月と六文銭






 蒼い夜空に満つる月。冬の深まる夜空は二日後に満月を控えた明るさで、流れゆく雲を照らしていた。
 月光を浴びながらため息をつくのはリーマスである。自寮の部屋で、窓辺に置いた椅子の背に寄りかかって彼は月を見上げている。ルームメイトたちはとうにベッドに潜り込んで安らかな夢の中だ。本来なら彼も同じであるのに、満月が近付くたびにリーマスの眠りは妨げられる。いや、決して眠れないわけではない。ただ、夜に眠ることが困難になるのだ。
 この時期が来るとリーマスはいつも落胆のため息を漏らす。夜間眠れなくなり、かわりに昼間の授業中に睡魔に襲われる。これでは授業をまともに聞いているのも辛い。困ったとは思うのだが、対処法が無いのだから仕方がない。とりあえず授業中はどうにか集中するようにしているが、それ以外は完全に駄目だ。食事中も眠くて仕方が無く、休み時間はほとんど眠って過ごす。幸い大抵の人間はリーマスが具合が悪くて、と弁明すると納得してくれるので安心だ。それに実際、満月が過ぎた後の彼の体重は見事に減っている。少なくとも『具合が悪い』ことに関しては嘘ではない。

 リーマスは窓の桟に肘をついて頬杖をつく。見上げた夜空は冴え冴えとして美しい。雲の流れる速度がかなり速いので、きっと近いうちに雨になるだろう。しかしどっちにしろ二日後には人狼化する自分には関係無いことだ。そこまで考えてリーマスは頭を振った。いけない、どうも思考が悲観的になる。やはり保険室へ行って睡眠薬でも貰った方がいいだろうか。何しろ人間は眠らなくても死なないが、眠れないストレスでは死ぬのだから。
 リーマスはため息をついて立ち上がる。莫迦莫迦しい、と内心呟いて。そろそろいいかげん本気で眠る努力をしなければ。しかし振り返ったベッドは酷く寒々しくて、そこに入ろうとする気が起きなかった。今朝から一度も使っていないので、きちんと整頓されているせいだろうか。上掛けは深い赤色だが、それが余計に寂寥感を増すのは何故だろう。近寄って枕を軽く叩いてみたが、やはりそこへ入ろうという気は起こらなかった。
 まいったな、と胸中に呟いてリーマスは部屋の中を眺める。何気なく見回した部屋は、昼間の暖かさを感じられない。窓から漏れる蒼い夜の光に満ちているせいだろうか。それでもジェームズもピーターもシリウスも何も気付かずに眠っているのだろう。こんな深海みたいな場所に居るなんてまるで考えたこともないのだろうな、とリーマスは何気なくシリウスのベッドに近付いた。
 そろそろと天蓋のカーテンを開くと、思ったとおりのシリウスの寝顔が見て取れた。退屈なので椅子を引き寄せて座り、その寝顔を眺める。急に明るくなったせいかシリウスは眉根を寄せる。端整な顔立ちは蒼い光に照らされて、陶人形のようだと思う。描いたような眉のカーブが微かに上下して面白い。何気なく頬をつついたら、とうとう寝返りを打ってしまった。何だ、面白くないとリーマスは何故かむっとする。そして何を思いついたのか椅子を元の位置に戻すと、リーマスはシリウスのベッドに手をかけた。

 キシッと小さな音がしたが、シリウスは全く気付かずに眠っている。いい気なものだ。
 リーマスはそっと上掛けを捲り、シリウスのベッドに潜り込む。カーテンを閉めると、ほとんど何も見えなくなった。そうして暫く目が慣れるまでじっとしていた。外気から隔絶されたせいか、はたまた二人分の体温のせいかここはひどく暖かい。もともと満月が近いせいで目の冴えているリーマスはすぐに闇に慣れた。
 ベッドに寝そべってシリウスを見ると、こちらに背を向けたまま相変わらず気持ち良さそうに眠っている。頭の横に置いた手が子供みたいで可愛いなどとリーマスは思う。目にかかる髪を指先でのけてやり、リーマスは何気なく頬にキスを落す。が、やはりシリウスは気付かない。これは実に面白い。何処までやったらこいつは起きるのだろうかとリーマスは人が悪そうに微笑んだ。シリウスの肩に手をかけてそっと仰向けにさせる。起きない。顎に手をやってキスしてみる。まだ起きない。
 どういうわけか興に乗ってしまったリーマスは咽喉の奥で可笑しそうに笑う。世間一般ではこういうのを夜這いと言うのだろうな、などと思いつつシリウスのパジャマのボタンに手をかける。一つ二つ外して様子を見るが、何故か再びしかめっ面になったシリウスに起きる気配は無い。鎖骨にキスしたら、少し身じろいだ。もう一度口唇を合わせたら、漸く起きる気配が現れた。
 シリウスの瞼に不快そうに力が篭る。これは起きるなと判断したリーマスは、面白がってもう一度キスをした。まだ何が起こっているのか判らないシリウスの唇を割り開き、舌を差し入れる。それで漸く現在自分の置かれている状況に気付いたシリウスは、驚いて目を見開いた。

