■□■ 実直な嘘 □■□






 源泉とアキラが取材のために訪れたのは、東南アジアの共和国だった。二年前、前大統領の乗った飛行機が撃墜されるという事件に端を発した政権交代劇は、世界各国を巻き込んでの内戦を勃発させた。反政府の民兵たちはゲリラ戦を繰り広げ、国内に広がる亜熱帯の密林の各地に点在する拠点を中心に、政府軍に苦戦を強いていた。しかしそれも片がつくのは時間の問題とされている。ついに政府は国際機構に軍隊の派遣を要請し、内戦は鎮火しつつあったのだ。
 源泉とアキラが取材を申し込んだのは、非営利団体の医師団で、彼らは内戦の最も激しい地区にキャンプを運営しているという。二人は同じ飛行機で輸送されてきた医療品や食料品と、他の医者たちとともにキャンプ地へ向かった。
 ところが二人の乗った車は途中でゲリラの襲撃を受けてしまう。最早崩壊は間近と噂されるゲリラ軍は、医療品と医者を狙っての襲撃だった。
 傭兵の経験のある源泉や、戦闘能力の高いアキラ、そして医師団の雇った傭兵のおかげで医師たちは何とか窮地を脱することができたが、代わりに源泉とアキラはゲリラの捕虜となってしまう。二人がニホンのジャーナリストであり、また源泉が医師免許を持っていることを知ると、ゲリラたちは二人をアジトへと連れ去った。






 密林の中に作られたゲリラの拠点は、源泉やアキラが想像していたものよりずっと大きなものだった。どうやら数ある中でも最大規模の拠点に連行されたようだ。以前に使われていた拠点が政府軍の襲撃を受け、その際に非戦闘員である医療技術者のほとんどが失われたのだという。
 二人は隠し持っていた小型カメラも奪われ、捕虜用の檻に監禁される。中には現地人と見られる人々や、外国人の捕虜、それから負傷した政府軍の人間などが二十人以上閉じ込められていた。外国人の中には神父や技術者もおり、彼らは手早い資金集めのために身代金目的で誘拐されてきたようであった。
 医療現場を離れて久しいものの、源泉の腕は確かで、彼はまず治療のための施設を清潔にすることから始めた。骨折も熱病も一緒くたに集められ、不衛生な環境に押し込められた負傷者たち。医療品の数は限られており、先日源泉らと一緒に強奪されてきた物が全てだった。ゲリラ軍の資金源は大麻の売買と営利誘拐による身代金であり、大麻畑を近くに有するその拠点では、鎮静用の麻薬だけは事欠かない。源泉は憮然としていたものの、アキラを助手につけることを条件に、ゲリラ軍兵士の治療を開始した。
 どうにか隙を見て逃げ出すことを密かに計画していた源泉とアキラだったが、二人の前に思いがけない人物が姿を現した。他国との麻薬取引に出かけていた兵士の中に、かつてトシマで出会い、そして姿を消したnを発見したのだ。
 驚愕する二人。だがどうも様子がおかしい。男は長い黒髪をしており、何より黒い目をしていて、アキラと源泉を全く知らないようだった。男は半年ほど前に政府軍に壊滅させられた他の拠点から仲間の一人とともに移ってきた。仲間は負傷し、意識不明のままだ。そして男は有能な兵士であり、また片言の英語が話せるため取引のためのメンバーに選ばれていた。  源泉とアキラは顔を見合わせた。どう考えても男の顔立ちや肌の色は現地人のものではない。だが二人が知るnという男は、無感情の人形のようであったのに対し、目の前の男は豊かとまではいえないものの、感情も表情も確かにあった。政府に対する憎悪を隠しもせず、横暴な西欧社会と民主主義を憎んでいた。それには彼の生い立ちが深く関係しているようだった。
 男はエルンスト・ライと言った。彼は西欧人の父と現地人の母の間に生まれたが、両親の結婚は正式なものではなかった。彼は父の名前しか知らず、貧困の中に母と自分を置き去りにした父と、ひいては西欧諸国を憎んだ。そのため彼は西欧風の自分の名を嫌い、誰もが彼を母親の姓でライと呼んでいた。
 源泉やアキラに対してあからさまな嫌悪を隠そうともしないライ。彼の顔立ちに困惑をしながらも、源泉はある仮定を思いつく。彼の知る限り、nは孤児院の出身である。明らかにnは純粋なニホン人ではなく、或いはライとnはどこかで血のつながりがあるのかもしれない、と。
 そんな偶然があるものだろうか。首を傾げながらもアキラもそれ以外に妥当な考えは浮かばなかった。世の中には三人はそっくりな人間がいるとは言うが、そう考えるよりは血縁関係であるというのほうがよっぽど信憑性に富んでいた。






