帰還






 カーテンの隙間から漏れる光で、今が朝なのだと漸く気が付いた。いや、ひょっとしたら昼かもしれないし、夕方なのかもしれない。
 最早完全に時間の感覚を失った自分に、リーマスはベッドの上で苦笑を漏らした。もう幾日こうしているだろうか。カーテンの隙間から漏れる光だけが時間の経過を示している。それはリーマスの元にシリウスが返ってきてからと同じ時間だった。
 リーマスは何気なく寝返りを打つ。男二人が眠るには決して広いとは言えないベッドの中にシリウスの姿は無い。食事でも作りに行っているのだろうか。彼が帰ってきて以来、二人が離れるのはそんなときだけで、他の時間はずっと一緒に過ごしていた。
 だるい腰をどうにかだまし、リーマスはバスルームへ向かう。昨日も汗をかいたまま眠ってしまったので、早くシャワーを浴びたかった。それでもずっと立っているのは疲労した身体に辛く、リーマスは浴槽に座ったままシャワーを浴びた。
 高めに設定してある湯が若い肌の上を流れて行く。ピリピリとした刺激も慣れれば気持ちいいものだ。肩や腕を滑る湯を見ながら、リーマスは溜息をついた。
 本当にもうどのくらいこんな生活を送っているのだろうか。この数日は外界からの接触を一切絶って、ずっとシリウスと抱き合っていた。お互いが疲れては眠り、気の向いたときに起きてシャワーを浴び、食事を取る。それが済むとまた再びベッドで抱き合って、それはさながら獣のようだとリーマスは苦笑した。それでも止められないのだから仕方が無い。どうしてなのかはわからない。でも、どちらがそうしようと言い出したわけではないのだ。
 浴槽に湯が溜まったのを見計らってリーマスはシャワーを止める。やっと一息つけた。水の音が心地良く、リーマスは目を閉じる。流石に疲れていることを自覚していたが、まだこの生活を止めるきっかけを彼は掴めてはいなかった。





 シリウスが帰ってきたとき、リーマスは喜んで彼を迎え入れた。栄養のある食事を与え、清潔な衣服を渡し、安心して眠れるベッドを提供した。次の日にはリーマス自ら髪を切ってもやった。さして上手いわけでもないが、できるだけ昔のシリウスに似せるように。逃亡生活の疲れからか、シリウスは極端に無口だったが、リーマスは気にしなかった。ちゃんとした食事をして、健康な生活を送れば、きっとまた昔のような少し煩いくらいに元気になるだろう。かつて学生時代にあれほど自分を心配してくれたのだから、今度はリーマスが世話をやいてやる番だ。そう思ってもいたし、何よりシリウスが戻ってきてくれたことが嬉しかった。そしてその日の夜から、二人は抱き合い続けた。
 どうしてそういうことになったのか、リーマスは良く覚えていない。夕食の後は二人でゆっくりくつろぎ、寝る前に少し酒を飲んだ。久々に口にするアルコールに、シリウスは少しだけ表情をほころばせたように思う。それから後は、寝室での出来事だ。誘った記憶も誘われた記憶も無いが、何となくそういうことになったのだろう。本当に獣みたいだな、とリーマスは苦笑した。
 何しろ2階の寝室へ上がるまでもずっと抱き合って、キスをしたりお互いの肌に触れ合ったりするのを止めなかった。ベッドへ入るまで待てなかったのだ。服を脱がすのももどかしく、いっそ引き裂いてしまおうかとも思った。十数年ぶりに触れ合わせた肌が、火のついたように熱かった。噛み付くように交わしたキスが麻薬めいた甘さでリーマスの思考回路を侵していった。
 シリウスもまたどこか感情のたがが外れたのか、夢中でリーマスを愛撫した。二人とも名前などまるで呼び合わなかったが、お互いしか見えていないのは明らかだったので、それで充分だった。特にシリウスは断続的に続くリーマスの艶声だけを聞いていただろうし、そもそもそうさせたのは彼だ。そこに愛や恋慕の入る隙などは無い。ただ満足がゆくまで抱き合うのは、この上ない快楽だった。





 着替えてからリーマスが寝室に戻ると、まだシリウスの姿は無かった。この間にベッドメイクを済ませ、リーマスは階下に向かう。すると丁度シリウスもリビングからやってきて、彼はキッチンの方を親指で指し示し、2階の寝室に戻っていった。
 キッチンには簡単な食事と、体力回復の薬が用意してあった。何も言わなくとも、やはりシリウスの本質は少しも変わってはいない。そう思うと自然と笑みが零れたが、自分でそれに気付かないふりをして、リーマスはキッチンへケトルを取りに行った。
 リーマスは甘いミルクティーを入れると、食事に取り掛かる。あまり食欲があるわけではないが、食べなければ体力が持たない。気遣いからわざわざシリウスが用意してくれたのであろう薬もちゃんと飲み干し、後片付けをする。それが済むともうやることもなく、リーマスも再び寝室へ戻っていった。





