福音という名の魔薬
第拾七話「誠と策謀」 「まさかとは思っていたが、碇の言っていた事が本当らしいとはな……。」 華美に飾り付けられている訳では無いが、さりげなく洗練された家具類が配置されている執務室で、キールは独り溜息を吐いた。 「獅子心中の虫が委員会の中に潜んでいるなどとは…しかも、こともあろうに“計画”を台無しにしようとするとは……。」 頭痛の種がふんだんに記された報告書の束を独特の形状をした視力補正バイザーで見やりながら、更に溜息を吐く。 そこには、ゲンドウから引き渡された工作員達が人格も命も省みない徹底的な尋問と嘘発見器と催眠誘導法で情報を引き出されたこと。 ネルフ・ロシア支部にあるマギ7が徹底的に洗い出され、削除された筈の通信記録からゼーレの特殊執行部隊が『あの会議中に』ロシア支部長ニコライエフの消去指令を『委員会専用回線』いや、『ゼーレ専用回線』で受け取った事実が判明したこと。 ちなみに、このゼーレ専用回線というのは、委員会の開催やゼーレからの指令伝達などに使われる閉鎖的な通信網の事で、ネルフ本部には一回線……つまり、あの時、委員会の会議を行なう為に使われていた回線以外には設置されていなかった。 さらには、ニコライエフを殺害した犯人…ゼーレのエージェント…は逃走し切れずに自爆し、他界したこと……等々、とうてい心楽しくなれない情報が記載されており、キールの憂鬱をいっそう深めていたのだ。 これらの証拠を得た事で、キールはゲンドウの事を『今回の件では、ほぼシロ』だと判断するに至った。 自分と他の委員が抱える精鋭の諜報員が『今回の事件が実行可能なのは、ゼーレの最高幹部である“12使徒”かその直属の部下だけだ。ゲンドウでは、地位も権限も足りなくてお話にもならない。』と太鼓判を押した事も、その判断を裏打ちしていた。 となれば、敵は12使徒の誰か、もしくは自分の部下の中に潜んでいるのだろうが、その前に緊急の案件を処理しておく必要を思い出した。 報告書をマホガニー製の書卓に置き、別の書類を持ち上げる。 それは、ファックスで送られて来たゲンドウからの要求書であった。 「碇め……ここぞとばかりに好き放題言ってきたな……。」 軽く目を通したキールは先程とは別の頭痛に襲撃されて苦い顔になる。 予定の期日までに必要とされるであろう“装置”を完成できる能力を持つ科学者。 世界各国のネルフ支部・支局が擁する資格者のうち、初号機パイロットの相手にふさわしい人材のネルフ本部への移籍。 ゼーレのメンバーを含めて例外無く監視を行なう許可。 ロシア支部からネルフ本部に出向していた監査部員ドカチェフ少佐の助命と取り調べ終了後の身柄引渡し。 ……主な要求は、これぐらいである。追加予算の請求額はキールが予想していたよりも少なかったが、それ以外の点で予想もしてなかった面倒な要求が目白押しに並んでいた。 しかし、タチが悪いのは、これらの要求を無下に却下する訳にもいかない事だ。 これらの処置が裏切り者による妨害工作で生じた人類補完計画の予定の遅れを取り戻すのに本当に必要ならば、断れば多大なリスクを背負い込むことになってしまう。下手をすれば“約束の日”までに全ての準備が終わらない……なんて事にもなりかねない。 「碇の要求を満たす能力を持ち、こちらの進めている“計画”から外しても支障が出ない科学者か……となれば、あの娘しかおるまい。」 ネルフ本部に送る支援の手配を部下に命じたキールは、まずは自分の足下に裏切り者が潜んでいるかどうかの再調査を開始したのだった。 秘密結社ゼーレの悲願、人類補完計画を完遂する為に……。 その頃、ネルフ本部司令公務室では…… 「碇、あまり委員会を刺激するな。こっちはヒヤヒヤし通しだったぞ。」 冬月がゲンドウに向かって文句を吐いていた。 「ただ文句を言うだけが仕事の下らない連中だがな。……しかし、今、ゼーレが乗り出すと面倒だぞ。色々とな。」 雑誌片手に将棋の駒を指す…恐らくは詰め将棋でもやっているのだろう。その音が司令室の静寂を乱し、盗み聞きを困難にさせていた。 「全て我々のシナリオ通りだ。問題無い。」 しかし、ゲンドウはいつものポーズも冷静さも崩さず即答する。 「レイの件についてはどうなんだ? あれは俺の予定には無いぞ。」 以前起きた事件について指摘されても、 「関係の修復は順調に進んでいる。計画は細部の修正だけで実行が可能だ。」 ゲンドウは頑ななまでに平静さを保ち続ける。 『レイに拘り過ぎだな……』 その姿勢に冬月は少し危ういものを感じたが、深くは追求せず次の質問に移る。 「アダム計画はどうなんだ?」 「順調だ。2%も遅れていない。」 「ロンギヌスの槍は?」 「予定通りだ。作業はレイが行なっている。」 南極で回収し、花火大会を陽動に極秘で第3新東京市内……いや、ジオフロントに持ち込まれた巨大な“槍”は、エヴァ零号機の手によって地下の深所に持ち込まれていた。 ある極秘の目的の為に…… 「ところで、あの男はどうする?」 「好きにさせておくさ。マルドゥック機関と同じだ。」 今のところ致命的に拙い情報は流出されていないし、ゼーレや日本政府がネルフに潜入させているうち現存している数少ない“目”でもある。今、下手に排除すると両者がうるさく動いて来る危険が高いのだ。 「もうしばらくは役に立ってもらうか。」 よしんば秘密を知られてしまったとしても、事前に手を打てば口止めができる分だけ、組織の紐付きのイヌやハイエナに嗅ぎ回られる事に比べれば大きな問題ではない。 そんな相手の男の特徴を良く承知しているが故の方針であった。 「あと、日本政府から連絡があった話、受けるのか?」 それは、ネルフの総司令であるゲンドウに“特将(特務将軍)”、副司令の冬月に“特将補(特務将軍補佐)”の地位を進呈し、更にそれ以外の司令部スタッフや古参の幹部職員を一階級昇進させるという大々的な地位のバーゲンセールの事であった。 勿論、あからさまに怪しい。 「拒む事は無いでしょう。何かとやり易くなります。」 だが、ゲンドウは受け入れる気満々だった。 「代わりに何を要求されるか分からんぞ。」 