■□■ 2 □■□
月曜の昼に、了平は応接室へやってきた。このあいだの埋め合わせに、このあとうちへ来ないか、と誘うために。
一瞬、断ってやろうかという意地悪な誘惑に駆られたものの、雲雀は彼の誘いに応じた。久々の逢瀬であるし、何より雲雀の招待を断らねばならぬような事態が一体何なのか、問いただしてみたかったからだ。
かくして雲雀は了平の家にやってきた。謝罪する了平に理由を問いかける雲雀は、クーラーが入っていても尚気だるげに彼を見下ろしている。
頭を上げた了平は、こめかみをかきながら彼に似つかわしくないほろ苦い微笑を浮かべた。眉一つ動かさなかったが、雲雀は了平の表情の変化に意識を奪われた。
「実は、親友の誕生日でな」
了平の表情は困ったような微笑に変わっていたが、雲雀は彼を注視し続けた。
通常に輪をかけて表情の薄い雲雀の態度を怒っているのだと取ったのか、了平は慌てて弁明を始めた。先週の金曜は幼稚園以来の親友の誕生日で、妹共々お祝いに招待されていたのだという。他の用ならいざ知らず、年に一度しかないお祝いであるから、その日ばかりは雲雀の誘いに応じることが出来なかったのだ。
「……他校の生徒なの」
了平の弁明に、冷静に雲雀は問いかけた。彼の知る限り、並盛中学に了平が『親友』と呼ぶような人物は存在しない。いるとすれば、雲雀くらいなものだろう。陽気で軽快な了平はその物怖じしない性格から誰とでもフランクに話せるし、誰でも自分のペースに巻き込めたが、強烈過ぎるキャラクターのせいか本当に親しい友人というものもあまりいない。雲雀とは異なった理由で群れることのない男だ。故に雲雀は疑問を口にした。
別段穿った質問でもないが、常日頃から雲雀の飛躍的な思考に尊崇の念を抱いている了平は、分かりやすい驚きの表情を浮かべた。しかしすぐに何故か一抹の寂しさを含んだ微笑を浮かべる。底抜けに明るい了平には珍しい、大人びた微笑だ。
「いや、中学には行っておらん。オレが小二のときに、亡くなったんだ」
了平の返答は雲雀にとっても思いがけないものだった。
想定外の返答を吟味するかのように黙り込んだ雲雀の目の前で、了平は立ち上がった。彼は部屋を横切ると壁際の本棚から写真立てを取り上げた。その姿を視線で追っていた雲雀は、戻ってきた了平が差し出した写真を無言で受け取った。
その写真には雲雀も見覚えがあった。まだほんの小さなころの了平が真新しいボクサーパンツを履き、誇らしげにファイティングポースを取っている。このころはまだ鼻の絆創膏が無かったのだな、と思った記憶がある。
久々に写真を目にした雲雀は、以前には気付かなかった、了平の隣に立っている少年に目を留めた。色の浅黒い、コロコロと太った少年だ。身長は了平とほぼ同じ。らくだのように睫毛の濃い、丸い大きな目をした少年は、剣道着に身を包んでいる。二人は並んで純粋な笑顔を浮かべ、写真の中から雲雀に笑いかけていた。
「小学校に入ったばかりのときの写真だ。幼稚園から一緒で、京子とも大の仲良しだったのだ」
思い出を懐かしむように言って、了平は雲雀の隣に腰を下ろした。ベッドの軋む音が奇妙に乾いて聞こえる。雲雀は写真の中の二人を見下ろしたまま、話を促した。
「もともと身体が強くなくてな。大人にはなれないだろうと言われていたのだ」
雲雀の手元の写真を覗き込み、了平は寂しげに言う。喪失を悲しむよりも慈愛を滲ませた声音には理由があった。亡くなった親友は、医者の家に生まれたのだ。その医者は雲雀も耳にしたことのある外科医院だった。界隈の開業医の中では比較的規模の大きな医院で、地元の名士にも名を連ねている。その家に生まれ、幼くして亡くなった少年。ご両親はさぞや無念であったろう、と了平は呟くように言った。
「……誕生会なの」
お祝いに招待されたと了平は言った。ならばそれは誕生会なのだろう。雲雀は抑揚の少ない、いつもの語尾を上げない問いかけをする。もう亡くなっているのに、とはさすがに言わない。
写真を覗きこんでいた了平は顔を上げ、雲雀を見て穏やかに笑いかけた。
「うむ、ご両親の希望でな。弔いより、誕生日を祝ってやりたいと、毎年京子と一緒に自宅に招待されておるのだ」
それに、と了平は今度こそ彼らしい曇りの無い笑顔を浮かべた。
「誕生日とは、生まれてきてくれたことを祝うのだろう」
ならばピッタリだ、と。
故に先日はお前の誘いに応じられなかったのだ、と了平は改めて頭を下げた。
毛足の短い犬の毛並みのような了平の頭のてっぺんを見下ろしながら、雲雀はふうんと鼻を鳴らした。彼には容易にある場景が想像できる。泣きじゃくる妹の手を握り、への字口を作って葬列に並ぶ幼い了平の姿。くちびるを尖らせて、泣くまいとする幼い彼は、親友が二度と戻らぬことを理解している。喪失は少年を成長させたことだろう。
了平が親友を忘れることはおそらく永久に無い。365日ないし366日ある一年のうち、一日はこのさき一生、親友を思うことに費やすことになるのだろう。了平の全てを欲する雲雀には、少しだけ面白くない。だが、この先数十年あるうちの、一年にたった一日くらいは許してやってもいい。写真でしか知ることのない愛らしい笑顔の少年に、了平の時間をくれてやろうではないか。雲雀は死者に対して寛容である。何故なら雲雀と了平は、生きているのだから。
悠然とした微笑を口元に浮かべた雲雀は、尚も頭を下げている了平を手であしらうようにベッドの端に追いやると、その膝の上に頭を乗せて仰臥した。相変わらず先の読めない雲雀の突然の行動に了平は驚いたが、抵抗するでもなく素直に膝を枕に差し出した。どうやら雲雀がご機嫌斜めであるとでも思ったらしい。
恐る恐るこちらを覗き込むように見下ろす了平に、雲雀は手を伸ばした。了平の膝に頭を乗せたまま、絆創膏を貼った鼻を摘む。むぎゃとか、むぐとか、変な声を出した了平は、どうしたものか困った様子で雲雀を見つめた。
「了平」
久々にかけられた雲雀の声に、わだかまりはない。彼の明瞭な呼びかけに表情を輝かせた了平は、
「何だ、ヒバリ?」
鼻声で応じた了平に雲雀はいつもの変化に乏しい表情で言いかけた。
「君の誕生日は、僕が祝ってあげよう」
いつも通りの尊大な言葉。けれど了平は雲雀の言わんとするところを正確に理解した。
了平は満面の笑顔浮かべ、摘まれたままの鼻を引っ張り寄せる雲雀に抗わず、二人は親密なくちづけを交わした。久し振りのくちづけは、甘い夏の味がした。
〔おわり〕
1
〔comment〕
Back