■□■ そして始まる彼らの日常 □■□






 山本が雲雀の家を訪れたのは、新年明けて4日目のことだった。空が高く青く澄んだ日のことで、少し風があるため日中でも張りつめたような寒さの感じられる日だった。幼少時より身体を動かすことを好み、そのため滅多に寒さに対して弱音を吐くことのない山本も、長身を丸めるようにしてむき出しの手を気にしながら懐かしい道を辿った。
 温かな、というより夏は殺人的なまでに暑い南部イタリアの気候に慣れきってしまったのか、すっかり寒さが身に染みるようになってしまった。そんなことを考えつつも、山本の足取りは軽い。何故なら彼が向かうのは、最愛の恋人である雲雀の家だからだ。
 昨年の終わり、山本は長らく離れていた日本に帰国した。久々に年末年始を実家で過ごせるとわかったときは大喜びしたものである。わざとそういう風にスケジュールを組んでくれたのであろうボスと、口は悪いが非常に気の利くその右腕に盛大に礼を言って、イタリアを旅立ったのが12月19日のこと。2日でその年最後の仕事を済ませ、実家に帰ってからというもの、今日までずっと店の手伝いに勤しんでいた。山本の家は自宅兼店舗で寿司屋を営んでおり、父親の剛は非常に腕のいい板前である。そして寿司屋が一年で一番忙しいのは実はクリスマスで、そのまま年末年始の繁忙期に突入するのである。よって山本は、帰省するなりそのまま手伝いに精を出すこととなった。
 この年末年始は忙しいながらも山本にとっては楽しい日々だった。あまり日本にいることのできない彼にとって、少しでも親孝行をする機会である。それに何より、調理場に立った父の姿を間近で眺めることが、子供のころから山本は好きだった。
 そんな風にして忙しく日々を過ごすなか、山本は雲雀が日本に帰っていることを知った。風紀財団の長として日本の裏社会に君臨する雲雀だが、彼は一年のほとんどを世界中を飛び回って過ごしている。その雲雀が故郷の並盛に帰っていることを山本が知ったのは、イタリアにいるボスやその右腕からの情報によってではなく、単純に出前の注文によってだった。
 風紀財団のNo.2である草壁から電話がかかってきたとき、山本は面食らった。出前を指定された場所は雲雀の実家であり、財団の地下アジトではない。しかし領収書はきちんと財団名で指示されたのだから妙なものである。山本は風紀財団を秘密地下組織と思っていたのだが、父の剛に言わせるとときどき大口の注文をしてくるお得意様なのだそうだ。どうも並盛ではその存在はさほど秘密ではないらしい。
 そんなわけで雲雀の家に出前を届けたのが年の瀬も押し迫った12月30日のこと。むろん出前の受け取りになど雲雀が出てくるわけはないので、相も変わらず見事なリーゼントの草壁に、三が日が過ぎたら挨拶に来ることを言付けてもらった。もしかしたらその出前自体がお誘いだったのかもしれないが、山本がそれに乗ることはない。そのときの彼にとって一番の命題は親孝行であり、それをないがしろにするような男を雲雀は軽蔑するであろうから。
 普段とは全く違った種類の忙しさにもみくちゃにされながらも、平和な日々をそれなりに楽しんだ山本は、約束どおり三が日が明けたあと、雲雀の家を訪れた。時刻は午後三時を少し回ったところ。買い物袋と父が持たせてくれたお土産の寿司の折り詰めを手に。
 大きなお屋敷に付き物の見事な門のところでインターフォンに名を名乗ると、脇にある通用口のロックが解除された。前回来たときは通用口から草壁が出てきて出前を受け取ったのだが、今回は誰かがやってくる気配はない。ならば勝手に入っていいのだろうと解釈し、小さな声でお邪魔しますと言いながら通用口を潜る。屋敷は静まり返っていて、人の気配もないようだ。もしかしたら人払いされているのかもしれない。
 しんとした邸内の様子にある種の期待を抱きながら山本は玄関を上がり、奥へと進んだ。ここを訪れるのは久しぶりだ。日本で雲雀と会うときは大概が風紀財団の地下アジトであり、実家に呼ばれたのは数えるほどしかない。並盛でも有数の資産家である雲雀家の屋敷は広く、居間や応接室などは洋間であるものの、ほとんどの部屋は和室という見事な日本家屋だった。
 ようやく山本が雲雀を見つけたのは、庭に面した日当たりのいい部屋だった。16畳ほどの広さの部屋で、茶箪笥と小さな書棚、そして広いこたつがあるばかりの部屋だ。いつもの黒い着物姿でこたつに入った雲雀は、何やら書類に目を通していた。

「明けましておめでとうなのな!」

 顔を出すなり言った山本を、雲雀は横目でちらりと見上げる。しかし返答はせず、すぐに書類に目を戻してしまった。年明けから冷たい反応だが、慣れきった山本は特に気にもかけなかった。