冬月が抱いた懸念の答えを持っていたからだ。 「来週公示される衆議院議員選挙の為ですよ、恐らく。」 「そうか! なるほどな、それがあったか。」 ゲンドウの影響力は絶大である。 ネルフという国連組織の長なだけではなく、日本重化学工業共同体を始めとする十数万社に出資し、その命脈を握っていると言っても過言じゃない状態に置いているのだ。 さらに、使徒戦におけるネルフ本部の比類無い実績、襲来して来た使徒の能力に比べて凄まじく安価な撃退費用と被害……により、威圧的な悪人面にも関らず一般民衆の間でのゲンドウの人気は低くなかった。 これほどの男に気を使わない者が政治家でいられるほど日本の政界は甘くなかった。 人気取りをしつつ恩を売る……そういう発想が出て来ても別におかしくはない。 「それより先生、例の計画を進めるチャンスだとは思いませんか?」 「例の計画…… ! 委員会を刺激したのはその為か!?」 「これでこちらに向く“目”は減ります。」 驚く冬月に、ゲンドウは淡々と説明する。 「分かった。それは俺が進めておく。それでいいな、碇。」 「勿論ですよ、先生。」 二人は同志であり、故にそれだけで会話が成立していた。 そう。 ゲンドウと冬月は、ネルフの上部組織である人類補完委員会…その実体であるゼーレにも秘密の陰謀を共有する同志なのだ。 葛城ミサトの朝は遅い。 元々必要が無ければいつまでも布団の中でウジウジしてるぐらい低血圧なのだが、昨今は思いつきで始めた事が正式な業務と認定されてしまった事で重役出勤を彷彿とさせる遅い時間での出勤が“奨励”されていた。 目覚まし時計が大音量でいい加減起きないと拙い時間だと通告すると、ミサトは寝乱れたタンクトップとショーツという決して他人にゃ見せられないよれよれの姿で上半身を起こし、表示を見る。 AM9:15 シンジ達学生は、何も無ければとっくに学校で勉強している時刻である。 まだ鳴り続けてる目覚ましを手首のスナップを利かせて叩くと、いつも通り素直に沈黙する。リツコ特製の強化合金製の時計なので少々叩いたぐらいでは壊れない。 「よし。……そろそろ行かないとね。」 重い身体を引きずって洗面台に向かう。 『そういや、あの後、何人が部屋に帰って寝たんだろう……。』 あられもない格好で折り重なって雑魚寝している少女達の姿を想像してしまい、冷たい水を顔に浴びせて眠気と一緒に脳裏から追放する。 ……と、ミサトは頭がしゃっきりしてくるにつれて、自分が非常に不味い格好をしてるのに気付かされてしまった。 寝巻き代わりに使ってるタンクトップはともかく、昨夜の大騒ぎの残滓が身体のあちらこちらにこびり付いて残っており、凄い匂いをさせていたのだ。 「シャワー浴びるっきゃないわね、面倒臭いけど。」 着衣の全てを洗濯機の中に放り込んだミサトが風呂場から出て来たのは、それから30分後の事だった……。 「さって、お食事お食事。これが無いと一日始まらないのよね〜。」 菓子パンと牛乳とカップのインスタントラーメン。 シンジに毎日作って貰っていた時から見ると極端に貧しくなった食卓であるが、それでもミサトは文句を言わず美味しく食べる。 「そういやペンペン、食事済ませた?」 「クワッ。」 全身で肯くペンペンに微笑みかけつつ、ミサトは自分の分の食事を胃袋の中に次々片付けていく。勿論、これから仕事なのでビールは飲まない。 風呂上りそのままの格好で朝食を食べ終えると、ゴミをくずかごに放り込んでから着替えを取りに寝室に戻る……と、鼻を突くもの凄まじい匂いがミサトに状況を嫌って言うほど教えてくる。 布団にも、情事の跡が移ってしまっているって事を。 「あっちゃ〜、マズったわぁ。……誰かに洗濯頼むしかないわね。」 時計の時刻を確認して洗濯をする暇が無いのを見て取ると、携帯電話に手を伸ばす。 短縮ダイヤル一発で呼び出した相手に、 「あ、ちょっち洗濯頼みたいんだけど。」 単刀直入に要件を告げる。 「いつもありがと。今度お礼するわね、じゃ。」 お礼の為に費消されるであろう金銭の額を思い遣って溜息を吐くが、すぐに気を取り直して仕事に出かける支度を始める。 以前に比べたら天と地ほども片付いた室内の片隅に置かれた衣装ダンスから下着と制服を取り出し手早く身につける。軍隊暮らしで鍛えていたので、その速度はプロのモデルほどでは無いが結構早い。 戦略自衛隊仕様のSIG P220拳銃をホルスターごとベルトで脇腹に固定し、その上から長袖の赤い上着を羽織る。 愛車の鍵がついたキーホルダーを鏡台の上からポケットに移し、パンと両頬を両手のひらで張って気合いを入れる。 「さ〜て、今日もお仕事行きましょうかっ。」 午前10時過ぎ。 葛城ミサト、ようやく出勤である。 青いアルピーヌ・ルノーA310改を駆るミサトは、真っ直ぐネルフ本部に赴かず、郊外に設けられた公園の一つに立ち寄った。 「さって、今日はここらへんかな……」 車を降りて何の変哲も無い赤茶けた土が露出している場所まで歩くと、おもむろに掌を地面に押し当てる。 「今日は快晴だから……15度も取っとけば良いか。」 言った途端、人の目では見えない何かがミサトの掌を通して地中から掻き集められた。 「かあぁあぁぁあぁあぉぁあ!!」 ミサトの周囲に陽炎がしばしたなびき、消える。 「ふう。これで良しっと。」 余人には理解し難い…というかできない作業を終えると、さっきまでの蒸し蒸しした空気は爽やかな風に取って代わられていた。 「成功、成功。さって、次、行きましょうか。」 自らと融合した使徒サンダルフォンの持つ地脈を操る力と熱を操る力を応用して地中に溜まっている熱を吸収する。 これが、ミサトが普段遅く出勤しても許される訳であった。 この能力を適宜使用する事で、最高気温が35〜40度、夜でさえ気温が20度を下回る事無く、気温が30度を超える熱帯夜もザラ……という状況だった第3新東京市の気温を劇的に下げ、人間が過ごし易い気候に調整できるのだ。 エアコン廃熱や道路やビルの照り返しなどの都市化によるヒートアイランド現象を打ち消して余りある冷房効果は、ピーク時における電力需要の劇的な抑制を実現した。 