■□■ amare e scegliere, baciare e la sigla della scelta □■□






「……だしの素が無い」

 キッチンに立ったまま絶望的に呟いた山本の暗い声に、居間で雑誌に目を通していた獄寺がついにブチ切れた。

「だったらどっかで買って来やがれっ!!」

 かくして、ルームシェアしているアパートを追い出され、冷たく湿った風の吹くイタリアの街を山本があてどなくうろつくことになったのは、秋の終わりの夕暮れのことであった。






 そう、ここはイタリア。日本ではない。言語も食文化も人種でさえも全く違うその国に、生粋の日本人であり野球小僧の山本が住むことになったのは、二年ほど前のことである。高校を卒業した彼を、誰もがプロ野球の選手になるか実家の寿司屋を継ぐために板前になると思い込んでいた。それは親友のツナや獄寺も例外ではなかったが、彼らの予想を覆し、山本は友人たちと一緒にイタリアへ行くことを選んだのである。
 山本の高校生活は三年生の夏に終わった。スポーツ特待生で入学した野球の名門校で、一年生からレギュラーを務めた山本の最後の甲子園は、三回戦で惜しくも幕を閉じた。
 多大な努力でレギュラーの座を維持し、野球に打ち込む山本を、当時ツナはできるだけ疎遠にしていた。ツナの将来はイタリアに渡ってマフィアのボスになるとすでに決定していたし、堅気の山本を少しでも巻き込みたくはなかったからである。ところが、山本は約二年半に渡る疎遠など全く意に介さず、まるで当たり前のようにツナと獄寺と一緒にイタリアへ行くと告げたのだった。
 かくして周囲を仰天させつつも渡欧を遂げた山本であったが、ツナと違って準備期間が約半年と短かったせいで、彼のイタリア語はまだまだ不自由であった。そのため、山本は獄寺とルームシェアして生活を共にすることにし、ツナだけがボンゴレファミリーの本拠地であり、九代目ボスの屋敷に住むこととなった。
 高校生になる以前からイタリアへ行くことの決定していたツナは、リボーンや獄寺の教育の賜物で、すでにイタリア語には不自由なかった。それはそうだろう、あの家庭教師の半分恐怖政治に近い教育方法では、さっさと覚える以外に生き残る道は無い。そのため、かわいそうなツナは標準的なイタリア語に、『マフィアのボスらしい』イタリア語と、南部訛りのイタリア語をマスターしなければならなかった。

「それに比べればお前なんて簡単だろうが!」

 と獄寺はスパルタで山本にイタリア語を叩き込んだ。渡欧後、例え深刻なホームシックに掛かった山本が、ちょっとだけでも日本語で話してくれとせがんでも、それではお前のためにならないと言ってイタリア語でしか会話をしてくれなかった獄寺。そういう妙に厳しいところはビアンキによく似ていると山本は思った。
 さて、そのホームシックなのだが、実は渡欧して一年と経たぬうちに、山本をとことんまで打ちのめしたことがあった。それは九代目の命令で、ツナと獄寺と一台の車に乗り込み、イタリア遊学を終えた直後のことである。やっとボンゴレの本拠地に戻ってきた山本は、すっかり里心がついてしまっていた。
 日本語が聞きたい、日本食が食べたい、日本人に会いたい。普段は底抜けに明るい山本が、部屋の隅に膝を抱えて座り、バットに頬を摺り寄せたままブツブツ呟く姿は同居人の獄寺だけでなく、ツナやファミリーの人間たちをも困惑させた。問題なのは、彼のホームシックがツナに伝染してしまわないかということである。幸い、山本が心配でそれどころではなかったらしいツナに伝染することは無かったが、山本の状態は深刻だった。
 ところが、イタリア留学中の日本人の彼女が出来ると、山本のホームシックはあっさりと治ってしまった。寂しい異国人同士で傷を舐めあう、と言ったところか。表情には出さぬものの死ぬほど心配していたらしい獄寺は怒り狂ったが、あの状態から回復できてよかったとツナに諭されて、同居を解消することもなく済んだのである。

