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冬の気配がすぐそこまで近付いてきたころのこと、じじばかディーノは相変わらず料亭『竹』で管を巻いていた。
庭の眺めのいい一室に部下を引き連れて上がり、芸者も幇間も一通り呼んだディーノは宴に厭きたのか、様子を見に現れた山本を目ざとく見つけた。ディーノは山本を自分の隣の席に呼び寄せ、
「山本、最近恭弥のやつ見かけなかったか?」
還暦はとっくの昔に突破しているはずなのに、17歳の山本とせいぜい10しか違って見えない奇妙な親分は、半泣き状態である。またボスのじじばかが始まった、と部下たちは敬愛を込めてからかった。
「いやぁ、最近はめっきりっすね」
さりげなくディーノの盃に酒を注ぎつつ、山本は正直に答えた。雲雀が最後にこの店を訪れたのは、秋の初めのことだ。もう随分と前のことである。あの日も姿を見せたのは久々だったが、これほど長い間音沙汰が無いのは初めてのこと。
「そうか、ここにも来てないのか」
並々と注がれた盃を空け、ディーノは深いため息をこぼした。彼もまた、可愛い孫の姿を、ここのところずっと見かけていないのだ。
「何かあったんすか?」
ディーノの愚痴を装った孫のろけはいつものことだが、今日の様子はいささか違うように山本には思えた。普段ならばどこかでれっとした雰囲気での語り口なのに、今日は戸惑いがあるように感じる。雲雀は祖父のディーノにも秘密主義を貫いているらしいが、度量の広い跳ね馬組の親分は、今まで一度としてこんな様子を見せたことは無かった。
「まぁ、お前には話しておいたほうがいいかもな……」
快活なディーノには珍しく、思案する様子で彼は語り始めた。
雲雀が家に帰ってこないのはいつものことだった。幼い頃に心身の鍛錬のためにもと木刀を持たせて以来、雲雀は二刀流の悪魔と怖れられる存在となっていた。その彼は長ずるにつれて一匹狼の性癖が強くなり、自宅にさえあまり寄りつかなくなったのである。
だがいつもならば月に一度は必ず戻ってきたし、誰か風紀組の部下が彼の居所を教えてくれたものである。それでなくとも、雲雀の標的となった哀れな群れが酷い目にあったという話が聞こえてきていた。ところがここのところ、それがぱったり止んでしまっているのである。これはおかしい。
「明らかに変だろ? だからあいつの部下の草壁に問いただしてみたんだが、話すわけにはいかないの一点張り。なぁ、ロマーリオ」
ディーノが声を上げると、少し離れた席で幇間と何やら盛り上がっていた髭の部下は、盃を掲げて肯定を示した。
「まったく、ヤクザに尋問されても口を割らねえなんて、恭弥のやつもいい部下を持ちやがって……」
へへへっと笑って鼻の下を擦ったディーノだが、この程度の孫のろけは日常茶飯事なので山本は意に介さなかった。
「それで、足取りは全くの不明なんすか?」
身を乗り出した山本に、そうでもねぇとディーノは苦笑した。もとより雲雀の右腕とされる草壁がこの町にいるならば、そう遠くへ行ってしまったわけではないだろう。ならば跳ね馬組の威信にかけても探し出すのがディーノという男だ。
「どうにか恭弥の居所は掴んだんだが、それがちょっと妙なことになっててな」
ディーノは眉尻を下げ、困ったように山本を見つめた。
雲雀の居場所は長い探査の結果、どうにか判明した。ところが奇妙なことに、彼は日本橋の商家の手代になっていたのである。店の名前ははす家。店主は異国人の血を引く馬阿図鳥左衛門 ばあず・とりざえもん である。馬阿図などという珍妙な名前をわかりやすく屋号にしたため、『はす家』となったものらしい。現在の当主は三代目であり、海鮮問屋を営む老舗である。
「はぁ、それまた何で?」