その恩恵はネルフ本部があるジオフロントにも及び、月々の光熱費を10%近く削減できるとの試算が弾き出された。 つまり、ミサトが苦手とする書類事務を補佐する専属書記官を置いて業務時間を短縮しても、充分以上にお釣りが来るほどの経済効果を発揮したのである。 ネルフの上層部がそんな旨い話を放って置く訳は無く、ミサトは晴れて重役出勤が許される様な御身分になったのであった。 『16年前……ここで何が始まったんだ。』 古都、京都。 千年王城とも称され、第2次大戦にも、戦後の乱開発にも、セカンドインパクトの騒乱にも耐えて古風なたたずまいを色濃く残す街。 その街の片隅にある廃工場の中を一人の男が歩いていた。 その男の名は、加持リョウジ。 ふと、人の気配に気付き身構える。 ドアのノブが回るのに合わせ、懐の銃に手を伸ばす。 音も無くドアの横の壁に移動し、相手の出方を待つ。 「私だ。」 耳を澄ましていなければ聞き逃すぐらい小さな声。 「ああ、あんたか。」 その声の主に、加持は心当たりがあった。 スクーターでの買い物帰りに野良猫に餌をあげているおばちゃん……そう見えるように行動している日本政府の連絡員であった。 「シャノンバイオ。外資系のケミカル会社。9年前からここにあるが、9年前からこの姿のままだ。マルドゥック機関と繋がる108の企業のうち、106がダミーだったよ。」 呟くおばちゃん風の女性、 「ここが107個目という訳か。」 拳銃から手を離さず、しかし殺気を微塵も見せずに答える加持。 「この会社の登記簿だ。」 女性が広げた雑誌に何か書類が挟められている。 「取締役の覧を見ろ……だろ。」 だが、それは加持にとって目新しい情報では無かった。 「もう知っていたか。」 「知ってる名前ばかりだしな。マルドゥック機関。エヴァンゲリオン・パイロット選出の為に設けられた人類補完委員会直属の諮問機関。組織の実態はいまだ不透明。」 「貴様の仕事はネルフの内偵だ。マルドゥックに顔を出すのはまずいぞ。」 嗜める女性に 「ま、何事もね。自分の目で確かめないと気が済まないタチだから。」 左手を振り、加持は工場の奥へと歩み去った。 昨夜盛大に行なわれた乱痴気騒ぎのせいで寝込んでいた僕は、日輪車が空の路の折り返し地点を通過した頃にようやく布団から起き上がれるぐらいまで回復した。 「う……やっぱり全員いっぺんにってのは無茶だったかな……。」 反省しつつ伸びをすると、身体の節々があちこちゴキゴキと凄い音を立てて鳴る。 それでも残る鈍い痛みを我慢して、冷蔵庫を漁りに行く。 ……すぐに食べられそうなものってほとんど無いや。 仕方ないので、自分で何か作って食べる事に何となく決定する。 戸棚から出した小麦粉を塩水と混ぜて丸め、ビニールに挟んで足で踏む。 踏んで伸ばして畳んで踏んで…… 小さな塊になるまで踏んだらビニール袋に入れて置いておく。 麺生地を寝かせてる間に、煮干と昆布と鰹節を煮出してダシを取る。 1時間ほど経ったら小麦粉の玉をまたビニールに挟んで潰してできるだけ伸ばす。 ……お腹空いてるのに、何故コンビニとかに買いに行かなかったんだろう。 と考えながらも、それを片栗粉を塗したテーブルの上に載せ、麺棒で丁寧に伸ばす。 できるだけ四角くなるように伸ばした生地に片栗粉を振って屏風のように畳み、包丁で太さが均一になるよう気をつけて切る。 切った麺をズン胴鍋に沸かしたお湯で茹で、流水で良く洗ってざるに上げる。 そうして一旦冷やした麺をもう一回茹で、また冷たい水で冷やしてからざるに戻す。 で、ダシと醤油をお湯で割った汁に冷蔵庫から出してきた青ネギを切って入れる。 これで一応出来上がりだ。 麺をつけダレに潜らせてから、口に運ぶ。 「美味しい……でも、やっぱり何か物足りないや……。」 独りきりの食卓に味気無さを感じていた僕は、 『何か用事がありましたらお呼び下さい。』 と書かれた紙片と重しになっていたボタン付きの箱が僕が寝てた場所の枕もとにあった事に、未だ気付いてなかったのだった……。 ネルフ本部・第3大型部品工場 「葛城二佐、そろそろ冷却の方お願いします。」 そのど真ん中に鎮座している金属製の巨大な型枠の前に、 「わ〜ってるわよ。マヤ、任せて。」 ミサトとマヤとカティーが立ち、型枠を見詰めて何やらやっていた。 やっている事は簡単だ。 型枠に融かした金属を何種類も流し込んで冷やすだけである。 しかし、使徒能力者が3人がかりでやっている作業がそれだけの筈も無い。 ミサトが金属を高熱で融かし、型枠に沿ってATフィールドを張って保護する。 次にマヤが型枠付近を無重力環境に調整する。 そして、融けて液状になった金属をカティーが流体制御の能力で型枠に流し込んで均等に混ざるよう丁寧にかき混ぜる。 最後にミサトがATFを通して熱を吸収し、冷やす。 一連の工程を経て鋳造された金属槐から型枠が外されると、そこには巨大ロボットの装甲らしきカタチの巨大な物体が鎮座していた。 「ふう、いっちょあがり。さて、次行きましょうか。」 独特の特徴ある形状は、それがエヴァ・パペットの部品であると自己主張していた。 「ああ。」 「協力ありがとうございます。葛城二佐、ジーベック少佐。」 乗り気で技術部に協力してくれている二人にペコリと頭を下げるマヤに、 「頭を下げる事は無い。エヴァ・パペットの実質稼動時間が延びるのは、我々作戦部も歓迎している。」 「そうそ。今まではフルで動かすと10分でオシャカだったからね〜。これで楽に戦えるようになるってもんよ。」 ミサト達が言う様に、今まで本部所属のエヴァ・パペットの装甲や骨組に使用されていた特殊鋼の張り合せでは全力稼動した時の強度が足りず、普段の格納時は拘束具で支えるだけでなく液体に浮かべる事で重量負担を誤魔化していたという有様だった。 しかし、ようやく、正式タイプのエヴァ・パペットの素材に予定されていた無重力合金ハイパー・チタニウムを冗談みたいな安価で生産できる方法が編み出され、そんな状況が大幅に改善されようとしていたのだ。 「で、本部にある3機分作りゃ良いのよね?」 「いえ、他の支部に“売る”分もありますから、今週分だけでも10機分は欲しいんですけど……。」 