番外ハロウィン編 姫を探さないで

 ブルーのセーラーに身を包んだ女学生達は軽やかな足取りで校門をくぐる。
 ――あら、昨日の晩は雨が強かったから…。
 少女は立ち止まると、そっと片足を上げた。右足のあった場所には、金木犀の花がたくさん落ちていた。
 秋の深まる風景に、蛍光オレンジのそれはひときわ浮いて見える。不自然なほどに匂い立つ香も、まるで、この世界とは別の場所に咲く花のようだった。
 ――まるで貴女のようだわ。
 少女は顔を上げた。前方をゆくのは長身の少女。独特な立居振舞は、周囲の生徒に一線を画していて、かなり、目立っている。
「パンドラ、ごきげんいがが ? 」
 背後から声をかけられた黒髪の少女はむすっとした様子で振り返った。
「……この季節外れにクソ暑い中。」
 パンドラは、綺麗に一本分け目のとおった前髪の生え際に、うっすらと浮いた汗をコットンレースのハンカチで拭った。衣替えは来週だが、すでに長袖である。もとより、紫外線を気にしてか、彼女は真夏でも乱れなく冬服を着用していたのだが。

「ごきげんいいわけないだろう、ユリティース!」
 台風一過で秋晴れ、9月下旬というのにこの日は夏日に逆戻りしていた。
 びしっと人さし指をさされユリティースは、思わず口許をおさえて苦笑する。
 ハインシュタイン学院の女裏番長はこの日、すこぶる機嫌が悪かった。
 だが原因はこの暑さだけにとどまらない。
 ――あの一件かしら……。
 ユリティースには思い当たるふしがある。彼女の横で、パンドラは拳をふるふると震わせて、尖り声を出している。

「……おのれ、一輝め!!」

         ★

「一輝、10月31日は何の日だか知っているか? 」
 新宿駅前のカフェにやって来くるなりシュラは、オレンジ色のハガキをひらつかせて言った。そこには "ハロウィンパーティ招待状" なる文字がでかでかと、ファンシーなフォントで印刷されている。
「お前にも来たのか……というか、何だその、パンドラなんとかって。」
「パンドラレディースだろ ? 裏番だよ、都内のレディースを牛耳ってる……相変わらず疎いなあ、お前。」
「ほっとけ。」
 一輝はハガキを丸めると、空になったコーヒーの紙コップの中へと投げ付けた。
「ああっ、せっかくの御招待をそんなことして、……あーあ、汚れちゃったよ。」
 シュラがわざとらしく溜息をつくと、隣のテーブルに座っていたカップルがちらりとこちらを見た。だが周囲の視線など気にもとめずに一輝は、更にでかい声を出した。
「パンドラもパーティーも何も俺は知らん ! ! 大体、宛名くらいまともに書けんのか ! 」

 今日、校門前で貴鬼に手渡されたそのハガキの宛名面には、ただ " イッキへ " とだけ書いてあった。
 どうやら一輝はカナで呼び捨てにされた事が気にくわない様子だ。
 シュラは頬杖をつくと、片手で皺になったハガキを伸ばしながらぽつりと言った。
「そういえば、パンドラって……姫の親衛隊も組織してるって聞いたことがあるな。」
「親衛隊だと ? 」
「ああ、意外に女どもにも人気あんだよ、姫って。うーん、なんだか妙だよな、このハガキ……。」
 姫と聞いて顔つきを変えた一輝は、シュラからハガキを奪いとった。
 丸文字に拒絶反応を起こしろくに読めなかった文面を、今度は必死に両目で追ってみる。

 きたる10/31
「る→むす」にてハロウィんパーティーぉ開催します★
 参加しなぃとヤキぃれだぞ(・е・メ)
 なwてね  ちゃんと仮装してきてネ

「・・・・・・。」
 軽く頭痛を覚えた一輝は、無言でハガキを裏返した。

        ★

「アフロディーテ、大変だ ! 」
 屋上の非常扉を開けて駆けこんで来たのはミロであった。手には、オレンジのハガキがある。
「どうしたの? ミロ。」
「あっ、瞬も居たのか、丁度いい。」
「何が大変なんだ。」
 校門前で待ち構えていた少女に手渡されたそのハガキを、アフロディーテにつきつけるなり、ミロは真顔で続けた。
「パンドラからハロウィンパーティーに招待された。」
 そこには一輝やシュラ宛てのものとは違い、丁寧な挨拶文から始まるパーティーへの招待の旨が、達筆な文字で記されていた。

