Act.4 イン・ザ・バスルーム






 リーマスがうたた寝から目を覚ましたとき、まだ外は明るかった。夏の時期この国の日照時間は殊のほか長い。開け放った窓からは、閉じたカーテンを揺らしながら心地良い風が入ってくる。
 汗ばんだ肌をシャワーで洗い流したくて、リーマスは睡魔を振り払って身を起こす。どうにも腰が重い。隣には自分の腕を枕に気持ち良さそうに眠るシリウス。この絶倫男め、と頭を小突いたが、起きる気配は無かった。
 よろよろと向かったバスルームで、リーマスはシャワーブースの曇りガラスのドアを開けた。この家で二番目にシリウスのこだわりが反映されたバスルームは、シャワーブースと浴槽が別になっている。トイレと洗面所も別であり、ここは真に入浴のためだけの部屋となっているのだ。
 一番拘った部屋はオーディオルームだ。相変わらずメカオタクのシリウスは、マグルの製品が大好きで、今は特にテレビだのステレオだのレコードだのに夢中になっている。もちろん、車やバイクは別格の話だ。
 これだから金持ちは嫌だ、とリーマスは今にもバキボキ音を立てそうな腰をだましながらシャワーのコックを捻った。いつかアレを鋏でちょん切ってやろうか。それとも一服盛って、女にでもしてしまおうか。そんな他愛ない想像で溜飲を下げるリーマスの肌の上を、温めに設定した湯が流れて行く。外国製の石鹸はいい香りで、益々嫌味だとリーマスは思った。
 すっかり身体を洗い終えると、ほっと一息つけた。これでシャーベットでもあったら最高なのだが。しまった、さっき来る前についでに買っておけばよかった。何か果物でもあるだろうかと悩むリーマスの背後で、誰かがガラス戸を叩いた。

「おお、いいにおい」

 返事も待たずに入ってきたのはもちろんシリウスだ。何だよと不機嫌になるリーマスなど気にもせず、後ろ手にドアを閉じた。

「邪魔だろ、狭いから出てけよ」

「あのなぁ、ここは俺の家だろうが」

「ぼくが先に入ってたんだ」

「一緒に入ればいいじゃねーか」

 嫌に突っかかるリーマスの肩に手を置いたら撥ね退けられてしまった。腹でも減っているのだろうか。リーマスは空腹になるとすぐに機嫌が悪くなる。しかしこんな場面でそんな風に頬を上気させて拒まれても、逆効果でしかないのだが。
 そこでシリウスはわかった、とリーマスに人差し指を立てて提案する。

「オレンジが冷えてるから、食っていいぞ」

「………………」

 リーマスはむっつりとしたままだが、瞬きの回数が多くなったことにシリウスは気づいていた。畳み掛けるなら今だ!
 シリウスはわざとゆっくりリーマスの顔を覗き込む。

「……あとでレモネード作ってやるよ」

 やはりリーマスは無言で、暫くシャワーの音だけが辺りに響いていた。やがてリーマスはぽつりと口を開き、

「ソーダ割の方がいい……」

「あ〜、ペリエで良ければ。蜂蜜入れて」

 うん、と頷いたリーマスに、内心シリウスは勝ったと人の悪い笑みを浮かべたのだった。






 洗ったばかりなのにな、とリーマスは首筋にキスを受けながらぼんやりと思った。シャワーでキスの音はかき消され、水の跳ねる音だけが響く。湯よりも高いシリウスの体温にのぼせそうで、リーマスは大きく息を吸った。
 濡れた手が背中を這いまわり、白く頑健な歯が咽喉仏を齧る。ため息に似た声を漏らし、リーマスは湯が流れを作るシリウスの背中に腕を回した。野性的なバネを感じさせる筋肉。浮き出た肩甲骨を撫でると、シリウスが笑ったのが気配でわかった。

