其ノニ 早朝の引継ぎ
「よお、一輝!こないだは楽しませてもらったぜ。」
車のウインドウから顔を覗かせて声を掛けてきたのは、シュラである。
「朝からご挨拶だな。」
一輝は顔から不機嫌の文字を隠そうともせずに言った。
珍しく早朝から登校しているのは、今日から始まる中期試験の為である。試験を落とすと進学はおろか在籍すら危うくなるゆえに、無理矢理瞬に叩き起こされた一輝であった。
「そんな顔するなよ。まあ、乗れや。」
送ってくぜ、とシュラは自慢のシャコタンのドアを開けた。
「お前は、ブラックホールのやつらと、どういう関係だ?」
抗争の夜、シュラがアフロディーテという男と、親しげにしていた事を一輝は思い出した。
「いや別に…。古い付き合いでな、あいつとは。」
多くを語ろうとはしないシュラであったが、この男とアフロディーテとの馴れ初めなどには全く興味のない一輝は、更に気になっていた事を尋ねた。
「ブラックホールの…姫って奴は何者だ?」
……………。
その問いに、シュラは目を丸くした。
「……なんだよ。」
ジロリと一輝は睨んだ。
「……そうか、成程な。」
「だから、何がだ。」
苛々しながら一輝は眉間に皴を寄せる。
「あ、いやすまん。ブラックホールヘッドの素顔を知る者は、組織内でもごくわずかだって話だ。あの晩現れた姫は、今年になってヘッドに収まったばかりだが、代々ヘッドは覆面の着用を義務づけられてんのさ……お前、先代の頭ときっちり引継ぎやったんだろうな、常識だぞ。」
「そうか。」
いかにも興味無さそうに、一輝は答えた。
――まあ仕方ないか。
シュラは溜め息混じりに呟いた。
狂乱怒涛のヘッド交替劇は、この辺ではかなりの話題を呼んだ。
荒くれ者で好戦的な一輝を欲しがるチームは多かったが、集団で強がる暴走族に、吐き気すら覚えていた一輝は、どこの族にも籍を置こうとしなかった。
そんな中、狂乱の先代は内部に次期頭候補がいるにも関わらず、一輝に総頭の座を継がせるため、無理に引き入れようとしたのだ。
当然、次期頭候補だった男は黙っていなかった。
こうして一輝はなぜか狂乱のヘッドの座を巡って、タイマンを張る羽目になってしまったという訳だ。
危ないからやめてと、泣きながら止めのたは瞬だけで、その他大勢の予想通り、一輝はいとも簡単に今の地位を獲得してしまった。
「あの時の狂乱は諍いが絶えなかったな。よくここまで纏めあげたもんだ。」
集団が嫌いだと言ってはいるが、意外に上に立つ資質はあるらしい。カリスマ性とでも言うのだろうか。
「ブラックホールのヘッドも、もともと一般人だったところ、熱烈なスカウトをしたって話だぜ。」
シュラはにやっと笑って言った。
「あのポストは、そこらの族上がりの人間には勤まらんからな。だいいち、面が割れてちゃまずい。」
「まったく、はた迷惑な奴らばかりだな。」
一輝は呆れたように言った。
「それはもっともだ。……あの地位は確かにここらじゃ一番だが、リスクが大きすぎる。苦労も多いだろうよ。」
だから、とシュラは続けた。
「お前が守ってやれよ。」
「……ハ?何で俺なんだ。千人だかなんだか部下がいるんだろう。面倒はごめんだ!」
一輝はあの晩の少年の姿を思い出した。小柄で線の細い身体は、都内の組織を一手に治めている者と聞いて連想する姿とは、まるで違っていた。
もともとこの世界の人間ではないと知ると尚のこと、同情は、する。しかしそれはそれ、である。
「傘下には、わんさかごろつきがいるがな、あの組織はそいつらを上手くまとめるのが仕事なんだ。俺たちみたいに大人しく走ってるチームなんざ希なんだよ。」
恐喝、麻薬や窃盗……そして勢力争い。ブラックホールの存在は、行き過ぎた暴走を食い止める役目も果たしている。
「だから、あいつの寝首を掻こうって奴も少なくないんだぜ。まあ、そういう理由もあって狂乱を傍に置いてるんだろうが。」
実際ブラックホールの何が怖いって、お前たちが動くのが怖いんだろうな、とシュラは言った。
「あ、それから紅龍会もか。」
「ヤクザさんか。」
ぴくりと一輝が反応した。
「本来ならば、暴力団が族の後ろ盾になって面倒見る代わりに、金を要求するんだがな。色々と厄介なんだよ、これが。」
「カネ?!」
「あぁ、資金繰りの為だろうな…不況だし。で、その厄介なお付き合いもブラックホールが一手に引受けてくれてるんだ、ありがたい事に。」
「……。」
「お陰で、俺たちは安心して走れるってわけさ。」
「あの少年がか……?」
一輝は苦しそうに言った。
「んん?」
「姫ってやつが、ヤクザと関係を持っているのか?」
「そうらしいな、事務所にも出入りしてるらしいしな。指定暴力団だし、警察にもマークされんだろ。」
だから覆面をしているのだが。
「……。」
「守ってやれよな。」
横目でちらっと一輝を伺ったシュラはしめしめ、とばかりにほくそ笑む。一輝は前を見つめたまま、答えない。膝に置かれた両拳には力が込められ小刻みに震えていた。
どうやら完全に同情しているらしい。
弱者と見るとつい庇ってしまうというのが、意外と周囲に知られていない、彼の性格の一部分であったりする。元来彼に見る弟への溺愛ぶりは異常だが、そんな、大切な者の影を重ねてしまうのかもしれない。
それに加えて、一輝は正義感が強かった。
「おっと、到着だよ、お兄さん。」
シュラは車を校門の傍に着けると、ドアを開けた。改造されたシュラの愛車は低いエンジン音を轟かせ、登校中の学生は避けるようにして道を開けた。
「じゃ、いってらっしゃ~い。」
ひらひらと手を振るシュラに、礼の言葉一つ告げずに一輝は車を降りて、校門に向かった。
――引継ぎ、完了だな。
シュラはそう呟いて、朝日を浴びながら遠ざかっていく一輝の後ろ姿を、満足げに見送った。