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 ルーピンの車でアパートへ向かうと、シリウスは丁重に助教授殿を自分の家に案内した。大理石張りのロビーに呆れたような視線を投げかけていたルーピンは、ワンフロアを占領するシリウスの自宅に呆れるのを通り越してため息をついた。凄いねぇと言った呟きは、かなりの部分が本心であったろう。

「何か飲むか?」

 コートは適当に置いておくように指示したシリウスはキッチンへ消える。ルーピンはおかまいなくと声をかけつつ、まずは自分の家が全て入ってしまうだろう広さの居間を眺め回した。

「ビールにワイン、シャンパンとスコッチ。ミネラルウォーターもあるけど、何がいい?」

 ココアもあるぞと言うと、苦笑を含んだワインという声が聞こえてきた。シャンパンやビールはパーティーで散々飲み明かした。ならばと備え付けのワインセラーから赤ワインのボトルとワイングラスを手にシリウスは居間に戻った。

「話には聞いていたけど、凄いもんだね」

 受け取ったバカラのグラスをまじまじと見つめながらルーピンは言う。一昨年注文限定で購入したソファが気に入ったのか、彼は手触りを確かめるように何度も表面を撫でている。

「別に。俺が稼いだわけじゃない」

 この家も家具を買った金も、親から受け取ったものである。もちろんシリウス名義の不動産などの利益もあるが、自慢できるようなことではないとシリウスは思っている。多分ルーピンにこのアパートの話をしたのは友人だろう。二、三度ここへ連れて来たことがあったが、それとも以前にベッドに招待した女たちだろうか。少なくとも悪い噂ではないようなのでよしとしよう。
 シリウスはワインを注ぎ足してやりながら緊張をほぐすようによくルーピンに話し掛けた。昔から他人の警戒心を解くのが得意なシリウスであるから、そう難しいことではない。話術の巧みさは身を助けると昔父が言っていたが、なるほどとよく思ったものである。
 ルーピンもアルコールが入っているせいか、この日はいつもより饒舌だった。普段はあまり口にしないだろう学生のころの話などをよくした。と言っても大学生のころの話で、当時まだ助教授だった例の天才変人がやらかしたことなどを話してくれたのである。
 どうやらルーピンがかの変人を御することができると思われるようになったのは、まだ二十歳になったばかりのころのことであるらしい。ある日突然、当時まだ助教授であったかの変人が、自分のオフィスを真っ赤に改装しようとし始めたらしい。

「オフィスって、じゃあ……」

 シリウスが呆れたように言うと、ルーピンは今のぼくの部屋だと言って苦笑した。大学創立当初から使われている由緒正しい部屋であり、当時の面影を残したまま何度も修繕を加えられてきた大変居心地のいい部屋である。その部屋を変人助教授は、壁から机から本棚から全てを真っ赤に塗り替えようと試みたらしい。
 だがもちろん当時の教授や事務局、果ては他の学部の教授連からも強固な反対にあったのだ。学生のころから一体何をやらかすかわからないと多くの人々から監視の目を注がれてきた助教授であるから、彼が何かおかしなことを始めようとすると、普段は仲の悪い学部からも応援がやってくるようになっていたらしい。それもこれも、全ては大学の品位を貶めないために。
 しかしその程度で折角の思い付きを取り止める男ではなく、助教授は自分の正当な権利だのを持ち出して激しく抵抗を見せたのだそうだ。口では勝てない人々が、あとは力ずくで止めさせるしかないのかと覚悟を決めかけたとき、優秀だが当時まだ控えめな学生でしかなかったルーピンが言った一言が決め手となって、助教授はあっさりと自分の思い付きを放棄したのだった。

「一言で?」

 ワインを口に運びながらシリウスが首を傾げると、ルーピンは苦笑して見せた。
 変人助教授はどうやら印象派の絵画が大好きで、特にモネをこよなく愛しているらしい。その証拠に当時から複製画が何枚もオフィスに飾られていたのだ。

「ぼくはね、ただ何となく言っただけなんだよ」

 モネの絵に赤い壁は似合わない、と。ルーピンは本当に何のてらいも無く呟いただけなのだそうだ。するとどうしたことか、変人助教授は盛大に手を打って、なるほど正しくそのとおり、とあっさり改装計画を破棄したのだった。
 こうしてルーピンはかの変人を制御できる相手と見なされ、何かと言うと一緒くたにされることが多くなったのだそうだ。どうやら当時の教授が脳溢血を起こしたのも一部の噂ではその変人のせいではないかとされているだそうだが、なるほど段々シリウスもそんな気がしてきた。そうして当然のように教授となった変人は、ルーピンを助教授に抜擢し、この人選にはほとんど反対が出なかったのだそうだ。