「なになに? 狂乱のヘッドの噂は存じております。つきましては一度ゆっくりお話ししたく………ふむふむ。一輝を必ず連れて来いと書いてある。なんでまた一輝なんか。」
 宛名にブラックホール御中と書かれたそのハガキをまじまじと見つめながら、アフロディーテはぼそりと言った。
「これ、僕らに出された招待状だよね……? どうして兄さんの話がでてくるのさ。」
 瞬は納得のいかない様子で口を挟んだ。
「俺たちが首に縄でもつけて連れて行かない限り、絶対参加しなそうだからな、アイツは。」
「ふ~ん、一輝とパンドラか……。どうなんだろうな? いいコンビには、なりそうだよなぁ。」
 ミロは面白そうに口の端を上げた。
 予想外な組み合わせだが番長とスケ番。似合いかどうかと問えば、恐しいくらいに、似合ってはいた。
「パーティーも一輝に会うための、口実だったりしてな!! 意外と隅に置けないやつだなぁ、あいつも!」
 ミロの茶化したような台詞に、少なからず衝撃を受けた瞬は、縋るような眼差しでミロを見上げた。今ではすっかり大人びてきたこの少年も、一輝のこととなると、まるで子供のように豹変してしまう事もしばしばである。たまにはそんな瞬も面白いしし、可愛いから良いのだが。

「そんな顔をするな。女の一人もモノにできず、弟ばかりにかまけてるようでは狂乱ヘッドの名が泣くぜって、そういう事だ。」
 お前だって分かるだろ? と、ここはひとこと言ってやらねばとばかりに、ミロはフッと笑って腕組みした。こんな時の瞬はからかい甲斐があって面白い、というのがミロの本音ではあったが。

「僕だってわかってるもん。」
 ぶつぶつと独り言をこぼしながら、瞬は帰路を急いでいた。いい機会だし兄離れしたらどうかなんて嗜められ、瞬は、あの後ついに何も言えなくなってしまったのだった。
 確かに兄は過保護だと思う。
 そして自分はどうかといえば、やたらと構いたがる兄のせいで、自分がどれほど彼に依存しているのか、今まであまり考えずにここまで来てしまったような気がした。
「いつかは、……僕だって自立するもん。」
 誰にともなく弁解するように、瞬は小さく呟いた。兄さんが好きだと気付いたのはつい最近で、そうしてこの好きは、きっと普通の「好き」とは違うんじゃないかと薄々感じ始めてもいた。
 だが、この気持ちが何かの思い違いだったとしてもそうでなくても、きっとそういつまでも、僕らは今のままで居ることは出来ない。
 甘えた気持ちも子供っぽい独占欲も、いつか脱ぎ捨てる時が、きっと来る。
「……でも、今すぐにじゃなくてもいいじゃないか!」
 瞬は歩調を速めた。ただ、今は一刻も早く兄の顔を見たかった。そしていつもと変わらぬ兄の様子に安堵を得たい。
 今はいいでしょう、・・・今だけは。
 ふと生まれた孤独という異物を、ぎこちなくとも抱き寄せようと、瞬は固く目を閉じた。

          ★

「ビンゴ大会より、身体張ったゲームの方が盛り上がるかもしれないな。」
 関節鳴らし選手権とか。パンドラは呟いた。図書館で見付けたのは "必ず成功!幹事虎の巻" という本だった。
「ところでチカ、その他大勢に招待状は送ったか?」
「バッチリです!可愛く作ったから皆、ソッコウ返事くれました!」
「そ。一輝はちゃんと出席するんだろうな。」
「ブラックホールにも念を押しときましたから、もう、バッチリです!」
「良かった、あの男がいないと始まらないしな。」
 ふふふ……見ていらっしゃい。
 パンドラは含み笑いしながらパタン!と本を両手で閉じた。
「あのお方の恋人なんて…。お前のような青二才には百万年早いわ!!」

