注意:このお話はパラレルです。
且つ、ややグロい表現が含まれます。


























■□■ 唾と蜜 □■□






 始まりがいつ、どんなふうであったか、山本は最早記憶していなかった。ただ神にも等しい崇高なものと出合ったというその瞬間的な幸福を覚えているだけ。それほどに彼の存在は完璧なものだった。
 その屋敷には彼だけが住んでいる。雲雀と呼ばれるその名が本名なのかそれとも愛称なのか、誰も知らない。だが誰も気にとめようともしない。そして山本にとってもその名は、彼に対する最も相応しいものであった。
 広く空虚でどこか寂寥感を覚えさせる屋敷には、大勢の男達が出入りしていた。年齢や職業、国籍さえも千差万別の男達に唯一つ共通するのは、彼らが皆、雲雀の賛美者であるということだけ。彼らは互いに口をきくこともなく、ただ雲雀の気を引くためだけにその屋敷を訪れる。
 互いに存在を無視しあうような男達の中に山本の姿もあった。生来人好きのする彼は特段他の男たちを無視しているわけではないが、相手にその気も無いのに好き好んで愛想を振りまく必要も感じない。ましてや無視の向こうに透けて見える敵意は、若く恵まれた容貌を持つ山本に対して押し寄せるようであったのだから。
 自分が男達の羨望や嫉妬の的であることを山本は敏感に感じ取っていたが、それでも彼は雲雀のもとへ通うのをやめようとはしなかった。向けられる敵意がストレスであり不愉快だったところで、そんなもの雲雀の前に出れば胡散霧消してしまう程度のもの。雲雀はすでに彼の全てであり、その存在だけで奇跡であったのだから。
 男達の群がる雲雀は、それは美しい存在だった。理想的な体躯、世にこれに勝る秀麗さは無いと断言できようほどの美貌、どんな命令でも従わせる力を持つ玲瓏たる声。何より彼の、どこか遠い世界を懐かしむような眼差しは、すべての男達を魅了した。
 雲雀の視線の先に何があるのか、それは誰も知らない。雲雀は饒舌でありながらも、その言葉にはいつも核が無い。言葉は通じず、会話は成立しない。けれど夢を彷徨うような言葉は魅惑的で、耳に残る魔力を有していた。
 男達は雲雀の前にかしずく。完全なる美の前に群集は無力だ。自らの平凡さに羞恥を覚え、俯くものも多い。彼らは雲雀を賛美し、その視線が、その声が自分に向けられることを希求する。そのためならばいかなる犠牲も厭わない。
 雲雀に会うことを止めさせようとした妻を屠ったという男がいた。それが真実であるか否かは誰にもわからない。けれどその告白は雲雀の興味を引いた。雲雀は男を呼び、群衆としてではなく、二人きりの時間を与えた。以来、その男の姿を見たものはいない。
 男の行動は嫉妬を呼び、次々に妻子や恋人を排除するものが現れた。だが踏襲は雲雀の興味を引かなかった。男達はまた別の方法を模索せねばならなかった。
 その中で山本の何が雲雀の目を引いたのか、それは雲雀にしかわからない。山本は何もせず、自分に相応の距離を置いて彼を見つめていただけなのに。
 雲雀は山本を呼び、群衆の中から抜け出ることを許した。男達は最早憎悪と化した視線を向けたが、山本は選ばれたことによる幸福で、雲雀以外の何者も目には入らなかった。






 山本が雲雀と会えるのは、雲雀が望んだときだけ。そしていついかなるときでも彼の要求に応えねばならない。
 雲雀の気まぐれは度し難いものであったが、彼と対峙する時間が長くなればなるほど、山本にとって至上のものとなっていった。愛しさは深みを増し、焦がれる気持ちは実際に身を焼くかと思えるほど。気まぐれが逆に空白の時間を作れば、山本は気も狂わんばかりであった。
 それでもまだ雲雀に触れたことの無いうちはましだった。たとえいついかなるときでも雲雀が頭の中を占拠していたとしても、彼の理性は現実にあった。
 雲雀は夢の中の存在に近く、神であり魔であった。その存在は山本とは相容れず、ゆえに身を掻き毟る切なさが彼を現実につなぎとめていた。
 だが山本が完全に雲雀に囚われるのに時間はそうかからなかった。
 たとえ二人きりで会うことが許されるようになっても、それがいつ雲雀の気まぐれで終わってしまうのか、気が気ではない。そうとなれば一秒でも至福のときを延長すべく、山本は雲雀の気を引こうと躍起になった。
 雲雀との会話は成立しない。恐らく彼の中に他人というものは存在しないのだろう。彼は彼だけの世界を生きている。雲雀は山本に話しかけない。他から見れば声をかけているようであっても、それは虫けらを労わる神の言葉にすぎない。彼をつなぎとめることは不可能なのであろうか。
 知る限りの賛辞の言葉も、魂からの愛の言葉も、雲雀には届かなかった。彼はただ無表情に山本を眺め、彼の身体の内側に別の世界を見ているようであった。
 苦心の末、ある日山本は秘伝の宝刀を持ち出した。蒼く冴えて自ら燐光を放つような宝刀は、雲雀の気を引いた。ただその美貌だけでなく、残虐な嗜好から男達を支配する雲雀は、殺戮の宝石のような刀を欲した。
 しかし宝刀は山本にとっても宝であった。亡き父の形見であり、古く長い一族の、誉れを具象化したものである刀は、雲雀の願いといえど手放しがたい。だがひとたび雲雀が彼の名を呼び、媚態を見せればどんな決心でも覆すことはできよう。雲雀が差し出した白い手に、惑わされたように山本は宝刀を捧げていた。
 抜き放った刀身に頬を寄せ、陶酔した笑みを浮かべる雲雀はえもいわれぬ妖艶さであった。視線は蕩け、くちびるには賛嘆の溜息がこぼれる。欲望を満たされたものの淫猥な表情は、山本の官能を打ちのめした。
 気付くと山本の目の前に、雲雀の白い手が差し出されていた。蜜蝋でできたような指先は、透けるような透明感を備えている。内側からほんのり紅色に輝くような手を、無心のまま山本は取った。冷たいと思われた手は暖かく、染み入るような体温が山本を魅了した。
 誘われるままに山本は雲雀にくちづけた。つんと上向いたくちびるは夢のように柔らかく、花びらのような弾力があった。
 零れる吐息は芳しく、差し出された舌の甘さは例えようも無い。交じり合う唾液は甘露であり、山本は夢中で雲雀のくちびるを吸った。それは雲雀という唯一絶対なる美から零れた蜜であった。一度味わったらば最後、この世のすべての美味なるものを失わせる、それは蜜であった。






 山本の意識は今や完全に雲雀のものであった。文字通り寝ても覚めても彼の思考は雲雀に埋め尽くされ、他の一切など考えるに足る事象ではなかった。雲雀と交わしたくちづけは山本から彼以外の全てを奪った。だが、それでも山本は幸福であった。
 この世に数多の人間がいても、その中に雲雀のくちびるを知るものがどれほどいるだろう。彼は神にくちづけ、その蜜を吸った。これに勝る幸福などあるわけがない。
 山本は身内に満たされた幸福が自分を突き動かすのを自覚した。雲雀に会いたい。傍にいたい。声を聞き、肌に触れたい。くちびるを吸い、あの甘露を今ひとたび味わいたい。
 衝動のままに山本は雲雀の元へと通い、ただ彼を喜ばせることに苦心した。興が乗れば雲雀はくちづけを許し、麻薬めいた甘さの蜜を与えた。それは神の園における快楽の雫だった。







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