 寝室ではシリウスが静かな寝息をたてて、ベッドに横になっていた。リーマスがそっと覗きこむと、シリウスはまるで気付かないのか、穏やかな表情で眠っている。それに安堵の息を漏らすと、リーマスもシリウスの隣にもぐりこんで横になった。食べたばかりだが、気にすることは無い。シリウスもリーマスももっと太った方がいいような体型だ。それでもリーマスは学生時代に比べ、ずっと体重も増え、健康的になった。脱狼薬の開発のおかげである。だがその一方、かつてさんざんリーマスにもっと太れと小言を言ったシリウスの方が、見る影もなく痩せてしまった。贅肉はおろか、筋肉もほとんど無いだろう。一時期などまさしく骨と皮だけの容貌であった。
 先日久し振りに肌を合わせたとき、シリウスのあまりの変化に息を飲んだ。わかっていたはずなのに、やはり昔のイメージがある所為か、骨格が完全に浮き出てしまった彼の身体は痛々しい。だが一番リーマスに憐憫の情を起こさせるのは、やはりあの眸だろう。かつては楽天的なほど陽気な輝きに溢れ、表情豊かで良きにつけ悪しきにつけ人々に強烈な印象を残した彼の眸は、昏く沈んで常闇の夜空を思わせた。死んだような、憑かれたような眸だ。それがアズカバンがシリウスに与えた闇だったろう。それを思うとリーマスは辛くてならない。
 かつてリーマスは光り輝くようなシリウスにひどくあこがれた。それが単に無いものねだりであることも自覚していたが、憧憬の念は募るばかりであった。ジェームズとはまた違った種類の輝きを持つシリウス。ジムのそれは何かを諦めたが故の明るさであったが、シリウスは無邪気でそして無知であるが故の明るさ。彼は不正に対してはいくらでも義憤の念を起こし、それを正さずにはおれなかった。それは若い者だけが持つ愚かなまでの真っ直ぐさであったろう。そんなことを他人がしたなら、リーマスは冷笑を持ってそれを眺めていただろう。だがシリウスにはそれを本当に叶えられるのではないかと思わせるような、いや、叶えられると他人に信じさせることができる魅力があった。その一点の曇りも無い光に照らされることが、まだ少年であったリーマスには心地良かったのだ。
 だが今では、リーマスは自分に近い影を負ったシリウスの、その闇の部分こそが愛しくてたまらない。どんなに努力しても叶うことは無く、全てを犠牲にしても不可能なことがあると知ったシリウスは、リーマスの手の届く場所にいる。二人は漸くお互いに理解し合うことができるようになったのだ。果たしてそれが自分は嬉しいのか、それとも悲しいのか。そんなことを自問しながら、リーマスは眠りに落ちていった。