「……そうか、大変なんだな」

 シリウスはソファに寄りかかって天井を仰ぐ。かの変人教授の噂は、遠く離れた棟にある物理学部にも聞こえてきている。ルーピンはソファの反対側でもう慣れたよと言って苦笑を漏らした。それより、と彼はシリウスを振り返り、

「見せたいものって、何だい?」

 自分の太腿の横に手を付いて身を乗り出すようなルーピンをシリウスは一瞬目を眇めて見た。広いソファの端と端に腰を下ろした二人。その間に厳然と横たわる距離を、シリウスは打破しなくてはならない。
 計算高い思考をけれど臆面にも出さず、シリウスは屈託無く笑ってちょっと待ってろと言い置いて席を立った。寝室へ向かい、チェストの上に無造作に置かれていた四角い物を掴むと、すぐさま居間に引き返した。

「これ。開けてみな」

 悪戯っぽい光を湛えた灰色の目を柔和に細めて笑うシリウスの表情を見つめながら、ルーピンは新聞紙に包まれた四角い何かを受け取った。それは思ったより重さがあり、慌ててルーピンは両手でそれを捧げ持った。
 それは重厚な造りの額縁であった。裏側から新聞紙を剥がし始めたルーピンは一瞬首を傾げたようだが、隣に再び腰を下ろしたシリウスは一人でニヤニヤと笑ってライングラスを傾けている。と、そのうちようやく包みを剥がし終わったルーピンが、額縁を膝の上に乗せて、うわっと妙に高い声を上げたのだった。

「こんな物どこで手に入れたんだい?」

 凄いと無意識に呟きながら嬉しそうに額を見つめるリーマスに、シリウスは満足げに笑いかけた。
 それは十七世紀に記された権利章典の草稿だった。正式なオークションに出品したら、天文学的な値段で落札されることはわかりきっているような品である。が、はっきり言ってシリウスには全く興味の無いものでもあった。今も健在な祖父がよく小さいころシリウスにこれが我が一族の功績を示す宝である、と嬉しそうに語って聞かせてくれたものである。

「はぁ……。流石は伝統と格式ある一族だね」

 興奮のためかやや頬を赤らめたルーピンは心底感心したようにシリウスを見上げた。母方の血筋はそうでもないが、父方は何しろ四世紀以上も続く名門家なのである。未だに没落の兆しを見せず、領地も城までも所有し維持しつづけているシリウスの一族は、国でも指折りの資産家であり、名門家なのだ。流石にその額縁の中身は屋敷に所蔵されている物の中でも一級品だが、どのみちシリウスにとってはどうでもいい品物だった。

「祖父さんに、助教授に見せるって言って持ち出してきた」

「うわぁ、よく承諾してくれたもんだよ」

 ルーピンは笑い、まったくだとシリウスも笑った。嘘でも本当でもないシリウスの言葉に、今ごろ祖父は眠れぬ思いをしているかもしれない。大事にしなきゃね、と言って額縁の表面を撫でるルーピンは、感動にか蕩けた眸で草稿を見つめている。歴史の証拠が今目の前にあるのだと思えば、その気持ちもわからなくは無い。シリウスにとってみれば、アインシュタインのノートを紐解いているような気分なのだろう。だがそれよりもシリウスにはやりたいことがあった。彼を振り向かせ、その肌に触れてみたい。彼に自分の名を、呼ばせてみたいのだ。
 ソファに寄りかかりながらシリウスは子供のように表情を輝かせて額縁を眺めているルーピンを見る。興奮とアルコールに火照った肌が黄味がかった証明に照らされてばら色に色付いている。長く優雅な細首に浮かぶ白い傷痕が、今はより一層目立って見えた。
 シリウスは手を伸ばし無防備なルーピンの首に指先で触れた。一瞬ビクッと身を竦ませたルーピンは恐る恐るシリウスを見る。困惑と題された彫像のような彼は、戸惑ったような声でブラックと呟いた。

「……リーマス」

 尚も首筋を愛撫するように指先で辿りながらシリウスが囁くと、ルーピンは顔を背け、諦めたようにため息をついて目を閉じた。秀麗な横顔には諦めとこのことを予期していたような翳が浮かんでいる。彼はシリウスに首を撫でられながらゆっくりと振り返ると、