 パタンと携帯電話を閉じて、一輝は深く溜息をついた。
 10月31日。今年は休日なので、瞬と近所の遊園地に出かける約束だった。
 電話はアフロディーテからで、例のごとく偉そうな口調で、ハロウィンパーティーには出席するよう告げられた。姫が関わっているとなると、一輝も断る理由を失くしてしまう。
「しかし、仮装って……。」
 一輝が頭を抱えてまた深く溜息を吐いたとき、帰宅した瞬がドアをあけた。
 一輝の座っているソファに、少しへたったあのハガキが無造作に置いてあるのに気づいた。いつの間に、兄のもとへ届いたのだろうか。そこにはイッキへ、と女子特有の丸い文字で宛名書きされていた。

「どうしたの? 秋だからって溜息なんてついちゃって。兄さんらしくないですね。」
 家まで小走りで来たのを、何となく知られたくなくて、瞬は用心深く息を整えながら言った。
「……溜息くらい吐きたくなる時が、俺にでもある。」
「・・・ふぅん。」
 ハガキをつまみ上げようとした瞬の手を、一輝が素早く制した。
「悪いが、31日だが……、」
「ダメになったの?」
別にいいよ、と瞬は笑顔を向けた。きっとアフロディーテあたりが連絡したのだろう。
「ハロウィンか……じゃあ、僕その日は変装して待ってることにする。兄さんをびっくりさせようっと。」
「予告してどうする。」
「あ、そうか。上手に化けて僕だって分からなくしてやろうと思ったのに!」
 昨日買い物をした時、おまけでもらったカボチャの縫ぐるみを拾い上げると、瞬はわざと、おどけたように笑った。
「……俺を騙せるとでも?」
「ええ、自信があります。」
 縫ぐるみを取り上げた、一輝の大きな手が続けて瞬の頭を撫でつけた。髪を梳くと少し覗いた小さな耳から頬と、順番に手を滑らせると、一輝は見上げてくる眼差しに気づいてそれを受け止めた。
 他の者のそれと、自分が見まごうはずがない。
「馬鹿を言うな。幾つの時からお前を見てると思ってるんだ。」
 一方の兄も余裕綽々の態度である。兄さんのうそつき!瞬はむすっとしたように一輝を睨んだ。

                  ★

 10月31日、昼下がり。
 ブラックホールのアジトにて。
「なあんだ、なかなか似合うじゃないか。」
 着替えを済ませた一輝を見て、シュラは気が抜けたような声でつぶやいた。
「そこでなぜ落胆する。」
 じろりとシュラに目を向けながら、一輝は大きく広がった襟のついたマントをバサリと羽織った。
 シュラの知人の店に、たまたま出入りの貸衣装屋があったので、パーティーに着ていく服は全てそこで調達する事になった。
「いやあ、久々に面白いもん見れるかもと期待してたから、なあ?」
 シュラが同意を求めると「うむ」と力強く頷いたミロは、白いキトンをゆったりと巻きつけた、アルカイックスタイルだ。
 シュラはフリンジのついたハードな革の上下にサングラスをかけ、ロックスターを気取ったような格好であった。
「しかしそんなボサボサした髪型じゃあ変だな。」
 シュラは自宅から持ってきた、ムースとコームを出してきた。
 そうして慣れた仕草で髪を撫でつけ始めると、エンジ色のベストにコウモリ型の蝶ネクタイ、オールバックに固めた前髪の強面が、更に目つきを悪くした。
 つまり、ここに理想的なドラキュラ伯爵が再現されたのであった。

