■□■ 咎狗家の人々 □■□






 今日も日興連はニホン晴れ。大気汚染のおかげで微妙にどんよりと曇った天気のことを、人々は『晴れ』と言う。虚勢だとしてもまかり通ってしまえばそれが常識であり真実であり正解なのである。
 そんなわけでよく『晴れ』たある日曜日、日興連の首都の中でも歴史と伝統の深い街の一角に、一台のタクシーが停車した。タクシーから降りてきたのはある新婚の夫婦(?)である。つい今しがた新婚旅行から戻ったばかりの夫婦は、二人の新居となる夫の実家に着いたところだった。
 タクシーから先に降りたのはいかにも身の軽そうな若々しい新妻(?)で、彼の名はアキラと言った。夫から常々話は聞いていたが、何と立派なニホン家屋であろう。学校ほどもある敷地のほとんどは庭であるらしいが、その中に立っている歴史を感じさせる建物は最早屋敷と言ってもさしつかえはない。日興連の首都でも一等地として名高いこの街に、これほどの敷地を有しているとはその資産はうかがい知れない。
 続いてタクシーを降りたのは夫の源泉であった。タクシーの運ちゃんに気さくに声をかけた源泉は、新居と言うには古い家を見上げて途方に暮れているアキラの肩を抱き寄せた。

「今日からここが俺たちの新居だ」

 屈託無く源泉が笑うと、何故か心が落ち着いてアキラも口元に微笑を浮かべた。今までの彼の生活からは考えられないような毎日がこれから始まろうとしている。それも全て覚悟の上での結婚だった。今更怯んで何になろう。
 アキラはもともと極普通の庶民の子供だった。その生い立ちはやや平凡さを欠き、彼の人生はまず『孤児』という肩書きから始まっている。物心付いたときにはすでに父母は亡く、国営の孤児院で幼少期を過ごした。利発で優秀なアキラにはその後里親が付いたが、すでに一人で生きていくことを決めていた彼は完全に打ち解けることが出来ず、義務教育を脱すると一人暮らしを始めたのである。
 そんな彼の生活の糧は何とストリートファイトであった。アキラが生まれる前に終結した世界規模の戦争の後遺症か、ニホンの各地でいつの間にか若者たちによって政府黙認のストリートファイト『Bl@ster』が繰り広げられるようになった。その発祥の地であるAREA:RAYの個人戦優勝者がアキラである。
 このストリートファイトは各エリアの優勝者に対して賞金が出る。しかもタイトルを所持する人間に挑戦する輩は決して少なくは無いのだ。そのためAREA:RAYにおいて無敗を誇るチャンピオンであったアキラは一度として生活に困ったことが無かった。
 そんなアキラの人生を変える出来事は緩やかに起こっていた。公営ギャンブルに近いストリートファイトには多くの観客がつめかけ、中でも無敗のチャンピオンであるアキラのファイトを見ようと押しかける物見高い観客の数は群を抜いていた。他のエリアの団体戦で最凶の名を欲しいままにしたペスカ・コシカでさえもアキラの人気には敵わなかっただろう。アキラにとってはどうでもいいことでも、彼の試合には驚くべき金額の金が動いていた。
 そんな観客の中に源泉はいた。日興連で最大の新聞社の敏腕記者である源泉は、噂に名高い無敗チャンピオンのご尊顔を窺おうと同僚に誘われてBl@sterへやってきて、アキラに一目惚れをしたのである。
 その日以来源泉はアキラのファイトがある日にはほとんど必ず足を運び、どんなにすげなくされても諦めることなく彼を口説き続けた。そこまでされれば何に対しても全く興味を持たないアキラでも、名前くらいは覚える。顔も覚える。口も利くようになる。初めは自分の倍も年上のオッサンが何か世迷言を言っている程度にしか考えていなかったが、親しく口を利くようになって情が沸いた。源泉は気前がよく、アキラや極少ない彼と親しい人間をよく食事や飲みに連れて行ってくれた。そこに下心があるのはわかっていたが、源泉は屈託が無く、年齢などに関わらずすぐ誰とでも打ち解けた。実際のところ、若い連中と酒を飲むのが楽しくもあったのだろう。若い感性に触れると潤っていい、などと半ば以上本気でアキラに語ったこともあった。
 そんな日々が当たり前のように続くと、今度はかえって源泉がいない生活の方が不自然に思えてきた。アキラのファイトがある日になかなか彼が姿を現さないと落ち着かず、最後まで姿の見えなかった日には理不尽にも腹が立つようになった。アキラ以外の人間とやたらと親しくされるのが面白くなく、わざと無視したりするようになった。それってもしかして恋ってやつじゃな〜い? などとアキラが思いついたのは、うっかり源泉と一夜を過ごしてしまった翌日の朝である。相変わらず年中アキラを口説く源泉に絆されてしまったのが敗因だ。
 すっかり朝寝をして目覚めたアキラの部屋で、すでに起きだしていた源泉は鼻歌混じりに朝食を作っていた。だるい腰をかばって身支度を整え、気恥ずかしさから眼を合わせようとしないアキラに年甲斐も無くはしゃいだ様子の源泉が作ってくれたのはオムライスだった。綺麗に盛り付けられたチキンライスの上に載ったオムレツにアキラは困惑したようだったが、スプーンで切れ込みを入れてみろと源泉に促されてやってみると、薄い皮の切れたオムレツははらりと解け、半熟とろとろの卵焼きがチキンライスの上に広がったのだった。
 アキラ、陥落。
 こうして、『お前を墓の中まで連れて行く!』という源泉の決死のプロポーズにアキラは無言で首を縦に振り、二人はニホンで入籍だけすませると新婚旅行先のアメリカで二人だけの結婚式を挙げたのだった。アキラは嫌がったのだが。
 新婚旅行先のグランドキャニオンから戻った二人は、夫婦(?)として初めて源泉の実家である咎犬家の門を潜ったのだった。