「今日ってほんと寒いのな。やっぱ正月はこうでなくっちゃ。なぁ、コートってどこかければいい? あ、これ、親父が土産にって。夕飯に食おうぜ」

 勝手に喋りながら勝手にコートを脱いで勝手にこたつに入り、勝手に手土産を差し出した山本を雲雀は黙殺している。そんな彼を山本は伺うように上目遣いに見つめ、

「ヒバリ、おせち料理食ったか?」

「厭きた」

 ようやく返ってきた言葉に山本は屈託なく笑う。

「だと思った」

 快活に言って山本はスーパーの名前の入ったビニール袋を持ち上げた。

「お汁粉食う?」

「……食べる」

「よし! じゃ、台所借りるな」

 座ったばかりだというのに忙しなくもすぐに立ち上がった山本は、缶詰だけど勘弁な、と書類に目を落としたまま振り返らない雲雀に笑いかける。食べ物に煩い雲雀のために、できればあんこから作ってやりたいところだが、今からそんなことをしていては、お汁粉にありつけるのは明日になってしまう。そんなことを楽しげに言いながら部屋を出た山本に、雲雀は何も言わなかった。以前のことだが、どういう気まぐれか夜中に突然うどんが食べたいと雲雀が我がままを言ったことがある。ところが彼の所望したうどんは麺から山本が自分で打って作ったものだったので、出来上がるのにあまりにも時間がかかってしまった。以来、雲雀は何か思うところがあったらしく、料理に関してあまり我がままを言わなくなった。おかげで今日のおやつのお汁粉も、手作りでなくとも異論を差し挟むことはなかったのである。
 店の常連客から美味しいと評判を聞いていた小豆の缶詰は、確かに満足のいく味だった。甘さ控えめで小豆の風味もしっかりと残っており、雲雀も気に入ったようである。
 山本のこしらえたお汁粉を二人で平らげる時間は至福だった。見事に膨らんでよく伸びる餅をどうしてああも上品に食べられるのか、雲雀は見事な箸使いで食べきった。箸休めに出した塩昆布も気に入ったようで、お汁粉を食べ終わったあとも、お茶請けにちびちびと口に運んでいたようである。
 ようであるというのは、満腹になって少しのあいだ食休みを取ったあと、働き者の山本は後片付けに立ってしまったため、ずっと雲雀を見ていたわけではないからだ。お茶のお代わりを持って行ったときに、塩昆布もお代わりを所望された。食べ物に執着する雲雀が何とも愛らしく思え、山本は小鉢に盛った塩昆布を出してやった。
 鍋を洗い、餅焼き網もきれいに片付け、ついでに夕飯の下ごしらえを済ませて山本が部屋に戻ると、雲雀の姿はなかった。トイレにでも行ったのかと思ったが、そんなことはなく、雲雀はその部屋にいた。彼は座布団を二つに折りたたんで枕にし、こたつに潜って横になっていたのである。
 こたつの本体が目隠しになっていたので気付かなかったのだが、雲雀は縁側のほうを向いて横になっていた。お腹が一杯になったら眠くなるなど、まるで子供のようである。座布団の下に右手を差し入れ、少しだけ背中を丸めて眠る雲雀が妙に可愛く思え、山本は相好を崩した。
 こたつを迂回して雲雀の隣にやってくると、山本は腰を下ろした。こたつに入り、冷たくなってしまった手をよく温める。なかのヒーターで充分にあぶって指先まで解凍すると、雲雀と並んで横になった。
 ごろりと寝転がって見上げた雲雀家の天井は、ごく普通の天井だった。むろん山本の家のものとは材質からして違うのだろうが、落ち着いた色合いで、日本人ならば誰もがほっと一息つきたくなるような優しい木の温もりが感じられる。自分の人生の選択を後悔しているわけではないけれど、喧騒も争いごとも全てが遠いこの生活もなかなかいいものだと山本は思った。
 腕を枕にしばらくのあいだ天井を眺めていた山本だったが、ふと思いついたように寝返りを打ち、隣の雲雀の背中に身を寄せた。黒い着物の衿から覗く緋色の襦袢と、白いうなじ。豊かな黒髪に鼻先を埋めると、甘く爽やかな香りが鼻腔に広がった。それを胸いっぱいに吸い込みつつ、雲雀の身体に腕を回す。華奢ではないが、山本に比べ細い身体を腕に抱くと、この家を訪れたときの期待が急に甦ってきた。
 調子に乗って胸元に手を忍び込ませようとした山本に鋭い声がかけられた。

「何のつもり?」

 語尾を上げる明確な問いかけは、雲雀の不機嫌を示している。しかしこれにも慣れたもので、山本は物怖じすることはない。

「んー? 二人羽織り?」

 屈託のない調子で言いながら、山本はさらに身体を密着させる。

「君、馬鹿じゃないの」

「ハハハッ、そうかもな」

 振り返りもせず冷たい声で言い放つ雲雀にも山本が動じることはない。少し顔を上げ、雲雀の耳のうしろの薄い皮膚を吸い上げるようにくちづける。

「なぁ、ヒバリ。嫁始めしようぜ」

「姫始め」

「そう、それそれ。姫始め」

 よく知りもしない言葉を使って無邪気に言う山本は、楽しい遊びに誘うかのように雲雀を誘惑しているのだ。といっても勝率は低いと山本は見積もっている。雲雀にとって睡眠欲は全てにおいて優先される事項なのだ。眠くなってしまった彼が山本のお誘いに乗る公算は限りなく低い。
 このためてっきりはねつけられると思っていた山本だったが、意外にも雲雀は怒らなかった。そのかわり無言で身体を起こし、

「……いいよ」

 言って隣でまだ寝そべっている山本を見下ろす。

「えっ、マジで!?」

 驚いた山本は寝そべったまま思わずガッツポーズを取っていた。そんな山本を見下ろす雲雀は悠然とした微笑をくちびるに浮かべていたが、底知れぬ闇を思わせる彼の黒い眼は、ちっとも笑っていなかった。







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