 ゲリラの組織が崩壊に近いことは捕虜となった源泉とアキラも肌で感じることができた。兵士たちは殺気立ち、士気の低下が目に余る。兵士間の諍いも多く、政府軍との戦闘より略奪を目的とした戦闘の回数が上回っていた。その中で問題が起こった。兵士たちが慰み者にしようと捕虜の中から女を引きずり出し、止めに入ったアキラと乱闘になったのだ。
 思いがけないアキラの戦闘能力の高さに兵士たちは面白がって次々と襲い掛かる。拠点の中で無闇に発砲するわけにもいかず、鬱憤晴らしもあって兵士たちは素手でアキラに挑んだ。アキラの孤軍奮闘は凄まじいまでのものであったが、疲労の限界もあり、ついに膝を屈してしまった。その相手は、あのライだった。
 勝者であるライは女を自由にする権利があったが、何故か彼は女ではなくアキラのほうを選んだ。泣き叫ぶ女を犯すのは唾棄すべき行為だ、と。兵士たちは不満をあらわにしたが、ライに睨まれると大人しく女を檻に戻し、興味を失ったように持ち場へ戻っていった。一方密林に引きずり込まれたアキラは精一杯抵抗したが、一流の戦士であるライには敵わなかった。
 屈辱を覚悟するアキラ。だが密林の奥へ入ったライは他に人気が無いことを確認すると、思いがけないことを口にした。彼は突然流暢な英語でアキラに話しかけた。
 ライは国際機構から選ばれたスパイだった。半年前に壊滅したゲリラの拠点からすでに死亡した兵士に成りすまし、先に潜入していた政府軍のスパイと合流したのだ。しかし仲間は思いがけない事故で負傷し、現在は全く身動きが取れない。彼は一人で任務を遂行していたが、近いうちに政府軍と国際機構から派遣された軍がここを攻撃することが決定した。そのためライは、アキラに助力を求めてきたのだ。
 驚くアキラにライは計画を打ち明ける。軍が拠点を急襲する日、アキラたちには捕虜を誘導して逃げて欲しいという。密林の抜け方はライが知っている。だがライ自身は政府軍の誘導や大麻売買の証拠を押えるために動かなければならない。そのために力を貸して欲しいという。
 ライの思いがけない告白に驚愕したものの、アキラは彼に協力することを約束した。ライは協力の証に、源泉が隠し持っていた小型カメラとアキラのナイフを渡す。それからゲリラ兵たちの目を誤魔化すために、一度アキラを殴りつけた。
 兵士の治療中で後から騒ぎを知った源泉は、ライに引きずられるように戻ってきたアキラを奪うようにして抱きしめた。彼は怒りのあまりライに殴りかかろうとしたが、アキラに止められてどうにか落ち着きを取り戻した。
 檻に戻されたアキラは、早速源泉にライに持ちかけられた話を伝えた。幸いニホン語で話してさえいれば、誰にも内容を知られることは無い。アキラが何もされていないと知ると源泉は脱力したように息をつき、今度はやんわりとアキラを抱きしめる。よほど心配をかけたらしいことを詫びつつも、悪い気はしない。だがそんなことよりも、アキラが語ったライとの約束は源泉を驚愕させた。






 政府軍の攻撃の日は迫っていた。源泉とアキラは何食わぬ顔で治療を続け、ライは時折アキラを連れ出した。気に入ったから、と他の兵士に言うと、下卑た笑いを浮かべるだけで特に不審がられることもなかった。源泉はまだアキラをライと二人きりにするのは少し不安そうだったが、ついに腹を決めたようである。
 源泉はライから話を聞き、脳内に綿密な逃走ルートを描き出した。行動が許されている範囲でゲリラ兵たちの装備や警備状況、監視の目がどの程度まで届いているのかを確認し、運び出される大麻や高官の出入りを小型カメラで撮影する。脱出の際には負傷兵を背負って逃げねばならず、失敗は許されなかった。
 そしてついにその日はやってきた。夜半過ぎ、拠点の後方で火の手が上がった。兵士たちがわけもわからぬまま走り回る中、捕虜たちを閉じ込めていた檻の扉が開け放たれる。源泉とアキラは捕虜たちを誘導し、扉を開けてくれたライは密かに連れ出してきた仲間の負傷兵を源泉に託した。
 戦闘は凄まじいものとなった。後方で上がった火の手に兵士たちが気を取られている間に、政府軍が圧倒的な兵力差で急襲を仕掛けてきた。だが一時の混乱を過ぎればゲリラ兵もただ黙って殺されるばかりではなく、死を覚悟した反撃に打って出た。
 銃撃や怒号が飛び交う中を、アキラたちは走る。先頭は負傷兵を担いだ源泉、しんがりをナイフを構えたアキラが務める。捕虜の脱走に気付いた兵士たちが襲い掛かってきたが、アキラや捕まっていた政府軍の兵士によって次々と倒されていった。
 源泉が頭の中に叩き込んだ脱出ルートは、大麻畑にそって進むものだった。密林を抜け、開けた空間に出たとき、大麻畑は戦火が飛び火したのかすでに炎上を始めていた。
 追いすがるゲリラ兵をなぎ払い、捕虜の脱出を優先するアキラ。ナイフ一本で闘うには限界があり、横合いから現れたゲリラ兵の銃口が自分に向けられるのを見て、アキラは死を覚悟した。だが放たれた銃弾はアキラではなく彼の背後から狙いをつけていた別の兵士を狙ったものだった。敵かと思われた兵士は、ライだった。
 息をついて体勢を立て直すアキラに、ライは無造作にライフルを抱えたまま周囲に鋭い視線を放つ。

