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大して感動もしない再会を果たしてから数時間後、悪魔二人と生贄一人は、懐かしの下宿で祝杯をあげていた。というのも生還した悪魔二人ことジムとリーマスが、かのアデア卿殺害の犯人をヤードに逮捕させるに至ったからだ。
実際に犯人を追い詰めたのはジムと生贄ことシリウスの二人である。犯人はアデア卿と同じ手法で生還したホームズをも葬り去ろうとしていたのであった。この事件は後に『空家の冒険』として、リーマスのことを完全に黙殺したシリウスの手記として発表される。
見事警察に犯人を引き渡すことに成功した三人は、ハドソン夫人にお願いして盛大な夕食を共にしたのである。
初めはぶちぶち文句を垂れ流していたシリウスだったが、事がここに至ればもうどうでも良くなってしまったらしく、お気に入りの銘柄のワインを持ち出してきた。驚愕から冷めてしまえば、もともとめでたい話なのである。何しろ死んだと思っていた親友と恋人が一挙に戻ってきたのだから。
それでも幾つか不審な点はあり、シリウスは食事中に何度も二人を問い質したものである。
特に気になっていたのは、いかにしてあの滝へ落ちずに済んだか、である。滝への足跡は二つだけ。戻ってきた形跡は無く、辺りは滝からの飛沫でぬかるんでおり、足跡を残さずにどこかへ行くことは出来ないだろう。だがジムはかんらかんらと笑いながら、そんなことは簡単さ、と言い放った。彼らは崖っぷちから軽々と草地に飛びのいたのである。だが常人にそんなことが出来るわけは無く、シリウスは一体どうやってと訝った。それに対してジムは無駄に誇らしげに、
「昔とある日本人から倣った忍術でね!」
「ニンジュツ? 何か違わないか、それ」
だがシリウスの疑問を他所にジムはいいや忍術さ! と言い張った。
「何たって国を追われて大陸に渡ったヨシツネ・クロウ・ミナモトの末裔から直々に伝授されたんだ、間違いはないさ!」
どんどん方向性が違ってきているようにシリウスには思えたが、かつてシルクハットの中から5ポンドの牛肉を取り出した男である。そのくらいはやってのけてしまいそうな気がするではないか。
「……そ、そうか、ニンジュツか!」
「そうだ、忍術だ!」
こうして莫迦と天才が紙一重な認識はなされたのである。
それにしても、とシリウスが首を傾げたのは、食後にやっぱりワインをちびちびやりながら三人で談笑していたときである。腕によりをかけたハドソン夫人の料理は大層美味く、リーマスもご満悦の様子。シリウスとジムはかつて定位置であった椅子に座り、リーマスはいつもなら依頼人がかける椅子に腰を下ろしている。
「お前ら今まで何処で何やってたんだ?」
これは当然の質問であったろう。大の男が三年間も、どうやって暮していたのだか。それに対するジムの返答は簡潔で、チベットだのフランスだのへ行って遊び惚け……もとい、山へ登ったり書をしたためたりしていたのだそうだ。そしてリーマスはほとんどをフランスのとある有名な別荘地で豪遊して過ごしていたのだとか。何たって彼は大英帝国きっての犯罪者であり、その資産は王家をも凌駕する。英国だけでも二十以上の銀行に多額の講座があり、世界中に点在する彼の隠し財産はシリウスを卒倒させるに足るだろう。三年やそこら遊んで暮したところで、大して目減りすることもない。
「それがさ、凄かったんだぜ、こいつ」
ジムはアルコールに火照った顔でおかしそうに笑う。
「昼間は美少年を侍らせて、社交界じゃ有閑マダムたちに貢がせまくり、毎晩違う男連れ込んで遊んでてさ〜」
「やだなぁジム、照れるじゃないか」
あははは、と笑う二人だが、シリウスは何ですと!? と一人で大ショックである。超遊んでそうだとは思ってたけど、よりにもよってそこまでとは。シリウスはむっつりとしてリーマスを睨んだが、にーこっりと微笑み返されては、返す言葉が無かった。
「……それじゃあ、何で帰ってきたんだよ」
いじけ半分に言ったシリウスの言葉に、実はそれなんだよとリーマスが身を乗り出した。
「ぼくは金銭で手に入るものは全て手に入れたつもりだった。ところがどうだい、三年も遊蕩に耽っていたら、すっかり飽きてしまったじゃないか。それどころかある朝、ふいにどうしてもあることが頭から離れなくなってしまったんだよ。そう、前にシリウスの作ってくれた半熟ゆで卵が!」
ゆで卵ぉ!? とジムとシリウスが吃驚して声を上げたのも無理はない。ある日突然帰ろうよと声をかけられたかと思ったら、ゆで卵食いたさだったとは。しかもシリウスにしてみれば、彼の優しさや愛情深さでもあっちの上手さでもなく、よりにもよってゆで卵が忘れられなくて戻ってこられるとは!