「……あ、首に痕付けるなよ?」

 思いついて上半身を離したリーマスに不満の目をシリウスは向ける。服から出る部分は駄目だと先ほどから煩い。

「あとで消してやるから、いいだろ?」

 白けること言うなよ、とシリウスはぼやく。他人事だからいい気なものだ。それならとリーマスは口許に意地悪な微笑を浮かべ、シリウスの顎を捕らえた。

「なぁ、顔ってキスマークつくのかな?」

 ちゅっと眦にキスを落す。瞼か頬くらいなら、鬱血させられそうである。

「あとで消してやるからさ」

 そう囁くとわかったよ、とシリウスは首筋にキスマークをつけることを諦めた。リーマスはやると言ったら本当にやる男だ。カキ氷の三杯一気食いでも、集中豪雨のハイキングを雨天決行の強行軍でも、ノーロープ・バンジージャンプ・デスマッチでもやりかねない。顔面にキスマークくらいニヤニヤ笑いながらやり遂げるだろう。昔から変なところで頑固だからな、とシリウスはため息をついた。

「あ……、お湯、入らないかな……?」

 荒くなってきた艶やかな声で切れ切れにリーマスは言う。シリウスの指に優しく押し広げられて思いついたらしい。どうかな、と呟いたシリウスは楽しそうである。背中に腕を回し、肩に顔を埋めるリーマスは優美に背をしならせる。シリウスの長い指を飲み込んだ部分は、数度にわたる情交に蕩けており、今更解きほぐす必要は無いだろう。それでもシリウスは丹念にそこを愛撫する。時折頬や額にキスしてやると、リーマスは甘いため息をついて腰を擦り付けてきた。
 硬いものが当たる感触にシリウスはくちびるを舐める。素直な反応が喜ばしい。普段からこうならいいのにな、と考えていやいやと自分で反論する。普段からこうではつまらない、こういうときだけだから面白いのだ。

「シリウス…………」

 鼻にかかった甘ったるい声が耳元をくすぐる。柔らかいくちびるが耳朶を食み、舌が耳の縁を辿った。ゆりゆると動く舌はそれ自体が何か意志を持った生き物のようで、シリウスは何故かギリシャ神話のメドゥーサを思い出した。
 リーマスの体内に埋めた指を無理のないように動かしながら、シリウスはそろそろかと思考をめぐらせる。リーマスは喘鳴に似た息を漏らして尚もシリウスを呼ぶ。背中に縋った指が爪を立て、鈍く焼けるような痛みにシリウスは片目を閉じた。
 キスが欲しいと無言でねだるくちびるは愛しいと思う。顎のラインを辿ってきたくちびるに軽くキスしてやると、リーマスは大きく息をついた。小声でもっとと囁かれ、言われた通りに深く口付ける。差し入れた舌はすぐに強く吸われ、シリウスは目を細めた。美しい歯並びを裏から舌先でなぞり、薄いが適度な弾力のあるくちびるを食む。肉が薄すぎて尖り気味の顎に歯を立てると、リーマスは悩ましげに眉根を寄せた。
 普段は血の気の薄い頬も、今は幼い子供のように朱く染まっている。シャワーとシリウスの所為か。なるほど、これならキスマークもつきそうだ。

「……リーマス、ちょっと、むこう向け」

「え……?」

 すうっと指が引き抜かれる感覚にリーマスは身震いし、恨めしげにシリウスを睨んだ。いいから、と呟くシリウスの大きな手に促されて、渋々リーマスは壁を向く。クリームホワイトのタイルに手をつくよう示され、億劫ながらもそれに従った。……ああ、そうか。こうすれば、安定するのか。
 二人して濡れた床に足を滑らせ転倒するシーンを想像し、リーマスは一人で忍び笑いを漏らした。もし本当にそんなことになったら、目も当てられない。

「何笑ってんだよ……?」

 吹き込むように耳元で囁かれた言葉にリーマスは身を竦めたが、嫌な感覚ではない。いつの間にか腰に添えられた掌に、はっと息を飲む。

「あっ…………」

 思わず息を止めたリーマスの身体は、夢見るほどに心地良い。先端から徐々に圧迫が押し下がる感覚に、今度はシリウスが息を飲んだ。関門さえ突破してしまえば、中は広く柔らかい。この感覚を、リーマスはどう受け取っているのだろうか。