「……………………!」

 何かを喚き散らそうとしたのだが、その前にリーマスがあっさりとシリウスの口を手で抑えてしまった。心臓がバクバク鳴っているシリウスを小莫迦にしたような微笑を浮かべながら、

「しーっ! 皆が起きてしまう」

 自分の口唇に人差し指を当てて、リーマスは落ち着いたものだ。それはそうだろう、何しろ現在のこの状況を作り出したのは彼なのだから。いまいち状況の把握しきれていなかったシリウスは呆気に取られて素直に口を噤んだ。何だ、一体何がどうなってるんだ?
 シリウスはベッドに手を付いて半分身を起こす。何故かパジャマの前が開いており、隣には楽しそうなリーマス。辺りを見回せば、確実に自分のベッドである。何でリーマスがここにいるんだ……?
 頭に浮かんだ幾つかの疑問を糾すためにシリウスは友人を振り返る。が、開いた口はあっさり相手の口唇によって塞がれ、ごく久し振りにシリウスはベッドに押し倒されたのだった。

「なっ……。血迷ったかリーマス!」

 怒鳴りつけようとしたが流石に状況の異常さからシリウスも思わず小声になって文句を垂れる。しかし満月の近いリーマスは普段の彼ではない。好戦的にして大胆不敵。現在のシリウスが敵う相手ではない。相変わらずシーっと声を低めるよう指示しながら、

「いいじゃないか、別段減るものじゃないし。いつもしてることだろう?」

 無理矢理シリウスをベッドに寝かすと、リーマスは上掛けを肩まで引き上げる。それでお休みというのならまだ可愛いものだが、どのくらい外にいたのかすっかり冷え切った手で胸を撫でられてはシリウスもたまらない。いいかげんにしろと怒っても、リーマスはまぁまぁと気に触る笑顔で聞く耳持たない。それでも尚文句を垂れて抵抗するシリウスの肩をベッドに押さえつけると、

「うるさいな、君は。少しは黙ったらどうだ」

 少し険のある表情でそう言ったリーマスの双眸は、カーテンの合わせから漏れた月明かりに照らされて、少し光って見えた。おかげですっかり呑まれてしまったシリウスは、

「は、はい…………」

 よろしい、と呟いてリーマスはにっこり笑う。実に満足げな笑顔だ。そのままリーマスは顔を近付け、シリウスにキスをした。






 何で、何でこんなことになったんだろうかとシリウスは身体を撫で擦られながら中空を見上げて思った。リーマスは妙な熱心さで愛撫を続けるが、どこか獣のじゃれ合いのような感が抜けない。そもそも二人で横になってベッドに潜ったままというのが無理なんじゃないかとか、そーゆー問題ではない。リーマスもパジャマの合わせを開き、ぎゅっと抱きつかれてキスをするのは悪くない。触って、と耳元で囁かれるのも悪い気はしない。が、何だって自分が襲われなければならないのかがシリウスにはわからなかった。おかしい、これはシリルーのはずなのに。
 困ったと思いつつも特に何も出来ないシリウスは、真剣そうなリーマスの表情を眺めていた。冷え切っている割に良く動く指が脇腹を撫でる。目を細めて自分の身体を見ているリーマスが面白い。普段はこれが逆なのだろうか。冬場の二人寝のせいでだんだん眠くなってきたシリウスは、とうとう下腹に忍び込んできた指の感覚に吃驚して目を覚ました。

「おい、冷たいぞ」

 しかしリーマスは顔も上げずに鼻で嘲笑う。

「だから温かくしてもらおうとしてるんだろ」

 可愛げの無い低い声で言い、リーマスは指を動かす。冷たいヘビが絡むようでシリウスは身じろぎした。それが彼自身を捕らえ、緩急をつけて動き出す。リーマスは口唇の端を舐めて夢中になってベッドの中で手を動かしている。熱いものが自分の手の中で質量を増すのが面白いのだろう。凍えた指先が融けてゆくようだ。

「ちっ……」

 舌打ちを一つするとシリウスもベッドの中でゴソゴソと動き出した。邪魔されて不機嫌なリーマスがこちらを睨むが、シリウスももう相手にしない。温まり始めたリーマスの腰を撫で、同じように手をズボンの中に滑り込ませる。骨の感触の目立つ脚の付け根を辿り、反応を始めた部分に触れる。つい一昨日もこうしたばかりなのに、何をやっているのだろうか。

