いて俯くレイをシンジとスズネが両側から慰めている。
 ……完全に原因が特定された訳ではないが、零号機の暴走はレイの精神状態に起因していたと推測されていたのだから。
 ちなみに、餓死者を出すほどの巨額の追加負担は、実は各国のネルフ支部で建造が始められた量産型エヴァ・パペットのためで、レイが起こした事故のせいとは言い難い。
 それに、飽食の限りを尽くしたパーティーをやっている人間に餓死だ何だと言われたくないものである。
「何と言われようと、ネルフの対使徒部隊以外にあの敵性体は倒せません。」
「ATフィールドですか? それも今では時間の問題に過ぎません。何時までもネルフの時代ではありませんよ。」
 皮肉に言い募る時田と失笑を漏らす会場の客達に、リツコは遂に反撃を開始した。
「我々の主力兵器エヴァンゲリオン・パペット……エヴァ・パペットは、対使徒戦用に訓練を積んだ特別な戦士であるエヴァ・パイロットがいない状態ではATフィールドに対しては歯が立ちません。エヴァ・パイロットがいる状態でも、使徒の方が基本スペックが上なので真正面から戦えば負けます。」
 悔しそうに噛み締めた口元を笑みへと変えつつ、更に言葉を続けるリツコ。
「……ですが、エヴァ・パペットは、それでも使徒戦において重要な戦力として活躍しております。もし、あなたがたが開発したJAがまがりなりにも完成したと言うなら、少なくともエヴァ・パペットと戦えるだけの能力がある……と見て正解ですよね?」
 余裕すら見せ始めたリツコに戸惑いつつ、
「何をおっしゃりたいのですかな、赤木博士。」
 まだまだ余裕で返事をする時田。
 だが、その余裕もリツコの次なる台詞で吹き飛んだ。
「そちらのJAと我々ネルフが開発したエヴァ・パペットとの対戦の申し込み、と言えば分かり易いですか?」
「何を急に……こちらにも都合と言うものが……」
 ちゃんとした試運転すらまだのJAが、既に実戦経験まであるパペットと戦えるかどうかは未知数である。そんな叩いてもいない石橋を渡る真似をするのは気が進まない。
「使徒は我々人間の都合になど合わせてはくれません。どうしても…と言うなら待っても良いですが、お歴々が集まっているこの場こそがJAの実力を見せつける好機では?」
 ただ、同じく試運転もまだの状態で使徒戦に突入し、見事に勝利をもぎ取ったネルフの人間が言う事である。慎重に反論をしなければ足元をすくわれかねない……と、どう答弁するかを考える時田に、リツコの持つマイクが拾える声で横から野次が飛んでくる。
「見栄を張って完成したと言ってしまいました、ごめんなさい。と言うのでなければ、すぐにでも応じれるはずよね。」
 ミサトが飛ばした毒舌の援護射撃だ。
「そうは言っても、対戦などしたら修理費が……」
「それについては、こちらが負担致しましょう。こちらから言い出した事ですし。」
 時田の言い訳をピシャリと封じるリツコ。
「所属がどこであれ、使徒と戦える兵器は多いにこしたことは無いもんね。本当に使徒と戦える実力があるっていうなら喜んで直させて貰うわよ。」
 更には、ネルフの作戦部長であるミサトの共同攻撃で時田の逃げ道は塞がれた。
「そ、そうか……」
 こうまで言われて逃げたのではJAの完成が嘘っぱちだと喧伝するようなモノだし、今まで資金を出してきたスポンサーまでもが逃げ出してしまいかねない。
 JA製作費の資金繰りがいよいよ苦しくなってきた時田の側としては、この対戦は受けるしか手は無くなってしまったのだった……。
「分かった。公試運転の2時間後で良いか?」
「こちらは問題ありません。必要なら10分後でも始められますから。……我々は使徒に備えて常に臨戦体制に移れるよう待機しておりますので。」
 先発の、そして現役の対使徒迎撃組織としての自信を見せつける台詞を吐かれては、時田の方としても最初からJAと戦うつもりで難癖つけてきたのかと四の五の文句を言うことも難しい。
 ……実際にその通りで、ネルフ陣が乗ってきた大型ヘリコプターに移動司令車が積んであったとしても。
「ところで、その公試運転ですが……」
「何か要望でもあるのですか、赤木リツコ博士。」
「我々が見ていては手のうちを見られて何かと不都合でしょうから、私とパペットの操縦者である葛城ミサト一尉は別室で待機させて頂きます。勿論、監視は付けて頂いて結構ですわ。」
 寛大とも馬鹿にしているとも取れる発言に、時田の眉はじりじりと上がって行く。
「ゆっくり見ていてもよろしいですよ。自分達がいかに馬鹿な挑戦をしたかを、じっくりとね。」
 ただ、表面上は慇懃さを崩さない。
 自分達の技術と作品への自負に裏打ちされた余裕が、それを助けていた。
 しかし……
「使徒との戦いにおいて、敵の実力が未知なのは良くある事です。それに、後で負けた時の言い訳にされたくありませんから。」
 そう言い捨てて会場から退席するリツコを引き止める事は、時田にはできなかった。
「じゃあマヤ、シンジ君達をお願いね。」
 それを追って出て行くミサトに何か言う事も。
 彼に出来たのは、自分の部下の日重の社員を何人か彼女らの監視役として差し向ける事だけだった……。