「行け」

 爆撃や銃撃の音に掻き消されもせず、ライの低い声がアキラに命じる。脱出をどうするのかと問いかけるアキラに彼は答えなかった。ライはアキラに背を向けると、鋭く言い放った。

「行け、早く!」

 逆らうことを許さぬ声に、アキラはライに背を向けて走った。他の捕虜に追いつく間際、振り返ったアキラが見たものは、ライフルを投げ捨ててナイフでゲリラ兵たちを迎え撃つライの姿だった。






 ゲリラ軍の最大の拠点は、夜明け前に制圧された。戦火のせいか、それとも誰かが火を放ったのか、大麻畑は消失した。多くのゲリラ兵が戦死し、でなければ投降した。
 密林を脱出したアキラたちは、政府軍に手厚く保護された。もともとライから捕虜の脱出と保護を指示されていたのだろう。政府軍に迎えられた捕虜たちの中で、負傷していたスパイの兵士と、アキラと源泉の二人は特別待遇を受けた。
 アキラと源泉は脱出の成功に重要な役割を果たしたとして強く感謝された。だが政府軍の高官と話しているうちに、奇妙な食い違いがあることに二人は気付いた。
 高官は言う。エルンスト・ライはスパイのために用意された架空の人物で、彼は有能な指揮官であり、世界大戦でも大きな役割を果たした壮年の軍人だ。
 その高官の言葉に源泉とアキラは顔を見合わせる。壮年、と言うにはライの年齢はまだ若かったように思う。
 奇妙に思った二人が問いただすと、高官は不審そうにしながらもライを演じていた人物について教えてくれた。西欧でもトップクラスの外人部隊に長年所属し、ブラックパンサーの異名を取った小柄な戦士。それがライの正体だった。
 源泉とアキラは再度顔を見合わせる。二人の知るライは小柄ではなく、現地人特有の浅黒い肌をしてもいなかった。ではあれは一体誰なのか。
 二人の困惑はどうやら正しかったようで、源泉が担いで連れ帰った兵士、彼こそがライだと高官は言った。それは違うという源泉とアキラ。二人の説明したライの人物像は、高官を青褪めさせた。
 一体どういうことか、とざわめく軍部。軍部がライだと信じて連絡を取り続けていたのは別人であった。暗号による通信のみで連絡を取っていたので、誰もライの顔と声を知らない。ではライに成りすましていたのは誰なのか。
 軍部は一時騒然となったが、それに関しては戒厳令が敷かれたようである。アキラと源泉には何も知らされることは無かったが、おそらく行方不明の偽ライが発見されることは永久に無いだろう。
 軍部からようやく解放された二人は、滞在予定を切り上げてニホンへ戻ることとなった。恐らく政府軍から何か圧力があったのだろう。政治的圧力に屈する源泉ではないが、思うところがあったのか、帰国することに素直に同意した。そして二人は機上の人となったのである。






 帰国した源泉が一番初めにしたことは、捕虜になっていたときに偽ライから渡された小型カメラの現像であった。
 映っていたのは檻の中から見たゲリラの拠点の風景や、負傷した兵士たち。隠し撮りした拠点内の風景や、炎上する大麻畑だった。
 現像された写真の一枚を見て、アキラが源泉に指し示した。捕虜の檻から隠し撮りした風景の中、右の隅に男が映っていた。くつろいだ様子の兵士たちに混じって、ただ一人だけ真っ直ぐにこちらを見つめている男。印象的な眼差しの男は、二人がライだと信じ込んでいた人物。
 アキラは不意に源泉を呼んだ。彼にはずっと気になっていたことがあるのだ。脱出の夜、偽のライに最後に出会ったのはアキラだ。あのときアキラは彼と言葉を交わした。そして偽のライは言ったのである。行け、早く、と。
 それがどうしたのだと先を促す源泉に、アキラは深刻な様子で口を開く。

「あれはニホン語だった」

 あのときは気付かなかったが、偽のライがアキラに命じた言葉は確かにニホン語だった。では、彼はもしかしたら…………。
 アキラは源泉を見上げ、口をつぐんで写真を指し示した。右隅に映った男。無表情の男の目は、何故か黒には見えなかった。
 源泉は嬉しいような、泣きたいような微笑を浮かべると、黙ってアキラを抱き寄せた。そして二人がそのことを口にのぼらせることは、二度と無かったのである。





〔終幕〕







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