「何、シリウス?」

 上目使いにこちらを見つめるリーマスの挑発するような微笑。シリウスはその眸に、今までに見たことも無いような誘惑と色香を嗅ぎ取って、満足げに笑った。






 初めてするキスは格別だった。ましてや相手からこれほど求められれば、言うことはあるまいと、シリウスは形の良いくちびるに優位者の微笑を刻んでリーマスを見る。ほとんど初めから深かったキスにすっかり酔ったリーマスは、目元を赤く染めて夢中でシリウスを求めている。
 もつれるように寝室へ入り、身体を押し付けあうようにして飽きるまでキスを交わした。ほとんど剥ぎ取るようにお互いの服を脱がすと、リーマスは一瞬シャワーと言うようにくちびるを開いたが、シリウスはもう待てないと言って彼をベッドに押し倒した。今までこれだけ待ったのだ、ほんの少しであっても、これ以上時間を空費するのはごめんだ。

「んっ、ああ、あっ…………」

 噛み付くようなキスを肌に受け、リーマスはベッドの上で逃げを打つ。体重を預けるようにしてそれを阻止したシリウスは、肉の薄い脚を開かせる。荒い呼吸に激しく上下する胸を舌で愛撫し、自分と同じように存在を露わにし始めたリーマス自身に指を触れた。
 それは思ったよりも熱を持っていて、シリウスは酷薄な笑みを浮かべる。今自分の下で悩ましげに眉根を寄せるリーマスの、欲望を明確に掌中にし、彼は征服欲が満たされ始めるのを感じていた。指先の愛撫に質量を増し、体液を零し始めるのが愉快で堪らない。もうすぐ名実ともに、リーマスは自分のものになるだろう。
 シリウスのくちびるが力の抜け始めたリーマスの身体を辿り、下腹部に到達する。一瞬リーマスは息を飲んだようだが、彼自身を口に含むことに、思ったほどの抵抗は無かった。

「シ、シリウス……」

 鼻にかかった甘い声で彼が呼ぶので、シリウスは顔を上げてぐったりとしたリーマスを見つめた。胸元には鬱血の後が点々と浮かび、微かに赤く脹れた胸の飾りが淫靡に濡れそぼっている。
 満足げな微笑を浮かべるシリウスは身体を起こし、リーマスの脇に手をついて彼に口付けた。

「どのくらい振り?」

 頬や目元に口付けを繰り返しながら問うシリウスを、蕩けた眸でリーマスは見上げている。彼は困ったように眉尻を下げ、

「…………わからない」

 少し尖らせたくちびるが愛らしく、シリウスは優しげなキスを贈った。リーマスも大分興奮しているのか、シリウスの背中に腕を回し、彼をぎゅっと抱き締める。密着した肌がお互いの体温を分かち合い、興奮の度合いがいや増してゆくのが自分でもわかる。
 想像以上に楽しい交合に、シリウスは笑みを絶やさずにリーマスの脚を一層割り広げた。驚いたリーマスが何か言いかけるのを制して、一気に体内に侵入する。久々の行為であるのにあまりに性急な行動に、リーマスは息を飲んで咽喉を逸らした。

「シリウス……!」

 苦しげに呻くようにして名を呼び、恨めしげに睨みつけたリーマスにシリウスは優位者の笑みを向ける。背中に回された指が思い切り爪を立てたが、奥歯を噛み締めて耐えた。圧迫に馴染み始めたリーマスの表情が緩んでいく様を眺めるのは至福であったろう。

「結構、大丈夫なもんだろう?」

 ニヤリと悪戯っぽく笑ったシリウスを、頬を膨らませてリーマスは睨み、莫迦、と呟いて背中を叩いたが、本心では満更でもないのだろう。その証拠に額に張り付いた髪を指先でよけてやると、気持ち良さそうに目を閉じてしまった。久々に受け入れる他人の体温に、自分が染まってゆくのがわかるのか、表情の変化はシリウスをより興奮させた。
 シリウスはくちびるを舌先で舐め、ゆっくりと身体を動かし始めた。濡れた赤いくちびるを見上げるリーマスは切なげな表情を浮かべている。突き上げるより引き抜かれるときのほうが快感が強いのか、鼻にかかった甘ったるい声を上げるのは、決まってそのときだ。

