其ノ一 狂乱怒濤ヲ撃沈セヨ!

 東京湾を臨む、ここは夢の島公園の駐車場。夜になると、この辺りは人気もなく密談するにはうってつけの場所である。
 それはある土曜の夜の出来事。
 普段は静かな水音だけを奏でているその場所に、怪しい輩が次から次へと無数の光と爆音を放ちながら集まっていた。
「突然合同集会だなんて、何かと思えばこんなくらねえ事かよ!」

 集会場に指定されたその場所には、二つのグループと思われる人影がそれぞれに分かれてしゃがみ込んでいた。俗にいう、ヤンキー座りというやつだ。その中で、一方のリーダー格であるコウジは言った。
「……とにかく、どれだけ幅をきかせてるか知らねえが、もともとあいつらの高慢な態度が気にいらねえんだ。しかも先週、やつらのせいで仲間が三人もパクられたんだ!」
 悔しそうにコウジは舌打ちした。

 湾内の海はチャプリ、チャプリと水の打つ音だけを小さく響かせ、黒光する海面はドロドロと形を変えていた。
「それに最近代替わりしたって噂だが、まるっきり挨拶も無しだ。規律ってものを知らないようだ。」
 所狭しとうずくまっている、仲間の誰かが言った。
「これを機に、ぶっ潰しちまおうって訳ですね!」
 その言葉に群集からどよめきが起こり、ひゅう、と口笛を吹く者もいた。
 しかしその騒ぎを沈めたのは、もう一チームのリーダーであるリョウという少年の一言だった。
「とにかく俺達"朽葉"は、お宅ら東京のゴタゴタにゃ興味ないんだ。この話は降りるぜ。」
 そう言って踵を返すリョウの率いるチームは、埼玉をフランチャイズにしている。
「待てよ、もう"ゴールデンカプリコーン"のシュラさんにも話通したんだぜ?!」
「なに?」
 立ち去ろうとしていたリョウが、その名を聞いて動きを止めた。

「……それで、制裁を加える相手は何と言った?」
「その気になってくれたか。そいつの名は……"狂乱怒濤"の一輝って奴だ。」


                ★  


「全く兄さんって、どうしてあんなに時代錯誤なんだろう!」
 グラード学院中等部一年に進学した瞬は今日、新入生代表の答辞を述べる事になっていた。
「昨日だってね、紫の特攻服着て出掛けていったんだよ!」
 紫だよ、紫。あの金とか銀とかで刺繍してあるやつ!と、瞬は強調した。

「まあまあ、そう言うな。廃れていく文化を継承している、貴重な存在だ。」
 綺麗に手入れをされている、瞬の亜麻色の髪を束ねながら、アフロディーテは言った。
「あのねえ、暴走族の特攻服ってもともと機動隊の制服を元にしたものなんだよ。あんな機能性もない見てくれだけ派手な服、どこが文化の継承なんだよ。」

 気持ちの良い春の早朝。サァ……と風が吹くと、五階建ての屋上まで桜の花弁がまるで薄桃の霧のように吹き込んで来た。
「とはいっても、お前の兄貴のチームは、都内でも特に保守的だろう。」
 無数にある今日の暴走族やチームには、主だった服装の規制は無くなりつつある。たいがいがラフなジャージや皮ジャンなどで、中には昔の英国の不良を意識した、ファッショナブルな集団も現れるくらいだ。
「ケンカっ早いし、一番凶暴だけどね。」
 瞬は軽く溜め息を吐く。
「だから、お前がこうしてここに迎えられたのだろう?」
「……もう、あんなこと嫌だよ。」

 昨日の晩、瞬はヤクザの相手をさせられていた。
 瞬は振り向いて、可愛い上目づかいでアフロディーテを睨んだ。俗にいう"ガンタレ"のつもりらしい。
「紅龍会は、うちの後ろ盾だからな。義理かけには時々招待されるんだ。本当は、一輝の噂を聞いて興味を持っていたようだが、あいつを連れていくのは危険だからな。」
 何が危険かというのは、瞬も良く理解していた。気に入られすぎてしまう危険だ。

