福音という名の魔薬
第九話「アスカ、襲来」 ネルフ本部・司令公務室。 この部屋の主であるゲンドウが、また何処かに電話をかけていた。 「そうだ。その問題は既に委員会に話はつけてある。計画のメドは君の仕事如何による。荷物は昨日佐世保を出港し、今は太平洋上だ。」 ゲンドウは皮肉に口元を歪める。 『ユイでさえ掌握しきれなかったモノを、果たして老人達お抱えの技術者や米国の技術者如きに扱い切れるかな?』 荷物…福音の名を冠された謎だらけの薬品を調合するのに必要不可欠な第3新東京でしか採取できない材料…を面識も無い連中に渡すのは気が進まない。何せ、扱いを一つ間違えただけでも深甚な災いが発生しかねないほどに危険な物体なのだ。 ……とはいえ、引き換えとして“計画”に必要なカギと追加予算がこちらに送られて来るのだから文句を言うのもはばかられる。 この上は、こちらに火の粉が飛んで来るほど手酷い失敗が起きぬよう祈るばかりだ。 この“荷物”の使い方次第では、セカンドインパクトに匹敵する大惨事すらも引き起こす事が可能なのだから……。 東へと飛ぶ国連軍所属の大型ヘリコプターの兵員輸送にも一応使えるという感じの貨物区画に、シンジとトウジとケンスケが乗っていた。 「Mil−55d輸送ヘリ。こんな事でもなけりゃ一生乗る機会無いよ。まったく持つべきものは友達って感じ。な、シンジ。」 ビデオカメラ片手に調子のいい事を言っているのは、呼ばれもしないのにまんまと同行に成功したケンスケである。 「毎日おんなじ山の中じゃ息苦しいと思ってね。夏休みだからデートに誘ったんじゃないのよ(ま、ホントはシンジ君に誘うように頼まれたんだけどね……)。」 副操縦士席からシンジ達を振り返ったミサトは、悪戯っぽく発言しながら一昨日の夜に行われた『取り引き』について思い返していた。 「あの〜、ミサトさん。今回、友達連れて行っていいですか?」 輸送中のエヴァ弐号機を迎えに行く任務を聞いたシンジは、思い切ってミサトに頼み込んでみたのだが…… 「駄目よ、シンちゃん。遊びじゃないんだから。」 返ってきたのはマトモな返答であった。 しかし、他ならぬミサトに散々鍛えられたシンジである。 「ミサトさんの為に今度ウチにビアサーバー置こうかと思ってるんですけど、やっぱり未成年者ばかりの部屋にお酒を置くのはマズイですよね。」 ミサト相手の駆け引きのやり方は、ある程度身についていた。 「ビ、ビアサーバー!? あのお店とかに置いてるヤツ?」 手軽とは言わないが、晩酌にビアホールで飲むような美味しいビールが飲めるかもしれないとあってミサトの目の色が変わる。 「……でも、やっぱりマズイですよね。」 「全然マズくなんか……はは〜ん、そういう事?」 重ねて言うシンジの言外の意味を読み取ったミサトは、 「わかったわよ。……何人連れてくるわけ?」 ちょっとだけ考えてからシンジの思惑に乗ってあげる事にしたのだった……。 「え! それじゃ今日はホンマにミサトさんとデートっすか? この帽子、今日のこの日の為に買うたんです。……で、どこに行くんでしゃろか。」 ミサトの発言を真に受けたのは、いつもの黒ジャージに野球帽のトウジだけであった。 「豪華なお船で太平洋をクルージングよ。」 人を食った返答に呆れて溜息をついたシンジが、 「で、後どれぐらいで着くんです?」 色んな意味で座り心地の悪い座席に何時まで座ってれば良いのか聞くと、 「そろそろ見えてきたわよ。」 雲を突き抜け眼下に船団が見えてきた。 「お〜! 空母が5、戦艦4、大艦隊だ! ホント、持つべきものは友達だよな。」 密集隊形で航行している大艦隊の勇姿をカメラに納めるのに夢中になって感嘆の声を上げるケンスケと、 「これが豪華なお船?」 それと対照的に疑問と不満が口調にありありと出てるトウジ。 「まさにゴージャス! さすが国連軍の誇る正規空母オーヴァー・ザ・レインボウ。」 実際に招待されたトウジより遥かに楽しんでいるケンスケの後ろで 「でっかいなぁ。」 シンジも空母の大きさに素直に感嘆の声を上げる。 「ちょっち最新式とは言えないけどね。」 ミサトは船よりも甲板上に駐機している艦載機群を見て呟く。 「セカンドインパクト前のビンテージ物じゃないっすか。」 それも知らずにお気楽な発言を漏らすケンスケの姿に、ミサトは後の台詞を口の中に飲み込んだ。 『艦と艦の間隔が不自然に狭いわね。何か理由があるのかしら。……それとも、まさか、上空から来る私達ネルフの人間に自分達の腕前を見せつけようって腹かしら。もし、そうだったら……ここの艦隊司令はよほどの馬鹿ね。』 迂闊に艦隊陣形の間隔を狭めると、ちょっと舵を切り間違えただけでも衝突事故が起きかねないし、攻撃を受けた時でも回避運動すら危険でできない。 今現在の国連太平洋艦隊は、正に、その危険を冒しているのであった。 その頃、その空母オーヴァー・ザ・レインボウの艦橋では、 「はっ、いい気なもんだ。オモチャのソケットとオモチャの鉄砲を運んできよったぞ。ガキの使いが。」 艦隊司令が双眼鏡を覗きながら悪態を吐いていた。 そして、着陸するヘリをブリッジの張り出しから見下ろす一人の少女がいた……。 その少女が飛行甲板へと降りるべく廊下をずかずかと闊歩していると、行く手に見事な金髪を短くまとめた軍服姿のスリムな美女が現れた。 「あなたも出迎えか? なら、スパッツやキュロットに着替えて来た方が良い。」 単刀直入に忠告を口にする女性士官に、 「大きなお世話よ。アタシに指図しないで!」 ワンピース姿の少女は、そう言い捨てるとさっさと立ち去った。 「……失礼した。」 謝罪の言葉もろくに聞かずに。 「お〜!! 凄い、凄い、凄い、凄い、凄過ぎる! 男だったら涙を流すべき状況だね、これは。」 軍事マニアには垂涎の光景……作戦行動中の空母の飛行甲板の上で周囲にはずらりと綺羅星のように大艦隊が勢揃いしているのをカメラに納めながら、ケンスケは同行者たちのひんしゅくを買いまくっていた。 「凄い、凄い、凄〜いっ!」 周囲を囲む強面のパイロット陣やフライトクルー陣も、彼にとっては極上の歓迎と言えるので、威圧感なぞ微塵も感じてはいない。 「あ〜! 待て〜! 待たんかいっ!!」 同様に、強風で飛ばされた帽子を追いかけるのに夢中になっているトウジや、友人達の醜態を見て羞恥心を刺激されまくっているシンジも威圧感を感じてはいなかった。 『歓迎は……されてないか。手、出して来なきゃいいけど……。』 ただ、ミサトだけは剣呑な気配を察して首をすくめていた。 自分だけならともかく、子供たちまでいるのだ。 面倒な事になりそうなので、余計な騒ぎを起こしたくは無かったのである。 「くっそ〜! 止まれ、止まらんかい!」 追いかけて駆けるトウジの視線の先で、誰かの左足に帽子が引っかかった。 喜びかけた其の時、野球帽はその足に踏まれてしまう。 目を丸くして愕然とするトウジ。 「ハロー、ミサト。元気してた?」 踏みつけた帽子にも近くまで来たトウジにも構わずミサトに挨拶をする少女の態度に、トウジは怒りを募らせていく。 「ま、ね〜。あなたも背、伸びたんじゃない?」 「そ。他のところもちゃんと女らしくなってるわよ。」 親しげにやりとりする足元で、トウジは一生懸命帽子を少女の靴の下から引き抜こうとするが、全然歯が立たない。 「紹介するわ。エヴァンゲリオン弐号機のパイロット……セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーよ。」 ミサトが主に横にいるシンジに……アスカの足元で帽子を取るのに夢中になっているトウジやカメラで周囲を映すのに夢中のケンスケは聞いてないだろうから……少女の紹介をした時、甲板を強風が駆け抜けた。 それは、アスカのワンピースのスカートを盛大にめくり上げた。 その正面にまともに座っていて至近距離で直視したトウジ 丁度カメラを向けていたケンスケ 今度は自分の紹介をしなきゃと身構えていたシンジ 彼ら三人の頬に、音高く目にも止まらぬ平手打ちが炸裂した。 周囲のギャラリーが思わず自分の頬を押さえるぐらい勢い良く……。 それを見ていたギャラリーの一人、アスカと廊下で遭った女性士官は、 『だから着替えた方が良いと言ったのに……叩かれた方は可哀想に……。』 破壊されたカメラを手に涙を滂沱と流す眼鏡の少年……ケンスケ くっきりと左頬に手形が残るおとなしそうな少年……シンジ 深々と刻まれた手形に、思わず涙を流している黒ジャージの少年……トウジ その中でも、真面目に挨拶しようとしていたと思われるおとなしそうな少年に特に同情した。 