■□■ 蛇を見た男 □■□






「なぁ、アンタ、タトゥー彫ったんだって?」

 雲雀の背を抱きながら、出し抜けに山本は言った。胸に回された両手がスーツの中に忍び込んでも、雲雀はただ小さく笑うだけ。彼は素人目にもわかる高価な腕時計を外しながら、

「何のこと」

 そっけない言葉に山本も苦笑する。寝室の中、ベッドの隣、山本は雲雀を抱きこんで髪にキスをし、シャツの上を熱い掌でまさぐっていても尚、雲雀は彼を拒絶する。
 けれど易々と篭絡されるような男に惚れた覚えは無い。山本の苦笑は楽しげで、長い襟足から除くうなじにくちびるを寄せた。

「ファミリーの若い奴が、彫り師から直接聞いたって。アンタの肌、最高だったってよ」

 日の当たらぬ場所ゆえに白く肌理の整った細いうなじに、山本はついばむようなキスを落とした。この肌に針を刺し、血を吹き出させ、色を埋め込んだ男がいる。この孤高にして獰猛な獣に苦痛を強いたことを羨み、雲雀に苦悶の表情をさせた男に嫉妬を覚えたとして、何の不思議があろうか。

「さぁ、妄想じゃない」

 明確な嘲りを込めた言葉も、山本を傷付けはしない。予想通りの反応。それこそが喜びである自分を、山本はどうかしてると自覚している。

「なぁ、確かめていい……?」

 雲雀が服を脱ぐのが待ちきれず、耳殻に歯をあてがうようにして山本は囁く。こらえ性の無い手は、すでにシャツのボタンを外し始めていた。

「好きにすれば」

 雲雀は抗わない。彼はただ許可を与えるのみ。求めることもなく、何者も必要としない。だからこそ山本は狂おしいほどに惹かれてゆく。
 嘲笑を含んだ雲雀の許しを得て、山本は彼の服を剥いだ。手順を踏んでいる余裕など無い。引き剥がし、むしり取るような乱暴な手つきにも、雲雀は侮蔑の微笑を浮かべるだけ。
 久々に味わった雲雀の身体は、極上の悪夢に似て山本の脳を焼いた。麻薬めいた鮮やかな毒が快楽をもたらし、一生彼から離れることはできないと思い知る。甘くつらい官能の日々がこれからも続くのなら、山本は魂とて売り渡すだろう。
 あまりにも短い永遠の時間、山本はベッドの上で雲雀を掻き抱いていた。細く力強い身体には、隅々まで調べても、鋭利な針で刻んだ鮮やかな傷痕は見当たらなかった。それが嬉しいような残念なような、山本には自分の胸中が計り知れなかった。知ろうとも思わなかった。自分に背を向け、尚も拒絶を示して眠る男を抱きしめ、同じ時間を共有できるならば、この世のことなど知ったことではない。自分のことさえも、雲雀の前では取るに足らない事象に過ぎなかった。

「ヒバリ……」

 したたるほどの恋情を込めて囁いた言葉を、雲雀は聞くことが無い。死んだように眠る彼に微笑みかけ、山本は薄情な美貌の横顔にくちづけを落とした。頬に落ちかかる髪を指先でのけてやり、わずかに紅潮した頬から、薄く高潔な耳へとくちびるを落としてゆく。
 山本の愛情深いくちづけに、薄情な男は身じろいでしまう。無意識下においても、山本は許容されることがない。浅い眠りにまどろむ雲雀に、山本は尚もくちびるを寄せた。
 豊かな髪をかき上げ、耳殻をついばみ、山本は染み入る声で名を呼びかける。囁きはやまず、耳殻を辿った指先が髪をかき上げる。露になった耳の後ろの覆い隠された場所。
 うなじよりも白い肌にくちびるを寄せた山本が息を呑む。誰も知らない、秘められた場所には…………。




〔終幕〕







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