申し訳無さそうに身を小さくするマヤの態度に、カティーもミサトも苦笑を浮かべつつも優しい視線を注ぐ。 「確か1セット5兆円だったか?」 ちなみに、他支部で建造中のパペットの装甲は本部みたいに無重力合金の一体鋳造なんて豪快な真似ができないだけに約8兆円とコストが高くつく上に強度で劣る物しか作れないので、打診したら即座に注文が殺到したそうだ。 「はい。それで差額の大部分を各国に戻すとか言ってました。」 勿論ながら人気取り政策である。 ただ、これによってネルフ本部の株が上がる事と、飢えや貧困で死ぬ人間が減るであろうという事は確かであった……。 「ヘロ〜ォ、シンジ。具合どう?」 無遠慮にシンジの部屋にズカズカ上がって来たアスカが、テーブルの上に乗っかっている食べ物が盛られたざるを目敏く見つける。 「あ、良さそうなもの食べてるじゃない。ちょっと寄越しなさいよ。」 返事も待たずに自分の箸を食器棚から取り出し、白い麺を一つまみ強奪する。 「……ん……悪く無いんだけど、ちょっと味気無いんじゃない?」 タレにつけずに頬張った彼女の言葉に、シンジは思わず小さく噴き出しそうになった。 「そ、それ……こういう汁につけてから食べるものなんだけど……。」 「何よ! 早く言いなさいよ、それ!」 一言文句をつけてから、またまた一つまみ取り上げてシンジの分のタレにつけて食す。 「ふ〜ん、ま、イケるんじゃない?」 素直じゃないけど紛れも無い賛辞を貰い、さっきまでの憂鬱な気分が何処かに吹き飛んでいくような気がしたシンジが 「あ、うどん、まだあるけど…食べる?」 相伴しないかと暗に誘うと、 「アンタがどうしてもって言うなら食べてあげるわ。」 アスカは口に出した言葉とは裏腹の満面の笑顔を見せたのだった。 その後、次々訪れてくる客への応対で疲れたシンジは、最近では珍しく一人で眠ろうとしたのだが、 「……碇君。」 先回りして物蔭に隠れていたレイに抱き付かれてしまった。 「え、綾波……ちょっと……僕、もう寝たいんだけど……」 「そう。問題無いわ。」 部屋の中が暗くてシンジには良く見えなかったのだが、多分明るくても表情の変化は分からなかったと思われる。 「問題無いって……どういうこと?」 シンジの心底困ってそうな声を聞いて、短く答えるレイ。 「添い寝。……駄目?」 上目遣いで超至近距離にまで接近したレイに、シンジが答え…… 「「「ちょぉぉぉぉぉと、待ったぁぁぁぁぁ!」」」 ……ようとした時、突如乱入した連中の叫びが、それを咽喉の奥に押し止めた。 「抜け駆けとはズルイわね、ファースト。」 首根っこを引っ掴みそうな勢いでズカズカと歩み寄るアスカ。 「シンジ君の身体のことを考えて今日は休養日にしようって言ってたのに……」 淡々となじるマナ。 「そういう事なら、こっちにも考えがあります!」 唇を噛み、レイを睨むスズネ。 「お願いです、ご奉仕させて下さい。」 南サオリの… 「それが駄目なら、せめて部屋の片隅にでも置いて下さい。」 清田ヤヨイの息の合った哀願が、シンジの牡器官を痛烈に刺激する。 さらに、 「でも、本当に邪魔なら出て行きますから……」 寂しそうな泣きそうなコトネの瞳。 この駄目押しに、シンジは抗する術を持っていなかった。 「うん、良いよ。一緒に寝よう。」 はにかみながらの承知に女の子達の顔に満面の笑みが浮かび、どれほどの悦びと幸せを味わっているか訴えようと全員が全身で媚態を見せ、アピールする。 ……勿論、こんな状況で、添い寝だけ…で、済む筈も無かった。 エヴァ・チルドレンの少女達、戦自の実験動物にされていた少女達が、自ら着衣を脱ぎ捨ててシンジの視線に程好く鍛えられた裸身を晒すと、何度も何度も法悦を刻み込まれた身体が肉の疼きを思い出して熱を帯び、期待で早くも蜜を滲ませ始める。 中でも…… 「やっ、嘘っ! やだっ!」 感じ易過ぎるアスカの肉体は、誰よりも大事な少年に自分を隅々まで見て貰ったことで主の意思に反して暴走し、上の口からよだれを…下の口から潮を垂らしてシーツの上に崩れ落ちた。 「好きだよ、アスカ。」 そんなアスカの身体をシンジがそっと抱いて軽くキスすると、心と身体の双方に惜しみなく与えられた強過ぎる快感によってアスカの意識は途切れさせられ、心地良い眠りの楽園へと誘われてイッたのだった。 「次は私の番。」 いつも通り真っ先にアスカがリタイヤすると、シンジの腰の前に跪いたレイが肉槍に愛しそうに舌を触れさせる。 「じゃあ、私はこっちね。」 マナがシンジの腰に腕を回し、背中に密着して来る。 背中に当たるぷにぷにした2つの膨らみと、その頂点にあるコリコリと尖ってきた突起の感触にドキドキさせられてるシンジが、 「おいで……」 と両手をヒラヒラさせて誘うと、右手を南サオリが、左手を清田ヤヨイが押し頂いて自らの湿り気を帯びた股間へと導き入れる。 シンジが両手指で2人の少女を演奏すると、寝室に悦びの歌がたちまち満ち満ちて、懸命に奉仕を続けるレイとマナの2人にも甘やかなセンリツが忍び寄る。 そして、シンジがひときわ強烈なフォルテを指先で奏でると、4人の少女達は声を揃えて極みを合唱させられ、果てて意識を途切れさせた。 その光景を傍観していた見学者の口から、 「だらしないわね。」 痛烈な批判が飛び出した。 「え?」 「シンジ君がまだイッてないのに果てるなんて…奉仕ってものを解ってないようね。」 スズネやコトネのものでは有り得ない冷厳な声。 「御主人様、今度は私達に御奉仕させて下さいませ。」 抑え切れない疼きの熱がこもったオスに媚びる声。 「リツコさん……それに、シズク……。」 何時の間にか忍び込んで順番待ちしていたシンジ所有の牝奴隷2人であった。 「シンジ君、だらしない娘達に御奉仕の模範ってものを見せてあげて良いかしら。」 言葉の端々に見え隠れする情欲に、シンジはいつものように流される。 「う…うん。良いよ。」 「では、失礼します。」 許可を貰うが早いか、リツコはシンジのモノにしゃぶりつき、 「私はこちらを……。」 シズクはシンジの背中にしがみつく。 