声もかけずに少女の足元で何やらやってた黒ジャージの少年や無断で他人にカメラを向けた眼鏡の少年にはそれぞれ非はあるとも言えるが、バスケットを手にしているおとなしそうな少年には落ち度は何も無かったのだから……。 「何すんのや。」 黒ジャージの少年…トウジが、アスカに向かって食ってかかる。己が叩かれたのが気に入らないのだろう。 「見物料よ。安いもんでしょう?」 両手を腰に当て吐き捨てるように威張るアスカの態度に、 「なんやて。そんなのこっちも見せたるわ。」 黒ジャージの少年は何をとち狂ったのか自分のズボンをずり下げた。 縦縞のパンツごと……。 当然ながら潮風と衆目にさらされる少年の下半身…… 思春期の少女の次なる行動は、流石に無理も無いと当人以外の全員が納得できた。 「なぁ! 何すんのよっ!」 更にもう一発音高く炸裂した平手に、眼鏡の少年は顔を背け、おとなしそうな少年は頭を手で押え、そして周囲を囲むギャラリーは殺気立つのも忘れて大爆笑していた。 「で、噂のサードチルドレンはどれ?」 顔の両側に手形のついた恨めしそうな目のトウジは置いておいて、アスカは一歩前に進み出た。ただ、『どれ』という人間相手に使うべきじゃない代名詞を使ってるところに彼女の心情や性格が滲み出ているかもしれない。 「まさか、今の……」 「違うわ。この子よ。」 ミサトに紹介された少年をジト目で値踏みするアスカ。 「ふ〜ん、冴えないわね(妙に引っかかるけど……)。」 かなり失礼な物言いにもめげず、 「碇シンジです、よろしく。」 シンジは自己紹介の言葉を何とか口にできたのだった。 「おやおや。ボーイスカウト引率のお姉さんかと思っていたが、それはどうやらこちらの勘違いだったようだな。」 オーヴァー・ザ・レインボウの艦長兼国連太平洋艦隊司令……艦長と艦隊司令が兼任という時点で、この艦隊の人事の無能さを露呈しているのであるが……が、提示されたミサトの身分証を見て皮肉る。 なお、古いタイプの身分証には年齢・身長・体重のみならずスリーサイズまで明記されていたため、セクハラだとミサトを先頭とした女子職員が猛抗議したのが実って新タイプの身分証では年齢と性別のみとなっている。 そういう経緯がある故、隠したい情報…年齢…を黒塗りして隠すなんて馬鹿な真似はミサトにもさすがにできなかった。 「ご理解いただけて幸いですわ、艦長。」 ちなみに、ここでのやり取りは全て英語の為、シンジとトウジには内容がさっぱり理解できていなかった。……アスカは問題無く話が聞き取れているが。 「いやいや。私の方こそ、久しぶりに子供達のお守りが出来て幸せだよ。」 慇懃無礼な応酬の最中も、ケンスケはブリッジのあちこちを予備のビデオカメラで撮るのに夢中になっており“お守り”という言葉の意味を補強しまくっている。 「この度はエヴァ弐号機の輸送援助ありがとうございます。こちらが非常用電源ソケットの仕様書です。」 ミサトが持参のファイルから書類を艦長に手渡す。 「はっ。だいたい、この海の上であの人形を動かす要請なんぞ聞いちゃおらん。」 渡された書類は受け取って軽く目を通しながらも、腹立たしさをあからさまにする艦長に対して、 「万一の事態に対する備え。と、理解していただけますか?」 ミサトは表面上の礼儀正しさを崩さず冷静に答えた。 「その万一に備えて、我々太平洋艦隊が護衛しておる。いつから国連軍は宅配屋に転職したのかな?」 「某組織が結成された後だと記憶しておりますが……」 艦長の皮肉に、その後ろに立って控えていた副長がツッコミを入れる。 「オモチャ一つ運ぶのに大層な護衛だよ。太平洋艦隊勢揃いだからな。」 「敵性生命体…使徒の戦力が未知数な以上、望み得る限り強力な戦力を護衛につけておく必要があると認識しております。エヴァは使徒に対する我々人類の切り札ですから。」 ミサトは艦長のプライドに障らない程度にエヴァの重要性をアピールする。 「ところで艦長。」 「何かね?」 若干機嫌を直した艦長に、ミサトは単刀直入に質問をぶつけてみた。 「見事な操艦技術と艦隊行動ですが、この密集隊形には何か戦術的な意味がおありなのですか?」 下手に出たミサトの聞き方に、艦長はウッと唸って考え込んだ。 まさかネルフなんぞから来る素人の山猿相手に自艦隊の武威を見せつけて優位に立とうとしてただけなどとは、口が裂けても正直には言えなかったからだ。 近代海戦の定石にも反しているだけに、艦長はにわかには答えられなかった。 その窮地を救ったのは、甲板からミサト達に随行して来た女性士官であった。 「作戦行動の詳細については部外者もいる前では明かしかねます。どうしてもお知りになりたいのであれば、後日文書にて提出願います。」 横から口出しした女性士官に、苦々しい怒りを向ける艦長。 「カティー・ジーベック中尉。出過ぎた発言だぞ(こいつらをさっさと病院送りにしておけば、そもそも困らなかったのだぞ。その不祥事の責任はネルフ関係者担当にしたおまえに取らせて一石二鳥になるはずだったものを、今更助け舟なんぞ出しおって……)。」 助けてもらってホッとしたのも束の間、その相手が自分が毛嫌いしている女性士官だというので理不尽な怒りを溜め込む艦長。 艦長が裏で札付きの荒くれ連中にネルフ関係者を“手荒に歓迎”するようにけしかけていたのだが、トウジが大恥をかいたのを見て大笑いした荒くれ達がやる気を無くしたせいで、襲撃の機会を逸した事も艦長のストレスの一因である。 ……襲撃が未発に終わったおかげで艦長の首も取り敢えず飛ばずに済んだのだが、それには思い至らないようだ。 「はっ、申し訳ありません。」 ただ、外聞もあるのでこの場では軽い叱責だけに止める。 後で、今回の艦隊行動の責任を航法担当の末席にいるこの女性士官におっ被せようと決意しながら……。 「では、それについては後日という事で。この書類にサインを。」 気を取り直してミサトが求めたエヴァ弐号機の引渡し手続きを、 「まだだ。」 艦長は一言で却下した。 「エヴァ弐号機及び同操縦者は、ドイツの第三支部より本艦隊が預かっている。君等の勝手は許さん!」 ミサトの後ろですまして胸を張るアスカだが、言葉は分かってても意味は解らないのではないかと思われる。 それとも、ただ重要な“もの”として扱われているのが心地好いのか。 「では、いつ引渡しを?」 「新横須賀に陸揚げしてからになります。」 副官が言い添える後に、艦長が重々しく宣言する。 「海の上は我々の管轄だ。黙って従って貰おう。」 「わかりました。」 ピシャリとファイルを閉じ、ミサトは引き下がった。 「ただし、使徒が襲来した際は我々ネルフの指揮権が最優先である事をお忘れなく。」 ただ、釘を刺すのだけは忘れないが。 「かっこええ〜。」 「まるでリツコさんみたいだ。」 トウジがだらしない声を上げ、シンジがポツリと呟く。 そんな一行の横から、 「相変わらず凛々しいなぁ。」 若い男の声がかかった。 「加持先輩っ!」 アスカが顔を赤くして黄色い声を出し、手を上げる。 「ども。」 答えて加持も手を上げて挨拶する。 それに対して、ミサトの顔は驚きと嫌悪で凛々しさからかけ離れた表情へと崩れ去る。 「加持君。君をブリッジに招待した覚えは無いぞ。」 「それは失礼。」 あまり失礼とは感じてないであろう軽い言い草で、加持は艦長に謝意を述べた。 「では、これにて失礼します。新横須賀までの輸送を宜しくお願いします。」 アスカの意向で加持を加えた一行は、ミサトの挨拶を最後にブリッジを後にした。 「これがデートかいな。」 ごもっともな文句を漏らすトウジや所構わず撮影しまくるケンスケ達を引き連れて。 「Shit! 子供が世界を救うというのか。」 そのブリッジで、艦長が自らが理不尽と感じた状況に関して文句を垂れ流していた。 「時代が変わったのでしょう。議会もあのロボットに期待していると聞いてます。」 「あんなオモチャにか!? 馬鹿どもめ。」 後ろを振り返って吐き捨てる艦長の視線の先には、エヴァ・パペット弐号機を輸送しているタンカーがある。 「そんな金があるんなら、こっちに回せば良いんだ。」 使徒との交戦経験が未だ無い艦長は、そう愚痴をこぼしたのだった……。 「すみません。定員オーバーみたいだから後で行きます。何階で降りれば良いですか?」 