思いがけないディーノの言葉に、さしもの山本も困惑の声を上げた。なるほど切れ者揃いの跳ね馬組の組員が、なかなか見つけられないはずである。あの群れ嫌いの雲雀が、何をどうして海鮮問屋の手代になどなってしまったのだろうか。もしかして川べりを散歩中に苔のついた石に滑って転んで、記憶を失っていたりはしないだろうか。そのくらい雲雀と海鮮問屋の手代はそぐわないものだった。
「そうだろう、お前もそう思うだろ!?」
山本の同意がよほど嬉しかったのか、ディーノは高い声を上げて盃を膳に叩き付けた。彼にもわけがわからないのである。もとより雲雀はわけのわからない子供だったが、それでも彼なりの仁義や行動様式はあったのに、今の雲雀にはそれが全く感じられないのだ。お小遣いが欲しいなら言ってくれればいいのに、とディーノは呟いたが、それは違うだろうと突っ込む山本ではなかった。
「でもまぁ、真面目に働く気になったんなら、いーんじゃないっすかね?」
やはり動揺を隠し切れないのか、困惑気味の口調だったが、同じく動揺中のディーノは突っ込まなかった。
「ううむ、やっぱ父母が恋しいのかな。日本橋だし、海鮮問屋だし、そう言えばあいつの親とは商売仲間だったはず。だからって、偽名使ってまで入りたくなるもんかな」
「偽名? 何て名乗ってんすか?」
「六道骸」
物凄い偽名である。そんなバレバレな名前で、採用する方も採用する方だ。流石に心の中で突っ込んだ山本であったが、ディーノの心配はそこではなかった。彼はいきなり山本の肩を掴んで引き寄せると、
「問題は馬阿図の野郎が有名な男色家だってことなんだよ!」
「は?」
「あの野郎、裏じゃ有名な変態で、可愛らしい美少年を捕まえては、いやらしいことしてはぁはぁ言ってる変態なんだよ! 別に男色も美少年好きもいいさ。同意の上でラブラブするならオレだって野暮なことは言やしねぇ。だけどな、その可愛い子供に怪我させたり、泣き喚かせたりして興奮するようなヤバイやつなんだぜ!?」
必死になって憤慨するディーノは、どうやら色々残虐な目にあわされる孫を想像してしまったらしい。雲雀に限っては、逆に店主を血祭りに上げる可能性のほうがはるかに高かろうに。
「そりゃあ恭弥は美少年さ! ちっちゃいころのオレにそっくりさ!!」
全然似ていない。それとも自分が美少年だったことを暗に自慢したいのだろうか。しかし山本が突っ込む間も無くディーノの心の叫びは続く。
「だけどいあつはまだ18になったばかりで、岡場所に通うよりも友達とつるんで悪さする方が楽しいような、まだまだ子供だってのに……!」
酔いが回っているのか錯乱状態のディーノは頭を抱えて泣き出した。祭に出店しているテキ屋からショバ代を巻き上げたり、番屋に賄賂を送って丸め込んだりするようなのを『友達とつるんで悪さする子供』と言い切れるあたりが物凄い愛情だ。だがディーノが話している相手は他の誰でも無い山本である。父一人、子一人で育った彼にはディーノの心情がよく理解できる。
数々のディーノの突っ込みどころ満載発言にも動じず、山本は感動して拳を握り締めた。
「大丈夫っすよ! ヒバリにも何か考えがあって……」
行動しているに違いない、と請け負おうとした山本が言い終わる前に、小気味良いほど大きく鋭い音を立てて、部屋の襖が開かれた。
「ボス、てえへんだっ!!」
スパーンと音を立てて襖を開いたのは、ハードモヒカンのイワンだ。部屋中の視線が一気に集る中、
「どうした、イワン!?」
肩で息をするイワンにディーノが鋭く呼びかける。百戦錬磨の跳ね馬組の子分が、些細なことでこんなに慌てるはずが無い。呼びかけられたイワンは一度大きく息を吸って呼吸を整えると、
「はす家が、はす家が燃えてやがる!」
「何だって!?」
あまりにも思いがけない事態に、その場にいた全員が叫んでいた。
夜を迎えて群青になり始めた空を紅蓮に染めて、はす家は燃え上がっていた。