丁度、先程のレイとマナの体勢と一緒の格好だった。 「じゃあ、スズネ、コトネ、おいで。」 更に、両手で2人の少女の女の子の部分を可愛がる体勢に入ると、やらしい水音を伴奏にしたデュエットが、脳髄を痺れさせる慄きと女の本能を激烈に疼かせる音によって、横合いで気絶していた少女達の目を覚まさせる。 夢見心地で見学している娘達の目の前でさっきの光景が配役を替えて展開されてゆく。 そして…… 遂に双子がソプラノで自らの限界を歌い上げると、それに釣られてリツコとシズクも高みを極めさせられる。 しかし、言うだけあって、そこからが他の少女達と一線を画していた。 絶頂の波に浚われて意識を飛ばされたにも関らず、そのまま果てる事無く奉仕を再開したのだ。 「御主人様も気持ち良くなって下さいね。」 余韻に震える声が自分達の望みを明かすと、その囁きが引金になったのかシンジの肉槍から白濁した液体が発射されてリツコの顔を白く猥らに染める。 主の絶頂に合わせて2人の牝も極みに達し、至福の悦びで誇らしげな笑みを満面に浮かべてイッた。 そんな2人の大人の女性が魅せた身体を張った模範指導に、 『そう……碇君がイクまで自分が果てては駄目なのね……。』 レイを始めとする少女達は、夢うつつで悟った。 奉仕の心得とは、相手の悦びを我が事のように悦ぶこと……つまりは、相手に悦んで欲しいという気持ちのことなのだと……。 秘訣を伝授された少女達は、一度の発射ですっかりその気になったシンジの暴れん棒を鎮めるべく、快感で言う事を聞かなくなってきている自らの身体を溢れんばかりの愛情で必死に動かし、愛しい少年へと代わる代わる差し出すのだった……。 このように、シンジが夜這いしてきた女性達に果敢な反撃を行なって布団の海に撃沈させている頃、その親父である碇ゲンドウは鯉墨首相との会談を終え、第2新東京国際空港の一角である人物を待っていた。 予定時刻を若干過ぎて到着したSSTOの着地音を聞いても、傲然とした姿勢を崩さずに無言で待ち続ける。 それが崩れたのは、付近に配された黒服4名、そして私服6名の保安部要員が構成するガードの範囲に一人の少女が踏み込んで来た時だった。 「良く来た。」 片手で護衛を制し、サングラス越しに少女と視線を合わせるゲンドウ。 「初めましてですわ、碇総司令。」 挑戦的に見返して来る彼女の視線を、ゲンドウは席を立つ事で外す。 「同行しろ。」 「まあ、休む暇も与えては下さらないの? 日本人って噂通りにせっかちですわね。」 優雅な口調で飛ばされた皮肉に、ゲンドウは静かに答える。 「我々には時間が無い。」 言いざま踵を返したゲンドウを、少女が足早に追いかける。 少女の名はマリィ・ビンセンス。 アメリカ支部から派遣されて来た、れっきとした科学者であった。 翌、日曜日。 とある結婚式会場は混乱の坩堝にあった。 「おい、あんな娘知り合いにいたか?」 「さあ……赤木に似てるような気もするが……娘にしては大きいよな……。」 ヒソヒソと交される会話は、少女がミサトと加持に割り振られたテーブルに着席するに至って、様々な憶測や推測が尾鰭にくっついて広がってゆく。 加持とリツコの隠し子だとか、加持が二股かけた悪人だとか……式の当人達を差し置きかねない勢いでロクでもない噂が取り沙汰されてるのに構わず、 「来ないわね、リョウちゃん。」 リツコはそれだけを口にした。 「あのバカが時間通りに来たことなんて、いっぺんも無いわよ。」 応えてミサトが加持の悪口…いや、事実を口にするが、 「デートの時はでしょ。仕事は違ってたわよ。」 リツコは一応弁護のツッコミを入れる。その途端に、 「いや、お二人とも、今日は一段とお美しい。時間までに仕事抜けられなくてさ。」 渦中の人物の一人が現れ、ミサト達がいるテーブルの自分に割り振られた席に座る。 「いつもプラプラ暇そうにしてる癖に。」 まさに噂をすれば影……というところか。 「ど〜でも良いけど何とかならないの、その無精髭。ほらネクタイ曲ってる。」 礼服を着崩したヨレヨレの格好を見かねてミサトが加持の世話を焼くと、 「夫婦みたいよ、あなたたち。」 傍目で見ていたリツコが冷静にツッコミを入れる。 「良い事言うね、リッちゃん。」 やに下がって喜ぶ加持から、 「誰がこんなヤツと。」 心底嫌そうに悪態を吐いたミサトが慌てて身体を離す。 色々な意味で長そうな結婚式が、今始まった気がしたミサトだった……。 その頃、京都の某所では、 視界を埋め尽くすズラリと並んだ黒い柱の群れ……いや、無数の墓標の一つの前に、一人の少年と一人の中年男が立っていた。 「3年ぶりだな、二人でここに来るのは。」 男の名は碇ゲンドウ。 「僕は…あの時逃げ出して…その後は来てない。ここに母さんが眠ってるって…ピンとこないんだ。顔も覚えてないのに。」 男の前に立つ少年の名は碇シンジ。 二人の視線は互いではなく、墓標へと向けられていた。 墓標に刻まれた名は“IKARI YUI” 男の妻であり、少年の母親である人物の名だ。 墓標に刻まれた没年は2004年。 11年前の今日、それが命日という事になっていた。 「人は思い出を忘れることで生きていける。だが、決して忘れてはならないこともある。ユイはその掛け替えのないものを教えてくれた。……私はその確認をする為にここへ来ている。」 珍しく饒舌に内心を語るゲンドウ。 「写真とか無いの?」 「残ってはいない。この墓もただの飾りだ。遺体は無い。」 しかし、語る事のできない真実もある。 例えば、墓ではないならば、いったいどこで眠っているのか…… 「先生の言ってた通り、全部捨てちゃったんだね。」 また、写真を捨てた本当の理由を…… いつにない饒舌さは、そんな真実を覆い隠す為のヴェールなのかもしれない。 「全ては心の中だ。今はそれで良い。」 これも本音には違いないのではあるが……。 その時、VTOL機が垂直着陸する轟音が閑静な墓地に響いた。 「時間だ。先に帰るぞ。……後で来るのを忘れるな。」 迎えの飛行機に向かうゲンドウ。 「父さん! あの……今日は……うれしかった。父さんと話せて……。」 それを呼び止め、シンジは今日始めて父と視線を合わせる。 