全員乗るとすし詰めになるのが見え見えの狭いエレベータを見て、シンジは乗るのを遠慮した。 「行くのは士官食堂だったな。私が案内しよう。」 一行に同行していたカティー・ジーベック中尉も同じくパスした。 「トウジ、相田君、僕らは後で行こうよ。」 「ま、センセがそう言うならな。」 カメラで撮影するのに夢中になっているケンスケは返事をしないが、エレベータに乗らないところを見るとどうやら承知したらしい。 「じゃ、先に行ってるから。」 ミサト達がエレベータの中に消え、ジーベック中尉があっちふらふらこっちふらふら撮影しているケンスケに気を取られているのを見計らうと、シンジは懐から一通の封筒を取り出してトウジの手に押しつけた。 「な、何やセンセ。ワイはそんな趣味は無いで。」 何故かしどろもどろにな口調になるトウジに、シンジは溜息を押し隠して告げた。 「ある人から頼まれた手紙なんだけど、他人には絶対見せないで欲しいんだ。」 「何やて?」 「トウジを見込んで話すんだけど、秘密にできそうにないなら……」 「分かった。センセがそこまで言うなら、ワシは誰にも言わん。」 小声でのやりとりは、ケンスケの絶えず上げる奇声に紛れてジーベック中尉の耳には聞こえなかったらしく、彼女が手紙について探りを入れてくる事は無かった。 ともかく、手紙は無事にトウジのジャージのポケットに収まったのであった。 その頃、エレベーターの中では…… 「何であんたがここにいるのよ!」 「彼女の随伴でね。ドイツから出張さ。」 「うかつだったわ。充分考えられる事態だったのに。」 加持に食ってかかったミサトが溜息を吐いていた。 諦め顔で…… 士官食堂のテーブルの一つで、シンジ達一行7人は座ってお茶していた。 楽しんでいる……と言い難いのは、ミサトが腕組みして不機嫌さを撒き散らしているからで、その原因はミサトの正面に座る男…加持リョウジ…にあった。 シンジ持参のバスケットに入っていた手製の大きなアップルパイを切り分けたお茶請けにも手がつけられず、全員の注目は二人のやり取りに集中していた。 ……なお、シンジがアップルパイをもう1つ焼いて残留組のおやつ用に残してきてあるのは言うまでもない。 「今つきあっているヤツ、いるの?」 「それがあなたに関係あるわけ。」 視線も合わせず、そっけなく言うミサト。 「あれ、つれないなぁ。」 コーヒーで口を湿した加持は、舌戦の矛先をミサトから変えた。 「君は葛城と同居してたんだって?」 アスカの隣に座るシンジへと。 「え、ええ。一日だけでしたけど。」 「彼女の寝相の悪さ、直ってる?」 投下された加持の爆弾発言に、一同が騒然となる。 「な、な、何言ってるのよ!」 特にミサトは顔を赤くし、自分の分のコーヒーカップをひっくり返すほどテーブルを勢い良く叩いて抗議する。 が、シンジは良く分かってないのか平然としていた。 ジーベック中尉も驚いていないが、こちらは部外者に近いからであろう。 「相変わらずか、碇シンジ君。」 驚きに凍ってるアスカ越しに確認を取ると、シンジは素直に頷いた。 「え、ええ。……どうして僕の名前を?」 「そりゃ知ってるさ。この世界じゃ君は有名だからね。何の訓練も無しにエヴァを実戦で活用したサードチルドレン。」 加持に褒められているシンジを、アスカが剣呑な流し目で睨み見る。 「そ、そんな……偶然です。」 「偶然も運命の一部さ。才能なんだよ、君の。」 そこまで言うと、青い顔で頭を抱えているミサトをちらりと見やる加持。 「じゃ、また後で。御馳走様、シンジ君。」 席を立つ加持の前に置かれていた皿の上にあったパイも、コーヒーカップの中身も綺麗に胃袋の中に片付けられていた。この男だけはマイペースでお茶とおやつを堪能していたらしい。 「はい。」 ……他の人間、取り分け 「冗談じゃない……悪夢よ……」 と、ぶつぶつと呟いているミサトにとってはそれどころでなかったようだが。 加持が去り、アスカも加持を追って去った士官用食堂で、残った人間が食卓に並べられたパイに舌鼓を打っていた。 「しっかし、センセ。ホンマに美味いな、これ。」 「ホント、驚きだよ。」 トウジとケンスケが絶賛しまくっているが、その狙いは手もつけられずに放置されたアスカの分のパイにあった。 ……しかし、シンジは彼等のそんな思惑も気付かず綺麗に包装し直してバスケットに仕舞ってしまったのだった。 「(もっと食いたかったな、アレ……)そや、ワイは便所や。」 気を取り直すやいなや、自分のポケットに入ってる手紙の事を思い出したトウジは、まだ食べている人間がいるにも関らず大声で宣言した。 エチケットもなにもあったもんじゃない。 ただ、そんな彼に目くじらを立てるような人間は幸いにしてここにはいなかった。 「トイレなら、ここを出て左手の方にある『WC』と表示が出ている部屋だ。」 空母側の女性士官 ジーベック中尉を含めて。 「さて、さっそく読んでみるか。」 トイレの個室に入ったトウジは、ポケットからシンジに貰った手紙を取り出して読み始めると同時に、驚きの声をあげた。 「な! なんやと!」 そこには…… 『おにいちゃん、げんきですか。ハルナはげんきです。』 たどたどしい文字ながらも、彼が見覚えのある筆跡で妹の名が記されていたからだ。 『でも、むずかしいじじょうでハルナはしんだことになってます。シンジおにいちゃんにきいたら、ハルナのことをまもるためだっていってました。トウジおにいちゃん、シンジおにいちゃんをよろしくね。 ハルナ』 紛れも無い妹の書いた肉筆の手紙。それを握り締めて、トウジは男泣きに泣いた。 「そうか、そうやったんか……センセは、ワイにあないに殴られてもハルナの事一言も漏らさんかった。センセこそ男の中の男や。」 そこで、トウジは葬式の時の父と祖父の態度の理由に気付いた。 「もしかして、おとんもおじいもグルか。……まあ、しゃあないな。ワイがあの時ハルナが生きとると知っとったら、何もかもぶち壊しにしとったに違いないしな。」 無駄に察しが良いと言われるのは伊達ではなく、トウジはほぼ正確に状況を把握した。 ……さすがに、自分の妹が使徒と融合して肉体年齢が急成長したのが表向き死んだ事になってる理由だとまでは気付かないが。 「よし、分かったハルナ。センセの事はワイに任しとき。ワイにできる事なら何でもするからのう。」 手紙に向かって話しかけるトウジは、第三使徒襲来からこのかた心の片隅に常駐していた重石が取れて、久々にスッキリした表情で力んだのだった。 空母の左舷にある階段の踊り場で、加持はついて来ていたアスカと会話していた。 「どうだ、碇シンジ君は。」 「つまんない子。あんなのが選ばれたサードチルドレンだなんて、幻滅。」 手摺りを鉄棒に見立てて身体ごと潮風に揺られているアスカがキッパリと言い捨てる。「しかし、いきなりの実戦で彼のシンクロ率は40を軽く超えてるぞ。」 「嘘っ!」 加持が漏らした情報にアスカが驚愕する。それは、彼女ですら何ヶ月も必死に努力して到達した数値であったからだ。 「それに料理の腕も良い。彼の作ったパイは中々の出来だったが、食べなかったのか?」 「……それどころじゃなかったわよ。」 話が話だったのでパイなんぞ食べてる心の余裕が無かった事、今までの生活は大学の勉強やエヴァの訓練で忙しくて料理をしているヒマなんてなかったという二重の意味をこめて呟くアスカであった……。 「しっかし、いけすかん艦長やったなぁ。」 素直な感想を述べるトウジに、 「仕方ないわ。プライドの高い人なのよ。皮肉の一つも言いたくなるでしょ。」 ミサトが寛大な態度で弁護する。……空母側の人間がいる前であるから、間違ってもあからさまな悪口を言うのもはばかられるという事情もあるが。 「賑やかで面白い人ですね、加持さん。」 初対面で褒められて加持に好印象を持ったシンジがそう言うと、ミサトが露骨に嫌な顔になる。 「昔からなのよ、あのブァカ!」 と、昇りのエスカレーターに乗って、取り敢えず彼等に割り当てられた部屋へと案内されつつ雑談している一行の前に、シンジを見下ろし睨む青い目の少女が現れた。 「サードチルドレン! ちょっと付き合って。」 ……まだ頑固にというか懲りずに同じワンピース姿の少女、アスカが。 アスカの剣幕に押し切られて連れ去られたシンジを除く面々をゲストルームへと案内し終えた後、カティー・ジーベック中尉は飛行甲板へと呼び出された。 「あんた達は黙ってヘリを飛ばせば良いのよ!」 