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 そんなこんなで魔都ロンドンの夜は更ける。深夜に近い時刻になって漸く重い腰をシリウスは上げることにした。今度またこの下宿へ戻ることにはしたが、さしあたってはまだ診療所の方をどうにかしなくてはならない。よって今日は住み慣れた我が家へ帰ろうとしたのである。するとリーマスもひょいと立ち上がり、

「じゃあ、帰ろうか」

「帰るって、どこへ?」

 ジムもシリウスもてっきりリーマスは今夜はこの下宿の、かつてシリウスが使っていた部屋に泊まるのだと思っていたのである。幾ら彼の作った犯罪組織がほとんど壊滅したとはいえ、まだリーマスの顔を知っている人物がいないとは限らない。しかし彼は極当然のようにシリウスの腕を取ると、

「どこって、きみの家に決まってるじゃないか」

「お、俺!?」

 吃驚するシリウスなど当然無視してリーマスはジムにまた明日、と手を振ってみせる。どうやらどこかホテルに泊まるとか、隠れ家に身を寄せるとか、そういった考えは全く無いらしい。唖然とするシリウスににっこりとリーマスは笑いかけると、

「明日の朝、ゆで卵作っておくれよ」

 そのかわり後でとってもサービスするからさ、と囁かれたからシリウスはリーマスの宿泊を快諾したわけではない。この下宿以外でリーマスが安全に過ごせるのは自分の家だけだと判断したからだと後日シリウスは語ったが、あのとき鼻の下が伸びかけていたことをジムは見逃してはいなかったのである。






 こうして、ジムとリーマスは戻ってきた。しかし対外的には復活したのはホームズ一人であり、依然モリアティは死んだままとなっている。
 後日シリウスが診療所をたたむと、リーマスはベイカー街の下宿に程近いところに家を買った。ジムが紹介してくれたそれはそれは口の堅い家政婦に家事の一切を任せ、リーマスはしょっちゅうシリウスのところへやって来る。おかげでハドソン夫人は二人分の朝食と、三人分の昼食を作ることとなったのであるが、贈り物の大好きなリーマスがしょっちゅうプレゼントを持って現れるので、彼のことは気に入っているらしい。シリウスもシリウスで何だかんだと言いながら、週に一度はリーマスの家に厄介になっているので、何を考えているかなど知れたものだ。
 だが何よりシリウスを困らせたのは、帰還以後どこか性格の変わったジムが、ある日突然出奔してしまったことである。『ちょっとリリーの応援に行ってくる』などと置き手紙がしてあり、現在ヨーロッパを公演旅行中のアイリーン・アドラーにくっついて行ってしまったようだ。
 それにシリウスは最初唖然とし、次いで憤慨し、最後には頭を抱えてしまった。今日だっていつも通り依頼人が来ることになっているのに、何を考えていやがるんだあの莫迦野郎!?

「ぐあああ、あのクソガキがぁ〜!!」

 頭を抱えて呻くシリウスの肩を誰かがつついた。あん!? と不機嫌極まる様子で振り返ったシリウスの視線の先には、笑顔のリーマス。何だよ、といかにも今お前と遊んでる暇は無いんだと言いたげなシリウスに、

「大丈夫、ぼくが代わるから」

 にっこり笑顔でそんなことを言ってのけた。見れば何やら服装もいつもと違ってジムに似た格好をしているし、手には伊達眼鏡を持っている。

「な、何だそれは……?」

 かなり嫌な予感がしたものの、シリウスは訊かずにはおれなかった。するとリーマスは待っていましたとばかりにとうとうと話し出す。
 人間の記憶というものは害して改竄されやすく、顔立ちや容姿なんてある程度似てさえいれば、別人に成り代わるなど簡単なことなのだ、と。ジムの話し方や癖などは熟知しているし、舌先三寸で丸め込むのは得意中の得意。ましてやこれから来る依頼人は、新聞や伝聞でしかホームズの人物像を知らず、しかもシリウスの本に書かれている容姿は嘘っぱち。ならば騙すなど容易いことだ。

「そ、それはそうかもしれないが……」

 依頼人にこいつがホームズですぅと端っから騙して紹介などしていいものだろうか。確かにリーマスはホームズがこの世界で唯一認めた天才であるが、元はといえば犯罪者である。その元犯罪者といちゃいちゃ暮らしていることなど棚に上げて、シリウスは考え込んだ。しかし他に代案は無く、しかも依頼人が訪問する時間はひしひしと迫ってきている。悩んでいる場合ではない。
 こうしてリーマスはジムの代役としてホームズとなり、事件を解決へと導いた。依頼人に怪しまれはすまいかとハラハラしていたシリウスはホッと胸を撫で下ろしたが、これに味を占めてしまったジムが、時折姿をくらますようになったものだから堪らない。その度にリーマスはジムに成り代わってホームズを演じた。
 リーマスの演技は本人が自信を持っているだけあって、確かに完璧であった。必要性があれば女性にだってなれるさとリーマスは笑って言うが、それは御免だとシリウスは辟易した。だが後になってちょっとそれもいいかな〜、なんて思ってしまったのはリーマスには秘密である。
 こうしてジムとリーマスがホームズとなって代わる代わる事件を解決したことによって、後世ライヘンバッハ以後のホームズは別人ではないかという仮説が唱えられることとなるのである。また、ホームズとワトスンの関係が妖しいというのも、これに起因するのであった。






 ジムとリーマスとシリウスの奇妙な関係は、8年に渡って続いた。それが終わりを告げたのは、1902年のことだ。その年シリウスは、ついに三度目の結婚をしたのである。  結婚式は何しろ新郎新婦が年輩同士であり、しかもシリウスに至っては三度目とあって、極親しい人間だけを呼んで簡素に行われた。そのためシリウスはベイカー街の下宿を出て、再度診療所を構え、妻と共に移り住んだ。妻はシリウスと同年代という話だったが、近所の人の話によると、とてもそうは思えないらしい。どういうわけかシリウスはよほど妻を愛しているのか、あまり人前に出したくないらしく、近所の人も彼女をほとんど見たことが無いと言う。伝え聞いた話によると、彼女は女性にしては背が高く、美女というわけではないが、ころころと良く笑う可愛らしいひとで、艶やかな鳶色の髪をしているらしい。運良く彼女に会うことが出来た人々は、ドクターが独り占めしたくなるのもよくわかると話したそうである。
 そうして二人は幸せに暮らした。またシリウスと分かれた後1903年にホームズも引退し、サウス・タウンの小さな農園で養蜂と読書に耽溺する日々を過ごした。彼の引退を促したのが同年にニュージャージーにおいてアイリーン・アドラーが急死したからだという説もあるが、真相はジムの胸の中にだけある。そうしてホームズは生涯独身を通したが、彼の元をときどき訪れる美貌の紳士がいることをシリウスは知っている。その紳士がかつてモリアティ以外に唯一ホームズを出し抜いた頭脳の持ち主と同一人物であるということも。
 ジムとシリウスが再び手を組むのは、11年後のことである。『最後の挨拶』と題されることとなるその事件は、ホームズとワトソンが組んだ真に最後の事件である。こうして魔都ロンドンを光明で照らし出したある探偵とその助手の物語は終結を迎えた。彼らの偉業は今日にいたるまで語り継がれてゆくのである。だがその影にもう一人の人物がいることを人々は知らない。彼らが二人ではなく、三人であったことは、歴史の闇に葬られたのである。そうして彼らは、それぞれに幸福を手に入れたのだった。






〔そして誰かいなくなった〕





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