■□■ エゴイストの食卓 □■□






 その朝、唐突に雲雀は目覚めた。
 目覚ましが鳴ったわけでも誰かに起こされたわけでもない。雲雀は一人で勝手に目覚めた。
 この世に雲雀の眠りを阻害できるものはいない。目覚まし時計などもってのほかである。雲雀はいつでも好きな時間に起き、そして好きな時間に眠るのだ。
 例えマリリン・モンローが百万回のキスをくれると言っても、ゴールド・ロジャーが世界のすべてをくれると言っても、雲雀は自由睡眠を選ぶだろう。何故なら彼は、雲雀恭弥であるのだから。
 ベッドにむくりと起き上がった雲雀は少し寝癖のついた髪を気にするでもなく、無表情で部屋の中を眺めた。
 さしもの雲雀も寝起きは完全に身体が充実していないのか、いつにも増して気だるげである。
 カーテンの隙間から薄日の差し込む部屋の中で、ようやく雲雀はベッドを降りるべく腰を上げた。けれどやはりまだ完全に目覚めていないのか、それともわざとなのか、雲雀はベッドを乗り越えて床に降りる際、隣で大口を開けて眠り続ける了平をかなりの勢いで踏みつけていった。
 寝室を横切った雲雀は洗面所へ向かい、機械的な動作で洗顔と歯磨きを済ませた。そのころには眠気も消え去り、いつもの隙の無い様子を作り上げていた。
 着替えのために寝室に戻った雲雀はふと自分の携帯電話のことを思い出した。寝る前に枕元に置いていたのでベッドの上にあるだろう。
 ゆるやかで無駄の無い動作で雲雀が顔を向けると、思ったとおりベッドの壁際に彼の赤い携帯が転がっていた。
 ベッドの傍まで来ると、雲雀はマットに左手をついて身を乗り出した。幸せそうな顔で未だに惰眠を貪る了平を乗り越えて携帯を掴む。危機感というものが生まれつき欠如しているのかもしれない男は、スプリングが軋んだことにも気付かず、相変わらず気持ちよさそうに眠っていた。
 ふと、雲雀は視線を止めた。それはまくれ上がった毛布からはみ出ている了平の腰の辺りに漂っている。パジャマ代わりのハーフパンツを履いた下腹部が、テントを張ったように突っ張っていた。要するに朝勃ちだ。
 雲雀は腕を組んで了平の下半身を眺めた。相変わらずの無表情であるだけに、かなり怖い絵面である。しかし観察されている了平は夢の中。止めに入る観客はいない。
 雲雀は携帯を再びベッドの上に放り出すと、やおら了平のハーフパンツに手をかけた。






「……へっくしょん!」

 盛大なくしゃみをして了平は目を覚ました。
 ずびびと鼻をすすりながら見上げた天井は朝の日差しに明るく、了平は覚醒を促すように大きく伸びをした。
 つい今しがたまで大変に快い夢を見ていた。お花畑に設置されたリングの上で異種格闘技戦を繰り広げ、巨大プリンを打倒しついにWBCチャンピオンになる夢だった。プリンにもみくちゃにされるのはあまりに気持ちよく、そのまま泥沼に引きずり込まれるのを脱してついに手に入れた栄冠だった。
 じつにいい夢を見たものだ、と朝からご満悦で目を覚ました了平は、ベッドに半身を起こしてからようやく自分の置かれた異常な状況を把握した。

「うおおっ!?」

 了平の下半身は何故かむき出しの素っ裸だったのである。






「ヒバリっ!」

 キッチンで食後のオレンジジュースを立ったまま飲んでいた雲雀は、あわただしい足音と切羽詰った呼び声に振り返った。
 八畳ほどのダイニングキッチンに、血相を変えた了平が駆け込んできたところである。しかし息せき切った了平の様子も雲雀にはさしたる感銘を与えなかったようで、彼はいつもの無感動な瞳を向けただけであった。

「お前、オレに一体何をした!?」

 普段は底抜けに明るい了平には似つかわしくなく、彼は神経質に自分の履いたハーフパンツのウェスト部分を死守するように掴み上げている。いっそ悲愴ささえも滲ませた声は責めるものではなく、ただただ動揺を示していた。
 攻撃不可能な間合いを保ったまま睨み合うような二人であったが、雲雀は了平を焦らすようにわざとゆっくりオレンジジュースを一口飲んだ。
 こくりと雲雀の咽喉が上下するのと連動するように、一人で緊張の高まった了平も唾液を嚥下した。
 傾けていたグラスを離すと、雲雀は人が悪そうな、それでいてひどく魅力的な微笑を浮かべて口を開いた。

「ごちそうさま」





〔おしまい〕







〔comment〕






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