凄い剣幕で威張り散らすアスカに、 「そう言われましても……艦長か担当者の許可が無いと……」 「じゃあ、すぐに許可取って来なさいよ!」 「今、呼びに行かせてます。」 連絡用ヘリコプターのパイロットが困惑を隠し切れない図式を見て、カティーはアスカが彼女の管轄下になってから何度目になるか数えるのも嫌になってきた頭痛を覚えた。 「ねえ、もう止めようよ。」 「うっさいわね、あんたは黙っててサードチルドレン。」 険悪な雰囲気を察したのか日本語でアスカを止めようとしたシンジという少年が、同じく日本語で頭ごなしに怒鳴られている。 「何事だ?」 頭痛を無視してカティーが出ていくと、連絡用ヘリのクルーは一様にホッとした表情を浮かべた。 「こいつらがあたし達をオセローまで運ぶのを嫌がってるのよ。『許可がないとヘリは出せない』ってね。」 訊かれた兵士ではなく、アスカがカティーの質問に答える。ちなみに、オセローとはエヴァ・パペット弐号機を輸送しているタンカー船である。 「兵士とはそういう立場の人間だ。彼等を責めないで貰えると有り難い。」 「あんたが来るのが遅いのが悪いのよ!」 アスカは、今度は弁護するカティーへと怒りの矛先を向ける。 「失礼した。」 事の是非はともかく自分が謝る事で場を丸く収めたカティーは、さっそく自分の権限と責任でヘリの使用許可を出したのだった。 オセローの甲板の大部分を占める巨大な箱状の覆いの端をアスカがめくると、その中を見たシンジは感嘆の声をあげた。 「赤いんだ、弐号機って。知らなかったな。」 そこには、エヴァ・パペット弐号機があったのだ。 「違うのはカラーリングだけじゃないわ。」 ドラム缶を浮きにした鉄板の浮橋を渡り、LCLのプールにうつ伏せに寝かされている弐号機パペットの上に登るアスカ。 「しょせん、零号機と初号機は開発過程のプロトタイプとテストタイプ。訓練無しのあなたなんかにいきなりシンクロするのが、その良い証拠よ。」 「……エヴァのシンクロって良くわからないけど、そういう事じゃ無いような気がするんだけど……。」 浮橋の上から見上げてポツリと呟き返すシンジの声は、弐号機の上で胸を反らして威張るアスカには届いていないらしく、アスカは構わず自分の台詞を続ける。 「けど、この弐号機は違うわ。これこそ、実戦用に作られた本物のエヴァンゲリオンなのよ! 正式タイプのね。」 エヴァ・パペット弐号機と自分を指して胸を張るアスカと、どう答えて良いか迷うシンジたちに、突然の震動が襲ってきた。 「あ、な、なんだ。」 突然足場が揺れだして狼狽するシンジに、 「水中衝撃波! ……爆発が近いわ。」 アスカは何が起きたのか大まかに見当をつけた。 オセローの舷側まで走って状況を見に行った二人は、 「あ、あれは!」 次々と爆発し撃沈されていく艦を目撃した。 「まさか、使徒。」 「あれが!? 本物の!?」 密集隊形を続けていたのが災いして、不用意な進路変更を行なうと衝突事故に繋がる事からロクに回避運動もできず、各自の判断で反撃しようにも迂闊に撃てば味方に当たってしまう為に撃てず、水上を走る謎の水柱…恐らくそこに潜むモノ…に一方的に撃沈されていく国連太平洋艦隊。 「どうしよう。ミサトさんのところに戻らなくっちゃ。」 その光景に焦るシンジから顔を見られないよう横を向いたアスカは、 「チャーンス。」 隣にいるヤツに聞こえないよう小声で呟き、ニヤリと笑ったのだった。 これで自分の実力を遺憾無く見せつける事ができる……と。 警報が鳴っている。 「各艦、艦隊距離に注意の上、回避運動。」 旗艦オーヴァー・ザ・レインボウからの指令が、全艦隊に打電される。 が、それで何とか動けるのは隊形の外側に位置していた艦ばかりで、中心部にいた艦は今までと同じ進路を保つ以外の選択肢が無い。 旗艦の艦橋にいる副官が状況報告を求めるが、聞こえてくるのは味方の被害ばかりで敵が何か確認する事すらできていない。 「くそう。何が起こってるんだ。」 双眼鏡を怪しい水柱がある方へ向けながら、訳分からんと慨嘆する艦長。 「ちわー、ネルフですが。見えない敵の情報と的確な対処はいかがっすか〜。」 そんな修羅場のブリッジの出入り口から、ミサトの売り込み文句が響く。 「戦闘中だ。見学者の立ち入りは許可できない。」 が、艦長は即答で切り捨てた。 「これは私見ですが、どう見ても使徒の攻撃ですねぇ。」 つい、ジト目で意地悪な言い方になるミサトの後ろに、部屋で待機しているように言われたにも関らず、こっそりついてきてカメラを回し続けるケンスケがいる。 「全艦任意に迎撃。」 「無駄な事を。」 艦長が出した指示を聞いて、ミサトが小声で吐き捨てる。 流れ弾を気にして周囲に遠慮した攻撃を仕掛けた程度で使徒のATフィールドが破れるのなら、ネルフやエヴァに多額の予算が注ぎ込まれる訳も無い。 いや、その程度では使徒の足止めすら無理だろう。 偶然射角が確保できたフリゲート艦が魚雷を放ち命中させるが、使徒は構わず新たな艦のどてっぱらに体当たりして真っ二つに断ち割った。 「この程度じゃATフィールドは破れないか。」 舷側から戦況を観察している加持も、現状行なわれている尋常な人間相手と大差無い応戦体勢のままなら展開は絶望的との判断をせざるを得ない。 「しかし、何故使徒がここに……」 艦長の制止をネルフの権限で押し切ってブリッジに立ち入ったミサトは、使徒襲来の理由について考え始めたが、シンジがいる以外に心当たりのある要因は考えつかなかった。 それとも、何か彼女が知らない使徒を呼び寄せる要因がここにはあって、それがシンジ共々派遣された真の理由なのだろうか? 『アレが使徒だと断定できる証拠さえあれば、今すぐにでもコイツから指揮権奪ってやるのに……。』 自らが持つ戦闘能力の十分の一も発揮できず次々撃沈されていく艦を見ながら、現状では敵が使徒かどうかを確認するにも国連太平洋艦隊側の協力が要る事実にミサトは歯噛みしたのだった。 「ね、どこに行くんだよ。」 左手に大きな赤いバッグを抱え、右手でシンジを引っ張って、アスカはオセローの甲板上を走り回っていた。 「ちょっと、ここで待ってなさいよ。」 そんなアスカが目を付けたのが船倉内に降りる階段であった。 入り口にシンジを待たせ、駆け下りるアスカ。 「なんだよ、もう……。」 何が何だか訳が分からないので、シンジは困惑の声をあげるしかなかった。 それからほどなく、そのシンジを見つけて急いで駆け寄ってくる人間がいた。 「ここにいたのか。」 カティー・ジーベック中尉はうっすらと汗をかいているが、息は切らしていない。 「あ、はい。」 「急いで避難しないと危ない。なんならヘリで君達をここから脱出させても良い。」 シンジに脱出する気は無いが、他人はどう思うのか分からない。 「え、ええっと……ヘリで脱出させてくれるそうだけど!」 そこで、訊いてみる事にした。 階段室の中を覗いてもアスカの姿が見えなかったので、少しぐらい離れてても聞こえるような大きな声で。 「きゃっ!」 いきなりかけられた声に過剰反応して思わず上を仰ぐアスカだが、そこには声の主の姿は無い。踊り場を遮蔽物代わりに階段途中でプラグスーツへの着替えを敢行するという露出狂一歩手前の行為をやらかしているのだから、反応が過敏になるのも無理は無いが。 「……ったく、驚かさないでよ。」 ぶつくさ文句を呟くアスカに気付かず、 「ねえ、どうしたの!?」 悲鳴をあげたアスカを心配して階段室の中に入って来るシンジだが、 「いいから来ないで!!」 腹の底から出た悲鳴と怒声の混じりあった大声で足を止めた。 「なんで男の子って、ああ馬鹿でスケベなのかしら。」 客観的に見ると大幅に理不尽な文句を垂れ流しながら、アスカはプラグスーツの手首についているフィット用のスイッチを捻った。 ブカブカのプラグスーツが収縮し、身体に合わせてピッチリとフィットする。 「アスカ、行くわよ。」 真剣な顔で自分で自分に気合いを入れながら。 「この船もそろそろ危ない。行くぞ。」 アスカが姿を見せたと同時に、ジーベック中尉は有無を言わせぬ語調で言う。 しかし、アスカは手に持った自分のバッグをシンジに押しつけた。 「しっかり持ってなさいよ。代わりに特等席でアタシの活躍を見せてあげるわ。」 プラグスーツに着替えたのを見てアスカが戦う気だと見て取ったシンジは、一言だけを口にした。 「気を付けて。」 と。 「ええい、何故沈まん!」 