■□■ がんばれ男の子! □■□






 Nicoleというウィルスの保菌者には幾つかの共通点が見られる。例えば、たいていの物事は通常の人間より上手くできるようになるとか、努力があまり必要でないために無気力になる傾向があるとか。
 それより何よりアキラとナノに共通しているのは、欲望の欠如であった。まず食欲に乏しい。空腹は覚えるが、必要以上に何かを食べたいとは思わず、腹が満ちさえすれば食事の内容などには興味が無い。もし一生食べずに生きられるなら、当たり前のようにそれを選ぶだろう。
 次に驚くほど物欲が無い。生活に必要最低限の物さえあれば、あとは別段欲しいとは思わない。物に対する執着が薄く、せっかく手に入れたものでも右から左へ捨ててしまうこともしばしばだ。
 更に睡眠欲でさえもどうやら制御できる節がある。何も無いときは普通に眠るのだが、一度事態が緊張を孕めば、せいぜい一日に数時間浅くまどろむだけで事足りてしまうのだった。
 そして何より一番顕著であるのは、欠落しているとさえ言えるほどの性欲であろう。もしかしたら食物連鎖のヒエラルキーの頂点に立つ世界最強の生物であるため、生殖機能が退化し、不可能になってしまった疑いがある。どうやらNicoleというウィルスは血液そのものを変容させてしまうため、後代に子孫を残そうとする人間の本能ですら無くしてしまうようだ。
 何しろアキラは生まれて二十年近い人生の中で、一度として誰かを好きになったことが無い。どころか手を繋ぎたいとかちゅーしたいとかあーんなことやそーんなことをしたいとさえ思ったことが無かった。どころか、ナノにいたっては生まれてこの方エマとアキラ以外の人間に興味を抱いたことさえないのである。それは他人から見てもわかりやすいようで、映画館でソリドを包装ごと齧ろうとした彼を『こいつ子供の作り方なんか知ってんのかよ?』とアキラでさえもが思ったという。






 ところで、ナノはどうやらアキラとスキンシップをはかるのが好きなようだ。何かと言うと彼はアキラに触れたがり、髪を撫でたり頬に触れたり、手を握ったり抱きしめたりしたがる。ウィルスの作用で触れ合うと感情が溶け合うような心地よさがあるためかもしれない。感情を取り戻そうと願っているナノにとって、彼に比べてはるかに豊かなアキラの感情に触れるのはこの上ない幸せなのだろうか。
 だが困ったのはアキラである。ナノの非常識な、いっそ仙人に近いほどの朴念仁ぶりはともかく、彼に比べればアキラははるかにまともな人間である。どうやら非Nicoleの保菌者は、純粋なNicoleウィルスの保菌者に比べて通常の人間に近いようだ。
 だからスキンシップを求められてナノに体中を撫で繰り回されたり、手だの頬だの髪だのにくちびるを押し当てられたり、長い時間抱き寄せられたりしていると、流石のアキラでも感情の昂ぶりを覚えてしまう。が、もちろん無邪気に寄り添うナノにそんな魂胆は無く、ついに我慢できずに振り返ったときに、彼が心地よさそうにくーくー眠ったりしているとものすごいがっかりだ。
 その無防備な寝顔を見ていると自分の抱いた下心が大変後ろめたくもあるが、いっそ押し倒してやろうかと思いつめたことも一度や二度ではない。せめてわかりやすく誘おうかとも考えたが、何しろソリドを包装ごと齧ろうとする男であるから、そんなものが通用するとはとても思えない。そうしてしばらく悩んだ挙句、段々面倒になってきて、ナノと一緒になって転寝を始めてしまうのだからアキラも所詮は同類項。
 こうしてアキラの苦悩の日々は続く。がんばれ、男の子!





〔おしまい〕







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