「兄さんがヤクザと付き合うなんて事、僕が許さない! 兄さんは全うにここを卒業して、ちゃんとした仕事に就いて、いいお嫁さんを貰って、いい家庭を築くんだから!」
「……お前はいつから、あいつの母親になったんだ?」
 その時、鐘の音が穏やかに会話を遮った。カトリック系である、グラード学院の鐘の音は、敷地内の教会から響く。
「おっ…と、そろそろ行かないとな、優等生くん!」
 瞬は入学時の試験で首席を取り、次期生徒会長はどうかなんて気の早いお誘いまで受けている。
「だから、こちらも誘ってしまったわけだ。」
 屋上の非常扉を、よいしょ、と開ける瞬の姿を眩しそうに眺めながらアフロディーテは呟いた。
 無数に存在する都内のチームを一手に束ねる大役は、並み大抵の人間には出来ない。力だけではなく才知と、そして厚い人望が要求される。
「あれが、あの一輝の弟だなんてな……。」

     ★

 新しい制服に身を包んだ新入生が詰め込まれた教室は、下ろしたての空気が充満し、希望で充ち満ちていように輝いていた。
「よぉ!」
 式典での最初の任務を無事果たし、あてがわれた席に付いた瞬に声を掛けたのは、幼馴染みの星矢だった。
「あ、星矢! キミも同じクラスだったの?!……あれ、その人は?」
 横にいる見知らぬ少年に、瞬は気付いて尋ねた。
「こいつは先輩の氷河。俺が入ろうと思ってる水泳部の二年だよ。」
「オイ、先輩に向かって、何でこいつなんだよ。」
 氷河は呆れたように、星矢に言った。
(なんだよ! お前が、答辞を読んでたあの可愛い子を紹介してくれって頼むから……)
「あーー、分かった分かった!」
 大袈裟な声を出す氷河を、瞬は不思議そうに見つめていた。

 もともと目立って整った容姿のせいで、瞬は入学する前から上級生に人気があった。それに気付いていないのは本人だけで、誰があの子をものにするか、など 物騒な賭け事が横行するたび、隠し撮りされた写真がメールで飛び回るたび、彼の兄―― 一輝が暴力事件を起こしていた事も、瞬は露とも知らずに兄さんの荒くれ者!と罵っていたのである。
 
「……水泳部に入らないか?」
「へ?」
 突然の勧誘に、瞬は目を丸くした。
「水泳部には、星矢が入るんでしょ?」
「あ、あぁ。でもきっと瞬も素肌が……いや、素質があると思うんだ。」
 うーん、そうかなぁ……と悩んでいる隙につけ込んで、
「大丈夫! 俺がきっと立派な競泳選手にしてみせるさ!」
 と得意の爽やか笑顔でごり押しをしてみる氷河だった、が。
「……オイ、そこのパツキン野郎。誰に許可を得て、他人の弟を誘惑している。」
 突然の一輝の登場で、辺りの空気が一変した。
「パツキンって……、それ死語だよ、兄さん。」
「うるさい! お前は黙ってろ!」
 入学式でも壇上に立つ弟の姿を見てニヤニヤする者や、コソコソと何やら話し合う輩がいた。気になってわざわざ三階から、新入生の教室のある一階の様子を見に来て正解だった。
「言っておくが、俺は誘惑ではなく勧誘をしていたんだ。」
 氷河が弁解するが、一輝にしてみればどちらも同じらしい。
「面白い! この俺に楯つく気か。表へ出ろ!」
 語尾に巻舌を使うあたりにイタタ…と思うが、それは口に出さずに瞬は声を張り上げる。

「兄さん! やめて下さい!」
 頭に血が登って暴れ始めた兄にしがみつくと、今度は星矢に向かって言った。
「星矢、先生呼んで来て。」
「おい! お前、実の兄を先公に差し出す気か!」

「一体なんの騒ぎだね、騒々しい。」
 ガラリと教室の戸を開けて長髪の男が入って来た。
 瞬間、暴れていた一輝の動きがピタリと止まる。
「う…シャ、シャカ……。」
 道徳の授業を受け持ち、風紀担当のシャカは、一輝の最も苦手としている教師だった。
「また一輝か。入学してからこれで百七回目だ、君が問題を起こしたのは。」 
 ゆとり教育の導入で、年間の授業日数は百七十五日に減少した。という事は、少なくとも四日に一回はこの様な問題を起こしている計算になる。――
 瞬は、キッと兄を見据えた。今度は、ちゃんとガンをつけている。
「兄さん!今後僕の前では、一切喧嘩しないで下さい!もし、守れなかったら……」
「……し、瞬……」
「その時は、僕が貴方の相手をします!」
 手加減はしませんよ、と付け加える。
 瞬の正義感溢れる態度に「これで少しは校内が静かになりそうだ。」とシャカは安心したように頷き、クラスメイト達は、これからの中学生生活にほんの少しの不安を覚えた。