 会場につくと受付で二人組のデビルが出迎えてくれた。
 中を覗くと、ホールにはカラフルなバルーンが飛び交い万国旗が飾られ、ミラーボウルに反射した光と、さらにゲストたちのにぎやかな服装で、店内はひどいカオス状態である。
「おお、一輝も来たな。なるほど吸血鬼か、似合っているぞ。」
 笑みを浮かべて近寄ってきたのはアフロディーテだった。ちなみに彼の仮装は、ナースである。フリルのついたポケットからは注射器まで顔を覗かせている。
 一輝はしばらく目をすがめてナースアフロディーテを見ていたが、すぐにくるりと向きを変えた。
「ば……待て待て! そういったアレではないのだ。」
 アフロディーテは苦笑いをしながら一輝の後を追い、前へ出て行き先をふさいだ。
「お、いま気付いた! ブラックホールは相変わらず白い衣装ってことか。」
 ポンと手を打ってシュラが言った。
「ああ、そして医者よりナースが似合うと周りに言われたんだよな、アフロディーテは。」
 茶化すようにギリシアスタイルのミロが続ける。
「へえ! じゃあ、姫はどんな……。」
 シュラが面白そうにそう言いかけた時、ざわっと周囲が騒がしくなった。ゲストたちの視線は、舞台の下にセットされた主賓席に集中している。
 そこにはキラキラと白く輝く衣装をまとった少年、姫が現れたところだった。
 覆面のかわりに身につけているのは、薄いシルクのフェイスベールである。衣装にとめられた、ビーズや装飾品がふれあって小さな音が鳴り、まるでその度ごとに、シャラシャラと星がこぼれているようである。たっぷりドレープの落ちた裾は一歩踏み出すごとに軽やかに揺れ、いつもより露出した白い肌も、亜麻色の髪も、身に纏ったシルクのように繊細でやわらかそうに見えた。
 そこへ、いそいそとやってきたパンドラに背後から声をかけられて、少年は振り返ってにこっと瞳で笑いかけた。
 振り向きざま、彼の華奢な背にふわふわした雪のような羽がついているのに気付いて、遠目で見ていた一輝は、少年の頭上に天使の輪を見たような気がした。
「見とれてちゃって……。」
 眉間に力を入れたまま、思わず目をしばたたかせた一輝の様子に、シュラはぼそりとそう呟く。
「姫の衣装は、雪のフェアリーだそうだ。」
 一応説明を加えたアフロディーテの言葉も、彼の耳には全く入ってはいないようである。

 挨拶を済ませたパンドラが、うきうきと足取り軽く立ち去ってゆくのを確認してから、シュラはオレンジジュースをバーテンに注文し、瞬に近づいた。そしてグラスを手渡しながら、それとなく話しかける。
「聞いてるとは思うが、パンドラには気をつけろ。」
 一輝たちのチームが渋谷で喧嘩をしたあと、一輝と姫は恋仲だという噂が立った。
 当然それはパンドラの耳にも入ったことだろう。姫の親衛隊長であるパンドラが、その噂に気分を良くする筈がないのだ。
「一輝のやつ無理矢理参加させられたっていうじゃないか。パンドラがアイツにこだわってるのも……、」
「パンドラが兄さんを狙ってるって、シュラもそう言いたいんだね?」
「ああ、あれは絶対謀ってるって顔だ。お前も注意しろよ。」
「注意するって僕にはどうしようもないよ! パンドラと兄さんすごくお似合いだもの……!!」
「…ハ?」
 瞬は膝の上にきゅうっと両手でグーを作って俯いた。さっき、パンドラと話しをしながら、瞬は気付いてしまったのだ。
 真剣なまなざしで、じっとこちらを見つめる兄の視線に。
 そして、パンドラの向こうに一輝の姿を盗み見た瞬は、心臓を鷲掴まれた気分になった。
 パンドラが身を包んでいた衣装は、目のやり場に困るくらい胸元の開いた、ゴシック風なバンパネラで……目の前にいる兄と、対のような仮装だったからだ。
「いつの間に示し合わせたんだろう……。」
 ついにはフェアリー瞬は、半分泣きそうになりながら、震えた溜め息をついたのだった。

「ああ、なんとお美しい方だ……。」
 小さくつぶやいて、パンドラはふらりとスタッフルームのソファに身を投げ出した。
「パンドラ様、だ……大丈夫ですか?」
 『Happy Halloween』とチョコレートで書かれた、大きなパンプキンタルトを、ワゴンで運んで来たチカは、慌ててパンドラに近寄った。
「よいよい、それより、分かっておるな。」
 パンドラはしっしっ、と気怠そうに手で払うと、その手でパンプキンタルトを指差した。
 タルトには、よくみると、既にマス目状にナイフが入っており、後は皿に取り分けるのみとなっていた。
「ハイッ! 最初の『H』の部分は姫に、『P』の部分はパンドラ様のお皿に載せればいいんですよね?……でも、どおしてですか?」
 何か理由があるのかと、不思議がるチカを、パンドラは鬱陶しそうにあしらった。
「余計な事は考えずにただ言われた通りにしろ。私は少し休んでから行くが……いいか、初めのHとPだぞ、間違えるのではないぞ。」
 そう念を押すと、パンドラは口元へ寄せた手の甲の陰で、くくっと笑みを作った。