「ん……」

 リーマスは何故か眉を顰める。痛かったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。おい、と声を掛けてシリウスはリーマスの顔を上げさせる。二人分には小さい枕を分け合って頭を乗せ、キスをした。荒い息遣いを唇に乗せてするキスは、子供のように繰り返される。血流が大きくなリ、だんだんと気分が良くなってくる。指先の濡れた感触がたまらない。このまま果ててしまうのもそう悪くは無いかもしれない。
 しかしそのうちリーマスがシリウスの名を呼んで手を放した。更に邪魔だというようにシリウスの手も邪険に払う。どうしたのかと目を瞬かせるシリウスの隣で、リーマスは一旦ベッドに頭まで潜ってしまった。ゴソゴソと動いているところを見ると、服を脱いでいるのだろうか。
 先ほどから行動の予測のつかないリーマスはぷはっと息をつきながら頭を出すと、再びシリウスの肩を掴んだ。

「おい、それはちょっと無理があるんじゃ……」

 リーマスは身体を寄せて、シリウスと脚を絡める。横になったままシリウスを受け入れようとしているらしい。とりあえず逆のことをされなくてシリウスはホッとした。

「……ああ、もうちょっと」

 どうにか身体を沈めたリーマスは眉根を寄せて呟く。どうも普段より浅い気がする。やはり横になったままでは無理だろうか。でも別の体勢だと身体の間に隙間が出来て、寒いんだよな、と。どうにかシリウスも協力させてみるが、やはりいまいち宜しくない。だから無理だって、と呆れたように言うシリウスの鼻を摘み上げ、

「だから少し黙ってろよな」

 不機嫌な声がリーマスの口をついて出る。仕方ない、ならばやはり別の方法で。
 よっと小さく声を掛けてリーマスはシリウスの上に馬乗りになる。パジャマの上だけはまだ袖を通しているので思ったほど寒くは無かった。こんなときは天蓋が高いのが有り難い。リーマスは肌蹴たシリウスの胸に口付けながら身体を動かす。何気なく下腹部に力を入れたら、わっとシリウスが変な声を出した。

「?」

 見下ろすとシリウスは変な表情で口を押さえ、こちらを見上げている。試しにもう一度力を入れてみる。すると再びシリウスは妙な呻き声をあげて苦しそうに片目を閉じた。ははぁ、なるほどそういうことかと合点のいったリーマスは、ニヤリと人が悪そうに笑う。しまったとシリウスが後悔してももう遅い。狼狽するシリウスの頭の脇に手をやってリーマスは、

「シリウス、あんまり声を出すんじゃないぞ。皆が起きてしまうから……」

 嫌味たっぷりに囁かれた言葉にシリウスは何か言い返そうとしたのだが、不意打ちの如く与えられた刺激にとっさに声を飲み込むのが精一杯だった。意識的に与えられる下半身の締め付けに、声が出ない方がおかしい、と思っても喋っている余裕は無い。リーマスは面白がって腰を使いながらシリウスを攻めるのだ。普段とは違うその行動が楽しいのか、リーマスの目許は朱い。ちょっと勝ち誇ったように微笑む様は妖艶でよろしいが、この状況は我慢がならない。ちくしょう、全ては満月が近いせいか! シリウスは声をたてずにケラケラ笑うリーマスの下で、いきなり上半身を起こしたのだった。

「わっ……!」

 突然体勢の崩れたリーマスは小さな悲鳴を上げる。慌てて自分の口に手をやったときにはシリウスに抱きかかえられており、しまったと思う間も無く背中に柔らかなベッドを感じていた。
 力技で形勢逆転を果たしたシリウスはふふんと漸く偉そうに笑う。何か言ってやろうと口を開いたが、その前にリーマスにシッと制されてしまった。リーマスは何故かカーテンの向こうを眺めるような目をして注意を促す。シリウスも慌てて口を噤み、耳を澄ました。
 自分たちの音が無くなれば部屋は静寂に満ちていた。しかしその中でも微かに衣擦れのような音がして、誰かのベッドが鳴った。多分寝返りを打ったのだろう。一瞬血の気の引いたシリウスだったが、音が止むとほっと胸をなでおろした。冷静になってみればなんて恐ろしいことをしているのだろうか。萎えたわけではないが、この辺で止めにしたほうがいいのではないだろうか。
 しかしそんなシリウスの考えもリーマスの前には通用しない。彼は細くて長い腕を伸ばしてシリウスの顔を自分に向けさせる。脚をシリウスの身体に巻きつけ、ニッと笑ってみせた。