 基本動作一つこなすだけでも管制室中に歓声が上がると言う公試運転を終え、いよいよ対決の時が来た。
 2時間の時間制限枠一杯を使って軽い整備を終えたジェット・アローン…JAと、
 ほんの15分前にEVA専用長距離輸送機“ウィングキャリアー”からパラシュート投下されたエヴァ・パペットがおよそ500mほどの間合いで対峙する。
 もっとも、どちらの身長も40m程ある為、さほど離れているとは言えない。
 今回の対決では、時田ら日重技術スタッフはトーチカにもなっている管制室から、リツコとミサトとヒカリは持参した移動司令車の中から無線操縦するという事が話し合いにより決定していた。
 ……この操作方法を決める際にも、リツコは時田に自分たちの操縦方式を“選ばせる”という余裕を見せ、危うく激昂させそうになった一幕もあった。
 ちなみに、シンジ達を含む観客達は誰一人帰らず、管制室前方に設けられた窓からこの世紀の一戦を観戦する事となっていた。
「さてと、そろそろ準備……あら? 画面が出ないわね。」
 どう見ても携帯用ゲーム機にしか見えないものをポケットから取り出したミサトの姿に管制室中に失笑があふれる。
 ネルフ側の希望で、移動司令車の内部は管制室に生中継されていたのだ。
 ちなみに、カメラや放送機材はスタッフごと日重側が用意したものである。
「もしかして、昨日特訓してたわね。」
 呆れた声を出しつつリツコがポケットから取り出したのは単三電池2本。
「サンキュー、リツコ。」
 手早く電池を取り替えると、ミサトは十字キーと二つのボタンに軽く手をかける。
「準備オーケー。いつでも行けるわよ。」
 あまりに舐められていると感じた時田は、最初から容赦無く叩き潰す事に決めた。
『相手のメンツなど関係ない。JAの性能を天下万民に見せつけるのだ。』
 そんな決意を固めた時田が、自信満々で指令を下す。
「行け、JA!! 全速前進! 一気に叩き潰せ!」
 管制室に響き渡った指令を受けて
「了解、前進強速!」
 操作員の一人が行なった操作に忠実に従い、両腕を振り回して全力で突進するJA。
 対するは自然体(節電モード)で立つエヴァ・パペット。
「ここっ!」
 その両者がまさに正面から激突せんとした直前、ミサトの素早い十字キー右連打に応えてパペットは左足を残したまま右へ横っ飛びする。
「なに!! 避けろ!!」
「間に合いません!」
 金属と金属がぶつかり合う異音が鳴り響く中、時田たちの悲鳴もまた響き渡った。
 すかさずミサトが十字キー下+Bボタンを2回押すと、足を引っ掛けられて勢いのまま前のめりに倒れたJAの膝裏に、倒れる事無く体勢を素早く立て直したパペットが踏み潰すようなキックを2発食らわしてから離れる。
「くそっ! 立てっ、JA!!」
 時田の叱咤に応え、操作員達が何とかJAを立たせようとする。
 ここまであっさりと負けては、技術者としての彼らのプライドに関わるからだ。
 しかし……
 限界を超えたダメージを受けたJAの左膝は、彼らの願いに応えてはくれなかった。
 何とか立ち上がったJAの左足は膝のところでボキリと折れ、またもや前のめりに大地へと沈んでいった。
「左足大破! 戦闘続行不能!」
「おのれ卑怯な!!」
 時田が吠えるが、もはや負け犬の遠吠えでしかない。
 そんな彼のプライドを粉々に撃砕する出来事が更に襲いかかって来た。
「所長! 原子炉の制御が不能です!」
「このままでは5分以内に炉心融解の危険があります!!」
 JAに搭載されていた原子炉が暴走を始めてしまったのだ。
「なんだと!! すぐに緊急停止しろ!」
「駄目です! 制御棒が下りません!」
 JAの背の制御棒は度重なる衝撃を受けて歪み、どれ一つとして必要な位置まで動こうとはしない。
「信じられん……。私の設計では、こんな事になるなどありえないはずだ。」
 要するに想定した以上の衝撃を受けたせいで故障したのだろうが、これは格闘戦用機としては致命的な設計ミスであった。
「ちょっと! 水噴いてるけど大丈夫なの、これ!」
 ミサトの叫びで我に返った時田は、最後の良心で叫ぶ。
「爆発するぞ! 早く逃げろ!」
「爆発って、ちょっと…何とかならないの!」
「こうなっては、自然に炉が停止するのを、待つしか方法は……。」
「自然に停止する可能性は?」
「0.00002%……まさに奇跡です。」
 管制員の一人が時田の代わりに答える。
 既に諦め顔の時田に、ミサトは怒りを爆発させた。
「奇跡を待つより捨て身の努力よ! 停止手段を教えなさい!」
「方法は全て試した。」
 ただ、そんな時田に横から質問が飛ぶ。
「JAの背中にある6本の棒、あれはおそらく原子炉の制御棒ね。」
 リツコが冷静でいられるのは、元々の性格もあるが、いざと言う時はシンジとその彼女達が展開するATフィールドで守って貰うつもりだからである。
 だからこそ、こんな茶番劇にわざわざ同席して貰ったのだから。
 またもや貧乏くじを引いたヒカリがシンジ達と離れて移動司令車に乗っているのも同じ理由であった。
「そうだ。」
 時田の肯定を聞いたミサトは、この場に最も適切な作戦を閃いた。
「おっけ〜。じゃ、あれを押し込めば良いのね?」
 凄く原始的な力技だが、JAの動作が停止している今なら現実的な作戦案だ。
「そういう細かい作業なら、このコントローラーじゃ無理ね。」
 言いつつ司令車の中に設置されているパペット用コクピットに座るミサト。
 さっそく操作を携帯用コントローラーから引き継いで、コクピットに設置された精密作業時用のグローブ型コントローラーを手にはめる。
「行くわよ。」
 パペットが歪んだ制御棒を力尽くで押し込むと、炉心温度が目に見えて落ちる。
 押し込んだ制御棒から手を離しても歪んでいるがゆえに簡単には逆戻りしないのが幸いして、手早く次々と制御棒を押し込んで行くエヴァ・パペット。
 ミサトとリツコの落ち着いた対処に、パニックになりかけていた観客達も静まり、固唾を飲んで作業を見守っている。
 そして、6本の制御棒全部を押し込み終えた時、JAの原子炉の火は消えた。
「終わりだ……JAも……私も…………」
 こうして、JA計画は完全に頓挫し、満座の席で醜態を晒した日本重化学工業共同体に属する会社の株は思い切り急落……いや、暴落していったのだった……。