 何度も首を傾げながらやってきたシュラは、カウンターに浅く腰掛けている、アフロディーテの隣の席に着いた。
「なあ、アフロディーテ、姫は何か勘違いしてるみたいだが、ちゃんと予防線張ってあるんだろうな。」
「それならあそこにいるが。」
 アフロディーテがすっと指差した先には、黒尽くめのヴァンパイアの姿がある。
「ホントに大丈夫かよ……。」
 シュラが背もたれに寄りかかって煙草に火を付けたとき、
「食後のタルトで~っす!」
 ステンレス製のトレイにタルトを載せた、メイド姿のチカがやってきた。
「案ずるな。こちらにもいざという時の為に、考えがある。」
 アフロディーテは、タルトを受け取りながら不敵に笑みを作った。

「タルトで~す・・・げっ!」
 テーブルの皿にタルトを載せたあとチカは、笑顔でその先にいるバンパネラ一輝の顔を仰ぎ見て、驚きのあまり、段差に躓いて転びそうになった。危うく一輝に腕を掴まれて体勢を整えたものの、トレイに乗っていた、最後のタルトが床に落ちてしまった。
 チカはキッと一輝に睨みを利かすと、腕を振り払った。
 それは過去、一輝との喧嘩で負けたシンという少年が、この少女のボーイフレンドだからなのだが、無論一輝はそんな事など知る由もなかった。
 チカがタルトを拾おうと身をかがめた時、通りかかった誰かの足が、落ちたタルトを踏みつけた。無惨に潰れたタルトを見て、チカの顔色がサーっと青ざめてゆく。

「あ~っ!パンドラ様のタルトが!!」
 慌ててタルトを拾い上げたが、チョコレートで書かれたアルファベットのPも、すでに判別不可能になっている。チカは泣きそうになった。
「代わりにこれを持っていったらどうだ。」
 タルトもチョコもただの甘い固まりとしか思えない一輝は、先ほど自分に配られたタルトを快くチカに差し出した。だが、そんな事で借りを作ってなるものかと、チカはタルトを押し戻そうとする。
 ところが一輝のタルトをよく見た瞬間、今度はパッと顔が明るくなった。
「Pのタルトだ!!」
 一輝の手に渡ったのは、たまたまもう一つの『P』の部分だったのだ。
 チカは一輝のタルトと潰れたタルトを交換すると、あたふたと走り去っていった。

 DJブースを撤去して作った、ステージに立ったパンドラは、堂々とした態度でマイクに向かっていた。
「えー、今皆さんに渡ったこのタルトのうち、どれか二つにキャンディーが入っています。」
 手に持ったタルトの皿を高く掲げたパンドラは、にっこりと笑顔を作ったあと、コホン、と小さく咳払いをして続けた。
「キャンディーを当てた幸運な二人には、なんと、ディズニーランドのパスポートが当たってしまいます!」
 それを聞いた招待客たちは、一斉に食べかけの、自分のタルトに視線を注いだ。
「つまり、二人で仲良くディズニーランドでデートなどしていただこうかと♡」
 パンドラの説明を聞いていた瞬は、ふと自分のタルトの端から、何か緑色に透き通ったものが覗いている事に気付いた。
 フォークの先で触れてみると、マスカットのキャンディがコツン、と皿に落ちた。

「白々しいな……、どうせ仕込んであったんだろうが。」
 瞬がキャンディーに気付くのを、まるで待っていたかのように、「まあ~っ!一つ目のキャンディーは姫に当たってしまいましたわ!」などと大げさな声を出すパンドラに、ミロはしらけた視線を向けた。
 パンドラに促されて、瞬は壇上に上がっている。
「さあ、姫とディズニーランドに行ける幸運の持ち主はだれかしら?」
 そう言いながら、パンドラは喜々としながら、Pとデコレーションされた自分のタルトに、サクッとフォークを刺した。

