緊張した面持ちで階下に下がる、一歩一歩部屋へと近づくたびにまるで死刑台にでも上るかのような気になってくる。
何がガブリエルをそんなに不安にさせるのか、彼女自身わからなかった。
だがそんなガブリエルの気持ちにもかかわらず、ノザウェル侯爵の待つ部屋の扉がゆっくりと開かれる。
「こんばんは、メロスコットの姫君」
先に部屋についていた母親、ミカエル、そして―ラファエルが二人を迎いいれる。
侯爵の言葉に、ガブリエルはなるべくゆっくり頭を下げる。
「お待たせして申し訳ございません。ノザウェル侯爵」
「どうぞ、ラファエルとおよびください」
「ではわたくしの事も、ガブリエル、と。……ラファエル様」
翡翠の瞳、というのはこんなにも鮮やかな色だったのだろうか。
吸い込まれるような鮮烈な碧は、まるで王のように絶対的な存在感をかもし出している。
おもわず、畏怖を抱いてしまうほど。
「硬くならずとも、ラファエルは私の親友。そしてあなたは私の親戚だ。どうぞ身内同士の晩餐と思っていただければ幸いです」
「はい……」
見かねたミカエルのフォローにも声が詰まる。後でまた母親にどやされる事は目に見えていた。
社交的な場に対する勉強など、今までひとつも習ってこなかった。ガブリエル自身、そして母親でさえもそんなものが必要になるとは思っていなかったのだ。
緊張した面持ちで席につく。出された料理も喉に流し込むのが精一杯で味わう余裕などない。
ため息でさえつけば、母親ににらまれるに決まっている。
「お食事は口に合いますか?レディ」
ラファエルと話していたはずのミカエルにいきなり話しかけられ、ガブリエルは一瞬頭が真っ白になる。
ただでさえ緊張しているのに、しゃべる事まで強要されると、返事を搾り出すだけでも大変だ。
「……え、えぇ……勿論ですわ」
「その割にはペースが遅いですね」
「食べるのがもったいないくらい綺麗ですから、つい見とれてしまって」
「けれど料理人はあなたに料理が冷めないうちに食べてほしいと思っていますよ」
「……えぇ……そうですわね」
「ああ……明日の夜会にはいらっしゃるのですか?」
「え?……でも女王陛下の夜会は一週間後では?」
「女王陛下の夜会は、です」
ガブリエルはどう答えていいかわからず、口を紡ぐ。女王陛下の夜会でさえも行きたくない、ほかの人間が催す夜会に出たいとは到底思えない。
ミカエルの質問に答えたのは、ガブリエルではなく、隣に座っていた母親だった。
「女王陛下じきじきにもらったお誘いですから、ガブリエルの社交デビューはそちらでしようと思ってますの」
「なるほど」
「ですがせっかくのお誘いですから、私は行かせていただくおつもりです、古い友人も集まるみたいですし」
「それは……楽しみでね」
言葉少なげに会話が終わると、先ほどのようにラファエルとの会話には戻らず、ミカエルはガブリエルの手元を見はじめた。
その視線にナイフとフォークを操る手でさえ、震えてくる。
やがて興味を失ったのか、ミカエルはラファエルの方へと向きかえり話し始めた。
その様子にガブリエルは小さく安堵の息を吐いた。
やがて晩餐が終わり、ミカエルとラファエルがリビングでくつろぎ始めた頃、ガブリエルはベランダへいた。
夜風に当たりながら、先ほどまで感じていた緊張をほぐしていく。
「ガブリエル様」
「まぁ……アンジェ……わたくしの事がガブリエルでもいいのに」
「そんなわけには参りません!」
背後から聞こえた声に、ガブリエルは思わず破顔する。
「……アンジェは、明日は夜会へ行かれるの?」
「ええ。ラファエル様がお世話になった方で、普段はまったく行きませんけど」
「そう……ねぇ、わたくしはいままでそう言う所に行ったことがないのだけれども。どういった風にすればいいのかしら?」
「いらっしゃればいいのに!」
「そう言うわけにも行かないわ。お母様がお許しになりませんもの……」
「………隠れてゆけばいいのではないですか?」
「え?」
あっけからんといわれ、ガブリエルは思わず聞き返す。当のアンジェは至極まじめな顔でもう一度同じ言葉を言った。
ガブリエルは一瞬、あまりの驚きに言う言葉が見つからなくなったが、搾り出すようにアンジェに問いかける。
「隠れて……なんて、わたくしがどれだけ目立つかお分かりでしょう」
「大丈夫です!あの……染め粉があります。それに紛れ込んでしまえば意外とわからないものです!私の義母に頼んでみます」
「え、あ、いえっ、アンジェ」
「私、ガブリエル様がいらしてくれるなら、嬉しいです。……どうしてもあの場所には慣れなくて……」
たとえ髪の色が変わったとしても、母親にばれないわけがない。
そんな危険な賭けはできないと断ろうとした心は、寂しげに笑うアンジェに粉々にされてしまう。
こんな風に頼りにされた事など、これまで一度もない。アンジェがガブリエルの容貌をなんとも思わず慕ってくれている。
ここまで協力されては断るほうがむしろ失礼に思えてくる。
それに、
(……ちょっとだけ、なら……)
雰囲気を味わうだけ行ってみればいい。
そう決めると途端に動悸が早まり、わくわくすらしてくる。
「では……お願いするわ、アンジェ」
「はい!」
嬉しそうに微笑んだアンジェに、ガブリエルも久しぶりに心から笑った。
9th/Oct/08