■□■ Jamp □■□
日興連はある日を境に突然、独裁政治への坂を転がり落ちていった。言論は弾圧され、政府を批判する人々は処刑され、軍備を整えた日興連は再び外国へむけて侵略の準備を整え始めた。
一体に何があったのか。誰もわからぬまま国民への弾圧は負荷を増してゆく。気付けば粗悪な麻薬が蔓延し、弱者は虐げられ、強者が正義とされる世界ができあがっていた。
そんな中、ようやく平穏を手に入れたアキラと車椅子のシキにも再び魔の手が迫る。突如増え始めた襲撃者たち。しかし彼らが狙っているのはシキではなく、アキラであるようだ。これまでと明らかに異なる襲撃者たちに苦戦を強いられるアキラ。シキを守りながら戦うには限界があった。
いつしかアキラの中で疑問が浮上し始める。襲撃者たちの濁った目や、不自然に浮き上がった血管には覚えがある。多くの死線を潜り抜けてきたアキラでさえもがたじろぐ強さを持った襲撃者たちは、ラインを使用しているのではないだろうか。しかしラインはトシマの崩壊と共に、ナノの死と共にこの世から消え去ったはず。あの男がいなければ、精製できるはずは無いのだ。
しかしアキラの予感は的中してしまう。昏倒した襲撃者がラインの入ったアンプルを所持していたのだ。恐ろしい事実を知ってしまい、世界の崩壊を感じるアキラ。日興連が突然方向転換し、世界へ向けて侵略の準備を始めたのはこのせいだったのか。死して尚、あの男の絶望がこの国を巻き込もうとしているのか。再びあの呪うべき日々が到来してしまうのか。
繰り返される悲劇に自分の無力さを思い知ったアキラだったが、一つだけ光明があった。ラインを目にしたシキの瞳に、微かに意思の光が宿ったのだ。もしかしたらシキは再び戻ってくるかもしれない。それだけを心の糧に逃亡の日々を続けるアキラの元へ、懐かしい人物がコンタクトを取ってきた。それはかつてトシマで少しの間ではあるが、行動を共にしたリンだった。
ラインが再び製造されているのではないかと疑いを持ったのはアキラだけではなかった。イグラの参加者であったリンはいち早くそれに気付き、ジャーナリストとして政府を批判したことから襲撃を受けていた源泉と連絡を取ったのだ。リンはアキラとシキを反政府組織のアジトへ案内した。
独裁政治への暗い坂を転がり落ち始めた日興連に反旗を翻し、ゲリラ戦に近い戦いを挑む組織がニホンの各地に存在している。中でも最も強く、最大級の組織があるのだとリンは言った。狂った政府にいち早く反旗を翻したリーダーを核に、多くの猛者たちが集まって組織されたものが、いつの間にか最大の勢力となっていた。そしてリーダーと言う男はリンに頼んだのだ。ラインについて知識のある二人に、是非仲間になって欲しい、と。
リンの言い分は理解できたが、未だ人格の戻りきらないシキにアキラは躊躇いを見せる。ましてやリンはかつて自分の左足を切り落とした実の兄を、険しい視線で見つめていた。二人の確執をそれとなく感じ取っていたアキラにとって、彼らの仲間になることが正しいのか判断がつかなかったのだ。
ともかく会うだけは会ってみてくれと頼まれ、反政府組織のアジトへ向かうアキラとシキ。警戒を解かぬアキラの前に姿を現したのは、源泉だった。
ラインを製造しているのは政府だと源泉は言う。彼は内戦終結後、フリーのジャーナリストとしてキャリアを重ねていたが、独裁政治と共に突如として広まり始めた新種の麻薬の中にラインがあることに気付いた。そして再び彼を捉えようと現れた追っ手に確信を持った。源泉は再会したリンと共に襲い来る襲撃者たちをなぎ払い、ライン製造の元を探った。その過程でいつの間にか仲間が増え、最大の反政府組織の頭目となっていたのである。
政府に対する人民の憎悪は頂点に達しており、敵意が爆発するのは時間の問題であった。彼らを扇動してクーデターを起こし、政府を打倒する。それが源泉たちの立てた計画の根幹であった。だがそれだけではラインの出所はわからないままだ。そのため仲間を募り、多くの情報を求めた。源泉はジャーナリストの仲間やリンと共に反政府組織を結成し、時期を待っていたのである。
力を貸してほしい、と言う源泉の目にはあのころには無かった強い意思の光があった。凛としたその光にかつてのシキを思い出し、心揺れるアキラ。しかしリンは今のシキは足手まといだと非難する。変わり果てた兄の姿に失望し、憤った彼はシキを練兵場へと連れ出す。
人形のように立ち尽くすシキに刀を突きつけて決闘を望むリン。お前などシキではないと言うリンの言葉。彼が憧れ、彼が目指し、そして憎んだ兄。腑抜けた姿を晒すくらいならば死んでしまえ、と。
渦巻く多くの感情と共に振り下ろされたリンの刃を、紙一重でシキは受け止めた。ラインの存在か、それともリンの叫びにか、ついに覚醒したシキ。ようやく自我を取り戻し世界の存在に気付いたシキに、アキラは我知らず涙を零していた。