驚愕というより呆気に取られる二人の目の前で、リーマスは尚も力説する。初めて診療所に泊めてもらっときに、小腹が空いたと言ったらシリウスが作ってくれた半熟ゆで卵の美味さときたら、天下逸品であった。白身は硬めなれど、黄身は完全に固まりきらず、と言ってゆるすぎず。あの絶妙なゆで加減は、今だかつて味わったことの無いもので、リーマスほどの美食家から言葉を奪ったほどだったのである。何事もやはり基本が一番難しく、ゆで卵ほど料理人の腕を簡単に判別させる料理は無いとリーマスは思っている。だが、一度だけならば偶然ということもあるだろう。ビギナーラックとかってやつで、たまたま上手くできちゃったということも。
そこでリーマスは別の日に、もう一度ゆで卵を作ってくれと頼んでみたのである。そしてこっそりキッチンを覗いてみると、果たしてそこには懐中時計を片手にしっかり時間を計りつつ、ゆで卵を作るシリウスの姿が! もちろん出てきたゆで卵は前回同様天下無敵のゆで加減で、リーマスはこの男は世界最高のゆで卵職人だと確信したのだった。
……というようなことをゼスチャーを交えて力一杯説明してくれたリーマスを見つめつつ、探偵とその助手は溜息をついた。流石は犯罪界のナポレオン、考えることが一味違うぜ、と。だがここでふとジムはあることに気がついて、キッとシリウスを睨みつけた。
「何だよお前、『半熟卵なんか人間の食い物じゃねぇ』とか言ってハードボイルドしか作ってくれなかったくせに!」
それはハドソン夫人が年に何度か娘の家へ遊びに行って不在になることがあるため、朝食を自分たちで作らねばならなくなってしまったときのことだ。ジムも料理は出来るが、明らかにシリウスの方が上手かったので、彼に押し付けたのである。
「う、うるせぇな! 前にメアリーがどうしても半熟がいいって言うから練習したんだよ」
シリウスは痛いところを突かれたのか、口篭もって言い訳する。病床の妻が夫にそう頼んだのは事実であり、基本的に勉強や努力の嫌いではないシリウスは、必至こいて半熟卵の一番美味しい作り方を練習したのである。
「それがねぇ〜、黄身がトロッとしてて、美味しいんだぁ〜」
えへへへ、と嬉しそうに笑うリーマス。ずるいずるい、差別だと騒ぐジム。
「ええい、やかましい! だ、大体リーマス、お前だってそんなののためにいきなり戻ってくるなよな!」
シリウスとお付き合いがどうのとか言ってたのはどうなったんだ、とシリウスはリーマスに詰め寄った。
「え〜、だって食べたかったんだも〜ん」
「だも〜んじゃねえ、手前はどっかの女子高生か!?」
そもそもお前何かキャラ変わってないか、とシリウスは文句を垂れるが、リーマスはそっぽを向いてもう相手にしなかった。こうなってはもう何を言っても無駄なのである。見ればジムも話に飽きたのか、先ほどシリウスが持ってきてやった新聞のスクラップブックを眺めている。これではシリウスはちっとも面白くない。何かいい話題は無いものか……。
そうだ、とシリウスは手を打つと、ワインを注ぎ足しているリーマスに向き直った。
「お前の兄貴ってやつが出てきたけど、あいつって何なんだ?」
同姓同名のジェームズ・モリアティ大佐は、お世辞にもリーマスには似ていない。するとリーマスもつまらなさそうに、
「ああ、あのテク無しのピストン野郎?」
何が、とはシリウスはあえて訊かず、話を促した。
「あいつは手下の一人だよ。ちょっと遊んでやったら図に乗ったみたいで、たまたま名前が同じだからって兄弟扱いとは恐れ入るね」
何をどう遊んだのかについてはシリウスはもちろん触れず、名前が同じってどういうことかと問い質す。偽名ではあろうと思っていたが、同姓同名になるというのは偶然にしても難しいだろうに。
「偶然だよ! モリアティって苗字は、子供のころやってたクローケーのゲームで、ライバルだったチームのエースから借りたんだから。全然関係無いさ」
「じゃあ、ジェームズは?」
「ぼくのミドルネーム」
リーマスは肩を竦める。ジェームズなんてありきたりな名前じゃないか、と。確かに彼のフルネームは『リーマス・J・ルーピン』である。まさかその『J』が『ジェームズ』だとは思いもよらなかったが、考えてみればそういうこともあるだろう。それにしても……。
「うわぁ、語呂の悪い名前だな!」
今まで黙っていたジムがゲラゲラと笑う。だがそれに気を悪くするでもなくリーマスも全くだと頷いて見せた。本人もあまり気に入っていないらしい。言われてみればジェームズなんて本当によくある名前だ。実際ホームズも勝手に自分をジェームズ略してジムvと呼んでくれと言っているほどに。
待てよ、とシリウスは首を傾げる。そう言えば、こいつらは何で急に共謀することにしたのだろうか。そもそもいつからそんな計画を企てるほど仲が良くなったのだろうか。だがその疑問はジムによって簡単に判明した。
「いつからも何も、もともと知り合いだったんだよ」
な〜? と笑い合うリーマスとジムの二人。何だって、と更に驚くシリウス。そんな、だってジムは犯罪界の帝王の存在に気付いたのは最近だって言ってたぢゃないか!