「あっ、いや、な、中が……」

 ほとんど意味不明なことを呟きながら、リーマスは再びシリウスの背中に爪を立てる。しかし痛覚は最早シリウスの欲望の歯止めにはならない。むしろ煽るようにシリウスを突き動かすのだ。
 リーマスはすでに理性を手離し、与えられる快楽に小ぶりの白い歯を見せながら、ただ無意識に声を上げていた。どころか、それ以上のものを得るために、自らに手を添えてしごき始める。流石にこうした肉体の行使の仕方があまりに久し振りなため、内側からの快感のみでは達することは難しいだろう。今のリーマスにとって内部の刺激は、快楽とほぼ同等の疲労を強いている。彼をこれほど興奮させるのは、むしろシリウスに抱かれているというその意識だ。
 錯綜する苦痛と官能に涙を零し始めたリーマスの耳に、染みるような優しい呼びかけが届く。無意識に目を開いた彼は、驚くほど美しい微笑を湛えたひとを見た。

「リーマス、愛してるよ」

 甘く鮮やかな毒を注ぎ込むように囁いたシリウスは、尊崇するように自分を見上げるリーマスに微笑んでキスをした。
 くちびるに受ける甘い動作に、リーマスは目をぎゅっと閉じてシリウスに抱きついた。男らしい無駄の無い肢体が自分を包むのを感じて、今までに無い安堵感を覚えた。

「シリウス、ぼくも、ぼくも君が……」

 柔らかなくちびるが愛情を注ぎ込むようにリーマスのそれを覆う。シリウスの愛情に夢中で応えながら、リーマスは未だかつて知らないほどの幸福感に満たされていった。






 シリウスがバスルームから出てくると、すでにリーマスはベッドで寝息を立てていた。足音を立てないようにそっと近付いてベッドに潜り込む。借り物のパジャマを着たリーマスは、どうやらシリウスが出てくるまで待っていようとして挫折したらしい。ヘッドボードからずり下がるようにして眠っているリーマスを起こさないようにベッドに入らせ、その髪を梳いてやった。
 疲労の陰のあるリーマスの表情はだが、満ち足りて眠る子供のそれで、シリウスは見る者によっては愛情深くも傲慢にも見える微笑を浮かべた。
 リーマスは何の疑問も抱かずにシリウスのものになった。それまでの過程を考えると、驚くほどあっけない陥落だった。だが得たものは大きい。初めて抱いた男の身体は、信じられぬほど良いもので、それは多分相手がリーマスであったからこそだろう。なるほど、あの父が執着しただけのことはある。
 シリウスは指の背で健やかな寝息を立てるリーマスの頬を撫ぜる。今夜のあのリーマスは、普段の枯れたような様子からは考えられぬほどの色香を放っていた。姿態をくねらせる妖艶な様は、或いはあの父に仕込まれたものか。そう考えると、シリウスは思わず咽喉の奥で小さく笑った。見事なものだと思う。あれほど男の欲望をそそるものはそうは無いだろう。
 シリウスはベッドサイドの明りを消すと、ベッドに横になってリーマスを抱き寄せた。疲労のせいか深い眠りの中にいるリーマスに目覚める気配は無い。髪に鼻先を埋めると、シャンプーの爽やかな香りがした。
 リーマスを手に入れるという目標は達せられた。ならば次の目的は、彼を自分にいかにして永遠につなぎとめるかというものだ。そして可能な限り、この身体からあの男の気配を追い出し、シリウスの色に染める。
 リーマスは今まででは考えられぬほどシリウスに執着と独占欲を覚えさせる。他の誰の手も触れぬように、過去のことをなど二度と思いださないように、彼の全てを奪い尽くしたいと思う。それは傲慢で不遜な欲望であったが、シリウスはそれがリーマスに対する愛情だと思っている。そう、シリウスはそれがどんな間違った感情であれ、確かに彼を愛しているのだ。
 考えただけでも愉快な未来図に、シリウスは薄ら笑いを口許に浮かべた。彼は眠るリーマスを抱き締めながら、何より彼に似合う酷薄な美しい微笑を浮かべ、

「リーマス、愛してるよ……」






〔END〕





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何だか新手のストーカーのようなシリウスでごめんなさい(汗)。
どうやらシリウスの両親は、母攻め父受けだったよう。
もし若き日の父とシリウスがいたら、リーマスは苦悩の嵐でしょう。
でもそれ以前に二人に襲われて色々大変でしょう。
シリウスは独占欲で、父は二人への嫌がらせに。
もてる男は辛いねぇ(笑)。






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