「そうか。」 一言返事をして立ち去った父を乗せてVTOLが飛び去るのを見送った後、シンジもまたVTOLとは反対方向に歩み去った。 墓標とそれに捧げられた花束を後に残して。 学生時代の友人の結婚披露宴、 その2次会の終了した後、 招待客は、あるいは家路につき、あるいは気の合う同士で飲みに出かけたり……と思い思い三々五々散って行った。 その中の一組、30歳になるかならないかという微妙な年齢の男女3人が洒落たバーでグラスを傾けていた。 「いまさら何言ってんだか。ちょっち、お手洗い。」 舌戦で形勢不利になったミサトが席を立つと、 「とか言って逃げんなよ」 加持がちょっとした軽口でからかう。 ……洒落た雰囲気な場所だけに飲み代を押しつけられると結構痛いというのもあるが。 『ヒールか……』 加持は舌を出して踵を返したミサトの足音が意外な響きを立てているのに気付いたが、 「何年ぶりかな、3人で飲むなんて。」 口に出たのはこんな台詞だった。 「ミサト、あんまり飲んでないわね。何があったか分かる?」 「いや、全然。月日の経つのは早いなって思ってたところだ。何せ葛城がヒール履いてるんだからな。」 自嘲混じりの苦い笑みを浮かべつつ目の前にグラスを掲げると、琥珀色の液体に浮かぶ透明な塊が硬質な音を鳴らす。 「学生時代には想像できなかったわよね。……いっしょに暮らしてた人の言葉は重みが違うわね。」 実年齢に見合う外見年齢なら似合ったのかもしれないダークブルーのパーティードレスに身を包んだリツコが、しみじみと感心する。 まるでお母さんの服を着て大人ぶってる少女のような女性がカクテルグラスを口に運ぶ図は、注がれているのがノンアルコールの紛い物で無いと知る者の眉をひそませるが、敢えて止めようとする人間は誰もいない。 「オレもガキだったし…あれは暮らしっていうより共同生活だな。ママゴトだ。現実は甘くないさ。」 昔を懐かしみ、今に溜息を吐く。 大きなピースが失われた、自分にとって望ましい未来図を想い浮かべ。 「そうだ、これ。猫の土産。」 こぼしそうになる愚痴の代わりに、買って来た物をテーブルに置く。 「あら、ありがとう。……マメねぇ。」 小さな巾着に入っていたのは、猫の絵柄を象ったペンダントだった。 「女性にはね。仕事はズボラさ。」 「どうだか。ミサトには?」 自分には持って来てるのにミサトには土産は無いのか…と問うと、 「一度敗戦してる。負ける戦はしない主義だ。」 別の意味に受け取ったのか、諦念と後悔が入り混じってしかめそうになる表情を作り笑いで誤魔化す。 「そうね。もう勝算は無くなったかもね。」 加持の推測を肯定しつつ、ペンダントの入っていた巾着袋に意識を向ける。 「リッちゃんは?」 「自分の話はしない主義なの。面白くないもの。」 友人以上はお断りと言葉では無く雰囲気で告げ、 「京都、何しに行って来たの?」 ズパッと質問する。 「あれ? 松代だよ、その土産。」 「とぼけても無駄。あまり深追いするとヤケドするわよ。これは友人としての忠告。」 友人の身を案じる顔が、一瞬だけ驚きに変わる。 巾着袋の内側にマイクロフィルムが縫い込んであったのに気付いたのだ。 「真摯に聞いとくよ。どうせヤケドするなら君との火遊び…」 表情の変化に気付かぬフリで口説き文句を並べ始めたところで、 「花火でも買ってきましょうか?」 化粧室から戻って来たミサトが皮肉を飛ばす。 そんな鼻息荒いミサトの勢いを堰き止めて凍らせたのは、加持ではなく、 「シンジ君…御主人様がお命じになるなら……ね。」 リツコが口に出した言葉の過激さゆえであった。 「本気かい?」 「勿論。」 加持の問いに真顔で即答し、リツコは席を立った。 「仕事が残ってるからそろそろ失礼するわ。……加持君、今度お礼するわね。」 マイクロフィルムに記されていた情報……ある意味では自分を凌駕するかもしれないほどの技術力を持つ科学者マリィ・ビンセンスが“自分にも秘密裏に”来日し、松代にあるネルフの支部で何かの研究開発を始めたらしいこと……について調べる為に。 それに気付いたのは、MAGIの監視システムのおかげだった。 サードチルドレンの碇シンジ君が更衣室のベンチに座り、うなだれている所を。 それから2時間、シンジ君は何の変化も見せず動こうとしない。 『まさか……』 黒い不安を抱えつつ、衝動的に件の更衣室へと急ぐ。 誰か人を呼ぶなどという発想が頭をもたげる事も無く。 ノックをするのも忘れてドアを開くと、直接目に入って来たシンジ君の様子に、と胸を突かれてしまう。 「シンジ君…どうしたの?」 できるだけ優しい声を出して訊ねるが、 「お願いします。一人に…して下さい……。」 返って来たのは拒絶の言葉だけ。 こんな状態には自分でも覚えがある。 「そういう時には、悩みを誰かに話すと楽になるのよ。相手が私で良ければ聞いてあげても良いんだけど……。」 自分は酒で誤魔化していた……いや、誤魔化している苦しさ。 「……はい、サツキさん。」 しかし、シンジ君の話は、そんな私の想像を斜め上に超え去っていた……。 僕が父さんに行くように指定された部屋には、一人の女の人が繋がれていた。 年の頃は僕より何歳か年上ぐらい、灰白色というかアッシュブロンドの長髪は昔話のお姫様みたいに素直に真っ直ぐ伸びている。 そして、足には太い鎖と丈夫そうな革の足輪…… 「こ、これ……どういうこと。」 彼女に気を取られていたから気付けなかった。 入って来た扉が自動で閉じて鍵がかけられるまで。 「シンジ、その女とヤれ。」 部屋の何処かに有るスピーカーが父さんの声で話しかけて…いや、通告してくるまで。 「どうしてだよ! 何でそんな事しなきゃいけないんだよ!」 「お前が知る必要は無い。」 「やだよ、そんなの……。」 「その女は要らないと言うのか? ……なら、慰安要員にして希望者に輪姦させる。お前は帰って良いぞ。」 あの墓地で聞いた声が嘘の様に酷薄で重く低い声が、残酷な刑罰を申し渡す。 僕じゃなく、名も知らぬ彼女に。 「ちょ、ちょっと待ってよ! 訳も分からずそんな事できるわけ無いよ! 