「確かに、それに気付いたのは最近だったけど、リーマスのことは前々から知ってたんだよ。ただ、同一人物だと思ってなかっただけで」
ジェームズ・モリアティという名に辿り着いて漸く、ジムはもしかしたらと思ったのだという。そしてあるルートを使って連絡を取ったところ、本人であることが判明した。それが、リーマスがジムの下宿を訪れる数日前のお話。
「ぼくは知ってたけどね」
リーマスはチョコを摘みながらクスクスと笑う。だから彼はジムの身辺を調査しているうちにシリウスに興味を持ち、ちょっかいを出してみることにしたのである。完全にとばっちりでシリウスはリーマスと知り合い、すっかりふぉーりんらぁーぶになったわけである。
「前々って、いつからだよ」
自分一人が蚊帳の外だったと知り、不機嫌にシリウスは尋ねる。ジムはそうだな、と呟いて顎を撫でた。
「おれが子供のころに、リーマスが数学の家庭教師に来てたんだ」
だから十数年ってところか、と。リーマスもそのくらいかなと首を傾げた。あんなに小さかったのに、ぼくより大きくなっちゃってるんだもん、吃驚したよとリーマスはジムの肩を叩く。当時からモリアティの名を名乗っていたリーマスは、こまっしゃくれたガキ……もとい、利発で人並みはずれて聡明だったジムの才能をすぐに見抜き、色々なことを教えてくれたのだそうだ。いわゆる『類が友を呼ぶ』現象の顕著な例であるらしい。何て恐ろしいんだ、とシリウスは寒気を感じて頭を振った。
と、ここで彼はあることに気が付いた。十数年前に家庭教師になれるほどであったリーマス。果たしてこいつは一体……?
「お前、何歳なんだ!?」
教え子のジムが40歳となった今、普通に見積もっても50はとっくに越えていなければおかしいはずである。だがしかしどうだろうか、こいつの若さときたら。今ではシリウスよりもジムよりも年下にしか見えない。むしろ段々若返っていくようですらある。するとリーマスは実は、と神妙な面持ちで、
「ぼくがまだ十代だったころドイツに渡ったときに、クリスチャン・ローゼンクロイツという人物と知り合って、小さな象牙の小箱に入ったラピス・フィソフォルムという赤い輝石を特別に分けてもらったんだ。それを飲むと即死するか不老不死になるかで、ぼくは運が良くて不老不死に……」
「ええい、ちょっと待て! そんなことはどうでもいいんだ、まともな話をしろよ!」
「え、そう? じゃあ、実はエルサレムを旅したときに白鳥に引かれた船に乗った若者と親しくなり、彼に連れられてある騎士団の本拠地へ行って、そこで伝説の聖杯に満たされた聖水を飲んだおかげで今こうして……」
「だぁぁああ! だがら違うっつってんだろうが!?」
シリウスは怒って何度も問い質したが、リーマスにはとんと答える気が無いらしく、彼はのらりくらりと質問をかわすばかり。ひょっとしたら単にシリウスをからかっているだけかもしれない。こいつもとんでもない相手に惚れられちゃったもんだよな〜と、部外者ぶったジムは一人しみじみ思うのだった。
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