 この時点では、誰もが想像すらしていなかった。
 品行方正を貫くこの少年に、影の姿が潜んでいようとは。
 それは彼を一番理解し、裏の世界を生きる場とする、彼の兄でさえも例外ではなかった。

     ★

「ふ~ん……。で、結局何組集まったんだ?」
 カウンターでテキーラを煽りながら、シュラは言った。
 "ゴールデンカプリコーン"の溜り場である、六本木のクラブ"ルームス"。週末ともいえばそこは、最近特に増えてきた若者で溢れかえっていた。
「西新宿にできた"オールゴースト"、埼玉新都心"朽葉"……この二つは元々、頭同士つき合いがあったそうで……あとは馬場に最近出来た"ペインエンジェルス"ってやつらです。ここはゴーストと利害一致ってやつでしょうね。」

 さながらゴーストタウンのような、夜の西新宿。中央公園に現れたのがオールゴーストだった。しかし甲州街道から靖国通りへと突き進み、コマ劇場まで差し掛かった付近で、彼らは襲撃されて、仲間の何人かが鑑別所と病院送りになった。歌舞伎町は"狂乱怒濤"の縄張だったからだ。
 
「どいつもカスみたいな連中だな。」
 からからとシュラは声を立てて笑った。その声に気付いたのか、カウンターの向こうで酒を作っていた女性が、ちらりと意味ありげな視線を送ってくる。ゴー ルデンカプリコーンはこの界隈で顔が広く、特にスレンダーな皮パンに胸元のはだけた黒シャツという、ワイルドな装いで女性にもて狂っていたのだ。
「ねえ、やらない?」
 女は胸元から何やら取り出してシュラに笑いかけた。だが、シュラはフンと鼻で笑い、軽くあしらってしまう。
「シュラさん……この話、本当に乗るんですか?」
 狂乱にはブラックホールが付いてるんすよ、と不安そうに若者は言った。
「ああ、だから便乗させてもらうのさ。」
 しかしシュラは楽しそうにそう言った後、残った酒を一気に飲み干した。

「キールちょうだい。」
 軽くあしらわれて悔しそうに舌打ちしながら、カウンター越しにシュラを睨んでいた女に、厚塗りのニューハーフがドリンクチップを差し出しながら小声で言った。
「あの連中は"スピード"しかやらないのよ。それも、こんなチンケな箱の中でじゃなくて"東名"でしかね。」
「変態ね!」
 勢い良くカウンターにグラスを置いて、女は吐き捨てた。
 
    ★

 舞台は眠らない新宿。
 綿密に計画を練った連合部隊は、一路花園神社へと向かっていた。靖国通り沿いに少し歩みを進めるだけで、町並みはまるで別人のように変化する。
 土曜の夜である今日、狂乱はここに集まるはずだった。
「頭数じゃあ、負けてないからな!」
 ゴーストのコウジは自信ありげだった。今回自分達に味方してくれた、チームの勢力と、実力を知っていれば、その自信が勝利への確信へと変化するのも、当然のことと言えた。

「あのゴールデンカプリコーンの兄貴がついてんだ。」
 コウジはニヤリと笑った。
「逃げようにも、あにさん達のスピード狂には叶わねえさ。」
 朽葉のリョウも得意げである。
 ゴールデン街の小道や、神社を囲む四本の通りの物陰には、シュラも含めて複数の単車が潜んでいる。神社の境内の物陰、敷地内の木々や鳥居の後ろにも兵隊を配属した。卑怯だが、不意討ちを狙わせてもらう。軍配は必ずやこちらにあがるだろう。

「来たぞ!」
 狂乱のメンバーが次々と現れ、円陣を組み始める。頭である一輝を筆頭に声出しをしているようだ。新宿界隈においてこの異様な程の静けさの中、雄叫びだけが、これまた異様な気迫で響き渡る。
「……まだか?」
 先攻部隊が動きを見せない。一輝の視線が、キラリと光ったように感じた。
 その時。
「……ヘッド!先攻の兵隊がやられた。」
「なに?!」
 腹部を押さえた部下が苦しげに足をもつれさせながら、倒れ込んできた。
「何が何だか、自分でも……。」
「リョウさん、こっちも襲われた!」
「ックソ!何だ?こんなに静かなのに……!」
 心臓が早鐘を打ち、握る拳の中が汗で湿った。
 何故だ、やつらは目の前にいるのに、一体何物が?