イワンの報告を受けて山本、ディーノ、そして跳ね馬組の部下たちが駆けつけてきたとき、はす家の周囲には人だかりができていた。火事見物の物見高い人々と、消火活動中の火消したち。そして彼らを巧みに制御している風紀組の少年たち。
「何てこった、一体何が起こったんだ!?」
炎上するはす家を見上げ、額に手をやりながら困惑を口にするディーノに、山本は火事場のすぐ傍を指差して叫んだ。
「あそこにヒバリが!」
「なにっ!?」
言うと同時に駆け出した山本の後をディーノたちが追う。野次馬を振り払おうと踏み込んだ山本の前に一人の男が立ちはだかった。
「草壁!」
山本の背後のディーノが声をかけるまでもなく、男は一礼して道を開けた。目ざとい彼は山本らの姿を見つけ、わざわざ人垣を割ってくれたのだ。
見物客の文句を背中に受けながら山本たちが火事場へと駆けつけると、火の粉の降りかかるような至近距離に雲雀は立っていた。そして彼の足元には、最早顔の判別が不可能なほどボコられた男の姿が。
「やぁ」
駆けつけながらも呆気に取られている男たちに雲雀は気の抜けた、気だるげな声をかけた。
「恭弥、おまっ、これは……!?」
一体何から問いただしていいのかわからず、ディーノはしどろもどろに口を開いた。対する雲雀は落ち着いたもので、祖父の動揺を面倒くさそうな視線で一撫でしただけだ。
「……無事か?」
一先ずは孫の無事を優先したディーノに、雲雀は無言で肩を竦めて見せる。頬にすすが付いている他、外傷らしきものは見当たらない。着物や手に握った二本の木刀に付着しているのは、足元に転がる男の帰り血か。
皆の視線に気付いたのか、雲雀は足元の男を蹴り飛ばした。
「あなたにあげる」
「へ?」
思いがけない、むしろ意味不明な申し出にディーノは声を上げた。それはそうだろう、孫の安否を気遣っていたら、何故か突然虫の息の男を託されたのだ。しかし相変わらず雲雀はそんな他人の困惑に頓着しない。彼は真っ直ぐ山本のところへやってくると、無造作に二本の木刀を押し付けた。
「え?」
今度は山本が声を出す番だったが、やはり雲雀はそれを無視した。彼は祖父を振り返り、
「あなたの息子夫婦を殺すよう取り計らった犯人」
雲雀は顎で虫の息の男を指し示す。
「はす家の店主。自分が一番になるのに邪魔だったんだって」
「何だ、と……!?」
ほとんど面倒くさそうな雲雀の発言に、見る見るディーノの顔色が変わる。今やその場にいるのはじじばかなディーノではなく、復讐に燃える跳ね馬組の組長だ。そして周囲を取り囲むのは、彼の信頼する部下、部下、部下……。
「じゃあ、後始末は頼んだよ」
「おい、恭弥!」
去りかけた孫を祖父が呼び止める。訊きたいことが山ほどあり、言いたいことも山ほどあった。だが雲雀にそれを聞いてやる気は無く、
「おじじ、詳しいことは風紀の人間に訊いてくれる」
雲雀が視線を向けた先で、草壁が恭しく一礼した。
番屋には根回ししてあるから、そう言い置いて雲雀は歩き出した。小さなあくびと共に。するとディーノは見る見る泣きそうな表情を浮かべ、
「恭弥、まだおじじって呼んでくれるのか……!!」
感極まり、これ以上は無いというほどやる気をチャージしたディーノを、雲雀は振り返らない。彼が足を向けた先の人垣が割れて道ができた。風紀組の部下が命ずるまでもなく、恐れをなした人々が逃げ出した結果だ。しかし雲雀はふいに立ち止まり、背後を振り返った。視線に先にいたのは、呆然としたままの山本だ。
「……おいで」
猫の子を呼ぶように雲雀は呟き、赤い手を差し伸べて山本を誘ったのだった。
一刻後、雲雀は料亭『竹』の離れにいた。風呂を借り、返り血やすすを落とし、さっぱりとして気が緩んだのか、物憂げに頬杖をついている。本当はもう三番町の自宅へ帰ってもいいのだが、とやかく追求されるのが面倒なのか、まだ帰る気は無いようだった。
「待たせたな」