対潜ミサイル、対艦ミサイル、魚雷、艦砲……様々な兵器が放たれるが、使徒の動きを追随できずに多くは外れ、まれに当たっても全然効果が無い。 『やっぱり無能ね、この艦長。この後に及んでも未だ艦載機の発進指示出してないし。』 弐号機パペット輸送船オセローや旗艦の空母オーヴァー・ザ・レインボウが護衛艦に囲まれて自らの動きを封じているのに対し、敵は艦船を速度も落とさず平気で突き破って来るのだ。このままでは、なす術無く料理されるのを待つまな板の上の鯉同然だ。 ただ、相手の動きを観察していたミサトは、妙な事に気付いた。 「変ね。まるで何かを探してるみたい。」 使徒が本気でこっちを殲滅にかかれば、とうの昔に全艦海の藻屑と化しているだろう。 だが、中には脇を通過されただけで見逃された艦も多いのに気が付いた。 いや、そうではない。 艦長には腹が立つ事だろうが、この艦隊の船は全然まともに相手をされていないのだ。 障害物としても見られていないのだろう。 今までの被害は、たまたま進路上にいた船が破壊されたのに過ぎないのだと、ミサトは半ば直感で悟った。 「いったい何を……」 では、使徒の目的は何なのだろう? その頃、加持の船室では……。 「こんな所で使徒襲来とは、ちょっと話が違いませんか?」 小型核爆弾の直撃にすら耐えるほど丈夫な特殊耐爆トランクを始めとする荷物をまとめた加持が、携帯電話でゲンドウと連絡をとっていた。 「その為の弐号機だ。予備のパイロットも追加してある。……最悪の場合、君だけでも脱出したまえ。」 「わかってます。」 返事は暗い。 この状況で一人逃げ出すのは気が進まないが、このままならそうせざるを得ないだろうからだった……。 「こっちに気が付いた!?」 自分が居る船に使徒が一直線に向かって来るのを、睨み据えつつ助走する。 船縁を派手に凹ませて思い切りジャンプ。 「ママの作った弐号機を…」 空中で前転して、 「壊させるもんか!!!」 そのまま水柱の中身に向かって飛び蹴りをかます。 傍若無人な進軍を続けていた第六使徒の速度がガクンと落ち、姿が見えなくなるまで海面を掻き分け跳ね上げていた水の中から全貌を現した。 とうとう、第六使徒にとって敵と呼べるだけの者が現れたのだ。 「What!」 「エヴァ弐号機って、こういう効能だったんだ……」 シンジと、シンジと一緒にアスカを見守っていたジーベック中尉が驚嘆の声を上げる。 ニミッツ級空母の2倍ぐらいの巨体の使徒を蹴り一発で止めたアスカではあったが、さすがに反作用で吹き飛ばされてしまう。 が、途中にあったイージス艦のレーダーに激突して反動を殺す。 無論、ATフィールドで守られているアスカの方には傷一つ無い。 「いくわよ!」 腰からナイフを引き抜き、レーダーマストだったものから海面へと飛び降りる。 着水する瞬間に思い切り水面を蹴り、駆け始める。 右足が沈む前に左足を、左足が沈む前に右足を。 人間には無茶なスピードで走るアスカは、手に持ったナイフのカッター状の刃を伸ばして両手で握る。 「せいっ!!」 使徒の横を駆け抜けざまに一閃、しかし…… 「浅い……あの巨体相手じゃ、ナイフ一本だと辛いわね。」 それでも曲りなりにも手傷を負わせたのか、使徒の横腹から赤い血飛沫が噴き出した。 苦労して大回りで海面を駆け、再攻撃をかけようとするアスカ。 しかし、無能艦長の害悪が彼女にも襲いかかった。 「今だ! 全艦撃て!!(何だか分からんがチャンスだ!)」 使徒がアスカを強敵と判断したのか動きを止めて待ち構えたのを好機と見て、全艦隊に総攻撃を指示してしまったのだ。 「ちょっと、止めなさい!(多分アスカが戦ってくれてるのに!)」 慌ててミサトが命令の打ち消しを計るが既に遅く、 「きゃああああああ!!」 アスカは国連艦隊が雨霰と放ったミサイルの爆発によって海面下へと叩き込まれた。 爆発そのものはATフィールドで防いで無傷だったのだが、不安定な足場では踏ん張ろうにも踏ん張り切れなかったのだ。 そのアスカを、同じく無傷だった使徒の尻尾がカキーンと硬質な音を響かせて空中へと弾き飛ばした。 遥か彼方へ向けて。 その一部始終をアスカに言われた通り見守っていたシンジには、キラーンという擬音が聞こえたような気がしたのだった……。 「(このままじゃ、みんなやられちゃう……)すみません。」 シンジは、アスカが無力化されてしまったのを見て覚悟を決めた。 「なんだ?」 同じくその光景を見守っていたジーベック中尉は、ようやく逃げる気になってくれたのかと思ったのだが、それは大きな見当違いだった。 「この荷物、預かって下さい。それと、小船か何か貸してくれませんか?」 真剣な目で頼むシンジに、カティーもまた真剣に訊く。 「何をする気だ?」 「あの使徒を艦隊から引き離します。僕を『囮』にして。」 言いつつシンジはスタスタ歩く。目的地はエヴァ・パペット弐号機がある場所だ。 「まさか、それを動かすのか?」 それなら小船にはどういう意味がと思うカティーに、シンジが簡潔に返事する。 「違います。……船を貸してくれないなら生身で飛び込みますが。」 シンジの声に決意の固さを見たカティーは、 「分かった。用意してくるから早まるな。」 急いでその場を駆け去ったのだった。 浮橋に膝をついて弐号機を浮かべている液体に右手を伸ばしているシンジをチラリと見てから。 自室の窓からオペラグラスで戦況を観察していた加持は、オセローでの動きを目敏く察知した。 「あれは……救命艇を下ろしているのか? ……脱出や移動ならヘリの方が安全で確実だから……もしかして、シンジ君が“囮”になる気か?」 僅かな動きから事態を正確に読み取った加持は、 「それなら、コイツがここにあると邪魔だな(あの使徒は恐らくコレを狙ってきたんだろうからな)。」 部屋に置いてある特殊な耐爆トランクを横目で見て、何事かを決意したのだった。 CICにも行かずにブリッジから双眼鏡で使徒の航跡を追いかけて、密集状態が解消された訳でもないのに徹底的な攻撃を命じて味方艦船や辛うじて脱出できた漂流者に甚大な被害を出し続ける艦長とミサトの主導権争いの舌戦は、オーヴァー・ザ・レインボウのブリッジを多大な緊張の渦に飲み込んでいた。 「だから何度言ったら分かるんだ! 海は我々の領分だ! 部外者が口を出すな!」 「あれはどう見ても使徒でしょ! いいからさっさと指揮権を渡しなさい!」 「断る! あれはただの巨大クジラだ!」 ……どこの海に全長600mのただのクジラがいるのか聞きたいが。 「なら、せめて兵を引きなさい! 通常兵器だけじゃ攻撃するだけ無駄よ!」 「手傷を与えたじゃないか! ドンドン攻撃した方が良いに決まってる!」 ……手傷はアスカが与えたものだけで、その傷口も既に塞がっていた。国連太平洋艦隊の攻撃は、実質的に同士討ちしかしていないも同然であったのだが、艦長はその冷厳な事実を認識していないようだ。 ミサトは、いっそ艦長を実力行使で排除しようかとも考えたが、彼の手はさっきから腰の拳銃にかかっており危険極まりない。 「ネルフの特務権限に逆らうつもり!!」 「あれが使徒だという証拠がどこにある!!」 結局、口での言い争いになるが、センサー類も通信機器も相手に握られている現状ではミサトには手の打ちようが無い。 そんな息詰まる緊張の最中、空母のエレベーターが飛行甲板へと上昇してくる。 エレベーターの上にはYak−38改…複座仕様に改造されたフォージャー垂直離着陸戦闘機が乗っていた。 「おーい、葛城!」 「加持!」 戦闘機から入った通信に、ミサトが現状打破への淡い期待をこめて返事をする。 「届け物があるんで、俺、先に行くわ。」 が、そう言われて開いた口が塞がらなくなるミサト。 「出してくれ。」 前席の操縦士に加持が指示すると、戦闘機はエンジン出力を発進に向けて高めていく。 「じゃ、よろしく〜、葛城一尉〜。」 「に、逃げよった……」 ケンスケの後をついて来ていたトウジが呆然と見送り、ケンスケがビデオカメラの記録ディスクの取り替えに勤しむ中、ミサトも眉をヒクヒクさせていた。 ……が、 「ああ。言い忘れてたけど、今回の件、委員会の許可は出たよ。」 思い出したように加持からの通信が置き土産を伝えていくと、ミサトの表情は別人のようにキリリと締まった。 「艦長。聞いての通り、ネルフの特務権限で国連太平洋艦隊の指揮権を要求します。」 「馬鹿な! そんな話聞いてないぞ! どうしてもと言うなら、その委員会とやらか安保理事会の許可を持って来たまえ!」 