■□■ 禁欲について □■□






 ボクシングに限らず、スポーツ選手は試合を前にすると禁欲せねばならない。その期間はまちまちだが、長ければ二ヶ月にも及ぶ。
 何故そんなことをしなければならないかというと、特に男性の場合、射精すると身体は次の種を精製しようとする。その分のエネルギーを奪われてしまうことになる。それを自分の意志で止めることはできない。
 人間が生物である以上、種の保存は試合の重大さに勝るのである。

「というわけで、これから試合が終わるまでお前に触ることはできないのだ!」

 そんな風に了平が真面目腐って宣言したのは、いつもの応接室でのお昼時間のこと。箸を休めて聞いていた雲雀は相変わらずの無表情で、そう、とだけ呟いた。

「……納得したのか?」

 了平は広げた自分の膝に両手をついて、うかがうように雲雀を見つめた。再び箸を口に運び始めた雲雀の様子はあまりにも普段と変わらず、決死の思いで宣言した了平のほうがいささか戸惑ったほどだ。

「したよ」

 雲雀の言葉は少ない。が、これ以上しつこくしたら彼の機嫌を損ねてしまうことは明らかで、仕方なく了平も再び食事に戻ったのだった。






 ボクシング県大会中学生の部で、夏の大会に引き続き並盛中は団体戦優勝を成し遂げた。非凡な才能を有した了平は、昨年は一年生で初出場にもかかわらず部を準優勝に導き、以来負け無しなのである。
 公式の場であるために珍しくきちんと制服を着てネクタイを締めた了平は、スポーツバッグを肩にかけながら他の部員と一緒に顧問の後について廊下を歩いていた。
 県の運営するスポーツセンターの廊下は、すでに人気もあまりない。明日には高校生の部があり、観客は早くも帰ってしまったのだろう。
 優勝の高揚感に包まれて、部員たちの表情は晴れやかだ。先頭を歩く顧問も誇らしげであり、これから学校に戻ってミーティングだと息巻いている。
 ふと視線を感じて了平は辺りを見回した。ロビーの柱のところに、見覚えのある少年がいる。柱に背を預け、腕を組んでいる学ラン姿の少年は、了平の超人的な視力を持ってせずとも雲雀だとすぐにわかった。

「ヒバリ!」

 嬉しげに声を上げて手を振った了平を、一斉に部員たちが見つめた。何かと派手な噂の耐えない風紀委員長が何故にここにいるのか。了平が彼を恐れないことは知っていたが、声をかけるなどよけいなことを。
 戦々恐々と見守る部員たちの前で、了平は顧問の前に進み出た。友人が来ているので少し話してきてもいいかと了承を得るためだ。
 不思議なことに顧問は了平の言葉が終わる前に許可を出した。さきほどまでミーティングがどうのと息巻いていたくせに、あっさりと現地解散を決定した。普段は厳しいはずの顧問が突然掌を返した理由を了平だけがわかっていない。
 とにかく都合のよくなった了平は喜んで顧問に礼を言い、軽い足取りで雲雀のもとに駆けていった。






 スポーツセンターの廊下を二人は歩いている。雲雀はいつもの無表情で前を向いたまま。隣を歩く了平は相変わらず一人で楽しげにボクシングを語りながら。
 今日の試合の内容を身振りを交えて話す了平を雲雀は振り返らない。何か目的があるのか、ほとんど彼を無視したまま階段を上ってゆく。
 そんな雲雀の態度など慣れたものなので、了平は気にしなかった。相変わらず思考方法の読めない語り口で興奮を露に試合内容を語っている。傍から見たらかなり奇異な二人だが、ある意味お似合いでもあった。
 三階の廊下はすでに電気が消されていた。それでもまだ陽があるために暗くはない。雲雀は何も言わず、廊下を進んでゆく。
 長い廊下の突き当たりにトイレがあった。どうやら雲雀はそこへ向かっているようだ。
 別段トイレなら一階にもあったのに。不思議に思いつつも了平は雲雀と並んで歩くのをやめなかった。
 女子トイレと男子トイレのあいだに車椅子用の広い個室があった。雲雀は壁のスイッチを押して自動ドアを開くと、当たり前のように中に入った。
 個室内のスイッチを雲雀が押したので、ゆっくりと扉が閉じ始めた。了平は外で待つために一歩退いて何気なく視線を窓に向けた。その了平の視界の端に、にゅっと雲雀の手が伸びた。