「愛とは全てを癒すものよ」

 というアモーレの女、ビアンキの言はあながち間違ってはいないのかもしれない。
 ともかく、渡欧後一番の試練を乗り切った山本は、その後もニ三度あった軽いホームシックもどうにか乗り切り、何とか元気にやってきたのである。それが再び危機に陥ったのは、渡欧二年目の秋のことだった。
 やはりこのあいだ大量のけんちん汁を作ったのがいけなかったのか。冷たい風の吹きすさぶ街を、だしの素を求めてフラフラと徘徊しながら山本は思った。先週辺りからどうしても日本食が食べたくなり、ファミリーを呼んでけんちん汁を振舞ったのが五日前。どうやらあのときにだしの素を使い切ってしまったようだ。
 そのときは単に日本食に飢えていたのだと思ったのだが、どうやら持病のホームシックがまた猛威を振るいだしたらしい。おかげで獄寺は切れるし、茶碗蒸しは作れないし、散々である。
 そう、今日の山本は突然茶碗蒸しが食べたくなり、いても立ってもいられず調理に取りかかったのだが、海外での日本料理の基礎とも言うべきだしの素が切れていたのだ。こんな冬も間近に迫った寒い日に、熱々の茶碗蒸しを食べたらさぞ美味かろうと思ったのに。専用の器もある、蒸し器は以前に取り寄せてあるし、カマボコもしいたけも手に入れた。三つ葉はベランダで栽培したものがある。それなのにだしの素が無いなんて!
 夕暮れの街で盛大なため息をつく山本を通りを行き交う人々は遠巻きに伺うだけで、近寄ってこようとはしなかった。顔見知りの人々は、山本の困った持病が始まったことを知っているのだろう。まさかイタリア人を捉まえてだしの素持ってませんか、などと訊くわけにもいくまい。訊いたところで、東洋の島国の調味料を所持している確率などゼロに等しい。せめて日本語で会話ができれば、この『茶碗蒸しがどうしても食べたい』衝動も少しは落ち着いてくれると思うのだが。
 しかし残念なことにこの街にリトルトーキョーは無く、以前付き合っていた日本人の彼女とはとっくに別れてしまっている。おかげでマフィアの事情を何も知らない人間とうかつに付き合うことがどれだけ危険かということがよくわかった。今後、日本人にしろイタリア人にしろ、山本が堅気の女と付き合うことは無いだろう。可能性の問題ではなく、それはパートナーを選ぶ上で最も重要な戒めだった。
 そんな山本にときどきこっそり日本語で話しかけてくれるのは、ツナだけだった。彼も日本が懐かしいのだろう。だが、ボンゴレファミリーの十代目となった彼が、大っぴらに日本語で話すわけにはいかない。彼はヨーロッパ裏社会の頂点に立つファミリーのボスであり、イタリア人として生きることを選択したのだから。
 こうとなったら国際電話でもかけるべきだろうか。山本は大通りの雑誌販売スタンドの脇にある公衆電話を眺めて思った。しかし、そんな理由で電話などかけたら笑われてしまうのが落ちだろう。それは最後の手段だ。こうなってくると、たった十二歳で自力で来日し、一人で生活していた獄寺は何て偉かったのだろうか。もしこの場に中学時代の獄寺がいたら、頭をなでなでしてやりたい心境だ。
 ああ、せめて野球が出来れば。盛大なため息をついた山本は、ズボンのポケットに皺が寄るのも構わずに手を突っ込んだまま、再びふらふらと歩き出した。
 物心ついたときから野球ばかりして生きてきた山本にとって、サッカー王国イタリアは恐るべき国だった。約5748万人の総人口中、何と野球人口はたったの5万人。ところがプロ登録しているサッカー人口は100万人。アマチュアを含めてチーム数は2000を数え、週末ごとに繰り返される熱狂の嵐ときたら、阪神ファンのお祭り騒ぎでさえも霞んでしまうほどだ。そんな国で野球ファンの山本の情熱は行き場を失い、野球の『や』の字さえ口にすることは稀になっていった。日本にいたときは全く知る由も無かったストレスが、ホームシックに一助を添えているのは明らかだった。

「……待てよ」

 イギリスの支配を受けるインドの図式をサッカーと野球に当てはめて、嘆きのずんどこにあった山本はふいに足を止めた。そうだ、この街にはたった一軒だけ、日本食専門の食料品店があるではないか。
 昨今肥満の割合がヨーロッパ第二位にランクインされたイタリアでは、ヘルシー志向が一気に高まり、高たんぱく低カロリーの日本食が注目を浴びるようになっていた。手作りの美味しいソースやペーストが自慢のこの国だが、戦後その種類は激減し、今ではほとんどを輸入に頼っている。
 何しろ自分で作らないからそれがどのくらいのカロリーで、どれほどの添加物が入っているかなどわかるはずがない。一時世界のスーパーモデルのあいだを席巻した日本食は、ここイタリアでも若者たちを中心に人気を博している。大きな街へ行けば必ず一軒は謎の日本料理店があるのだから、その人気ぶりは押して知るべし。そして、人気があれば需要も高まる。需要が高まれば供給も増える。だからこそ、この街にも専門の食料品店があるのではないか。
 今までその店に立ち寄らなかったのには理由があるが、今はそんなことをつべこべ言っている場合ではない。果たしてあの店にはだしの素があるだろうか。多分あるのではないだろうか。いいや、きっとあるに違いない!
 ある種の思い込みと自己完結が激しいことでは自信も定評もある山本であったが、この日の三段活用は芸術的ですらあった。そして思い込みに駆られた山本はいても立ってもいられず、野球で鍛えた俊足であっというまにアパートへ駆け戻ると、出掛けの獄寺が何か言うのも聞かずに車のキーを引っつかみ、脇目も振らずに食料品店へ向かったのだった。