あくまでも指揮権を渡すまいとする艦長の態度に、ミサトも匙を投げた。 「ただちに艦長を拘束、副長は全艦に戦場からの離脱を指示しなさい。」 冷厳な声で命令するミサトに逆らうブリッジのクルーはもはや存在していなかった。 ……当の艦長を除いて。 「ええい! 女が偉そうに命令するな!」 とうとう拳銃を抜いてミサトへと発砲する! 「くっ!」 しかし、撃ち慣れない拳銃の反動で初弾以降は大きく上に逸れ、一発がとっさに胸の前に構えた左腕に当たっただけで済んだ。……腕で庇わなければ心臓か肺に直撃するところであったが。 「ミサトはん!」 トウジが叫び、ブリッジのクルーがうろたえる。 「衛生兵を呼べ!」 指揮権という最大の武器を失った艦隊司令が駆けつけたミリタリーポリスに取り押えられて無力化している傍ら、ミサトは血だらけの腕に構わず気丈にも各方面への指示を出し続けていた。 「とりあえず止血だけで良いわ。処置が終わったらCICに案内して。」 CICとは、自艦隊の情報を始めとする情報を瞬時に把握できる指揮所で、これぐらいの規模の艦隊の旗艦になら当然あるはずの施設である。 本来、艦隊司令は戦闘中はCICに移動した方が賢明なのだが……ここの艦長はそんな道理すらもわきまえていなかったようだ。 「あなたたちは部屋に戻ってなさい。」 最低限の指示と応急手当てを終えたミサトは、トウジとケンスケにそう言い残して艦橋を立ち去ったのであった。 「あなたまで来るんですか! 危険です!」 10人は軽く乗れそうな救命艇に乗り移ったシンジは、当然の事のように後を追って乗り込んできたカティー・ジーベック中尉に困惑の目を向けた。 「何をするか知らんが、ボートといえども素人の手に負えるものじゃない。」 テキパキと船外機を用意し、もやい綱を外すカティー。 「このままだと“あなたの身が”危険なんです!」 機密事項なので具体的にどんな危険があるかは口外できないが、それでもできるだけの警告をしようとするシンジ。 「危険は承知だ。で、どう動けば良い?」 皆を守る為に危険を冒すのは軍人として当然というカティーの態度に、遂にシンジは折れた。……長々と言い争いをしている時間も確かに無いのだ。 「まず、あの使徒の近くに寄ってから船が無い方に逃げます。」 「分かった。」 簡単な指示を貰ったカティーは、タンカーと併走していたボートを巨大な魚にも似た怪生物がいる方へと向けたのだった。 多くの艦船と使徒が掻き乱す波頭を上手く乗り越えつつ。 空母を発艦してから使徒の上空を経由してタンカーの上空を通過するコースを辿った加持の乗ったフォージャー改を追いかけてきたのか、それともシンジの放つ気配を察知したのか、第六使徒は真っ直ぐにシンジ達が乗るボートに向けて突進してきた。 「進路を艦隊の外に!」 「分かった!」 既に大まかな作戦は決めてある。その計画に沿って、カティーは舵を艦隊の進行方向から見て右側の水域へと向けた。 大波小波に翻弄されつつ、船外機の出力が許す限りの速度で航走するボート。 それでも、使徒のスピードには全く敵わない。 このままでは追突されるのも時間の問題……と思いきや、第六の使徒はボートの速度に合わせておとなしく付いて来た。 いや、獲物を値踏みしているのかもしれない。 ただ一つ言えるのは、この小さなボートに対する使徒の対応が、今まで無造作に破壊されてきた他の艦船と一線を画している事ぐらいだった。 「使徒の進路が妙ね。速度を落として一直線に動いてるわ……。」 艦の中央部にある装甲に囲まれた指揮司令所CICの情報表示画面に映し出された使徒の航跡を見て、ミサトは首を捻った。 「(とりあえず、必要な指示を出すのが先ね。)全艦進路そのまま。ただし、5隻ほど生存者の救助に残って。」 「はっ。」 この状況だと、シンジが囮になって使徒を艦隊から引き離そうとしてくれている可能性が一番高い。もし、そうならば……下手に艦隊で助けに行くとかえって足手まといになるだろう。 ちょっとだけ考えて、ミサトは自分が打つべき手を考え出した。 「対潜哨戒機と偵察機を順次発進、使徒の予想進路上にソノブイを1q間隔で投下。」 ソノブイとは、音波探信器を内蔵した浮きで水中の物体を探知するのに有効な機材だ。当然ながらこの艦隊にもそういう備えはある。 「次に攻撃機を対艦攻撃装備の部隊と対潜攻撃装備の部隊を半々ずつ用意して順次発進、別命あるまで使徒上空2000mで待機。」 「はっ。」 空母が戦闘時に艦載機部隊を飛ばしておくのは当然であったが、今は拘束されている艦長にはそんな常識はなかったようだ。代わりにミサトが次々と命令を出し、他の空母もようやく来たマトモな命令にホッとしながら艦載機を発進させる。 「全艦、対潜ミサイルと対艦ミサイルを用意。偵察機から来る情報と照準をデータリンクして待機。」 「はっ。」 「各護衛艦、周囲に良く注意して。敵はヤツだけとは限らないわ。」 「はっ。」 「攻撃機隊が発進したら戦闘機隊発進、艦隊の上空護衛をお願い。」 「はっ。」 「海難救助の経験豊富なクルーがいるヘリを、命令があり次第発進できるように待機させておいて。」 「はっ。」 次々下される順当な命令に、国連太平洋艦隊の崩壊寸前に追い込まれていた士気は大きく持ち直した。 「あと、ネルフ本部から使徒の波動パターン探知に必要な探知手段を聞き出して。」 「はっ。」 ここにいる軍人達は、不名誉で無能な艦長の事など念頭からすっぱりと捨て去ってミサトの手足の如くキリキリ働いていたのだった。 自分達が生き残る為に。 「ここまで引き離せば……」 シンジは水への恐怖心を頭を振って振り払うと、座っていたボートの座席代わりの板から腰を浮かせた。 「何をする気だ?」 だが、その動きはカティーにはお見通しだったようだ。 嘘を許さぬ眼光に、シンジはつい口を滑らせた。 「ここで飛び込むんです。カティーさんは一人で艦隊に帰ってください。」 「今更だな。」 ここでシンジ一人を危険に晒して逃げ帰るぐらいなら最初から同行していないと無言で訴えるカティーに、それでもシンジは食い下がる。 「早くしないと手遅れになるんです! 僕は大丈夫ですから!」 「聞けぬ相談だな。」 このまま言い争っていても埒があかないと悟ったシンジは立ち上がろうとするが、袖口をカティーに掴まれて果たせなかった。 男と女の差はあれど、みっちり軍人として訓練を積んだ身と付け焼刃の違いは大きい。 たちまちシンジの動きは封じられた。 「おとなしくしててくれ、操船し難い。」 淡々と述べる言葉には、シンジの言う事を聞こうとする意志は欠片も無い。 その状態のまま、どれほどの時間が流れただろうか。 「すまない、避け切れない(これでは彼を逃がすのも無理だな。)。」 とうとう使徒がその巨体に見合うほどに巨大な口を開けて彼等を丸呑みするべく突進して来たのだ。 「口の中にコアが!」 魚雷の速度をも超える速度で迫る巨大なあぎとを避ける事は、標準的な船外機一個が付いただけの小さなボートでは幾ら操船が巧みでも不可能で、敢え無く二人はボートごと呑み込まれてしまったのだった……。 「使徒、潜水を開始しました!」 「(……救助ヘリでシンジ君を拾うのは間に合わなかったわね。なら、ここはシンジ君がやる使徒戦を衆目から隠蔽する作戦でいくしかないか。)全艦対潜ミサイル斉射。ミサイル着水後すぐに攻撃機隊に爆雷投下を開始するよう指示を出して。」 「はっ!」 攻撃命令がCICに詰めている通信員から関係各位に伝達され、各艦からありったけの対潜ミサイルが使徒へと向けて放たれた。 その全てが海面に吸い込まれると、次はありったけの爆雷を御馳走するべく雲霞のような攻撃機の群れがソナーに映る使徒の反応へと向けて投弾を開始した。 「第一波攻撃隊以外は上空待機!」 爆雷を初回で全弾投下した攻撃機編隊は、ミサトの指示通り一気に上空へと離脱する。 「そろそろね……。」 ミサトの言葉を待っていたかのように、現場海域にミサイルと爆雷の爆発が起こした激しく大きな水柱が噴き上がった。 「「「「「「やった!!!!」」」」」」 CIC内が歓声に包まれるが、ミサトはあくまでも冷静だった。 「敵、使徒の反応ありません。撃破したと推測……」 爆発の影響が多少静まり使徒の巨体の反応がソナーから消えると、オペレーターが勝利と即断した。しかし、ミサトは勝利に沸く軍人達に思い切り冷水を浴びせかける。 「まだよ! 徹底的に捜索するわ。偵察機をありったけ飛ばして。」 「はっ。」 