男は鮮麗された空気を持っていた。
霧が渦巻く暗闇の中、男の翡翠色の瞳が宝石のように光っている。
男の相貌に誰も近づこうとはしない―女以外は。
「……あ、あの……」
女は震えた手を口元にやりながら、男を見上げる。
乱れた長いくすんだ茶髪、お世辞にも清潔といえない服装、薄汚れた格好がまた女を哀れに見せていた。
少し緑がかった濁った茶色の瞳が、震えながら男を見つめている。
対して男は見た目からしてお金というものに困らない相貌をしていた、下々の人間を見下すのがとてつもなく上手いのだ。
塵一つついていないスーツは触れるのを躊躇わすくらいだ。
だから本来ならばこの二人が並ぶ事などないのだ、こんなじめじめとし、悪臭がただようスラム街にいるような男ではない。
「…………いくらだ」
抑制の無い声で男が言った、その冷たさに女は体を打たれたように震えた。
女の瞳が男の碧瞳を見つめる。
その瞳には憧憬や嫉妬や恐怖、色んな感情が渦巻いてた。
「100ギル、です……」
「…………」
「……ご、50ギルでも……」
「700ギルやろう」
「!……そんな沢山……っ」
「あとくされのない相手がいいんだ」
一目でわかる―女は売春婦で、今まさに己の春を売ったのだ。
こんな、冷たい男にまで哀れみをかけられる自分は死ぬほど恥ずかしく想った。
それでも背に腹は変えられない、男の服をなるべく汚さないように手に触れると、己の部屋まで連れて行った。
スラム街にずらりとならぶ、今にも壊れそうな建物の一室が女の部屋兼仕事場だった。
部屋は狭く、ベッドを入れたらそれで終わりのようなものだった。
それでも女は最初この部屋を手に入れたとき嬉しかった。
母は女と同じ娼婦だった、女が産まれてすぐにそういう趣向の男に売られた。
わずかな食事と暴力を与えられた生活は女が15になるまで続いた、成長した女は男にとって不要になったのだ。
捨てられて、何もなく、この町にやってきた、殴られたし、強姦もされたし、大事な友達はドラッグ漬けになって死んだ、酷い事がいっぱいあった。
でもこの町で女は自分の力で生きている事が己の誇りだった、貴族の生活にあこがれがなかったといえば、嘘になるが、この町が女は好きだった。
ベッドに男を誘導すると、女は躊躇いもなくコートを脱ぐ、下はほとんど下着に等しい姿だ。
ソレに手をかけようとすると、男の大きな手に止められる。
ちゃり、と胸を飾る唯一のネックレスが揺れる。
「来い」
「……」
男の手が女の下着を手にかける、ゆっくりと、優しい動作で女から布を剥ぎ取る。
生まれたばかりの姿の女はまた哀れみを誘った、意たる所見える打撲の後、傷、栄養失調寸前の痩せたガリガリの体。
男はそんな女を自分の前に立たせると、じっと見つめた。
女は恥ずかしくなった。
女はありとあらゆる辱めに耐えてきた。
この体の全てを、男が触れ、殴り、傷つけた。
綺麗な場所なんてドコにもない、だから早く酷くしてほしい。
愛撫なんていらないから、酷くしていいから、終わらせて欲しい。
こんな体を見られるぐらいなら、自分で腰を振ったほうが何倍もましだ。
「……や、やめて……ください」
「お前に私を拒否はできないだろう?……所詮、金で買われた女だ」
「……じゃあそんな風に扱ってください、殴っていいです、蹴っていいです、縛っても切ってもこのまま突っ込んでくださったって構わない、です……」
男は女のそんな願いを一蹴した、は、と喉で笑い、女の首に手をかけた。
哀れな女だ、男は声に出していった。
男の顔が近づき、口付けをされる。
男の唇も自分の唇もかさかさで、男の舌が女の口腔を犯し始めると、しっとりと濡れ始めた。