「リーマス」

 耳の後ろにくちびるをつけて直接響くような声に、リーマスはただ肩で息をした。擦れば骨の数でも数えられそうな腰を辿り、リーマスの欲望を愛撫する。それに合わせて腰を動かすと、くっとリーマスの咽喉が鳴った。タイルについた腕が微かに震える。肘を上げているのが辛そうな雰囲気だ。試しに内側を抉るように腰を動かしたら、悲鳴を上げてタイルに肘をついてしまった。項垂れた首の根元に、頚椎が浮かぶ。垂れた頭の、濡れた髪の先から雫が零れ、シリウスは満足げに微笑んでその首筋にキスを落す。肩口から生え際へ、そして再び肩口へ。
 行き来する柔らかい感触にリーマスは荒い息をついた。薄い舌先が熱の線を描き、もうシャワーの音も耳には入らない。腰に血が集まってゆくのが自分でもわかる。ぎゅっと瞑った目には闇すらも映らず、貧血を起こすのではないかと不安になった。でもまぁ、倒れても後ろのこの男がどうにかしてくれるだろう。

「ああ、駄目だ、それは、でも……」

 無意識に口をついて出た言葉には意味が無く、リーマスはキスが欲しいと思った。胸元を這う掌より、自身を愛撫してくれている指より、あのくちびるが欲しい。広い肩幅の頼もしい胸に縋り、深く口付けて欲しい。脳裏にはシリウスのくちびるが容易に描き出せる。きっと食べたらさぞや美味いだろうな、とリーマスは妙なことを考えた。
 遠いような辛いような下半身の感覚。自分の今している行為からリーマスの思考は切り離される。愛情表現の最大のものは、相手を食べることにあると何かで読んだ。カニバリズムの基本は、胸、頬、そしてくちびる。でもこのままなら、食べられるのは自分の方かもしれない。あるいはそれこそ、極上の快楽ではないか。
 酷く甘い声がどこかでするが、それが自分の声だとリーマスが自覚することは容易ではなかった。段々と激しく背後から突き上げられ、熱くたぎった楔が先端近くまで抜かれてしまう度に、危険な波が背筋を駆け上る。ほとんど獣めいた声をあげる自分を恥かしいとは思わない。あの少し汗ばんだ掌に翻弄され、はしたない欲望を少しずつ漏らすリーマスの様を、シリウスは嬉しいと言った。いや、ひょっとしたら楽しいだったかもしれない。
 どちらにせよ、今更隠し立てするようなことではないし、彼になら見せてもいいのだとリーマスは理解している。だからつい自分から腰を動かしてしまいそうになっても、それは仕方の無いことだ。できればあの雄弁で不機嫌なくちびるで、もっと愛撫してもらいたい。
 先ほどのベッドの中でのように、膝の裏にも、腰にも、全ての部分に口付けが欲しい。それなのに今自分の指先が感じるのは無機質で冷たいタイルの表面だけ。それがもどかしくてリーマスはくちびるを噛み締める。背後からでさえなければ、リーマスだってもっとシリウスを楽しませてやれるのに……。

「ぁっ、…………」

 我知らず、リーマスは咽喉を反らせ、声にならぬ悲鳴を上げた。首に立てられた歯に、押し止められていたものが解き放たれる。無意識に身体に力が入り、背後のシリウスが何か声を上げた。体内に熱いものが流れ込む感覚はいつになっても慣れることは無い。タイルについた腕にも自然と力が篭り、リーマスは視界の端に神に似た何かを見たような気がした。
 余韻を楽しむ間も無くズルズルと崩れ落ちる身体をシリウスは慌てて抱き止めてやる。床のタイルの上に座り込んだリーマスの目は、何かを探すように中空を彷徨っていた。

「……リーマス?」

 声に誘われたようにふとシリウスの顔に目が止まる。リーマスは半分意識が飛んだような妖艶な微笑を口許に刻み、上向いて目を閉じた。魅入られるようにくちびるを寄せたシリウスは、貪るように口付ける。今解放されたばかりの欲望とは違う何かを分け合うような口付けを、二人は長い間やめることができなかった。






〔end〕





〔テラス〕







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あれ、なんかあんまり濡れ場を書かないでいたら、書き方がわかんなくなってしまったぞ??
まぁ、いいか(笑)。
とりあえず折角なので付け足してみました。
蛇足にしかなりませんでした☆
このあとリーマスは自分の予想どおりのぼせました。
シリウスは約束どおりレモンスカッシュを作ってくれました。



















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