 貿易業を営む日本人がオーナーのその店の品揃えは、山本の想像以上だった。三つの通りの出会う角に立ったさして大きくも無い店だが、店内にところ狭しと並べられた商品は、日本に飢えた山本を癒してくれるかのようだった。
 何故今までこの店を訪れなかったのか、目的のだしの素をあっさり発見した山本は心底悔やんだが、今更どうにかできることではない。インターネットで通販したり、家族や友人に頼んであれこれ送ってもらったのが莫迦みたいだ。何しろこの店には、だしの素だけでも数種類があり、それ以前にだし用の煮干や昆布、鰹の削り節まであるではないか。これは一そろい買っておくべきだろう。
 大して酒も飲まず、賭け事にも興味が無く、野球以外に趣味らしい趣味を持たない山本であるから、最後の彼女と分かれて以来ここ一ヶ月あまり、ほとんど金の使い道さえなかった。それでなくとも最近では山本の策略が功を奏し、ファミリーの面々は日本食にはまりつつある。経費で落としても文句は出まい。
 とりあえず必要なものを買い物カゴに放り込みながら、ここ最近で一番安らいだ表情を浮かべた山本は店内をゆっくりと見て回った。オーナーの趣味なのかわからないが、商品の品揃えは日本人の心に響くものばかり。七輪と焼き網があるかと思えば、備長炭も置いてある。カップラーメンは関税率の関係かちょっと高いが、日本茶は今まで見た中で一番安かった。青のり、味のり、薄口醤油。豆腐、しらたき、冷凍食品。ビニールパックされ、鍵の掛かったガラス棚に陳列された日本の雑誌やまんが本。お菓子の棚には森永ミルクキャラメル。そしてレジの脇の冷蔵庫に並んだ日本酒の数々。完璧だ、実に素晴らしい!
 唯一つ残念なことがあるとすれば、レジを打ってくれた店員が生粋のイタリア人であったことか。背が低くずんぐりした体型の中年の男は、見るからに人のよさそうな愛嬌たっぷりの笑顔で山本に話しかけてくれた。睫毛の濃い大きな目が親しげに細められると、つられてこちらまでが笑顔になる、そんな感じのとっつぁん坊やだ。彼がもし日本語で話しかけてくれたなら、いうことなしだったのに……。
 レジから手を振る店員に片手を振って店を出ると、すっかり暗くなった空を見上げて山本は心から残念に思った。以前にツナのお供で行ったパリで何気なく寄ったジュンク堂書店パリ支店では、金髪碧眼の兄ちゃんに、

「はい、次の方どーぞ」

 と大変投げやりに言われたことがある。ぞんざいさ加減まで完璧な日本語で。あの驚きをもう一度、とは流石に上手くはいかないものだ。
 日本の食品に囲まれて大分気が楽になったのか、都合の良すぎる自分の願望に苦笑しつつ、山本は紙袋を抱えなおした。店の裏に止めた車へ向かいながら、そう言えばさっき獄寺が今から出かけるからな、とか何とか言っていたことを思い出した。では今日は一人で夕食か。せっかく茶碗蒸しなのに、それは寂しい。
 しかし誰かを呼ぼうにもツナとリボーンはもとから無理だし、ビアンキを夕食に招待するのは怖すぎる。だからと言ってランボは避けたい。シャマルやディーノは気軽に呼べるほど近くには住んでいない。できれば日本語を話せる人物がいいが、高望みはするものではない。そうなると今から夕食に誘えるような相手は誰だろうか。
 頭の中で親しい人々の顔を思い浮かべながら車へと歩み寄った山本の背後で、たった今すれ違った黒塗りの高級車が停車した。あれは確か、ツナのとこにあるのと同じ車種だ。マゼラッティとかいっただろうか。大方この店の噂を聞きつけた金持ちが、試しに寄ってみたのだろう。そう高をくくった山本が車のキーを取り出したときだった。背後で扉の開く軋んだ音がし、誰かの話し声が聞こえたのは。

「じゃあ、まかせたよ」

 ……日本語っ!?
 マフィアの習性で無意識に全身を耳にして背後の気配を探っていた山本は、思いがけず耳にした日本語に物凄い勢いで振り返った。そこには店の裏口から出てきたらしいスーツ姿の男が二人と、戸口で頭を下げた男が一人。カッチリとしたスーツを着込んだ男の一人は秘書か何かのようで、先ほど停車した高級車の後部座席のドアを開いて立っている。そして片手をズボンのポケットに入れ、突然振り返った山本に油断無く鋭い視線を投げかけた男。彼こそがその店のオーナー、雲雀恭弥だった。







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