「あれ、一輝。そのタルトはどうしたんだ?」
 自分の横を通り過ぎようとしていた一輝の、皿に載っている潰れたものを見て、シュラが呼び止めた。
 タルトを処理する場所を探してウロウロしているうちに、奥にあるカウンターまで来てしまったようである。
「それ、落としたのか?旨かったのに。」
 気の毒に・・・・と、シュラが覗き込んだ時だった。
「ま、まさかそれ……」
 シュラの指差した先、潰れたタルトの端からは、オレンジ色のキャンディーが顔をのぞかせていたのだった。

「……な、無い!」
 パンドラはフォークを使って、サクサクと躍起になってタルトを刻んでいた。
 だがその行為も、もう一つのキャンディーが発見されたことにより、ピタリと中断される事となる。
「お~い、ここにあったぞー!」
 何処からともなく聞こえてきた声に、パンドラは顔を上げた。すると、カウンターの隅の方でシュラが一輝の手を高々と持ちあげている。
「!!!……おのれ、またしても貴様か!」
 パンドラは視線の先にいる、仇の顔を認めると、ぎゅっと唇を咬んだ。次いでチラリ、と背後にいるオオカミ男に向かって目配せする。
(ラダマンティス、行くのだ!)
 パンドラには、この日の為に密謀した策があった。
 それは、秘密裏に組織した不良たちを利用して、一輝を出し抜く作戦だった。
 そう、パンドラはこのために、パーティを企画したのだ。

 先ほどラダマンティスと呼ばれたオオカミ男が、そっと目だけで合図をした。すると瞬く間に店内が騒然となる。
 会場の中に紛れ込んでいた、幾人かの包帯男が次々と周囲に、そしてパンドラの背後に居たオオカミ男は、瞬に向かって襲いかかろうとしたのだ。
「姫…!」
誰かがそう叫ぶや否や、一輝が走り出した。だがすかさず包帯男が横からタックルし、倒れそうになったその上から何人もの包帯男が重なってきて押さえ込まれてしまう。

 一方、舞台の上ではひゅんっ、とナイフが飛んで来て、オオカミ男の肩を翳めていた。
 瞬を羽交い締めにしていたその男は低く呻いて肩を押さえた。
 テーブルにセットされていた、ナイフを両手の指に挟んで、次々とオオカミ男に投げつけたのはパンドラである。ナイフがなくなると、今度はありったけのフォークを掴んで容赦なく投げつける。すると素早く身をかわしたオオカミ男の背後で、カンカンカン!と、フォークは壁に突き立った。
 オオカミ男の意識が逸れた隙に、瞬は自分を掴んでいた腕から身を振りほどいた。
 だがすぐ下に倒れていたイスに、不注意にも足を取られてしまった。 激しく転倒して顔をしかめた瞬に、パンドラは小さく悲鳴を上げた。
 しかし、包帯男たちを倒し、またたく間に壇上に向かってくる一輝に気付いて、パンドラは必死になって気丈な声を振り絞った。
「姫はこのパンドラがお護り致す!!」
 一輝と争うように瞬の側に駆け寄ろうとした、その時だった。

「な、なにい?!」
 瞬の周囲……舞台の袖から、ゲストの人ごみの中から……ついには天井から。
 どこからともなくバラバラと、壇上に沢山の白い雪のフェアリー達が現れたのだ。
 全部で20人ほどは居るだろうか。誰もが瞬と同じ背格好で、同じ衣装をまとい、そして同じフェイスマスクをしていた。
「くそっ、影武者か!」
 ある者は数人で包帯男に応戦し、またある者はあちこち駆け回っている。
 その奇妙な光景に、気を抜くと戦意を喪失しそうにすらなる。
「姫が沢山……なんだか可愛いなあ。」
 誰かの呟く声に、パンドラは舌打ちするとじっと目を凝らした。
 ふと姫らしき少年を数人がかりで囲い、護っている集団に気付いたが、それも恐らくフェイクであろう。
 パンドラもオオカミ男も包帯男達も、あちらこちらに目を泳がせながら、手をこまねいてイライラししているばかりであった。

