■□■ もしも世界が「雨」ならば □■□






 雨の音に目を覚ますと、男の腕の中だった。
 広いシーツの海の中で雲雀はこれは夢なのだと確信した。目を上げれば、間近にはよく見知った男の顔。浅い呼吸と他人の気配がある中で、自分が眠れるはずがない。ならばこれは夢から覚めた夢なのだ。
 早朝の部屋の空気は重く冷たく、雲雀は大きく伸びをして肺に新しい空気を吸い込んだ。脳に酸素が回る心地よさ。男の腕を振りほどき、ベッドから素足を下ろす。雨の影の落ちるベッドを離れ、雲雀はバスルームへ向かった。
 雨の音とシャワーの音が重なり、頭の中で響くようだった。雲雀は若々しい皮膚の上を滑り落ちてゆく水滴を眺め、ぼんやりと昨夜のことを思った。おそらくほんの数時間前の出来事。ベッドで惰眠を貪る男と、気が済むまで交わった。
 大判のタオルで髪を拭きながら、雲雀はバスルームの端にある窓から外を眺めた。灰色の空は重く、雨はやむ気配を見せない。どうせこの夢から目覚めればそれで終わる世界のことだ。気にするようなことではない。と言っても、現実でも雨が降っている可能性は高いのだが。

「まっぱで何ぼーっとしてんの?」

 不意に声がして、誰かが雲雀を後ろから抱きしめた。突如現れた気配に雲雀は驚きもしなかった。誰かに背後を取られるなど普段の雲雀ならばありえない話だが、これは夢の出来事である。何の前触れも脈絡も無く男が現れたとしても不思議はない。

「アンタいいにおいがするのな」

 男は無遠慮に雲雀の首筋に顔を埋め、さも楽しげに呟いた。わざとらしい鼻を鳴らす音に雲雀は高速で男の鳩尾に肘鉄を食らわした。
 鈍い音と濁音の多い短い悲鳴と共に男の身体が崩れ落ちる。上体を折った男の顔面にすかさず拳を叩き込むと、雲雀はもがき苦しむ男を無視し、寝室へと取って返した。






 寝室は相変わらず雨の静寂に包まれていた。
 水の流れる音が心地よく、雲雀はベッドにうつ伏せに倒れこんで目を閉じた。驚くほど軽い羽毛布団と毛布を手探りで掻き分け、ベッドの中に潜り込む。素肌に触れる毛布の柔らかさが心地いい。硬すぎもせず柔らかすぎもしないベッドに潜り込んだ雲雀は睡魔の誘惑を感じた。他人のぬくもりの残るシーツからは、若い雄のにおいがした。

「……寝てんのか?」

 頭のすぐ後ろから聞こえた声に雲雀は目を開けた。眠りに落ちてゆこうとしたところだったのに。まだこの夢は覚めないらしい。
 再び突然現れた男は、いつの間にか雲雀の背を抱いてベッドに横になっていた。夢でもなければ不可能な事態である。これほど雲雀が無防備であることなどないのだから。
 男はそっと雲雀のうなじに口付けたが、何を思ったのか急に息を呑んで呟いた。

「やべっ、血ぃついちまった」

 何のことかわからず不審げに雲雀が肩越しに振り返ると、困ったように眉根を寄せて微笑する、男の独特の表情が目の前にあった。男の下のくちびるの端が切れて血が滲んでいる。先ほど雲雀が殴りつけたせいだろう。滲んだ血の色は赤く清冽で、舐めたら甘いのではないかと雲雀は思った。

「ちょっと動かないでくんね?」

 相手に決断を委ねるいつものずるい口調で男は言い、雲雀のうなじに再び口付けた。くちびるは先ほどの場所を辿り、舌が皮膚の上を辿った。血を舐め取る感触の卑猥さに背筋が粟立つのを感じ、雲雀は身を竦ませる。シーツに顔を埋めた雲雀の背を抱いた男は嬉しげに笑い、再度雲雀の耳元にくちびるを寄せた。

「なぁ、ヒバリ。やらしーことしようぜ」

 囁く声に潜む欲情に雲雀は目を眇めた。背中に直に触れる男の身体が熱い。肌が薄く汗ばんでくるのが自分でもわかった。夢の中でも感覚の鋭敏さは変わらないようだ。ならばこのまま楽しむのも悪くはない。
 雲雀の沈黙を諾と受け取った男は密やかに笑い、雲雀の背中にキスの雨を降らせた。くちびると舌の感触が敏感な肌を刺激してゆく。緩急をつけて強く弱く吸われるたびに、雲雀は身を竦ませて男を楽しませた。
 浅い息を繰り返しながら、自分の身体が熱を帯び、官能に研ぎ澄まされてゆくのを雲雀は楽しんだ。男の逞しい腕が腰を引き上げ、熱い舌が秘所に忍び込んでくる。昨夜のことを忘れずにいる身体は従順に呼応し、ぬめる舌に蹂躙されることを拒まなかった。
 媚びるような声を上げて雲雀は強くシーツを掴んだ。舌に犯され、指先で自身を嬲られて我慢できるはずがない。そもそも声を抑える必要もない。男は雲雀が啼くたびに欲情し、尚一層熱心に彼の身体を愛撫する。閉じかけた身体を解こうとするその情熱が雲雀はお気に入りだった。
 優しさと愛情と利己心と欲情から熱心に加えていた愛撫をやめて、男は身を起こした。支えを失ってくったりとベッドに身を投げ出した雲雀を、男は再び背後から抱き締めた。背中から胸へと腕を回し、身体を密着させて肌のにおいをかぐ。脚を絡め、うなじから耳の後ろへかけて軽いキスを繰り返し、雲雀の注意が向くのを待った。

「なぁ、ヒバリ」

 よくしゃべる男だ。雲雀がそう言いたげに視線だけを寄越すと、男は笑ってご機嫌取りのように彼の頬に口付けた。

「な、好きって言ってくれよ」

 ぎゅっと男は雲雀の身体を抱きこんだ。

「嘘でいいから、愛してるって言ってみ?」

 嘘以外にあるわけがないのに、男は懇願するように微笑んだ。
 雲雀はしばらくのあいだ呆れたように男を見ていたが、視線を逸らすとふいに口元を笑ませた。どうせこれは夢なのだから、何を言ったところで構わないだろう。それが現実にこの男に伝わるはずはないのだから。
 嫣然と微笑んだ雲雀は肩越しに振り返り、

「好きだよ      

 囁いた彼の耳に、もう雨の音は響かない。







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