■□■ Allure homme Cigarette □■□






「よぉ」

 吹き付ける六月の風の中、投げかけられた言葉にも雲雀は振り返らなかった。蒼く抜ける空の下、起伏にとんだ敷地の小高くなった丘の上でのこと。暑くなりはじめた季節の風に、乾き始めた土を踏む音が近付いてきているのは知っていた。
 それでも雲雀が振り返らぬことを、声をかけてきた相手も承知している。苦笑を浮かべて近付いてきたのは山本だ。
 雲雀は冷厳な視線をちらりと向けただけで、再び視線を丘の麓へと戻した。赤茶けた土が露出した広い敷地に立ち並ぶのは、白い石でできた墓石たち。物言わぬ死者の安息を示す群れは、雲雀の目に大した感慨を残さない。つい今しがたまで大勢の人が取り囲んでいた新しい墓も、今は花に囲まれて静かに佇んでいる。
 沈黙に慣れた山本は、雲雀と並んで同じように死者の住処へ視線を向けた。彼の眼差しは優しく、どこかやりきれないものがある。お互いに死者を悼む黒い服に身を包んでいても、二人の抱く感情はあまりにも違いすぎた。
 この世界での『死』とは、雲雀にとっては敗北の証だった。無様で、唾棄すべき結果に過ぎない。強者であることを絶対とするこの世界で、死とは脆弱な者の証であった。栄誉ある死など、遠い世界のおとぎ話でしかない。それは雲雀にとって冷笑に値する。
 しかし山本はまた違った思いを抱いているのだろう。彼は死者と面識があった。長い付き合いで、友人と呼べる仲だった。隣に立った山本は、ただ眩しげに目を眇めて墓を眺めるだけで何も言わないが、夜中にかかってきた一本の電話に、蒼白になった彼の顔を雲雀は知っている。

「……なぁ、アンタこのあと暇?」

 吹き付ける風に髪を乱された雲雀に、不謹慎に明るい声で山本が問いかけた。いつもと同じ……と自分では思っているのだろう、ややぎこちない笑顔を向けて。

「喪服ってそそるよな」

 言って山本は手を伸ばし、雲雀の腕を掴んで抱き寄せた。間近に迫った山本の眼差しを受けても、雲雀は眉一つ動かさない。永久凍土を思わせる雲雀の玲瓏たる美貌に、山本は怯まずくちびるを重ねた。性急に差し入れられた舌は苦く、慣れぬ煙草の味がした。
 初めて雲雀が表情を変えた。ほんのわずかに眉を顰めただけだけれど。無言で相手を嘲弄するような雲雀の無感動な態度の変化に山本も気付いた。

「……悪ぃ、アンタ煙草嫌いだったっけ」

 返事を待たずにしかけたくちづけよりも、煙草の苦味を味わわせたことを山本は謝罪した。彼は本来煙草をたしなむ癖は無いのだけれど、年に何度かだけ紫煙を口にすることがあった。それは死者への餞のため。二度とあの苦みばしった紫煙を味わうことの出来ぬ友のため。雲雀にはそれが忌々しく、また下らない行為にしか思えない。
 まいったな、と苦笑いを浮かべる山本。彼が雲雀から一歩退いた瞬間、今までとは逆に風が吹きつけた。強い風は山本の身体に纏いついていた煙草の香りを乗せる。敏感にそれを嗅ぎつけた雲雀は、苛立たしげな表情を浮かべ、山本の腕を掴んだ。
 咬みつくようにくちづけられて、山本は目を見張った。だらしなく寛げた襟元を、雲雀は掴んで引き寄せていた。

「………………」

 思いがけぬ雲雀の行動に、けれど山本はそっと微笑んだ。雲雀はくちびるを離すと、いつものように山本の顎にもくちづけを落とした。日焼けした肌に残るそこだけ白い傷痕に舌を走らせるのだ。
 押し込めていた感情が吹き出すのを耐えるように微笑んで、山本は再度抱き寄せた雲雀に囁いた。

「アンタ、死ぬなよな」

 慰めを求める腕に抱き寄せられながら、雲雀は尚も表情を変えなかった。

「……誰に言ってるの」





〔終〕







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