 まるで「なんとかを探せ」のようなこの状況の中、だが迷いもせずに一点に向かって進む男の姿があった。
「一輝?!」
 沢山のフェアリー達の間をすり抜け、一輝はただ一人だけを捕まえると、顎をつかんで上を向かせた。
 琥珀の瞳を一度確認すると、横向きに抱き上げて、颯爽と非常扉へ向かっていく。
 一輝に抱えられているのは、言うまでもなく、正真正銘の瞬であった。すぐにそれに気付いたナースアフロディーテは彼らの後を追って走り去った。


(……どうして分かったんだろう。)
 瞬は解せない思いで、兄を見上げていた。
 そういえば、自分が変装しても見破れると、兄はたしかに自信に満ちてはいたのだが……、それではなぜ、分からないのだろう。
(……あ。)
 と、その時。瞬は初めて自分の中の、ある小さな願望に気付いた。

 兄に正体を暴かれる、その瞬間を想像しただけで、身が竦んでしまうのは事実だった。けれども、自分はその瞬間に怯えながらも、恐らくはどこかで待ち望んでいる。
 どう逆立ちしても弟でしかあり得ない自分が、その瞬間にこそ満たされるのではないのかと、淡い期待を抱きながら。

 けれど瞬は、晴れやかな自信の眼で兄を見上げていた。
 恐ろしく直感が働くくせに、……この愛しい人は、どこかで恐ろしく抜けているのである。

 シャララン、とビーズが触れ合う軽やかな音を最後に、会場は静まり返った。
 誰もいなくなった舞台袖を、しばらく呆然と眺めていたパンドラは、やがて支えを失ったように、がくりとその場へしゃがみこんだ。

                  ★

「ごきげんよう」
「あら、ごきげんよう」
 金木犀の絨毯にかわって、落ち葉のそれが道ばたに敷きつめられたこのごろ。
 ハインシュタイン学院の女裏番長はーー、もの憂げに沈んでいた。
 事件の後、部下が優秀だったためか、証拠不十分でパンドラはお咎めを受けるまでは至らなかった。しかしその知らせも彼女の気持ちを浮上させるに至らなかった。
 姫と偽物との区別がつかなかった。
 その事実に、彼女は思いのほかダメージを受けていたのだ。
 パンドラは、姫の写真をたくさん持っていた。
 もちろん、覆面をしている姿しか見た事がないが、長年憧れを抱いていた人だ。いつか素顔の彼に出会ったとして、必ず彼だと分かる自信が、常にどこかにあったくらいなのだ。

「あら、パンドラ。ごきげんいかが?」
 校門の前で、フラフラと歩くパンドラの姿を見つけたユリティースが、いつものように声を掛けるが、いつものような返事は返ってこない。
「まだ、この前の事を気にしているのね?」
 ユリティースはパンドラの横に並ぶと、首を傾げてその顔を覗き込んだ。
「……あれほどお慕いしていたのに……。」
 パンドラはいつになくか細い音を吐き出したが、次いで忌々しい男の顔が頭に浮かんで、声を荒げて続けた。あいつに出来たことなのに。
「私の想いは、あの男のものより劣るというのか!」 
 透き通るような白い手は、骨が浮き出る程に強く握られている。
「優劣だなんて……。」
 ユリテースは小さく溜め息をついた。震える手の甲にそっと自らの手を添え、ユリティースはまっすぐにパンドラを見た。
「あなたのそのひたむきな想いは、何にも比べられない価値あるもの。それをこんなことで台無しにしてしまうなんて、私はとても残念だわ。」
 その言葉にはっとしたように顔をあげて、パンドラはユリティースを見上げた。
「遠くからしか見た事がないのなら、分からなくても当然よ。その一輝という人は普段、姫の近くにいるんじゃないかしら?」
 ユリティースは困ったように眉を寄せ「すぐに思い詰めるのは貴女のいけない癖ね。」と、軽く笑みをのせて言い聞かせた。