 事件の3日後、ネルフ本部司令公務室にて……
「日本重化学工業共同体株の取得は予定通り終了しました。パペットの回収、JAの接収を含め、全てシナリオ通りです。」
 リツコと黒い背広の男がゲンドウに報告を行なっていた。
「ご苦労。」
 日本重化学工業共同体は、実は戦略自衛隊に納入されている兵器の70%に関っている大手の軍需産業であるが、今回の事件を契機に日重の株を密かに買い集めた結果、ネルフが日重の全株式の51%以上を握る事に成功した。
「これにより、株を買い取るのに使った金額を差し引いても、現在日重に発注している車両、航空機、弾薬などの諸費用が20%ほど節約できます。」
 黒服の男が報告した通り、軍用品調達の中間マージンの圧縮によって得られる利益は莫大であり、長期的に見れば今回の損を補って余りある利益を生むと思われた。
「接収したJAの改造計画は?」
「現在、原子炉の取り外し作業中です。その後は作業用に転用する計画です。」
「問題無い。好きにやりたまえ。」
 そう。
 ネルフは今回のJA計画の背後に居た日本政府を手玉にとって莫大な利益を得たのだ。
 色々な意味で……。



福音という名の魔薬
第八話 終幕



 本作のJAの原子炉暴走はソフト的な不具合のせいじゃなくてハード的な故障が原因なので、原作みたいに全プログラムの消去で停止する……と言う見通しは立ちません。
 あと、本作ではトライデントのテストパイロットは主にセカンドインパクトのどさくさに紛れて半分誘拐と言っても良いぐらい強引に集めた孤児ということにしています。
 今回も、きのとはじめさん、峯田太郎さん、【ラグナロック】さん、道化師さん、JD−NOVAさんに見直しへの協力や助言をいただいております。どうもありがとうございました。

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