友達から電話があって、懐かしいあなたの名前を聞く。
古い日記帳を引っ張り出して、十五年前の記憶に会いに行く。
もう、十五年前も昔になるんだね。
あの頃。週に一度くらいかな。夜になったら一枚のテレホンカードを持って、あたしはこっそりと家を出ていた。
確か、お気に入りのコートを出した次の日だったと思う。どうでもいいことほど覚えてるもんだよね。
家の前の坂を降りてバス通りに出たら、最終バスが目の前を通り過ぎた。風が随分冷たくて、風にばら撒かれたイチョウの葉を踏むと、微かにかさかさ音がした。家から5分歩くと、街灯の電気が切れているところに、電話ボックスが寒々しく立っていた。
テレホンカードを電話ボックスに差し込む。新品のテレホンカードの数字が105と表示される。
押しなれた十桁の番号をゆっくりと押す。 ……今日は、あなたが出てくれますように。
祈りは10回に1回しかとどかない。
今日も、あなたのお母さんが出てしまう。
「あの……と申します。夜分恐れ入ります」
「はいはい。ちょっと待ってね」
何度も電話しているから、対応も早い。でも、毎度緊張してしまう。
あなたを待つ間、あたしはぼんやりとデジタルの数字を見る。104……103……102。17秒に1回、数字は減っていく。
「お待たせ」
あなたの優しい声が聞こえてきた。
それから、あたしは今日、学校であったことの話をする。
96……95……
「大丈夫? 寒くない?」
なんていうから、急に寒さを思い出すじゃない。
83……82……
「カード、あと何枚あるの?」
「残り……7枚だね」
「じゃあ、次に会う時にまた持ってくね」
あなたは、私と会う度にテレホンカードをくれる。新幹線のお金と、カードのお金。バイト代の何割をあなたはそれに使ってくれたんだろう……。
71……70……
私は地元の大学に進む。あなたは実家に帰って、遠くの大学に移籍してまで研究を続けている。
あなたは「本気で大学に通う人は少ない」という。ちょっとあなたを羨ましく思うあたしも、きっとそう。
あなたは本当に。やりたいことがあるんだもんね。
「でも、ちょっとさみしいな……」
あたしは一度もそれを口にできずにいる。
カードの残りがなくなりそうな時に、言ってしまおうといつも思っていた。でも、そんなズルはいつも成功しない。
47……46……45……
大きなくしゃみが出た。
「おいおい、風邪引かないでくれよ」
あなたは心配そうに言う。
「ねえ、あったかくして」
あたしは甘えた声を出す。
ボックスの外を足早に、一人のおじさんが通り過ぎていくのが見えた。
「……ごめん。あたし、困らせてばっかりだよね」
あたしの話し声は小声になってしまう。
21……20……
お願い。会いたいの。あたしの側にいて欲しいの。
やっぱり、言いたい。
でも、あなたはそう簡単にはあたしに会えない。
有名な教授の下であなたは毎日調査を続けているんだもんね。
11……10……
「そろそろ……」
「後、いくつ」
「8……。あ、7になっちゃった」
言いたい言葉はそうじゃないのに。でも、それしか言えない。
7……6……
「それじゃ、おやすみ」
「うん。また電話する。風邪ひかないでね」
「……それは俺のセリフだよ。いつも……ごめんね」
「ううん」
5……4……
カードがなくなる前に、きちんと「おやすみ」を言いたいから、あたし達は電話が切れる前に早めにすませてしまう。
いつも、残りが3になると、二人は黙る。
3……2……
「じゃ、またね」
1……
「うん」
「ありがと」
0……
17秒の沈黙の後、ブッと音がする。ピピーピピーピピー。
私からは「ありがと」が言えなかった。
電話が、穴の開いたカードを吐き出したまま、迷惑そうにあたしを見ている気がする。
急いで使えなくなったカードを引き抜く。
あったかくて寂しい気持ちで、こっそり家に戻った。それから、お風呂に入って、あなたのことを考えながら体を暖めた。
あと、これを何回繰り返したら、あなたに会えるんだろう……?
日記帳にはあなたのことばかり書いてあった。読んでいて、思わず閉じたくなるような言葉が並んでるよ。でも、自分で言うのもなんだけど、あたし、可愛かったよね。あなたもだけど。 ……十五年以上、前の話だ。
まだ持っているよ。使えなくなったテレホンカード。輪ゴムで束ねられないくらいあるよ。 |