■□■ 世界をつなぐひと □■□






「…………あの子、また来てるのかな?」

 ケイスケの言葉にさぁとアキラは応じる。夕暮れどきの街角での話。
 工場の仕事を終えた二人が連れ立って向かったのは、いつの間にか復活したBl@sterの行われる狭い路地裏だった。もともとCFCが劣勢で始まった内戦は、激しい戦火に都市をほとんど巻き込むことなく終結した。おかげで戦後の復興も急速に進み、いつの間にかBl@sterまでもが復活していたのだ。
 アキラもケイスケも、それがただのBl@sterであったら足を止めて観戦しようなどとは思わなかっただろう。面白いことに、日興連に復活したBl@sterはかつてCFCで行われていた、ルールにがんじがらめになってしまったものではなかった。Bl@sterがBl@sterという名前で呼ばれていなかったころの、古き良き、拳と拳での称え合いであった。
 人だかりに混じって観戦するアキラとケイスケだが、青いつなぎの連れは試合ではなくむしろ観客を見回していた。見上げた横顔はどこか心配気で、アキラは差し込む夕日に眩しそうに目を眇めるケイスケを見つめていた。
 ケイスケが『あの子』と呼んだのは、先日Bl@sterの観戦中に出会った少女のことだった。この熱気溢れる空間で見事に浮いていた小さな少女。おそらく中学生ぐらいだろうか。長い栗色の髪をリボンでしばり、制服を着ていた少女は、アキラを兄と間違って声をかけたのだ。

「お兄ちゃん!」

 突然背後から腕を掴まれてアキラも驚いたが、それ以上に少女の方が驚愕しているようだった。大きな丸い目を精一杯広げて、アキラの顔を見るなり真っ赤になった少女。

「あっ、ごめんなさい」

 あたしったら、と言ったまま絶句した少女は、どうやら狼狽のあまり思考がパニックに陥ってしまったようだ。真っ赤になってあわあわする少女と、困惑して黙ったままのアキラ。二人に気付いて振り返ったケイスケは、あまりに場にそぐわぬ少女に驚き、暗くなる前に帰るよう言い聞かせた。
 いくらBl@sterが男気の世界を取り戻したとは言え、制服姿の女の子が安心して潜り込める場所ではない。そう優しく言い聞かせたケイスケ。すると少女は落ち着きを取り戻したのか、二人に頭を下げて駆け去っていったのだった。
 何故こんなところにあんな純粋そうな少女が。二人とも首を傾げたが、アキラを兄と間違ったのだと言うのだから、そうなのだろう。そのときは特に気にもしなかったが、後日再び別の場所で出くわしたときには更に驚いた。
 初めに気づいたのはケイスケで、ストリートファイトの観戦者の中にピンクのリボンを見つけてギョッとしたらしい。もともと人の顔など覚えようともしないアキラは気付かなかったのだが、昔から目端の利くケイスケが慌てて駆け寄っていたので後についていったのだ。案の定、性質の悪い連中に絡まれていた少女を『俺の妹だ』と言ってケイスケが助けたときになって、ようやくアキラはその女の子が誰か思い当たった。
 昔からケイスケは清楚な感じの女の子に弱い。初めて出来た彼女もたおやかな感じの優しげな女の子だった、とアキラは記憶している。いや、正確にはそうだったような気がする。ずいぶん前に一度だけ紹介された彼女に、『ひ弱そう』という感想を抱いたことだけ記憶していた。

「お前、ああいうのが好みか」

 人通りの多いところまで送り、何度も礼を言う少女を見送ったあとに何気なく言ったアキラの言葉に対するケイスケの狼狽振りは、まるでまんがのようだった。コメディ以外で本気で溝に足を突っ込む人間を見たのは初めてだったし、転んで標識に頭をぶつけてコブを作るという芸当など、ケイスケ以外には無理だろう。絵に描いたような過剰反応には普段ほとんど表情筋の動かないアキラでさえが笑いをこらえるのに必死になった。しかもお約束にも真っ赤になりながら、

「なっ、何言ってんだよ! 俺はただ心配で……」

 しどろもどろに弁解するケイスケの頭をよしよしと撫でてやりたいとアキラが思っても仕方が無かっただろう。ケイスケは本当にいいやつなのだから。
 それから時々、少女の姿を見かけるようになった。一応ケイスケの言葉を受け入れたのか、できるだけ大きい通りから近く、早い時間にだけ来ることにしたらしい。どうやら彼女はBl@sterではなく、Bl@sterの参加者や観戦者を見に来ているようだ。人ごみの中でキョロキョロと辺りを見回す少女に、もしかして兄を探しているのかとアキラはぼんやりと思った。
 何度か姿を見かけるうちに、いつの間にかケイスケは少女と仲良くなっていた。もともと、ケイスケはすぐ誰とでも打ち解けることの出来るタイプだ。昔は特にどうとも思わなかったが、今のアキラには不思議でならない。どうして初対面の人間と簡単に打ち解けられるのだろうか。どうして全くタイプの違う人間とすぐに親しくなれるのだろうか。
 アキラは幼いころから一人で生きてきた人間だ。人付き合いが嫌いなわけではないが、好きでもないのでケイスケ以外とつるむことなどまず皆無に等しかった。ところがケイスケは、どこにいってもすぐ知り合いが出来、雰囲気に溶け込める。気の優しくて穏やかな男であるから、警戒心を抱かれないのかもしれない。ケイスケは要領は悪いが何事にも一生懸命で表裏の無い性格から、年配者によく気に入られた。間違っても威張ることが無く誰にでも同じように接する人柄から、年少者にも好かれていた。どこだろうが誰とでも、まるで初めからそうであったように世界に溶け込めるケイスケ。それがアキラには不思議でならなかった。