祝いの酒を持って部屋にやって来た山本を、雲雀は眠そうな目で一瞥した。風呂に入ったせいか頬の上気した雲雀は、いつにも増して美しい。
「親の敵が見つかってよかったな」
山本は笑い、雲雀に盃を差し出した。
「別に。そんなのどうでもいい」
照れ隠しではなく、本当に興味の無い様子で雲雀は呟いた。山本の酌を受けて飲み干したこの酒も、どうやらその代金は、ついさっきはす家からぶんどってきたもののようだった。あからさまに無理矢理屋号を消した跡のある千両箱を無造作に寄越し、当面の酒代としたのだ。千両箱の表面は煤けており、疑うべくもなくはす家のものだろう。
雲雀は自分の縄張りを広げ、ついでに軍資金を得るためにはす家を再起不能に叩き潰しただけ。と言っても、わざわざ偽名を使って自ら乗り込み、昼日中に店に火を放ってみせたのは、明らかに意趣返しだ。はす家が父母の敵と知ったのは後ことだったのかもしれない。どちらにせよ、彼には大義名分がある。雲雀にとっては一石二鳥のことだった。
そうかと笑って納得したまま盃を重ねる山本に、今度は雲雀が声をかけた。
「言うことはそれだけ」
「ん?」
むしろ機嫌のよさそうな山本に、盃を置いて雲雀はにじり寄った。肩と肩が触れ合う間合い。久々に見る雲雀の美貌が間近に迫り、山本は困ったように、けれど嬉しさを隠そうともせずに彼のほうに身体を向けた。
「知ってるんでしょ」
「何を?」
「はす家のこと」
物憂げに雲雀は山本の肩に頭を凭れた。甘えるような仕草であり、確実に息の根を止められる間合いでもある。気だるさの中に潜む殺気が、麝香のように山本を興奮させた。
「まぁ、ちょっとだけ」
盃を置いて軽い口調で言い、逆に山本は身体の力を抜く。相手の警戒心を削ぐには、闘う構えを見せないこと。しかし付き合いの長い雲雀はそんな山本の受け流す体勢をものともしない。
「僕が情報を聞きだすために、はす家と寝てたと思わないの」
嫉妬心を煽るような声音だったが、それがかえって山本はおかしく、彼は本気で笑い飛ばしていた。
「まっさか! アンタがそんなまどろっこしいことするわけねーって」
山本は腹の底から笑い、雲雀の言葉を頭から否定した。彼の知る雲雀ならば、智謀を巡らせてはす家を操り、情報を引き出すか、例の木刀で好きなだけボコって白状させるだけだ。拷問は雲雀の得意技。わざわざ自分の身を危険にさらして、はす家を篭絡する必要などどこにもない。
雲雀の身の清浄さを信じて疑わない山本。根拠などどこにもない。ただ彼は、雲雀を信じている。
明るく笑い飛ばす山本に、雲雀はふっと微笑を浮かべた。幼い頃から変わらず一途に彼を恋い慕う男。雲雀は自然な微笑を浮かべ、山本の首に両腕を回して抱き寄せた。
「……君は本当に面白い男だね」
鼻先の触れ合う距離で囁くと、雲雀は目を閉じ、同じように微笑を浮かべる山本に甘えるようにくちづけた。
〔了〕
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初の山ヒバキリバン大変お待たせいたしましたーっ(土下座)!!
ええと、『山ヒバ+ディーノで、ディーノはおじいちゃん的ポジション』とゆーことでしたので、
いっそほんとに雲雀の祖父ちゃんにしてみました☆
ディーノに溺愛され、山本にはもっと溺愛されてる雲雀です。
この山本は、全く何も悩まずにひたすら雲雀ラブです。
何気に雲雀もかなり山本が好きです。
多分ラブラブです。
多分。
しかし、この題名だとまるでディーノの話のよーだ(汗)。
ちなみにディーノの嫁さんの名前は『いくさん』です。
もちろんです。
またいつも通り何か間違っちゃってる(山ヒバ的に)可能性は限り無く大ですが、
お気に召していただけたらと願っております。
本当にお待たせして申し訳ありませんでしたーっ(土下座)!!
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