彼女の名前も知らないのに!」 絶叫する僕に、 「説明を聞け。」 父さんは冷たく言い捨て、 「早く決めろ。」 決断を迫る。 心の準備なんてまるで無かった僕に。 「お願いです……抱いて下さい。」 その時、彼女が懇願の眼を僕に向けた。 好意は感じられないけど、必死の眼だ。 そんな彼女に引きずられて、僕は……。 「やるよ……やればいいんだろ……」 力無く肯いたのだった。 「彼女はナスターシャ・ドカチェフって言って、反逆罪で捕まった父親を助ける代わりに僕に調教されるように言われたそうなんだ。」 目を丸くした大井サツキに、なおもシンジの懺悔は続く。 「一週間耐えれば許して貰えるって言ってたのに……それなのに……」 恐怖に震え、誰かにすがりたい気分も我慢してシンジは吐き捨てる。 「喜んで僕に身体を差し出すようにしちゃったんだ! 出会って間もない人なのに!」 深窓のお嬢様育ちではシンジの技巧と能力がもたらす快楽に耐える術は無く、堕ちるしか無かったのだろう。 初日はシンジが敢えて処女を奪わなかったが、それをせがんでくるのも時間の問題とシンジは今までの多くの経験から判断していた。 「怖いんだ……僕が僕じゃない……人間ですら無いみたいで……。僕の大事な人達も、僕が惑わして虜にしてるだけなんじゃないかって、怖くて……。」 震えてるシンジを、思わずサツキが包み込むように抱き締める。 「ごめんなさい、シンジ君。私達がシンジ君をそこまで追い詰めてしまったのね。……でも、私もシンジ君とほとんど面識は無いけど、シンジ君を慰めてあげたいと思った。その気持ちは本当よ。シンジ君は私に能力使ったりしたの?」 シンジは胸に手を当て、ブンブンと首を横に振る。 「それなら、あなたの大事な人達も能力なんて関係無くあなたが好きなのよ。……きっとね。」 そう言い聞かせた直後に目に焼きついたモノを生涯忘れない…いや、忘れられないだろうとサツキは思った。 「ありがとうございます、サツキさん。」 もう少しだけ近付けば唇が触れ合うぐらいの至近距離で、彼女一人の為だけに惜しみなく注がれた無防備極まりない満面の微笑みを。 暗い路地を二人の男女が歩いている。 恋人同士と言うには微妙に離れたままでいる、傍目から見ても微妙な距離感を保ち続けている男女が。 「あ、ここらへんで良いわ。……ありがと、加持君。」 赤いブレザーを着た女性が、連れの男性に話しかける。 「あ、いや……俺の家もこっちなんだが……離れて歩いた方が良いか?」 苦笑しながらの気遣いに、 「そういう事なら気にしなくて良いわ。」 女性の方も苦笑で返す。 そして、再び黙り込む。 居心地の悪い癖に、妙にどこか心地良い、そんな沈黙。 人気の無い郊外の道に差し掛かり繁華街の喧騒が遠のくと、余計にその感は強くなる。 「ところで加持君。」「なあ、葛城。」 互いへの呼びかけは同時で、二の句を途切れさせる。 気まずい静けさを破って再び口を開いたのは、ミサトの方が早かった。 「ごめんね、加持君。今日の事もあの時の事も。」 「あの時?」 怪訝そうにする加持に、 「8年前のあの時、一方的に別れ話したこと。他に好きな人ができたって言ったのは、あれ嘘。バレてた?」 ちゃんと注釈を付けて話を続ける。 「いや。」 あの当時の加持には、そこまでは分からなかった。 「気付いたのよ。加持君があたしの父に似てるって。」 もしかしたら、今でも分かる事ができないのかもしれない。 「……自分が男に父親の姿を求めてたって。それに気付いた時、怖かった。どうしようもなく怖かった。加持君と一緒にいることも、自分が女だということも、何もかもが怖かったわ。父を憎んでいた私が父に良く似た人を好きになる。全てを吹っ切るつもりでネルフを選んだけれど、それも父のいた組織。結局、使徒に復讐する事でみんな誤魔化してきたんだわ。」 ミサトの述懐を 「葛城が自分で選んだ事だ。俺に謝る事は無いよ。」 加持はある意味認め、ある意味突き放す。 「違うの。自分で選んだ訳じゃないの。ただ逃げてただけ。父親と言う呪縛から逃げ出しただけ。シンジ君と同じだわ。……臆病者なのよ。」 首を振り溜息を吐くミサトを痛ましそうに見守る加持。 今の加持は知っている。 昔の加持も知っていた。 ミサトの心が厄介な呪縛…洗脳に囚われていた事を。 心が囚われている限り、ミサトが幸せになる道は閉ざされていたも同然だったと。 加持がスパイ稼業に手を染めたのは、それを解く鍵を求めてであった。 「……でも、シンジ君を見ていて気付いたの。私も変われるんじゃないかって。」 口調が変わった。 血を吐くような叫びから、静かな…それでいて力強さを感じさせる口調に。 「誰かに守られたいんじゃなく、誰かを守りたいと思うこと……それが自分を変える力になる。そう信じさせてくれたのはシンジ君よ。」 そして、表情は恋する乙女のそれに。 「それを意識した頃には、シンジ君に惹かれていたわ。父じゃなく私に似た…でも、私よりもっと頑張ってるシンジ君に。」 自分と付き合っていた時よりも眩しい輝きを奥底から滲ませている微笑みに、 「そうか……(空母で再会した時は脈があるかと思ったんだが、葛城がそう言うなら仕方ないな。)」 加持は完全な敗北を喫したことを認識した。 そして、 「ただ、一言だけ聞かせてくれ。……今、幸せか?」 念の為に訊いた最後の確認にも 「ええ。」 即答で肯いた元・恋人の姿に、 「なら、良い。……今度シンジ君も誘って飲みに行くか?」 加持は自分が長年抱き続けていた未練を全て葬り去り、素直に祝福する覚悟を決めた。 自分が幸せにする事ができなかった女と、 重き運命を背負う少年の前途を。 「もう。シンジ君は未成年なのよ。」 内心に溜まっていたモノを吐き出してスッキリしたミサトと、 「とか言って晩酌に付き合わせてるんじゃないのか?」 帰ったら一人で乾杯しようと考えている加持と、 「……バレた?」 その間で交される軽妙な遣り取りからはぎこちなさが消え、 「そりゃあ、もう。」 気心が知れた友人同士の気安さが代わりにその位置を占めていた。 繋ぎ直された絆の新たな姿にふさわしい距離感で……。 ネルフ本部・司令公務室。 