執拗に深いキスに女は恐怖を抱いた、どうして男はこんな事をするのだろう。
ぎこちなくキスを返す女に、男は怪訝な瞳を向ける。
「キスは、慣れていないのか」
「売春婦にキスする人なんて、いないですから」
自由になった口で女がそう口にした。
穴だ、そう昔客に言われた気がした。
ひどく下卑た笑みを浮かべる男だった、たしか事業に失敗して妻に逃げられ手元に残った金で女を買ったのだ。
お前らは穴だ、その下卑た男の声が浮かぶ。
突っ込まれて、腰を振って、男を喜ばせとけばいいんだ、ほら、悦べ。
自分が傷ついた分、女を殴った。
口の中が切れて血がシーツへ垂れた、女との時間が終わると男は窓から飛び降りた。
目の前の男が女の体をゆっくりとベッドへ押し倒す。
どうしたのだろう、こんな冷たい男が一番優しいなんて想わなかった。
こんなゆったりとした時間をすごしたのは初めてで女は戸惑う、男は構わぬ様子に女の素肌を撫でる。
胸をゆっくりと揉み解され、突飛を刺激される、そんな小さな刺激でも快感に慣れた体は自然に背を反る。
もっと、と本能が呼びかける。
冷たい手だ。
男の手は冷たい、そんな手が体の上をはいずるので女は触れられるとかならずゾクっとした。
まるで―
死人のような手。
「あなたの……手」
性急ではない、雪が積もるかのようにゆっくりと蓄積する快感の中で、女が言った。
「冷たい……」
「……不都合か」
「……死人みたい……」
言って、後悔した、客にそんな事を言うべきではなかった。
だが男はく、と喉で笑うと、女の顔を覗き込んだ。
「幽霊だとでも?」
「私……幽霊は信じてない、わ」
「どうして?」
そう問われて困った。
答えは沢山あるのだ。
もし幽霊がいるなら、女は三年前に殺されたあの子にも、自殺したあの人にも逢える事になる。
幽霊でもいいから、帰ってきて欲しい人たちだ、でもこない。
来たとしても、見えない。
なら信じない方がいい、見えない希望よりも見える絶望を女は選んだ。
「見えないから」
「なら」
男はその冷たい手で女のネックレスに触れる、銀のクロス。
片手で女のわき腹を撫でる。
「なぜ神を信じる。神も見えない、同じだ」
「……私の神様は……ずぅっと……前に死んだわ」
「死んだ?」
「逃げた日」
男は女がどこから逃げたか知らない、生い立ちもしらない。
幼女を虐待し、犯す事に性的興奮を覚える男に何をされたのかも何もしらない。
それでも女は言葉を続けた。
男の手が女の茂みに遠慮もなく触れる。
「この町に来て、初めてであった人―先に死んでしまった」
「男か?」
「……おばあさん、子供が死んだから、私が子供っていってくれた」
乾いたソコに無理やり指を押し付けられ、ひきつる痛みを感じる。
だがそんな痛み、毎回感じる。
男も気にならないように、指を引き出すと割れ目にそって指を這わせ、芽を潰すように愛撫する。
その感覚に、背が反り、腰が浮き、体が震えた。
「それで……?」
「お……おばあさんが……体を売る事を教えて……くれたの……」
「とんだ母親だな」
「私でも……人が気持ちよくなったって……お仕事できるって……体を差し出すだけで、お金をくれるの」
それが嬉しかったの、と女は続けた。
男は何も言わない。
「でも、おばあさん、死んじゃった……流行病で、血をいっぱい吐いて……死んだの」
「悲しいか?」
男の声音は変わらない、まるで旧友にあって、元気か?と聞くときも男はこんな声色なのだろう。
女は答えない、男もそんな女を何も咎めない。
どうして自分はこんな事を男に話しているのだろうか、と女は想った。
だが男が与える快感に拒否を言えるほど女は強くない。
「お前の手も、冷たいな」