「あー、それは俺の印象が薄いからじゃないかな…………」

 照れたように笑ったケイスケは謙遜したが、そういう問題ではないとアキラは思う。印象が薄いだけなら、誰からも嫌われないにしても誰からも好かれないだろう。そうではなく、ケイスケはまるで初めからそこにいたように世界に溶け込めることできるのだ。
 思えば昔からケイスケはそうだった。アキラがたった一人でいる世界にも、違和感無く溶け込んできた。アキラの世界の調和を乱す存在ではないからこそ、ケイスケとは長く付き合えたのかもしれない。子供のころから誰からも一種の畏怖を持って敬遠されていたアキラを、友達と言ったのはケイスケだけだった。
 昔はそれを何の疑問にも思っていなかった。だがトシマでのわずか数日間の出来事は、アキラの世界を崩壊させた。いや、アキラがこの世の全てだと思っていたものが、ちっぽけで幼い小さな世界であると気付かせたのだ。
 今までも見えていたはずなのに、見ることのできなかった世界に気付いたとき、たった一人でアキラは途方に暮れた。自分の小さな世界は最早機能せず、突然放り出されたアキラが振り返ったとき、そこにはケイスケが立っていた。多分ケイスケは待っていたのだろう。前ばかり向いてどんどん先へ行ってしまうアキラが振り返るのを、辛抱強く、そして疑うことなく。
 アキラが振り返ったとき、ケイスケは喜んで当たり前のように彼を手招いた。ケイスケの背後には広い世界があり、それは子供のころから常に彼に付随している世界だった。ただ時々ケイスケは、その世界からアキラのところに遊びに来ては、違和感無く溶け込んだ。ケイスケは、アキラにとって別世界への架け橋であったのだ。
 ケイスケのいる世界は不思議と居心地が良かった。異分子であるはずのアキラも、ケイスケが隣にいるだけでまるで当たり前のように世界に馴染むことが出来た。ケイスケはあまり要領は良くないし不器用で変に頑固なところもあって、アキラをヒーローのように思っているらしいが、アキラにとってはケイスケのほうがよっぽど凄いと思えるのだ。誰からも愛される資質は、彼の天性の才能であろう。それに驕ることも依存することも無いケイスケを、アキラは凄いやつだと素直に思った。
 そのケイスケは今、もともと高い背を更に伸び上がるようにして辺りを窺っている。多分妹のように思い始めている長い髪の少女を早く見つけるために。
 本当に妹を心配する兄のような素振りが面白くて、表情を和らげながらアキラも周囲に視線を走らせた。路地にたむろう若者たちの中に、まだあの少女の姿は見当たらない。先年CFC側から引っ越してきたのだという少女を、アキラも嫌ってはいなかった。それはおそらく彼女の雰囲気に、ケイスケと通じるものを感じ取ったからだろう。誰にでも屈託が無く、純粋で素直な少女。昔ほどではないにしろ、無愛想で口数の少ないアキラにも全く気後れした様子が無い。幼いながらも芯の感じられるその人格は、アキラにとっても好ましいものだった。
 彼女が探している兄は、内戦の以前に家出をしてしまったのだそうだ。年の離れた兄が一時Bl@sterに籍を置いていたことがあると知った少女は諦めきれずに、ストリートファイトがあるとつい兄がいないか探すようになったと話してくれた。

「ちゃんと見るとお兄ちゃんとは全然似てないのに、何で間違っちゃったんだろう」

 ごめんなさい、と言って照れたように笑った少女は、アキラにも無邪気に懐いていた。

「きっといい兄貴だったんだな……」

 人情家のケイスケは感じ入ったように呟き、以来少女がBl@sterに顔を出すと人捜しに付き合うようになった。もちろんアキラも一緒である。少女は恐縮したようだったが、二人とも珍しい種類の友人が出来てかえって楽しくもあった。普段はあまり物事に心を動かされないアキラも、早く少女の兄が見つかるといいと本気で思ったほどだった。

「あ」

 手庇を額から離したケイスケが伸び上がって手を振った。視線の先には小柄な少女が観客に埋もれるようにして立っていた。彼女もアキラたちに気付き、人ごみを迂回しようと歩き出す。

「行こう」

 彼女がこっちへ来るより、こっちが向こうへ行ったほうが早い。アキラはケイスケの腕を取って歩き出す。手首を掴まれていることの何が嬉しいのか、いささかにやけ顔のケイスケは、対岸の世界の少女が泳ぐように人ごみの中をやってくるのを見て声をかけた。





「由香里ちゃん」





〔おしまい〕







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