『約束は店じまいのあとで』
「まいったなー」
万事休す、とでも言いたそうな沈んだ声を出して山本は夜空を見上げた。町の明りで星はさほど見えないが、良く晴れ渡った空である。並盛町は真冬に少し山へ分け入れば、絶好の星見スポットがあるという話は嘘ではあるまい。ずいぶん前にその話をしてくれた天文部ののんきな顔を思い浮かべ、山本は彼らしくもなく盛大にため息をついた。
山本が雲雀を探し始めてすでに四時間になる。しかし一向に彼の足跡は掴めず、いくら体力のある山本でも疲労の色は隠せない。いい加減空腹でもある。だが、それよりむしろ精神的な疲れのほうが深刻だろう。
「おっかしーな」
言いながら携帯電話を取り出すも、傷だらけのディスプレイには着信履歴も新着メールのお知らせもない。相変わらず電子機器は雲雀との橋渡しにはなってくれないようだ。
山本が雲雀を誘ったのはもう一週間も前の話だ。クラスの女子のあいだで話題となっていたゲームとコラボした企画カフェの出店があるから一緒に行こう、と。山本は何度もそう雲雀を誘ったし、メールも毎日一回は送った。今朝だって授業が終わったら迎えに行くとメールした。しかし帰りに寄った応接室に雲雀の姿はなく、電話も沈黙したままである。
思えば雲雀は一度も山本の誘いに返事をしなかった。承諾もしなければ拒否もしなかった。だからいつもどおり勝手に承諾と受け取ったのだが、今回だけは違ったようだ。学校中探しても雲雀の姿はなく、念のために一度家に戻って着替え、時間を置いて再び学校に戻っても事態は変わらず。雲雀の家に行ってみても、彼の行きそうな場所を探してみても、どこにも姿はなかった。
「やっぱ嫌だったのかな」
くちびるを少しだけ尖らせた寂しげな表情で、山本は一人ごちる。ズボンのポケットに両手を突っ込み、無意識に視線を地面に向けた姿はおおよそ彼らしくないが、それだけ残念でならないのだ。山本は今日のことをとても楽しみにしていた。女子のあいだで人気があるらしいゲームのことはよくわからないが、それに出てくる猫のキャラクターは気に入っていた。実家の寿司屋の常連客がくれたストラップで初めて見た猫のキャラクターは、どこか雲雀に似ていて、山本はすぐに気に入ったのだ。それからというもの、街でその猫のキャラクターグッズを見かけると、つい手が伸びた。その愛くるしい猫の絵をあしらったプラスチックの栞を見つけて、雲雀にプレゼントした。山本自身は栞を必要とするような本を読まないが、雲雀はよく本を読んでいるから。雲雀はあれで案外小さな動物が好きで、栞も無言で受け取った。その後、彼が山本のあげた栞を使っているのを何度か見かけたので、気に入ってくれたのだと思ったのだが、山本の勘違いだったのだろうか。てっきりそうだと思い込んだからこそ、山本は今回の企画カフェの出店を知って、雲雀を誘ったのだが……。
再び携帯電話を取り出し、ディスプレイを開く。右上に表示された時刻は20:07だった。もうラストオーダーも終わってしまった。
「あー……」
疲れた声を上げて山本は天を仰いだ。見慣れた空に電信柱と電線が見える。何気なく周囲に目をやると、そこはいつもの通学路だった。どうやら無意識に学校を目指して歩いていたようだ。
回れ右をして帰ろうかと思ったものの、山本の足はそのまま学校に向かい続けた。特に何か予感があったわけではない。もしかしたら草壁か、あるいは風紀委員の誰かに会えるもしれないから、と言い訳半分に思ったからだ。
いつもとは逆に暗い通学路を辿る山本の足は重かった。トボトボとした彼の足取りは山本の今の心境を見事に映しており、学校が近付くほどに歩幅は狭まった。その足がふいに完全停止した。しかし足の動きに反し、山本は上半身を伸び上がるようにして正面を見つめていた。暗い校庭に影を落とす校舎に、明かりが灯っている。見間違えるはずもない、そこは応接室のある窓だった。
そのことに気が付いた瞬間、山本は駆け出していた。それまでの疲れなどまるで感じさせない力強く躍動的な走りで、一目散に校舎に駆け込む。いつ息をしていたのかさえ自覚せず、山本は玄関に駆け込み、靴を脱ぎ捨て、廊下を走り、二段抜かしで階段を駆け上る。心臓の音を耳元に聞きながら、山本は三階の奥にある応接室に駆け込んだ。
「ヒバリッ!?」
扉を開くと同時に叫んだ山本の視線の先に、いつもどおり窓を背にして執務机に着いた雲雀の姿があった。書類に視線を落とし、鉛筆を走らせている。肩で息をする山本にようやく気付いたようなわざとらしい様子で雲雀は目を上げ、いかにも非難がましい視線を寄越した。
「ノック」
自分はノックなどせず問答無用で部屋に乱入するくせに、雲雀は風紀委員らしい注意をする。それが実に彼らしく、自然と山本は苦笑を浮かべていた。約束をすっぽかされたことも、否、そもそも約束をしてくれさえしなかったことも、もうどうでもよかった。雲雀の机の端に乗った読み止しの本に、彼があげた栞が挟まっていたから。
荒い呼吸を整えながら苦笑を漏らす山本を見つめていた雲雀は、不意に視線を上方に向けた。つられて山本が同じ方向を見ると、壁の高い位置にかかった時計が見えた。時刻は20:19を示している。
「……頃合いだね」
「ん?」
小首を傾げる山本を無視して雲雀は立ち上がる。椅子の背に掛けてあった学ランを羽織り、山本のほうへとやってきた。
「行くよ」
すれ違いざま掛けられた声に山本は驚いた。
「行くって、どこに?」
問答無用で歩き出す雲雀を追いながら問いかけると、横目でギロリと睨まれた。しかし今度は無視されることはなく、
「行くんだろ、猫の店」
猫の店、と聞いて山本の脳内に今日の約束が甦る。しかし店はあと10分程で閉店だ。学校からは走っても15分はかかる。どうあっても間に合わない。
それを告げようとする山本を制し、雲雀が口を開いた。
「オーナーに連絡してある。君は僕が群れだらけの店に行くと本気で思ってたの?」
わざわざ足を止めて振り返り、片眉を吊り上げて問いかける雲雀の口調はさも小馬鹿にしたようだ。しかしその発言内容は、山本を満面の笑顔にさせる強大な力を有していた。
無邪気な喜びに満ちた蕩けるような愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべ、山本は雲雀を抱きしめようと腕を伸ばした。しかし予期していたものか、雲雀は見事にその腕を掻い潜る。それでも山本の上機嫌は崩れなかった。
「へへっ、ありがとな!」
「……行くよ」
何故か不機嫌な様子になった雲雀の言葉に、山本は大きく頷いた。雲雀のあとに続いて廊下を進む彼の足取りは軽い。これから二人は閉店して誰もいなくなったカフェに行く。二人の他に誰もいない、愛くるしい猫の店に。
〔おしまい〕
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