メッセンジャー 2

「お前はともかく、どうして俺までこんな目にあうんだ。」
 反省室と呼ばれている薄暗い密室の中、一輝は低い声で星矢にこぼしていた。
「あのワガママ女を突き飛ばしたりするからだよ。」
 星矢はポケットから、どこからくすねてきたものか、チューイングガムを出すと、食うか?と一輝に勧めた。
「少しぶつかっただけだろ……。」
 一輝が板ガムを引き抜いたと同時に、星矢は自分の剥いだ包みをわざと乱暴に丸めて部屋の隅に投げ捨てた。

 事の顛末はこうだった。
 星矢が沙織をからかい、そして言い合いになった、そこまではよくある光景だった。だが、やっかいな大人が出てくる前にと仲裁に入ろうとした一輝の腕が、はずみで沙織に当たってしまったのだ。孤児達の中でもとくに成長の早かった一輝の腕力に、沙織は簡単に転んで泣き出した。
 けたたましい泣き声に慌てて辰巳が駆け付け、有無を云わさず一輝を殴った。しばらくして涙を拭った沙織は、擦り傷だらけになった一輝と視線が合い、小さく息を呑んだがそれも束の間、すぐに居丈高にこう繕った。
「……なによその目は! お前が悪いんじゃない!」
 蝶よ花よと育てられてきたこの少女は、どうしてか孤児達が自分に向ける暗い視線が理解できずに、恐ろしかった。
 ── それなのにお爺さまは、沙織にこの子たちと遊ぶようにと云うのだわ。
 そうだわ、お爺さまがいじわるなのよ。こんな子達と、楽しく遊べるはずがないじゃない。

 同年代の女の子の中でもおしゃまな方であった沙織にとって、生まれも育ちも性別も隔てた彼らと一緒くたにされては、退屈で居心地が悪いというのも無理はない。
「クラブに行けば、たくさんのお友達と一緒に、ポニーに乗って遊べるのに!」
 癇癪を起こしたように沙織が片足を踏み鳴らすと、膝や手に擦り傷を作ったばかりの邪武が顔を逸らした。
「よしなさい、沙織。」
 その時、騒ぎをききつけ屋敷から出てきた光政が、沙織に声をかけた。
「まあ、お爺さま! 一輝がわたくしを突き飛ばしたのよ、沙織よりもあんな乱暴な男の子の味方をするの?」
 沙織はついかっとなり、顔を赤くしてそう捲し立ててしまった。
 忙裡の中でも隙をみつけては愛娘へと穏やかに語りかけ、耳を傾けてきたこの老人が、沙織をこのように戒めることなど、これまで殆どなかったからだ。
 だが光政は、次に沙織の頭を撫でながら穏やかに続けた。
「いいや、儂はお前のためを思って、言っておるのだ。」
 優しげな言葉に沙織は安心したようににっこりと笑顔をつくると、光政の後ろに隠れて一輝を見あげた。
「いいかい、沙織。どんなに望んでも今日という日はもう二度と戻っては来ない、それは分かるね? ところが今日のお前は、お前が生きている限り、いつまでも心の中から消えることがないのだ。お前は儂のように長くは生きていないからね、難しい事だろう。だが、自分を一番深く傷つけるのは、他の誰でもなく、自分自身なのだということを、よく憶えておきなさい。」
「……お爺さまも、そういうことがあって?」
 いつの間にか真剣な顔つきで話に聴き入っていた沙織は、思わずそう訊ねたが、しんと静まり返って自分を見つめる、孤児たちの様子に気付いて慌ててツンと顔を背けた。聡明な少女は、だがそれ以上にプライドが高かったのだ。


「そんなにブツブツ文句言うなら、あのとき素直に謝れば良かったのに。」
 星矢は、一輝が反省室からやけに出たがるのは、弟のことが気になるからだろうと思った。ここから出れたからといって外に大した娯楽があるわけでもない。自由など、自分達にはもとから無かった。
「あの女が勝手に転んで擦りむいたんだ、どうして俺が謝んなきゃならない。」
 結局、あのあと痛み分けという事になったのだが、意地を貫き通した一輝のとばっちりで星矢もこの部屋に押し込められた。沙織がぶつかった時、咄嗟に手を差し伸べた一輝が、ぶっきらぼうに謝ったのを星矢は聞いていたのだが、それ以上重ねて謝る気はないらしい。
(一輝ってこういうトコあるんだよなあ…。)

 "男の子って子供みたいでみっともないわ。"
 素直に頭を下げた沙織が、内心ペロリと舌を出している様が、星矢は目に見えるようだと思った。

 あぐらをかき、ふて腐れるように壁にもたれた一輝を暫く見ていた星矢は、ふいにぶっと吹き出した。
 同じような出来事が過去にあったのを思い出したのだ。
 一輝と瞬がここにやってきた直後だった。ふざけあって遊んでいた、あれはたしか那智と邪武だった。そして、一輝曰くちょっとぶつかって勝手に転んで擦りむいたのがその時、瞬だったのだ。
 騒ぎを知って駆けつけた一輝のとった行動には、最初こそ驚かされたが、今となっては別段何とも思わなくなった。
 慣れた、いや、慣らされたのだ。

「なに笑ってんだ、人の顔見て。」
「いやーわりい、思い出し笑い。」
「……エロいな。」
「・・・・。」
 星矢は二枚目のガムを銜えると端から噛み砕きながら、暇だからなんかしよーぜ、とモグモグと言った。ガムの包みを丸めて弾くと、ビー玉よりもずっと軽く飛んで、一輝の膝に当たって床に落ちた。

 暫くそうして暇をつぶしているうち、もう夕刻くらいだろうか、窓がないので二人には分からなかったが、遠く聞こえていた人声もパタリと止んでいた。
 そういえばさ、と星矢は思い付いたように切り出してみた。
「もうすぐだな。聖闘士の修行に行くの。」
 ああ、と一輝は短く頷いたきり沈黙した。声はシンと響いて冷たい床に落ちた気がした。
 彼らの運命は、箱に入ったクジを順番に引くという、公平とも不公平ともとれるような、だが結局は諦めのついてしまいそうな、最もシンプルかつ効果的な方法で決定された。
 ただ一組、身代りを申し出た、一輝と瞬を除いて。
 瞬はクジの後、長い間泣きどおしだった。
 一輝に厳しい口調で嗜められた後は、遠くからその姿を見つめながら、腫れた目を、隠れるように擦っていた。
 あれ以来一輝はクジの話題を口にすることはなかったし、瞬もデスクィーン島行きを代わってもらった事に対して、一輝に謝ったり礼を言っているような素振りは見うけられなかった。
 ただ何もいわずに泣きじゃくる瞬をみて、きっと、なんと言葉にしたらいいのか分からなかったのだろうと星矢は思った。
 一輝の行いが、あまりに重すぎたのだ。

「お前さ、ほんと弟想いだよな。」
 だが身寄りの無い自分たちにとって、血のつながった兄弟がどれほど掛け替えのないものなのか、一輝の想いを、星矢は理解しているつもりだった。自ら地獄行きを志願した一輝。
 だけれど、彼の弟が果たして聖闘士の修行に耐えられるのかと想像した時星矢は、だからこそ身を切られるような思いに襲われる。
 瞬は帰ってこれないだろうと……子供達の間でもそう囁かれ始めていた。


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