繰り返される戦いの中で徐々にシキはかつての自己を取り戻していった。自信に満ちた眼差し、ストイックなまでに強くあることを求める精神。反面、傲慢さは鳴りを潜め、驕りの消えた彼は誰の目から見ても眩しい存在であった。
シキの覚醒はアキラをも強くした。二人の強さは組織の中でも群を抜き、その実力はかつてのナノにも匹敵しただろう。
こうしてアキラとシキを仲間に迎えた反政府組織は更なる力をつけ、各地に点在していた他の組織と結合すると、ついに政府を脅かすまでとなった。それまでの戦いではラインの使用者のために多くの犠牲者を出していたが、非Nicoleであるアキラの参戦によって状況は一変した。彼の血液から精製された薬品で、それまで敵無しであったライン使用者は次々に倒されたのである。
勢いづいた反政府組織は留まるところを知らず、かねてからの計画通りクーデターを引き起こし、ついに政府を追い詰めた。組織の中枢へと乗り込んだアキラたちは、ラインの出所を求めて崩壊に向かう政府の中を駆け回った。ラインの精製にかつてヴィスキオに籍を置いていた者が関係していることはすでにわかっていたが、それでもNicoleウィルスの無い現在、いかにしてラインを作り出していたのかまではわからなかったのだ。そして政府の地下にある研究施設に踏み込んだアキラたちが見たものは、驚くべき光景であった。
地下研究施設の最奥の部屋には、一人の少年が眠っていた。生命維持装置と思われる多くのコードに繋がれたのは、まだ幼い少年だった。金に近い茶色の髪、驚くほど白い肌。閉じられた瞳の色はわからないが、恐らく薄い青色をしていることだろう。それは紛れも無く、幼い姿のナノだった。
一体どうしてそんな者がいるのか。ラインの精製をしていた医者を問い詰めると、恐るべき事実が明らかになった。少年はナノの生体クローンだった。トシマ崩壊のあの日、CFCから派遣された特殊部隊はナノの遺骸を発見した。それはアキラとシキが立ち去って間もなくであったようだ。人間に限らず生物と言うものは、全身を同時に損傷でもしない限り、完全にその活動を停止するまでに時間がかかる。シキの刀によってその生命を終えたナノであったが、彼の身体が完全に生命活動を停止したのはもっとずっと後であった。心臓が停止し、脳が活動を止める。それも細胞の一つ一つが死滅するのには時間がかかり、回収されたナノの遺骸はまだ完全には『死亡』していなかった。
回収されたナノの遺骸からまだ『生きて』いる臓器が摘出された。多くの臓器の中でも最も被害の少なかった腎臓から細胞を摘出し、培養された腎細胞からDNAを採取した。そうして作り上げられたクローンが目の前の少年であった。そして彼こそがラインの製造元となったのだ。
クローンが血液を大量に採取しても耐えられる年齢になるのを待って、ラインの製造は開始された。少年に人権は存在せず、彼はただラインを作り出すためだけに存在している生きた人形である。そうなるとラインを無効にしてしまう非Nicoleであるアキラは邪魔な存在だ。また、かつてトシマで起こった出来事を知る源泉やリンもまた、政府にとって排除すべき危険人物であった。
何て酷いことを、と誰もが憤りを感じた。国家の肥大しすぎた欲望を満足させるために、また哀れな犠牲者が生まれてしまった。ナノであってナノでない存在。少年はゆっくりと目を開く。驚きを隠せないアキラたちに微笑みかけ、穏やかな声でささやかな願いを口にした。
これ以上生命を弄ばれるくらいならばいっそ……。
自ら消え去ることを選択した少年に、アキラは思いとどまるよう懇願したが、そんな彼の肩をシキが掴んだ。どんなに切望しても、少年は首を縦には振らないだろう。ならば逝かせてやれ、と。アキラを諭すシキの目には初めて見る慈悲の感情が浮かんでいた。おそらく二人にしかわからない理由で、シキは少年の願いを悟ったのだろう。後ろ髪を引かれながらもアキラはシキに従うしかなかった。そして崩壊を始めた地下研究施設の中で、アキラは少年を生命維持装置から切り離した。
建物が崩れ去るまで秒読みの段階に入り、脱出を目指すアキラたち。同じ悲劇を繰り返さないようにと、彼らはNicoleと、そしてナノに関する全てのものを消滅させることを選んだのだった。
日興連の滅びたニホンでは、自由を勝ち取った反政府組織のメンバーが中心となって新政府を樹立させた。民主主義を掲げた新政府は多くの人道的な処置を取り、かつての悪法を撤廃し、虐げられてきた人民から熱狂的な支持を受けた。
ようやく本当の復興を始めたニホンにおいて、その中核を成した人々の中にアキラとシキの姿は無い。その傑出した能力とカリスマ性から多くの人々に期待されながらもシキは表舞台に立つことを拒み、政府が軌道に乗るとアキラは彼と共に姿を消した。野に下った二人を多くの人々は惜しんだが、源泉とリンはほろ苦い微笑を浮かべるだけで何も語ろうとはしなかった。
そしてニホンは本当の復興を遂げた。
〔おしまい〕
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