そう言って男が女の手に触れ、手のひらにキスを落とした―まるで懇願するかのように。
そんな男の気紛れな動作に、女は自分でもおかしいとおもうくらい感じた。
ああっ、と本能が導くまま声をだし、ぐちょぐちょに濡れたソコで男の指が往復する。
男の爪の硬さや、関節の太さ、けして優しくない激しい動きに体が熱くなる。
熱くなれば熱くなるほど、男の手の冷たさが浮きだった。
「あっ……ああっンっ……ぁ、やあっ……はっぁ」
嬌声は部屋に満ち、女は淫らに喘ぐ。
熱い空気、シーツを握りしめる手から血の気が引いて白く見える。
「わ、たしっ……だけっじゃ、だめっ……」
「だったら、黙ってろ」
声を手で塞がれる、どうしようもなく欲しくて、はしたないと分かっていて、腰を男のソレに押し付ける。
男が避妊具の用意をしているのを見て、女は大丈夫、と言った。
薬を飲んでいるから大丈夫、といった、だが男は関係ない、と言ってくれた。
秘所に指とは比べ物にならないほどの熱を持った者が押し付けられた。
思わず男の手を噛む、血が流れ女の口に垂れる。
金属のような、甘い味が口腔に広がり、女は余計興奮した。
腰を振って、締め付けて、男が気持ちいいとおもうようにさせた。
気持ちよくなって欲しかった。
男の手は冷たくて、瞳も、言葉も冷たかった。
でも男はお金をくれたし、快感もくれた、避妊もしてくれた。
繋がった場所は淫らな水音をだし、どちらともいえない体液でシーツが濡れた。
それでも、女の手を握った片手は冷たいままだ。
この窓から飛び降りて死んでしまった男は、突っ込まれている、と言った。
だが違う、と女は想う。
女の下に来る男は皆水だ、だから女が受け止める器になるのだ。
だから娼婦はその器が大きければ大きい方がいい、どんな容量も受け入れられるように。
男の眉間に皺がよっている、不機嫌のようにみえる快感に負けた顔に女は嬉しくなった。
包み込むように、食いちぎるかのようにソコに力を入れる。
すでに女は限界に近づいていた、あぁ、と途切れたような声をだすと、脱力する。
それによって引き起こされた強力な締め付けに男も女の中で果てた。
男は息をつくと、女の中から己のソレを抜き、後処理をし始める。
女は未だに肩で息をしている。
「神様が……」
荒い息の中、女が言った。
「神様が死んだのに、どうして私生きてるの?」
誰に問うたわけでもない、ただ口について出たのだ。
男は乱れた服装を直し、すでに帰る準備を進めている。
完璧な服装に着替えた男は相変わらず冷たそうだ。
「神は死んだ、だから私たちは生きているんだ」
そう言って男はお金をテーブルにおいた。
こつこつと、革靴が痛んだ床に小さくぶつかる音がする、ドアを開いて、男が動きを止めた。
透けるような鳶色の髪の毛が見える、首に巻きつくようなながさのそれは少し淫靡に見える。
「お前、名は……?」
女は迷った。
男に名を上げたことはなかった―生まれた時の名を。
それは唯一母がくれたもので、あの幼児嗜好の男にもあげなかった。
行きずりの男は皆違う名で女を呼んだ、サラ、ジェシー、マギー、ベス、なんでも良い。
「私は、ラファエルだ」
それは男の名だ。
もしかしたらニセモノかもしれない。
それでも名を名乗ってくれた、女は嬉しくなった。
優しくしてくれた、気持ちよくしてくれた、殴らなかった、縛らなかった、名をくれた。
―この人が、私の新しい神様
「アンジェ……」
吐息と共にそう呟かれた言葉に男はそうか、と言うとドアを閉めた。
女―アンジェは嬉しくなった。
やっぱり、神様はいらっしゃる。
姿を見せてくれた、だから生きていける。
ぎゅ、と胸元のクロスを握り女は微笑んだ。
27th/Jun/06