 何かとてもいい夢を見たような気がして、リーマスは目を覚ました。焦点が合わずに瞬きを繰り返していたら、くちびるに何か温かいものが押し付けられた。ああ、キスをされているのだなと思い至り、リーマスも舌で応える。多分リーマスの身体を余す所無く知り尽くしているであろうくちびると舌は、微かにコーヒーの味がした。
 気が付くとほとんど服を脱がされていた。よほど深く眠っていたのだろう。数時間ぶりに自分の身体に愛撫を刻むシリウスの髪を、リーマスは優しく梳いてやる。コーヒーの味がしたくちびるが、飽きもせず点々と胸の上に赤い痕を残してゆく。以前につけられたものもまだ色鮮やかで、そのうち本当に消えない痕になってしまうのではないだろうか。だがリーマスもシリウスに対して同じようなことをしているので、お相子だろう。お互い肉の薄い身体なので、ちょっと強く吸っただけで簡単に痕になってしまうのだ。痕を付けるなと言う方がよほど無理なのである。
 シリウスの大きな掌が素肌の上を滑ってゆく。乾いた少しかさついた手は、指がとても長い。それは単に異常なまでに痩せた所為でそう見えるだけなのだろう。節の目立つところは昔からだが、こんなに華奢な指ではなかった。身長差だけではなく体格もリーマスよりずっと逞しかったシリウスだが、今の二人はそんなに違って見えないかもしれない。それでも肩幅や手首の太さはやはり違い、今でもリーマスは少しシリウスが羨ましかった。
 あっとリーマスが声を漏らしたのは、下肢に伸ばされたシリウスの手が敏感な部分に触れたからだ。通常寝起きは身体の感覚が鈍く、動くこともままならないのに、自分でもこの反応はどうかと思う。それもすべてはここ数日の交歓のせいなのだが、それにしても少し過敏ではないだろうか。
 しかしシリウスは相変わらず大して表情も変えずにリーマスを愛撫していた。ある種の緊張は窺えるが、熱中しているだけで楽しいのかどうかリーマスにはわからない。それでも彼がしたがるので、リーマスは抗わない。いや、それ以上に自分もしたいと思っているのだろう。そうでなければこんなに長い間ただ無心にお互いを貪っていられる筈がない。ひょっとしたらこの数日の間に誰かが訪ねて来たかもしれないが、二人とも気付かなかった。気付いたとしても無視しただろう。それほどにお互いに夢中になっていたのだから。
 リーマスの背骨の浮いた白い背中にキスを落としながら、シリウスは愛しげに彼の身体を撫でる。先日十数年ぶりにしたときより、ずっとずっと蕩けて潤った身体。僅かな愛撫に切なげな吐息を漏らし、艶やかな表情をする。背中の敏感な部分に沢山の痕がついているのは、リーマスが欲しいとねだるから。リーマスのして欲しいことをしてやれば、彼もシリウスのして欲しいことをしてくれる。そんな風にして溶け合うほどに交わりつづけたこの数日間、シリウスは確かに幸福であった。やりたいこともやらなければならないことも沢山あったはずなのに、何よりも抱き合うことを優先した。それは妙な感覚だが、間違ってはいないと思う。そうでなければ、こんなにも長い時間、求め合っていられる筈が無いではないか。
 漸く体内に侵入してくれたシリウスに、リーマスは甘いため息を漏らした。弾力はあっても縋ることの出来ないベッドより、悩ましげに眉間に皺を寄せるこの男の方がいい。リーマスはシリウスの背に腕を回し、首筋に歯を立てた。しっとりと汗をかいた背中を、指先でなぞり上げると、シリウスは息を飲む。かわりに耳朶を噛まれ、今度はリーマスが声を漏らした。
 見つめられて、リーマスは目を閉じ、キスを交わした。舌を吸われ、背骨が溶けるような快感を味わった。全ての細胞がこの行為に歓喜の声を上げているのがわかる。肌で、くちびるで、舌で全てを味わい尽くそうとするこの行為を最早浅ましいとは思わない。もしかしたらそれは最も醜いことなのかもしれないが、二人にはもうどうでもよかった。ただ夢中でキスをしながら、気の遠くなるような快楽の波に埋没してゆくのだった。





 いつの間にかカーテンから差し込む光も無くなった。もう夜なのだろうか、とリーマスはぼんやりと考える。裸で抱き合ったまま眠るベッドは、ゆりかごの安心感で二人を包んでいる。呆れるほど交わったあと、再び浅い夢を見て、リーマスは目を覚ました。一瞬暗い部屋の中で自分が何をしているのかわからず、今までのことも全ては夢であったかのように錯覚した。だがそれらが夢幻ではなかった証拠に、隣にはシリウスの身体が横たわっている。手を伸ばせば頬にも肩にも触れられる。これは夢などではない。その確かな証しに安堵の息を漏らし、リーマスは隣で眠るシリウスを見つめた。
 シリウスは多分、リーマスの中にある種の安寧を見出そうとしているのだろう。失われた十数年を最も手早く取り戻そうとした結果がこれなのかもしれない。隣で浅い息をつきながら目を瞑るシリウスを見ながら、漠然とリーマスはそんなことを感じていた。
 仰向いた横顔の疲労に翳る目許が以前より柔らかくなったような気がする。ここへ来たばかりのときには消しきれなかった警戒の色も薄れて、今は安心した様子でベッドに横になっている。骨の浮き出た肩の線や、小刻みに上下している胸に情事の跡は色濃いが、穏やかな表情は満足げで、リーマスも口許をほころばせた。これならばそう遠くないうちに、かつての自分を取り戻すかもしれない。もちろん、あの頃のままに戻ることは永遠に無いだろう。人は子供には還れない。だからこそ年老いることは面白い。
 瞼がピクリと痙攣して、シリウスは目を覚ました。彼は深く溜息をつくと、右手で目を擦った。何か恐ろしい夢でも見ていたのだろうか。自分の隣であっても尚シリウスを恐れさせるものが何なのか、リーマスは知りたいと思う。
 見つめられていることに気付いたのか、シリウスはゆっくりとリーマスの方に顔を向けた。倦怠と満足と、柔らかな愛情を込めて。きっと自分も同じような目をしているのだろうな、と思いつつ、リーマスは微笑して口を開いた。





「おかえり」







〔END〕





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