「仕方ない!一段とばしだ。俺らから出るぞ!」
 正面の入り口を塞ぐ形で、連合部隊のヘッド達と数十名の部下が鉄パイプやら金属バットを握り、飛び出した。

「狂乱怒濤、今日こそ落とし前つけてもらうぜ!」

 一輝が弾かれたように振り返った。その目に映ったものは、鉄パイプを振りかざす少年の姿だった。
 彼らの手に握られている凶器が、まさに頭上めがけて振り降ろされようとした、その時。ジャラリ、と金属音が耳元をかすめた。

「……何ィ?!」
 気付くと男の手中は空になり、振り上げた腕は空中で止まっていた。

 わけが分からぬまま辺りを見回すと、境内の前に見慣れぬ人影が立っている。その人影は手元の鎖を手繰り寄せ、鎖が絡め取った鉄パイプを拾い、身を翻した、その純白の特攻服の背には、……

「"TOKYO B/H"……?なんだ貴様はあー!」

 横槍を入れられ頭に血を昇らせた集団が、一斉に襲いかかろうとした、その時。
 澄んだ声が境内一帯に響き渡った。

「オールゴースト他、連合組織に厳命する!」

 後ろから現れた声の主は、同じく白衣の長髪の男だった。
「都内の全組織は我々に帰属し、私的な抗争は制裁に値する。新参者がナメた真似をするな!」
「なんだと?貴様ら何者だ! 名を名乗れ! 」

 今にも飛びかかろうとする、コウジの肩を掴んで引き戻したのは、シュラだった。
「シ、シュラさん!」
「手を出すんじゃねえよ。」
 シュラは低い声で言った。

「東京ブラックホールのヘッド…姫、だな?」
「……。」
 背を向けていた少年は無言で振り返った。布で顔を被っている為、瞳以外に表情は見てとれない。身体は華奢だがその眼光が、逸脱していた。
 フワリ……と夜風が亜麻色の髪を散らした。

「ゴールデンのシュラではないか、久しいなあ!」
 長髪の男がシュラを見つけて表情を変えた。
「おお、アフロディーテか!」
 と、シュラも嬉しそうだ。

「シュラさん、どうして奴らの肩を持つんだよ!」
 呑気に再会の挨拶など始めたシュラに、苛立ち始めた少年は叫んだ。
「あきらめな、お前らの適う相手じゃねえよ。」
 シュラは、低い声でぴしゃりと言い放つと、もっと周りを良く見ろ、とばかりに視線を泳がせた。ザシャア、と背後からの靴音にようやく気付いて、コウジやリョウが振り向くと、神社の敷居の向こう遥か後方まで無数の人影で覆い尽くされていた。

「な……っ!」

 慌てて見回すと、狂乱怒濤と自分達を中心にして人、人、人。酉の市と、三賀日の賑わいをもってしても、遠く及ばない程の群集に囲まれていたのだった。

「ブラックホールの傘下には、千を裕に超す兵隊がいる。紅龍会って後ろ盾のもと、正式に都内のゴロつきどもを締めてるのさ。」
 シュラは戒めるようにそう告げると、今度は一輝に視線を向けた。一輝は不機嫌そうににシュラを睨み返す。
「あちらさん、お前の歓迎をしたいんじゃあないのか?狂乱のヘッドに落ちついたなら、挨拶位したっていいだろう。」
「つまらん慣れ合いは、いらん。」
「まあまあ、そう言ってくれるな。跡目相続の際に交盃を行うのは我々のしきたり、暫しつき合え。」
 アフロディーテは一輝の肩に手を置いた。

「お前ら、ブラックホールのヘッドを拝めるなんざ、この先滅多にないぜ。」
 シュラは視線を覆面の少年に向けたまま、静かに言った。
「それと、狂乱はブラックホールの右腕だ、それも剛腕のな。変な気起こすなよ。」
「くそっ、ハメたな……!」
 少年達は悔しそうに罵ったが、シュラは振り返ってフッと笑った。
「俺たちはな、ただ見物したかっただけよ、この派手な祝儀をな。」

「シュラ、物影に隠れている客人達をここへ連れて来い!取持人はお前に任せる。それから酒だ、誰か神前用の酒を手に入れて来い!」

 かくして抗争現場になる筈だった花園神社は、一瞬にして厳粛な、義兄弟盃の式場にとって代えられたのであった。


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