「影武者とは、ずいぶん手の込んだ予防線を張ったものだな。」
 シュラの感心したような言葉に、ミロは得意そうににやっと口の端を上げ、アフロディーテに笑いかけた。
 すぐ側には衣装を返却にきた一輝が、促されるままついた席で、腕を組んで面白くなさそうな顔をしている。
「姫が狙われた事件があったばかりだし、今回も何かあるような予感がしてな。 」
 アフロディーテはそう言いながら、近くのスーパーのロゴの入った袋から、アイスコーヒーを取り出し、彼らのグラスに注いだ。
 気付くと、アジトとして使われているこの小屋には、いつの間にか冷蔵庫まで運び込まれていた。どこから電力を引っ張っているのか、一輝やミロは気にせずともシュラあたりは気になっていたりする。が、そこはとりあえず追及しないことにした。
「しかし、姫似の少年をこれだけ集めるのは確かに骨が折れな。」
「言うほど似ていなかった気がするが。」
 一輝はすかさずそう言うと、しばらく手持ちぶたさ気にかき混ぜていた、ストローを口に含んだ。
「姫のボディガードとして、お前の力量を信頼していなかったわけではないぞ。」
 アフロディーテはぽんぽんと、無表情でコーヒーをすすっている一輝の肩を叩いた。
「念には念を入れたまでだ。」
 近ごろ彼の腹の虫のいどころだけは察知できるようになった、アフロディーテである。

「ところで、一輝はよく本物の姫が分かったな。あれほどの土壇場で、しかも暗かったのに。」
「そうだな。あの場で見慣れぬあの衣装では、私とてすぐに判別はできない。どうやって見抜いたんだ。」
 ミロとアフロディーテの言葉に、一輝は難しい顔で少し考えた。
 いわれてみたら、成る程自分でもよく分かったものだと感心する。
しかし別にこれといった努力をしたわけではなかったし、そもそも彼が姫だと見分けるポイントを掴めるほど、あの少年を知ってるわけでもなかった。
 だから、どこが違うのかと訊かれてもイマイチ答えられぬが、他とは全く違うと断言することは、何故だかできた。
 一輝はしばらく考えていたが、こればかりは理屈ではないらしかった。
 まあ、強いて言えば…、
「あの瞳だろうか。」
 一輝はぼそり、とつぶやいた。
 あの目をみたら、自然にそうと分かってしまったのだ。

 あられもない言葉をまじまじと吐き始めた一輝に、アフロディーテは何度か咳払いし、シュラは「あ~あ」と、顔を覆った。
 一輝はといえば、残りのコーヒーをすすりながら、そういえばあのオレンジのキャンディーの件はまだ有効なのかと、これまた真剣に考えていた。


 その後、瞬が衣装を持って来たところで、レンタルしていたすべての衣装が揃った。
 アフロディーテが車を手配するために出ている間、他の3人が組立て式のハンガーラックをアジトの外へ運び出した。
 フェアリーの衣装を沢山収納したラックは、全部で4つもあった。車には大きな荷台がないと運び出すのは難しい。
「あれ?兄さんここに来たの?」
 作業を終えて室内に戻った瞬は、ふとテーブルの上に載った、4つのグラスうち、1つを指して言った。
「うん?ああ、さっき帰ったが……。」
「確かにその席に座っていた。どうして分かったんだ?」
 一輝の使っていたグラスに、ミロとシュラの不審そうな視線が集中した。僅かに残ったアイスコーヒーがブラックなのは、シュラもミロも同じであるし、二人には、どれをとっても何の変哲なく思えた。
 すると瞬は一輝の使っていたグラスを引き寄せ、ストローをつまみ上げた。
「兄さんいつも、こういう風にストロー使うんだ。」
 そのフレキシブルストローをよく見ると、上下が逆さまに使われている。つまり、曲がる方を下に挿してあった。
「曲がるのが飲みにくいんだって。」
「本当だ。妙なとこにこだわる奴だな。というか流石だなあ、お前たちは……。」
 シュラが感心したように目を丸くして息を吐いた。
「全くだ。ここはごちそうさまとでも言っておくべきなのか……。」
 どちらかと言えば呆れ顔のミロも言った。
 ここまで来ると、まるですべては愛ゆえとでも言いたげな展開である。
 せっかく、ひとが重度のブラコンを矯正してやろうと思ったのに、こんなミラクルを見せつけられる羽目になろうとは。
 諦めたように、肩をすくめながらミロは悟った。こいつらにつける薬はないと。
 ミロが納得のいく結論に達したころ、瞬はといえば、やはり緑のキャンディーの事を思いだしてはいたのだが、兄は本当はパンドラとディズニーランドに行きたかったかもしれないと考え、深い深い溜め息をついたのだった。






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