なすべき任務を与えられ、軍人達は即座に持ち場に戻る。 「使徒を排除したと証明できるまで、戦闘態勢のまま待機。」 「はっ。」 「あと、今回の爆撃に参加した攻撃機は再度爆装の後、発進体勢のまま待機。長期戦になるようなら上空待機してる機体と順次入れ替えて。」 「はっ。」 ミサトは血がにじむ左腕の包帯を無意識に右手で押えながら、 『これでやれるだけの事はやったわ。あの使徒のATフィールドがシンジ君を守ってくれてれば良いけど。……本末転倒ね、これじゃ。』 また自分の指揮で使徒を狩り損ねたであろう事を誰よりも良く自覚していたのだった。 『ここまでか……せめて彼だけでも逃がす隙が見つかればと思ったが、私がまともに考える事ができるのもそろそろ限界だな。』 使徒にボートごと呑み込まれ、使徒の歯の隙間から流れ込む海水に全身を浸され、止めていた呼吸も既に限界が近くなってきている。 『それより、早く呼吸を何とかしないと彼が危ない。……いや、それ以前の問題か。』 腕に抱き寄せておいたシンジは、もう息が続かなくなったのか顔色がすこぶる悪い。 早く何とかしないと互いに死んでしまうだろう。 しかし、残念ながら打つ手は……ん? 何だこれは? 『いっしょになろう。』 これは、私の思考ではない。では、なんだ? 『いっしょに彼と一つになろう。』 ……私が、この子供とか? そう思いながらも、心臓は何故か早鐘を打ち始めている。 『あなたが生き残る力、彼を助けられる力をあげる。』 助けられるのか、彼を。 『だから、いっしょになろう。手遅れにならないうちに。』 何かが頭の中に、体の中に溶け込んでくる。 私が、私でありながら私でなくなっていく……。 気付いた時には、私は海中にいた。 両腕には意識を失ってぐったりとした彼…シンジ君…がいる。 このままでは危険だ。近くに空気のある場所は……と考えた途端、まだ空気が残っている沈没船が近くにあるのが分かった。 海面に出るより近いようなので、そちらに向かって泳ぐと瞬く間に着いてしまった。 変だ。泳ぎは得意な方だが、幾ら何でもこんなに早い訳が…… 思いつつも、今は考えている場合じゃないと思い直して破壊された船内へと侵入する。 斜めに傾いだ浸水した廊下を上の方へ上の方へと泳いで行くと、ようやく空気のある場所に出ることができた。 急いで水を吐かせてから、斜めの床に寝かせる。 横目で胸を観察しながら鼻を摘み、唇を合わせる。 そうして、そっと息を吹き込む。 慎重に。 唇を離し、息が抜けたのを確かめるとまた吹き込む。 シンジの自発呼吸が戻ったのを確かめると、カティーは注意を周囲へと向けた。 『この船に生存者は残っていない……何故分かるんだ、そんな事が。』 目で見るのと同じぐらいハッキリと周囲を“観た”カティーは、“観た”情報には些かの疑問を持たずに考え込んだ。いや、こうなった原因も確信はないが一つだけ思い当たるモノがある。 「彼と一つになる為に、私といっしょになったのか。あの“使徒”は。」 口に出してみると、それは不思議な確信をカティーに与えた。それが真実であると。 このままでいても仕方ないし、酸素も何時まで持つか分からないので揺り起こす事にする。頭を打った訳ではないから恐らく大丈夫だろう。 「うう……ん。」 「気が付いたか?」 身体の芯から湧き上がる抱きつきたい欲求を制して、カティーは言う。 「こ、ここは?」 「沈没船の中だ。」 より正確に言えば、先ほどの戦闘で撃沈された艦の一部である。 「使徒は? ! ……もしかして……」 言った途端に気付いたのだろう。シンジの顔が申し訳無さそうな色をたたえる。 「幾つか、聞いて良いか?」 確認には言葉で答えず、逆に質問を返す。 「はい。」 「私が同行すればこうなると知ってたのか?」 「……はい。」 「“身の危険”とは、この事か?」 「はい。それもありますけど……その……」 暗い顔で言葉を濁すシンジ。言い難い事だから仕方ないのだが。 「これはネルフの機密か?」 それを察したのか、カティーは話題を変えた。 「はい。事前に言えなくてごめんなさい。」 「機密事項なら仕方ない。」 しかし、逆にカティーは秘密を守ったシンジへの好感を深めた。 「最後に……同行を強硬に反対したのは私と“する”のが嫌だったからか?」 真剣に真っ直ぐ瞳の奥を覗き込んでくるカティーの視線から目を逸らさず、 「いえ。他人を巻き込むのが嫌なんです。カティーさんは素敵な人だと思いますけど、あの……その……」 真っ赤になって素直に内心を白状するシンジ。 「素敵か……久しぶりに聞いたな、そういう台詞。」 「や、やっぱりそうなんですか。」 「だが、そういう手合いは私が見つめると視線を逸らす奴等ばかりだった。君は違うのだな。」 見つめるというより睨むに近いキツイ視線の持ち主であるカティーなので、見つめ返し続けるには相当の胆力が要るのだが、シンジにとってはゲンドウと同席している方が余程に気詰まりなので問題はそうなかった。 また、カティーの方は、視線を逸らす奴はやましい事を考えているか、心にも無い事を言った奴だと思っているので、これまでにお付き合いをした男はいなかった。 「僕、いっぱい女の子に手を出してますよ。それでも、良いんですか?」 「正直だな。良くは無いが、我慢しよう。」 さしもの強靭なカティーの精神も、魂全てが惹きつけられる呼び声を抑え続けるのはそろそろ限界に近かった。 堰が切れてシンジを抱き寄せ唇を重ねたのをきっかけに、カティーは全身に火がついたように熱く感じたのだった。 キスで口中を舐られただけで軽く達したカティーではあったが、段々船内に残された空気が汚れてきたのに辛うじて気が付いた。 「そろそろ空気が危ないな。外に出よう。」 「外って、その……」 「私に任せろ。」 有無を言わせずにシンジを海中にまで引っ張り出したカティーは、緊張でガチガチに固まっているシンジの唇に息を吹き込んだ。 そう、空気の口移しである。 呼吸の心配が無くなったシンジは、キスを続行したままカティーの軍服のベルトを片手で器用に外し、自分の社会の窓も全開にした。 水中独特の浮遊感に包まれながら、腕の中の肢体を手早く揉み解すシンジ。 海水ではありえない熱いトロミが泉となって湧き出して、冷たい清水に取って代わる。 そうこうして、ATフィールドの助けを借りて手早く準備した扉を、 シンジは、 両腕で抱き寄せ、思い切り貫いた。 合間に息継ぎをするのも忘れない。 水中は大きく抜き差しするには苦しいが、その代わり地上では不可能な体勢になれる。 もっとも、今回は互いに着衣のままだし、そこらへんに服を捨てていくと後が非常に困るのであんまり無理な体勢は試せないが。 そんな訳で、シンジは抜き差しより身体を大きく揺らす事や自由に使える片方の腕で全身をまさぐる事を主軸としてカティーを官能の果てへと追い詰めていく。 着やせして見た目より量感たっぷりの胸、見た目通り見事な曲線の腰、適度に鍛えられていて張りが良い太股……自身も知らぬ世界の扉をシンジの手でこじ開けられ翻弄されるカティー。 しかし、彼女の鍛えられた肉体の絞め付けは初めて特有のきつさと相俟ってシンジを追い詰めていた。 ついに、耐え切れず発射したシンジの熱い迸りを体内に感じた瞬間、カティーの意識は心の奥に潜んだ何かと早々と目覚めさせられた肉体が同時に感じた気持ち良さに飲まれてどこかへと飛ばされていったのだった……。 その後、繋がったまま浮上したシンジとカティーは、気だるげに余韻を楽しんでいた。 「責任は取ってもらうぞ。」 そんな中、唐突なカティーの発言はシンジの不意を突いた。 「え?」 「私の身体をこんなにしたんだからな。これからもずっと相手をして貰う。」 視線は相変わらず睨むようなキツさだったが、身体を合わせると同時に心も触れ合ったシンジには悪戯っぽい色が隠れているのが何となく理解できた。 「僕で良ければ……ただ、他にもいっぱいいるけど……。」 「構わん(それに、してみて分かったが……私一人では確実に身が持たない。)。」 悔しいが、それが現実である。 それに、カティーは不思議と一夫一妻制に関するこだわりが自分の中から消えているのに気が付いた。 もしかしたら、他にも心境が変化している事があるのかもしれない。 何せ、使徒と融合したのだから。 「ん?」 いざとなれば艦隊まで自力で泳ごうと思っていたカティーであったが、上空を偵察機が何度も旋回しているのに気が付いた。 「見つかったか? ……もし、そうなら……このままではマズイな。」 