「ほら、早くしようシリウス。でないと……」

 でないと何なのか。しかしシリウスは聞くのが恐ろしかった。シリウスは決して臆病者ではないが、リリーとリーマスを前にして虚勢を張るほど無意味なことが無いことも理解していた。
 シリウスは何かを振り切るように頭を振ると、リーマスの要求通りに身体を動かし始めた。ベッドを鳴らさないように、しかし相手を満足させられるように。
 伸ばした腕をシリウスの首に回しながら、リーマスはキスをする。お互い漏れてしまいそうになる声を殺すにはこの方法が一番いい。気持ちいいし、楽しいし。
 二人はキスを繰り返す。音を殺して動きながら。
漸く二人とも果てて、それがこの行為によるものなのかキスのためなのかは、結局のところわからなかった。






 ぜーぜーと肩で息をついて、シリウスはベッドにひっくり返っていた。音を立てずにというのが意外に難しく、普段使わない筋肉までも駆使したおかげで恐ろしく疲れた。隣でやはり荒い息をついているリーマスも同じようにひっくり返ったままだ。その分妙に良かったのも事実だが、できればこんなスリリングなことは金輪際ごめんだ。

「ああ、疲れた……」

 浅い息の下でそう呟いたリーマスは前髪を掻きあげる。下半身の感覚はまだ微妙で、シリウスがまだ中にいるような気もする。甘い痺れは手足に残っているし、思考力も完全ではない。いっそこのまま眠ってしまいたいが、何しろシリウスのベッドである。これなら自分のベッドにシリウスを誘えばよかっただろうか。
 そんな取り止めの無いことを考えているリーマスの肩をシリウスが揺する。何だと顔を向けると、
「ほら、タオルやるから、拭けよ」

 シリウスはサイドボードに置いてあったタオルをリーマスに差し出す。ゆっくり瞬きをしたリーマスはのろのろと起き上がり、タオルを受け取る。相変わらず妙な部分で気の利く男だ。
 リーマスは受け取ったタオルで自分の腹を拭う。飛び散った飛沫を拭うリーマスを横目に、服を身につけるとシリウスはこそこそとベッドを抜け出して洗面所に向かった。

「は〜、やでやで……」

 若者に似つかわしくないため息をついてシリウスは顔を洗う。ついでに洗面所に用意してあったタオルを水に浸して身体を拭う。別にベッドでしてもいいのだが、リーマスはもっと別の部分の後始末もあるだろうし、流石にそれを見ている余裕はシリウスにも無い。でもどうやって拭うのだろうという好奇心はあるのだが、しかしそれはやはり見られて気持ちいいものじゃないだろうし、そもそもそんなもの眺めてどうすんだとか何とかわけのわからないことを一人で考えていると、漸く復活したらしいリーマスもやって来た。

「タオル、今度洗って返すから」

 そう言ってリーマスはザブザブと水にタオルを浸して再び身体を拭き始める。冬とはいえ火照った身体に気持ちいい。本当はシャワーでも浴びたいところだが、この夜中ではそういうわけにもいくまい。どうせいつものことなのだし。
 シリウスは少し眠そうな様子のリーマスを見ながら服のボタンを留める。

「なぁ、何だって急にあんなことしてきたんだよ」

 それはシリウスにとっては至極当然な質問だったのだが、リーマスは鼻にかかった声でつまらなさそうに、

「別に。眠れなかったから」

「……はぁ?」

 だから眠れなかったからだよ、とリーマスは言い、シリウスはまじまじとリーマスを見つめた。ってことはだ、つまりシリウスは体のいい暇つぶしというわけだ。この野郎、と呟いてシリウスはリーマスを睨む。だが彼は人間は眠らなくても死なないが、眠れないストレスでは死ぬんだよなどとのたまいやがる。頭にきてじゃあそのストレス解消に真夜中に叩き起こされた俺のストレスはどうしてくれるんだ、と食ってかかると、

「シリウスのストレスなんか大したこと無いよ。どうせすぐに眠れるだろう。いつもしてることなんだから、少しくらい手伝ってくれてもいいじゃないか」

「ふざけんなよ、何で俺がそんなことしなきゃなんないんだ。第一、眠りたきゃ薬飲むとかもっと他に方法があるだろうが」

 しかしリーマスは面白く無さそうにため息をつき、睡眠薬は自然の睡眠と違って本当には休めないんだよ、と呟く。それに……、

「出すと眠くなるじゃないか」


 だから丁度いいと思って、と。そのリーマスの言い草に流石のシリウスもガックリと項垂れてしまった。ああ、こいつにはもう何を言っても無駄だ、とそう悟って……。






〔終了〕






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