数々の陰謀が生み出されたこの部屋で、二人の男が差し向かいで将棋を指していた。 「良いのか、碇。あれではシンジ君に憎まれかねないぞ。」 パチンと小気味良い音が盤面に踊る。 冬月の動かした銀が、ゲンドウの金と飛車を同時に狙う位置に滑り込む。 「必要だからやったまでです。それに、私はシンジには憎まれている方が良い。」 縦に並んだ金と飛車の間にもう一枚金を追加するゲンドウ。 ただ、内心の動揺を示しているかの如く駒を指す手は微かに震えている。 「人類補完計画か……人類が生き残る為に必要とはいえ、肝心のシンジ君に負担がかかり過ぎではないのか(焦り過ぎだぞ、碇。幾ら時間が無いとはいえ……)。」 銀の遥か後ろに香車を指し、冬月は盤面でも現実でも釘を刺そうとする。 「ここまで状況が進めば、最悪シンジ抜きでも計画の実行は可能です。それに、慰めるのは私の役目ではありません(私が慰めては…計画はそれだけで瓦解しかねん。)。」 苦渋を飲みながら、ゲンドウは歩で香車の行く手を塞ぐ。 「それでは計画の成功率も、全てが上手くいった場合に生き残ることができる人数も減りかねんぞ。分かってるのか? ……王手。」 銀で飛車を取り、苦言を吐く冬月。 「分かってますよ、先生。しかし、これは必要な処置です(シンジがこれを乗り越えられないなら、この先ここにいるのは辛いだけだろうしな。)。」 金で銀を潰し、対応する。 「そうは言ってもな……」 だが、すかさず飛車が睨みを利かせていた右辺の戦線を冬月が食い荒らしにかかる。 形勢は加速度的にゲンドウ不利へと傾いた。 「なら、先生がシンジの味方になってやって下さい。憎まれ役は私だけで充分です。」 口元に苦味を浮かばせ応手を指すが、 「良いのか?」 詰め将棋が趣味の冬月にはまるで通用しない。 「問題無い(私が親しく接してやれば、シンジが他人に心の傷を癒して貰おうという欲求は薄まるだろう。それではエヴァ初号機の力が損なわれてしまう。ユイに会う為には、シンジ達が未来を掴む為には、人類が生き残る為には、私が心を鬼にするしかない。)。」 悲愴な表情をサングラスで隠し、それでも盟友たる冬月には隠し切れない苦衷を言葉の端々に漏らしながらゲンドウは呟くが…… 「詰みだぞ。」 盤面を指して冬月が言った一言で、真っ白に凍りついたのだった。 昼休み。 ある意味、深夜や早朝より気が緩む時間。 加持は、この時間を利用してネルフ本部基地の地下深くを散策していた。 『リッちゃんに言われて来たけど、はてさて何があるやら……。』 勿論、ただの散歩ではない。 先日提供した情報の礼代わりに、30分だけという約束でこっそりと入らせて貰う場所が、ただの場所の訳は無い。 ともかく一直線に向かったセントラルドグマの最深部にある部屋……LCLプラントの扉を開くと、垣間見た光景に思わず声を失った。 巨大な真紅の十字架に磔られた七つ目の仮面を被せられた白い巨人と、 その胸に突き立つ二股の巨槍と、 巨人の両手と両足に穿たれた傷口から止めど無く流れ出続けるLCLと、 巨人から滴る体液で満たされた紅の湖。 それが、LCLプラントとやらの正体だった。 「セカンドインパクトから、その全ての要であり、始まりである──アダム。それと対をなす存在たる第2使徒──リリスか。」 使徒を第3新東京市に呼び寄せる存在であり、眠れる始源の母。 サードインパクトの引金の一つであり、セカンドインパクトで生じた歪みによって滅びに向かっている世界を救済する為の唯一にして最後の切り札。 「さて、どうするかな……」 そして、加持がミサトの洗脳を解く第一歩にできるだろうと目して探していた存在。 だが、今となってはその意味での用は無い。 「そうだな……お姫様は王子様に任せて、王子様になり損なった男は分相応の幸せでも見つけるとしましょうかね。」 自嘲混じりに前向きっぽい結論を呟くと、加持は聖なる御所を後にした。 ネルフと人類補完委員会…いや、碇ゲンドウ達と秘密結社ゼーレ、そのどちらに荷担するのが生き残る為に望ましいのかを検討し直しながら……。 福音という名の魔薬 第拾七話 終幕 今回も結構苦戦しました。日常描写で間が持たない所を陰謀紹介で誤魔化してるってとこかな(苦笑)。あと、私の将棋の腕はヘボいので、将棋の指し手は結構いい加減です。ツッコミは勘弁です(汗)。 ちなみに、本作のミサトは昼の12時までに吸熱作業が終わってなかったり、何らかの会議などに遅れた場合は遅刻になります。それと、ミサトの拳銃が原作の『H&K USP』じゃなくて戦略自衛隊仕様の『SIG P220』になっているのは、ネルフ本部の正式採用火器を戦自仕様に合わせてるからです。 峯田太郎さん、きのとはじめさん、【ラグナロック】さん、老幻さん、八橋さん、闇乃棄黒夜さん、様々な御意見と見直しへの御協力まことに有難うございました。 ☆突発薬エヴァ用語集 ハイパー・チタニウム:チタニウム系の無重力合金である。ただし、その組成は先史文明の遺産であるジオフロントなどの構成素材を参考にしている為、従来技術の延長で精製された物に比べて数段優れている。 ネルフ支部・支局:特務機関ネルフは国連直属の組織であり、当然ながら世界各地に出先機関を置いている。この内、マギ・コピーやエヴァ・パペットの建造用ドックなどを備えた大規模施設が“支部”、情報収集や資材・人材の調達などを主な任務とする小規模施設が“支局”と呼称されている。 現在活動中の支部は、松代(日本)、ベルリン(ドイツ)、マサチューセッツ(アメリカ)、ハンブルグ(ドイツ)、北京(中国)、モスクワ(ロシア)、ネバダ(アメリカ)の7個所である。この順番は設置されているマギのシリアル順で並べてある(ちなみに、本部のマギ・オリジナルを1として番号が順に割り振られている。)。ただし、支部の番号はマギのシリアルとは関係無い。 支局は各国に1〜2個所ほど設けられているが、その中の幾つかには支部に準じる設備と要員が配置され、不測の事態に備えている。 |
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