■□■ Happy Birthday □■□






 了平の部屋には各大会のトロフィーなどと並んで一枚の写真がある。まだ幼い了平が、満面の笑顔を浮かべながら、初めて買ってもらったボクサーパンツを履き、一丁前にファイティングポーズを決めている写真だ。幼い日の思い出を切り取った、なんとも可愛らしいものだ。だがそこに写りこんでいるもう一人の人物に、気を留めるものはほとんどいない。







 むせかえるような熱気と、耳の奥にいつまでも残るセミの声が象徴する、それは暑い夏だった。八月と言えば夏休みの最中、そして日本では最も生命が謳歌する季節である。太陽が地面に影を焼き焦がすほどの陽射しの中、雲雀は了平の家へとやってきていた。
 クーラーのきいた部屋は涼しく、二階にある了平の部屋の窓から眺める灼熱の風景とは雲泥の差だ。窓辺に立って狭い庭の潅木を眺めながら、雲雀は陽射しに焼かれる弱き存在に無感動だった。万が一心を動かされたとしたら、そのほうがよほど彼らしくない。
 背後の扉の更に奥から、階段を上るリズミカルな音が聞こえてくる。雲雀は耳をそばだてたが、振り返ろうとはしなかった。軽快な足音は部屋の前で止まり、勢いよく扉が開かれた。

「ヒバリ、わらびもちだぞ!」

 わざわざ宣言して現れたのは、その部屋の主。殊勝にも盆に皿と麦茶を乗せてやって来た了平は、いそいそと床に置かれたローテーブルへ向かった。
 相変わらずけたたましい男であるが、雲雀は慣れた様子で不満にも思わず、今にも鼻唄を歌いだしそうな了平に向き直った。
 来客のときにだけ出す折りたたみ式のテーブルにわらびもちと麦茶の入ったコップを乗せると、了平は雲雀を振り返った。

「他に誰もおらぬのでな、大したもてなしもできなくて済まん」

 心から済まなさそうな了平を眺め、雲雀は内心で眉を顰めた。誰もいないから誘ったのではないらしい。久々の来訪だというのに。
 それでも口に出しては何も言わず、雲雀は了平の向かいに足を向ける。しかし彼の帝王の気質がそうさせるのか、床の上に座ることはなく、ベッドの上に腰を下ろした。部屋の主を高い位置から見下ろして、雲雀は黙ってわらびもちを口に運ぶ。しばらくそれを眺めていた了平も、雲雀に睨まれると慌てて和菓子の皿を取った。

「うむ、美味かった。ごちそうさま!」

 誰の躾か、食事のマナーは案外いい了平は、一気に麦茶を飲み干すと、パンと手を合わせて宣言した。あくまで無駄に声が大きいため、宣言しているようにしか聴こえないのだ。

「……ごちそうさま」

 何やらニコニコと笑いかけてくる了平に向かい、雲雀も食後の礼を口にする。しかし了平とは逆に彼の視線は冷たい。先ほどから了平が何かと声をかけても、ろくに返事すらしない雲雀である。どれほどポジティブな思考の持ち主であっても、彼の機嫌が悪いことを認めずにはおれまい。
 足を組み、物憂げな様子のまま黙り込んだ雲雀に、とうとう了平も意を決した。テーブルから皿やコップをお盆に移すと、彼は突然手をついて頭を下げたではないか。

「ヒバリ、極限すまなかった!」

 下を向いて叫んでも尚、鼓膜を震わせる了平の必死の謝罪に、雲雀は眉一つ動かさない。ゆったりとした動作で足を組み替え、

「……別に、謝罪してほしいわけじゃないよ」

 言い聞かせるような柔らかな口調だが、聞くものに威圧感を与える独特の雲雀の喋り口だ。彼は冷めた視線でテーブルに両手をついた了平を眺め降ろす。彼が欲しているのは謝罪ではない。理由、だ。
 雲雀の言葉を受けて頭を上げた了平は、彼には珍しく困ったような表情でこめかみをかいた。







