■□■ MONSTER □■□
トシマの郊外にある廃ビルは、元はといえば高級マンションになるはずの予定のものだった。だが戦争のために放棄され、今は見る影も無い。その荒廃した暗い廊下に硬質の足音を響かせるのは、イグラのおいて最強の名をほしいままにする男、シキだった。
もしもシキを良く知る者がいたなら、今日の彼の足取りが軽いことに気が付いただろう。長い廊下を急ぐ先には、彼の住処がある。左手に日本刀を、右手に紙袋を抱えたシキは、無意味に口元をほころばせていた。
何故彼が上機嫌なのか。それは彼が抱えた紙袋にある。茶色の無地の紙袋の中には、幾つかの食料が入っていた。
トシマにおいて食料とはソリドのことを示す。だが、イグラの王の正体はシキであり、本日彼は手下のアルビトロを脅して本物のハムとチーズとバゲットを手に入れたのだ。
ぶっちゃけかなりキモイが、シキは鼻歌交じりに廊下を急ぐ。ねぐらにしているマンションの一室には、先日やはりアルビトロから無理矢理ぶんどったシャンパンが冷えている。基本的に食欲に乏しいシキだったが、時たまこうしてやけに食道楽をしたくなる日があるのだ。
チーズとハムでサンドウィッチもいい。いやいや、バゲットを軽く焼いて、ガーリックバターを乗せて、別々に食うのも悪くない。ああ、どうせなら先にシャワーを浴びて、湯上りに冷たいシャンパンなどどうだろう。脚の長いシャンパングラスに金色のシャンパンを注ぎ、腰に手を当てて優雅に煽る。飲み干したあとの台詞は『くーっ、この一杯のために生きてるっ!』に決定だ!
基本に忠実な男シキは部屋の戸口に立つと、いそいそと鍵を開けて勢いよくドアを開いた。
その刹那、上機嫌のシキの目に飛び込んできたもの。それはいつも通りの殺風景な部屋の中、ドアのところから丸見えのベッドの上で、寝そべったままもしゃもしゃとスナック菓子を頬張るナノの姿。
バタン。
思わずシキがドアを閉じたのは、見たものを信じられない人間の条件反射に近いものがあったろう。
な、何だ、今のは!?
シキは紙袋を抱きしめたまま冷や汗を浮かべつつ必死になって考える。何だ、今確かに変なものを見たぞ。俺のベッドの上で勝手に物を食ってる男がいなかったか。しかもあのスナック菓子、こないだ城の食料庫で見つけた『ぐんじ』って下手糞な字で書きつけてあったやつじゃないか。いやいや、それ以前に何であの男がここにいるんだ。寝床で物を食うだなんて非常識な。蟻がたかってしまったらどうしてくれるんだ。待て、それ以前に本当にあの男だったのか。何かの見間違いじゃないのか。幾ら何でもあの男がここにいるわけがない。そうだ、きっと見間違いだ。気のせいだ。眼精疲労と肉体疲労にはタウリン1000mgだ。牡蠣食う客は旧祖特許許可局員だ。そうに決まっている!
意味不明なことまでわずかコンマ3秒で考えて、切り替えの早い男シキは気を取り直して再びドアを開いた。
バタン。
幻覚を振り払うように力いっぱい開かれたドア。その向こうには殺風景な部屋が広がっている。思わず殺気立った視線で凝視した窓辺のベッドの上には――――誰もいなかった。
「…………ふっ、俺としたことが」
見間違いごときに心拍数を乱されるなんて。
一人で格好つけて自嘲の笑みを浮かべるシキは気付かなかった。彼の背後、開かれたドアの隣に、スナック菓子の袋を抱えたナノがぼーっと立っていることに。
〔おしまい〕
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