■□■ 守るべきもの □■□
「来たか」
扉を開いたnに執務用のデスクからエマが声をかけた。最早深夜に差し掛かった時間である。突如内線でnを呼びつけたエマだが、彼女には一つの目的があった。
深夜にエマがnを自分のオフィスに呼びだす理由など一つしかない。飲兵衛のご相伴だ。ろくな人間の揃ってない研究所である。この時間でも残っている綺麗どころなどnくらいなものだ。まともな会話の成り立たない相手ではあるが、一人で呑むよりはマシだろう。
エマの手招きに無言で足を向けながら、nの視線は部屋の隅にかかった謎のサンドバッグに向けられていた。
「呑め」
デスクの前に置かれたパイプ椅子にnが腰を下ろすのを待って、エマは湯飲み茶碗を差し出した。中には何か温かい液体が揺れている。芋焼酎だ。もちろんnはそんなことは知らない。
しかしそれが何か考えることもせず、nは黙って湯飲み茶碗を口に運んだ。が、その手が不意に止まる。
「どうした?」
自らの湯飲みにポットから芋焼酎を注ぎながら問いかけるエマをnはぼんやりと見る。
「……目潰し」
「目潰し?」
こくんと頷くn。どうやら芋焼酎のアルコールに目が当てられたらしい。それを目潰しとは全く面白い男だ。
気にするな、とエマが促すと、今度こそnは湯飲みに口を付けた。
「……美味いか?」
「…………うまい」
nの返答に満足げに口元を笑ませると、エマは机の中から何かを取り出した。
「つまみだ」
食え、ということだろう。nは黙って茶色の干物らしきものを口に含んだ。独特のにおいがあるが、歯ごたえがあってうまい。どうやら気に入ったのか、nは奥歯でしばらく租借を続けた。
「……これは?」
食べ終えたnがデスクの上に乗った他の干物を指差した。どうやらまだ欲しいらしい。エマは干物を千切り取ってやりながら、
「スルメだ。この間アメ横で買った品だ」
「アメ横?」
小首を傾げるn。彼は人生のほとんどをこの施設で過ごしている。戦場以外の地理を知っているわけが無い。
「ああ、一昔前の大戦後、ニホンを占領統治したGHQの官舎の傍に彼らの消費を目的に市場が立ったことから発展した問屋横丁だ。ニホンの占領統治はアメリカが中心だったからな。ついた名前がアメリカ横町。通称アメ横だ」
エマの説明がわかったのかどうかその鉄面皮からは読み取れなかったが、nは黙って湯飲みを傾けている。分けてもらったスルメを噛み千切り、芋焼酎をちびちびと飲むn。極端なまでに常識の無い男でも、酒の飲み方はニホン人のDNAに刻み込まれているのだろうか。表情は無くとも湯飲みを傾ける瞬間、美味そうに目を細めるnをエマは愉快そうに見守った。
「それは我が国ニホンが誇る名品だ。お前が戦い、守るべきものだぞ」
まるきり真剣な眼差しでうそぶきつつnを見つめ、エマは片手で脇にあったクリップボードに書き込んでいった。
『n:芋焼酎及びスルメを好む。飲兵衛の可能性、大』
〔END〕
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