 さかのぼること三日、先週の金曜のことである。了平と雲雀は、学校にいた。夏休みのこの期間に二人が何をしていたかと言えば、了平は部活、雲雀は風紀委員の仕事だ。隣町で起こったある事件のため、一学期の終わりは病院で過ごした二人である。了平は三年最後の夏の大会の出場を逃したものの、傷が癒えるとすぐに部活に復帰した。そして雲雀は、彼以外にも多くの風紀委員たちが入院の憂き目にあったため、溜まりに溜まった仕事を解消すべく励んでいたのである。
 雲雀がデスクワークに飽き、校内の巡回を始めたのは午後を遅く回ってからだった。夏休みとはいえ、部活動のために登校している生徒は多い。少し陽気がよくなっただけで、人間という生き物は何故か開放的になってしまう。それが単なる錯覚でしかないことを知らず、隷属的な自由を謳歌する姿は雲雀には冷笑の対象にしかならない。それゆえ雲雀は、校内の風紀を正す、という大儀名分の下、好きなだけ草食動物たちを咬み殺すのだった。
 軽い運動がてら校内を一周した雲雀は、逃げ惑う草食動物たちを狩るのにも飽きてきた。彼は何気なく部活棟へと足を向けた。だが雲雀は結局部活棟へは行かなかった。玄関先に、彼が部活棟へ向かう理由の姿を見つけたからだ。
 焼き尽くすような白い日光の下、見事に色の抜けた短い髪の少年が立っていた。了平である。何気なく、しかし確実に意識野にその顔を思い描きながら、雲雀に部活棟へ足を向けさせた張本人だ。いつもならばもっと遅くまで自主練に励んでいるだろうに、どうしたことだろうか。
 不審に思った雲雀が玄関へと向かうと、よほど暑さに強いのか、日向に立っていた了平が彼に気付いて満面の笑顔を向けた。屈託の無い、心から嬉しそうな笑顔で、了平は雲雀に手を振っている。

「……暑くないの」

 日向に出てくるなり眩しげに目を眇め、雲雀は了平に問いかけた。この夏ですっかり日焼けした了平は、大口を開けて笑い飛ばした。

「まかせろ! オレは並盛一の夏男だ!!」

 日本語表現の独特な男であるから、雲雀はそれ以上無駄に同じ話を続けなかった。

「帰るの」

「ああ」

「珍しいね」

 快活な了平は、何故か照れたように笑った。雲雀の視線にも動じることのない、純粋な感情表現である。だからといって別段照れるような場面でもなく、相変わらず計り知れない男だと内心で雲雀は思った。

「……うちに来る」

 語尾を上げぬ独特の問いかけで雲雀は言った。何気ない言葉だが、了平にだけはその声の奥に潜んだ艶がわかった。雲雀は尚も眩しそうに了平を見つめている。思えば久し振りのことである。つい先日まで了平は左腕の骨折で通院し、雲雀は肋骨を何本も折ったために入院生活だった。もちろんそれでも好き勝手していたが、長く了平と二人きりで過ごす機会は無かった。
 同じように、長すぎた接触の薄い期間に思い当たったのか、了平がわずかに咽喉を鳴らした。雲雀の誘いが何を示唆しているか、察しの悪いこの男でもさすがにわかったものらしい。了平は基本的に、普通の人間と正常な会話を成立させることの難しいような難解な日本語能力の持ち主であり、完全無欠な独自の世界を展開しているが、雲雀にこと関してだけはそれなりに敏感だった。すべては雲雀の影響による。
 了平の色素の薄い目には確かに期待の光が灯ったが、しかし予想に反して彼は首を横に振った。未練を振り切るように。

「済まん、ヒバリ! 今日はどうしても用があるのだ」

 勢いよく頭を下げ、その前で謝罪のために手を合わせた了平は、苦渋の選択をするかのような声を絞り出していた。
 頭突きのような了平の謝罪を見事な反射神経でかわした雲雀は、微妙な角度に片眉を上げた。もしそれを見ていたのが了平以外であるならば、恐怖のあまり走って逃げ出すか、その場にへたりこんでしまっただろう。だが雲雀は怒ったわけではない。初めての事態に、ささやかな不満と、興味を抱いたのだ。
 猛禽類を思わせる表情の少なさで有名な雲雀が眉を顰めたことに、了平は更に深く頭を垂れた。

「この埋め合わせは必ずする。近いうちに必ずだ!」

 了平は嘘をつかない。嘘をつけるほど脳みそに容量がない。雲雀はそのことを本人よりよほど深く知り尽くしている。

「…………わかった」

 わざと長い間を置いて恩着せがましく雲雀は言った。彼の返答に了平はパッと顔を上げる。雲雀が許してくれたので、心底嬉しそうだ。一点の曇りも無い了平の笑顔を見ていると、頬をつねりあげてやりたい衝動に駆られるが、雲雀は欲求に突き動かされることは無く、むしろ背後を肩越しに振り返った。
 つられて了平が玄関のほうを見ると、図書室の貸し出し袋を抱えた一人の女生徒が小走りにやって来るところだった。毛先のカールした色素の薄い髪。大きな茶色の目は、優しげに眦がやや下がっている。すぐ先にいる雲雀の姿を見てもまるで動じない稀有な存在。女生徒は了平の妹だ。

「おお、京子!」

 こっちだ、と言わんばかりに了平が手を振った。わずか数メートルの距離でわからぬはずはないのに。
 小走りにやって来た妹は、雲雀に笑いかけながら軽く会釈をすると、兄の横に並んだ。どうやら待ち合わせをしていたものらしい。

「ではな、ヒバリ。月曜にな!」

 威勢よく宣言した了平を尻目に、雲雀は背中を向けて校舎へと向かった。
 それが三日前の出来事。







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