 源泉の家族構成は父、源泉、弟、そして息子が二人という完璧な男所帯だった。彼は学生結婚をして早くに子供を設けたが、その妻は数年前に交通事故で亡くなったのだという。そのときまだ下の息子はほんの子供で、以来源泉は男やもめとしてつつましやかに暮らしてきたのだそうだ。
 結婚するまで知らなかったのだが、どうやら源泉は新聞社でもトップクラスの敏腕社員であるようだ。モスクワ、ロサンゼルス、ワシントンの支局長を歴任し、ニホンに戻った彼は次期社長最有力候補なのだそうだ。そんな人間が何で無職で子供の自分なんかと、と激しく疑問に思ったこともあるが、アキラ好き好きパワー大炸裂の源泉を見ていると悩んでいるのが段々莫迦らしくなってくる。源泉の半分程度の年でしかない幼な妻(?)だが、家族は納得してくれているらしい。どころか、写真でしか知らない美人の後妻(?)を早く連れて来いと源泉をせっついているのだとか。
 基本的に物怖じしないアキラだが、流石に武家屋敷のような立派な門構えには気後れを感じた。何でも源泉の実家は彼の母親の生家であり、父は婿養子にやってきたのだそうだ。その家系はニホンでも有数の名家であり、世が世ならばニホンの支配者として君臨していたかもしれないのだとか。

「んな旨い話があるわけないよな」

 と源泉は笑い飛ばしていたが、あながち完全な冗談でもなかったのではなかろーか。
 思わず緊張するアキラの肩を抱いて源泉は茶の間へ案内した。色々と問題があるとかで家政婦を雇うことはせず、家族で分担して家事をこなしているとか言う部屋はかなり綺麗に整えられていた。何でも上の息子が神経質で潔癖症なのだそうだ。大学生という話の長男は、アキラよりも年上だ。

「ちょっと待ってろよ。今、親父と弟を呼んでくるから」

 玄関から声をかけたが、何しろ家が広すぎて聞こえなかったらしい。源泉はくつろぐように言って茶の間を出て行った。残されたアキラが落ち着かない様子で見回した感じでは、部屋は落ち着いて品のある、どこか生活感を感じさせないものだった。
 初めての場所で一人で過ごす時間はとても長く感じられて、落ち着かずにアキラは席を立った。これからはここで暮らすことになるのに、こんなでは今から先が思いやられる。何気なく外に眼を転じると、広大な庭には何だかよくわからない木々が生い茂っていた。
 早春の風にさわさわと鳴る木々が美しく、無意識のうちにアキラは縁側に立っていた。この庭が最も美しいのは春なのだそうだが、時期の早い今でも充分アキラの心を和ませてくれた。源泉の母が生前に好き勝手樹木を植えたおかげで無秩序ではあるが、それがかえって飾り気の無い風雅さをもたらしているようだ。
 きれいだな、と胸中に呟いたアキラの耳に微かに廊下の軋む音が聞こえた。はっとして振り返ると、家の奥へと続く廊下の思いがけず近い距離に、一人の男が立っていた。日に透けるような金に近い薄茶の髪に、ニホン人にはめずらしい青い瞳。どこか儚さを感じさせるほどの希薄な雰囲気を纏った若い男。一瞬その姿に見蕩れていたアキラは男が足を踏み出して廊下を軋ませる音に我に返り、慌てて会釈をした。

「あ、源泉の弟さんです、か?」

 慣れない敬語でアキラです、と名乗ると、男は彼のすぐ傍で立ち止まった。いきなり間近で見詰め合うことになってアキラは戸惑ったが、目を逸らすのもどうだろうか。思わず無言でメンチを切るアキラに、どこか浮世離れした様子の男は聞き心地の良い声で言うともなしに呟いた。

「……エマ…………」

 え、と聞き返す間も無く男は意外に速い動作でアキラを抱き寄せた。男の胸にぶつかるような形で抱きこまれてしまったアキラは慌てたが、穏やかな雰囲気に反して男の腕は力強い。どうしたらいいのか、そもそもどうしてこんなことになっているのかわからずに混乱するアキラであったが、冷たい男の手が背中を行き来する感覚にえもいわれぬ心地よさを感じて抗うことが出来なかった。男の体温は低いのに、何故か酷く心地いい。滑らかな指先で髪を撫でられるともうたまらず、ゆるやかな眠りに誘われるのを感じた。
 何かいいにおいがする、と急速に迫り来る睡魔に身を委ねそうになったアキラの耳に、どこか遠くから響く二つの足音が聞こえてきたのはそのときだった。

「親父!」

「父さん!」

 男が振り返ったのでアキラも彼の背後を見た。向こうからやってくるのは源泉と、源泉と同じ髪の色の青年だ。ああ、あれが源泉の弟なのか。話には聞いていたけどあんまり似てないな、とぼんやり思ったアキラは、ふいに我に返って声を上げた。

「って、アンタが親父!?」

 驚愕に見開かれたアキラの瞳を、やはりぼんやりと男は見つめていた。








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