■□■ 視線 □■□






 雲雀はナイトテーブルの前に立つと、黒い天然石のついたカフスボタンを取り上げた。
 薄暗い部屋の中で、今までの情熱が嘘のように身支度を整える雲雀を、ベッドに腹ばいになったまま山本が見つめていた。
 ベッドに頬杖をついた山本は未だ一糸纏わぬ姿である。毛布の中で緩やかな満足に浸り、雲雀が彼の部屋から立ち去ろうとするのを眺めている。雲雀が山本の部屋を訪れるのは珍しいことで、まだ数えるほどしかない。どうやらいつもより機嫌のいいらしい雲雀を、彼は楽しげに見つめていた。
 雲雀はカフスボタンを丁寧な手つきでとめる。左袖と、右袖と。それからクラシックな腕時計を取り上げ、硬く締まった手首にはめた。それはさながら今夜の情事を覆い隠す儀式のようで、かえって婀娜っぽいように山本には思える。
 几帳面にナイトテーブルに並べていたカフスや時計をつけると、雲雀は背後の椅子を振り返った。
 椅子の背にはスーツの上着と、ネクタイがかけられている。光沢のあるディープブラックのタイを取り、雲雀は首にかけた。
 器用な指が慣れた仕草でタイを結ぶ。たこのできた雲雀の硬い指は、つい先ほどまで山本の背中を這っていた。ときおり鋭く爪を立てて、幾筋もの痕を残した指は、何事も無かったかのようにネクタイを結び終えた。
 わずかに色の淡い細い縦じまの入ったダークグレーのスーツは、痩身の雲雀によく似合っていた。喉元を覆うネクタイを外せば、そこには山本がつけたはずのくちびるの痕がある。再びあの服を脱がしたい欲求に駆られながらも、山本はベッドから這い出ようとはせず、寝返りを打って半身を起こした。

「ヒバリ」

 薄闇の中に柔らかな声が響く。雲雀は優雅に振り返り、高慢な表情を向けた。階級の違う人間を見下すような、猛禽類の視線に晒され、山本はまるで自分が男娼のように思えて苦笑を漏らした。

「ん」

 甘えるように言って手を伸ばすと、雲雀はその手を冷厳に見下ろした。差し出された手と、優しく笑いかける山本を等分に見つめる。彼は片方の眉を吊り上げ、鼻でせせら笑うように山本を見た。
 これはもうまずいかもしれない。内心諦めかけた山本であったが、意外にも雲雀は彼の手を取った。指先を摘むように握られた手を、逃すまいと山本は握り返し、腕を引いて痩身を抱き寄せた。
 引き寄せられるままに雲雀はベッドに腰を下ろし、山本は彼の背を抱いた。首筋からはえもいわれぬ甘い香りがした。それは欲情と快楽の残り香だ。
 山本は雲雀の首筋にくちびるを落とし、胸いっぱいにその香りを吸い込んだ。

「なぁ、もっかい脱がしていい?」

 うなじから耳の後ろの、皮膚の薄い部分へとくちびるをスライドさせ、耳朶をくすぐるように囁くと、雲雀は喉の奥でくつくつと笑った。

「いやだね。したけりゃ一人ですれば」

 ひどい言葉だが、雲雀は山本の甘えを拒絶しようとはしなかった。寛容は支配者の特権であり、山本は彼の気まぐれの範囲内でしか自由を許されない。だからこそ山本は楽しげに笑い、胸に回していた手をスーツの合わせ目に滑り込ませた。

「そう言うなって。凄くよくしてやっからさ……」

 首筋を舐める山本に、雲雀は静かに笑った。肯定とも否定とも取れる笑みは、山本を喜ばせた。
 薄いシャツ越しに体温を探っていた手を引き抜いて、山本は細い雲雀の顎を捉えた。そのまま肩越しに振り返らせ、そっとくちびるを寄せる。雲雀は何も言わず、射るような眼差しを向けた。
 それでもやはり拒絶はせず、間近に山本のくちびるが迫ると、目を伏せて薄くくちびるを開いた。

「ん…………」

 重ねたくちびるのあいだを、熱い舌が行き来する。ついさっきまでベッドの上で飽きるほど交わしたキスは、再び山本を夢中にさせた。雲雀のくちびるは柔らかく、いたずらな舌は巧みに動いて山本の舌を誘いこんだ。
 予想通り舌先に鋭い痛みを感じて、反射的に山本は身体を離した。

「って…………」

 手の甲で口をこする。幸い出血まではしていない。
 山本が胸を撫で下ろすのを確認するかのように雲雀は立ち上がり、彼を見下ろした。

「続きは一人ですればいいよ」

 他人を傷付けることを目的とした傲慢な微笑を浮かべ、雲雀はスーツの襟を正した。山本が何か言う間も無く雲雀は踵を返し、未練など微塵も感じさせない足取りで部屋を去った。その背中には明確な拒絶があり、山本は後を追うのをやめた。追ったところで、雲雀を怒らせるだけだ。彼の評価を自ら下げるのは本意ではない。

「あーあ」

 いささかも残念そうではなく呟いて、山本はベッドに大の字に寝転がった。先ほどまで彼の下で雲雀も見ていたであろう天井は、山本を莫迦にするように静まり返っている。気位の高い野生の動物を手なずけられるわけがない、と嫌味に呟いているようだ。
 だがそんなことは山本も重々承知している。こんな未練たらしくなってしまうのは、相手が雲雀だからだ。
 どうせなら情事のあと、雲雀がシャワーを浴びているうちに眠ってしまえばよかった。そうでなくとも、眠った振りでやり過ごせば、雲雀は無言で去っていっただろう。咬み付かれることも、鼻で笑われることも、見下されることも無かったはずだ。

「でもしかたねーよな」

 山本は自嘲的に笑って頭の下で指を組んだ。
 咬み付かれようが鼻で笑われようが見下されようが、山本は雲雀が好きなのだから。判で押したように決められた順序で衣服を整える姿を眺めるのが、好きなのだから。





〔了〕







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