「う、わっ!?」

 油断していた了平は、見事にネクタイを掴まれて個室の中に引きずり込まれた。ギリギリの幅で扉を潜り、ネクタイを掴まれたまま壁に背を叩きつけられる。
 肩を滑ったバッグが床に落ち、二人の横で扉が完全に閉まるよりも早く、雲雀は了平のネクタイを掴んだまま噛みつくようなキスを仕掛けていた。
 並大抵のスポーツ選手などはるか及ばぬ伝達速度で、了平の脳内を多くの情報と感情が駆け巡った。その驚くべき反射神経と情報処理速度が彼を優勝に導いたのだ。
 あるいは試合よりも素早い反応で、一瞬のあとには了平は雲雀と身体を入れ替えていた。
 雲雀のしなやかな身体を壁に押し付け、了平は彼のくちびるを貪った。これまでひたすらに押し込んできた欲望が爆発し、興奮となって全身の血流を巡っている。試合は終わった。もう雲雀に触ってもいいのだ。

「う、んっ……」

 貪り合うようにキスを交わしながら、二人は性急に肌を求めた。忙しない手がシャツを捲り、ベルトをくつろげてゆく。荒い息がキスのあいだに零れ、お互いの肌を濡らした。
 ジッパーを降ろすのももどかしく、了平は引き剥がすように雲雀の下肢から衣服を剥ぎ取った。雲雀も負けじと了平の下着の中に手を差し入れる。二人の行為は愛情の交換というより、喧嘩に近い。真剣という点で、それは闘いによく似ていた。

「あっ……!」

 筋の張った雲雀の脚を抱え上げ、了平は強引に彼の中に押し入った。もう幾度も幾度も身体を重ね、多くの経験を積んだ雲雀の身体は貪欲に了平を呑み込んだ。

「くっ……」

 久々の行為に了平は目が眩むようだった。高揚と欲情が彼を突き動かしている。雲雀もまた、滴るような欲情を隠しもせず、喰らい尽くすように了平を欲していた。
 雲雀の両脚を抱え上げ、了平は壁に背を押し付けた。雲雀は彼の首に腕を回して尚も噛み付くように口付ける。脚を了平の腰に絡め、抱きつぶす力加減で彼に縋っている。
 息をつく間さえ惜しむように、二人はくちびるを貪りあった。飲み下しきれなかった唾液が顎を伝っても、気付きさえしない。無理な体勢で腰を絡め、制服を乱し、二人は交わることをひたすらに欲していた。それは本能に付き従った人間の、紛れもない純粋な姿だった。






 いつの間にか日の落ちた暗い道を並んで歩きながら、二人は無言だった。余韻に火照った身体を冷まそうと、夕暮れになって一層冷え込んだ冬の道を歩いている。
 雲雀はいつもどおり無言だった。彼の横顔には興奮の残滓は欠片もうかがえない。
 了平は彼らしくなく無言だった。まだどこか緩んだ瞳で、ときどき雲雀を盗み見ている。
 二人の様子はどこかぎこちなかったが、それでもお互いが溶け合い許容し合っていることが雰囲気で知れた。
 先ほどより少し乱れた制服を気にもせず、了平はぼんやりと雲雀を見つめた。行為を終えてからというもの、彼は一言も発していない。お互いの身体に陥落して、キスをやめて、身体を離して、そして平常に戻った。ただそれだけのこと。
 しかしそれが了平には少し惜しい。あんな必死な雲雀は、滅多に見られるものではない。例えそこがいつ誰が来るとも知れない公共の場であっても、了平はもう少しそんな雲雀を見ていたかった。
 道を進むほどに別れが近くなるのを残念に思いながら、それでも了平は黙って雲雀と並んで歩いていた。雲雀の様子はすでに平常どおりで、先ほどの熱情の余韻をまるで感じさせない。
 普段と違うところがあるとすれば、吐く息が白いほどの寒さにくちびるがやや赤いことくらいだろう。けれどそれが冬の刺すような寒さのためだけではないことを了平は知っている。その原因が自分にあることが了平は嬉しかった。
 人通りの少ない通りの信号で足を止めたとき、ふいに雲雀が口を開いた。

「了平」

「何だ?」

 通り過ぎる車のライトに照らされた雲雀は、了平を一瞥さえしない。

「うちに来なよ」

 それは提案ではなく決定事項だった。雲雀は了平が断るはずが無いことを知っている。それと同時に、断られないことを願ってもいる。彼も同じように了平との別離を惜しんでいた。そのことが了平をいたく感動させた。

「ああ、そうしよう」

 満面の笑みを浮かべ、喜びを隠しもしない声で言った了平を、初めて雲雀が振り返った。少しくちびるを尖らせて不服そうな様子を装った雲雀が、本当はとても喜んでいることを、直感的に了平は知っていた。





〔おわり〕







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