名残惜しそうに身体を離した二人は、いそいそとできる限りの身繕いをして救助を待つ事にしたのだった……。 泳げなかったはずのシンジが何時の間にか自力で泳いでいるのにも気付かずに。 「今までの調査の結果、当該海域からパターン青は検出できず。MAGIの計算によると使徒を撃破した確率99.99%……どうやら本当に倒していたようね。」 CICで偵察部隊とネルフ本部からの報告を受け取ったミサトは、そう結論づけた。 「何故、あの時だけ攻撃が効いたんだ?」 「そうだ。他の時にも命中弾は幾つもあったはず。」 ひそひそと囁かれるオペレーター達の声に、ミサトは室内隅々にまで通る声で反論しておく。こういう噂は放置して置かない方が賢明だからだ。 「あの攻撃が効いたのは、そばに初号機パイロットのシンジ君がいて使徒の防御を弱めてくれたから。それと火力の集中ね。他に疑問はある?」 ざわめきが止んだのを見計らうと、ミサトは次なる指令を下した。 「非常戦闘態勢解除! 艦隊の半数を救助活動に回して後は新横須賀に直行。……ご苦労様。指揮権はそっちに返すから、後はよろしくね。」 「はっ。……そちらはこれからどうなされるのですか?」 艦長が職務を剥奪されて拘束されている以上、この場の最高位である副長がミサトに質問を返すが、 「担架をお願い。できれば早くね。」 ミサトは蒼白になった顔で一言やっと搾り出した後、椅子に倒れ込んだ。 シンジ達が発見されたらしいと言う報告を既に受け取っていたミサトは、できれば顔を見てからにしたかったけどと思いながらも気を失ったのであった。 彼女が直ぐに医務室に搬送され銃弾の摘出手術を受けたのは言うまでも無い。 ミサトが出した指示を引き継いで救難活動を行なった国連太平洋艦隊の残存艦艇の半数余は、ヘッドセットから発信されていた救難信号のおかげで見つかったアスカを始めとして871名を救助した。 しかし、幾ら迅速な救助の手を伸ばしたといえど14隻もの戦闘艦艇が撃沈された被害は大きく、艦と運命を共にした二千人を超える勇敢な兵士達の命が失われ、その二倍以上もの人が行方不明となってしまったのだった……。 その犠牲の中には、使徒が直接的に殺害した者だけではなく、某艦長の命令で発生した誤射による死傷者も多数含まれている……と言うか、過半数の犠牲者がそうであった事が戦後の被害集計によって明らかとなる。 新横須賀、 旧くは小田原と呼ばれていた場所に、 空母オーヴァー・ザ・レインボウとエヴァ・パペット弐号機を輸送するのに使用されたタンカー船オセローは入港した。 「また派手にやったわね〜。」 車で出迎えに来ていたリツコが包帯に包まれたミサトの左腕を見て言う。 「水中戦闘を考慮すべきだったわ〜。」 座席によりかかってグテッと空を仰いでいるミサトが、まずは自分の作戦上のミスを口にする。まさか、ドイツ支部が海上輸送されるエヴァ・パペットの水中戦用装備の用意もしてないとは想定していなかったのだ。……ドイツ支部から送られて来る予定の機材のリストには入っていただけに尚更。 「あら珍しい、反省?」 「……向こうがもうちょっと協力的だったら楽だったんだけどね。」 向こうとは、ネルフ・ドイツ支部と国連太平洋艦隊のことである。 そういうミサトの視界にトウジとケンスケがいる。 ケンスケは懲りずにデジタル式のビデオカメラで一所懸命入港している艦隊を撮っているが、なんだかんだで当初見た艦数の3分の1近くの12隻に減っていた。……それでも普通に見ると充分に迫力ある大艦隊であるが。 『後であのカメラ取り上げて検閲しとかないとね。……機密に触れるもの撮ってたら困るから。』 後にアスカのパンチラシーンが映っていた記録ディスクが没収され、アスカのトレーニングの標的に使用されて木っ端微塵となったが、それ以外の記録ディスクは何とか無事に返還される事となった……まあ、余談だが。 しばらくそうしていると、エスカレーター式の乗降タラップを待ち人が降りて来た。 シンジだ。 実は、ミサトはあの後手術や手術に使われた麻酔の為に船内では寝たきりを余儀無くされ、シンジが彼女の代理として様々な事務手続きに奔走していたのだ。 書類嫌いのミサトとしては有り難い限りではあったのだが、おかげで船内では話す機会が無かったのも事実。 座っていた座席から一挙動で飛び降りて、ミサトはエスカレータの終端に駆け寄った。 そして、シンジが何か言う前に思い切り良く頭を下げる。 「シンジ君ごめんなさい。シンジ君がいると分かってたのに攻撃命令出して……。」 しおらしく自分を責めるミサトは、包帯に包まれた腕のことも手伝ってかなり痛々しく見える。 そんなミサトを許さずにいるのは、シンジの性格では無理だった。 「いえ。結局上手くいったんだから良いですよ。ミサトさんも僕をどうにかしようと考えてた訳じゃないでしょうし。」 ミサトが本気でシンジごと使徒を抹殺する気であれば、迷わずN2爆雷を投下させていただろう。攻撃に使われたのが通常兵器だけであった点から、シンジはミサトの作戦の意図をだいたい掴んでいた。 「でも、怪我に障るからミサトさんの怪我が治るまではお酒は控えめにしましょう。」 笑みを含んだ視線で、吊ったままのミサトの左腕を見つめたシンジが言い切ると、 「シンちゃん、そう言わないで。サービスしてあげるからぁ……」 と情け無い声でミサトが哀願し、周りを囲むみんなの笑いを誘ったのだった……。 その頃のネルフ本部・司令公務室では…… 「いやはや、波乱に満ちた船旅でしたよ。」 一足先に到着した加持がゲンドウと一対一で極秘の話をしていた。 「やはり、これのせいですか?」 ゲンドウの執務机の上には、加持が持ち運んでいた例のトランクが載せられている。 「既にここまで復元されています。硬化ベークライトで固めてありますが、生きてます、間違い無く。」 トランクを開け中を覗き込むと、何やら光る物質の中央の窪みにオレンジ色をした硬化ベークライトの直方体に封じられた胎児のようなモノがあった。 「人類補完計画の要ですね。」 そう報告する加持に、ゲンドウはニヤリと笑みを浮かべつつ答えた。 「そうだ。最初の人間……アダムだよ。」 と。 この事件の三日後、葛城ミサト一尉の三佐への昇進と、カティー・ジーベック中尉の大尉への昇進とネルフへの転属が発表された。 カティーがすんなりネルフに転属できたのは、ネルフがカティーの転属と引き換えにミサトを撃たれた事に関してアメリカ政府の責任を追及しないという政治取り引きを持ちかけたからであった。 ただでさえアメリカは見事な判断で艦隊の危機を救い損害を最小限に抑えたミサトを妨害し、あまつさえ殺害しようとしたとマスコミに散々叩かれており、ここで職務上与えられた権限でネルフのチルドレンの出撃を認め、自らも補佐をするべく最前線に赴いた自国の英雄まで敵に回してしまっては次の大統領選挙が怖過ぎる。 ならば、転属が認められないなら辞職してでもネルフに行くと主張するカティーを無理に引き止めるよりは、本作戦における英雄の一人として快く出向させた方が自国の国益になる。そういう大人の判断が働いたのだ。 更に一ヶ月後、オーヴァー・ザ・レインボウの元艦長に、免職及び退職金と恩給と全財産を没収して遺族年金へ充てるという判決が国際軍事裁判所によって下されたのがマスコミを通じて発表された。 しかし、既にあの海戦における数多の被害の元凶として全世界に大々的に公表され罵倒された彼に同情する者は誰もいなかったのだった。 刑が軽過ぎると文句を言う者は売るほどいたのだが……。 福音という名の魔薬 第九話 終幕 とうとうアスカ登場です。あ、LAS派の皆様石を投げないで下さい。いちおう色々考えてますが、彼女の性格ではいきなり甘々なんて私にはとても無理です(汗)。……もしかしたら、しばらく甘々シチュは出せないかも(苦笑)。 また、某艦長の刑罰“懲役0年”は別に慈悲でも何でも無いです。塀の中に『保護』してないので、早晩遺族の復讐に遭うでしょう。金も職も無く、何時現れるか分からない復讐者に脅えて暮らす毎日はさぞ楽しかろ うと思われます(邪笑)。 今回は、きのとはじめさん、峯田太郎さん、【ラグナロック】さん、道化師さん、闇乃棄黒夜さんに見直しへの協力や助言をいただいております。どうもありがとうございました。 |
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