ADでどん
窓から差し込む日差しに目を細めた。
香の姿を見ないが、漂う昼飯の匂いが安心させてくれた。
こうしてウダウダと昼飯を待つ。
いつもと変らない昼だ。
つけっぱなしにしていたテレビからS国の情勢が垂れ流されている。
相変わらず世界の何処かでは必ず戦争が起きている。
よく懲りもせず続けられるもんだ。半ば呆れて画面を眺めた。
画面から流れるのは負傷した兵士の姿。
爆撃を受けたらしく、画面がノイズに包まれ砂煙の中に人影を見る。
何か、その場面に思考のピースを奪われた気がした。
胸に広がる不安がキーワードを並べ始める。
負傷。
兵士。
人影。
殺し合い。
―コロセ。
一瞬、世界が暗転した感覚に驚き、新聞に視線を戻した。
…何を読んでいたんだっけか。
活字を懸命に目で追うが記事が頭に入ってこない。
何か違和感を感じて、部屋の中を見回した。
コーヒーの湯気が立ち上るのを眺めているうちに視界がぼやけてくる。
何か自分の中にノイズを感じる。
フィルターを通したかのように部屋の中が遠くに感じる。
おかしい。こんなにも普通の日が。遠い。
残っている感覚にすがった。
日差しが暖かい。
あたたかい。
アタタカイ?
ココハドコダ?
ここは家だ。俺の家。
どうしたんだ?何かがおかしい。
自分が消える気がする。息苦しい。
そうだ、香。香と話せばこのおかしな感覚は消えるはずだ。
香、香。
カオリ?
「撩、昼ご飯できたわよ!?」
女の声に驚いて振り返った。
部屋の入り口に女が立っている。
長身、短髪、不機嫌そうな声。
そうだ。香、香の声、姿。俺の…。
…俺の…何だ…?
「どうしたの?顔色悪いわよ。」
声が、声が。
懐かしく暖かく愛しい。
お願いだ。何かがおかしいんだ。俺を、取り戻してくれ。
女に向けて力無く手を伸ばすと女は心配そうに駆け寄ってくる。
「ちょっと撩!?風邪でも引いたの?」
(違う。風邪なんかじゃない。)
言葉が、空気として流れ出て空虚となる。
触れた手を引き寄せて抱きしめた。
女が危険だ。本能が告げるが体が言う事を聞かない。
女の髪の匂いを鼻腔一杯に吸い込む。
そうだこれは香。香。香。
女じゃない。香だ。
忘れたくない。
離したくない。
殺したくない。
殺したくない?
コロシタクナイ?
ダレヲ?
カオリ?
ダレダ?
細い首に手をかける。
こんなにも細い首だ。ほんの少し力を入れれば――。
「撩?」
殺そうとしている俺に、なんの疑いも持たない目で誰かの名を呼ぶ。
綺麗だ。綺麗な目だ。…腹立たしい。
怯えた目が見たい。
この女が泣き叫ぶのが見たい。
手に力を込める。
「…!!!りょ?!」
No la mate!!!!!!!!!
女の声に反応したかのように自分の中で叫び声が上がる。
殺してはいけないと自分が叫ぶ。手に力が入らないでいる。
ナゼ?
手に力が入らない事に苛立ち、一気に襟首からシャツを引き裂いた。
怯えたように体を固くする姿。堪らない。腹が立つ。悲しい。
ソファに女の体を投げつけると己の肉体に力が湧き上がるのに自ら恐怖した。
「どうしたっていうの!撩なの?」
怯える女を眺めて、酷い仕打ちをされ可哀想だな、と思う。
可哀想ってなんだ?そんな感情は知らない。ムカツク。
考えが纏まらないのはこの女のせいだ。
この女が俺をかき乱しているんだ。混乱の原因はこの女だ。
女に近寄る。
後ずさる女を力ずくで押さえ、タンクトップを引き裂いて布切れとなったそれで腕を縛る。
「やめて!!離して!!」
こんな状態でも強い目をする人間を見たことがない。
いつだって死を恐れ懇願し怯える視線が俺には注がれてきた。
この目をずっと見ていたい。
不思議な感情。
声が、この女の声が聞きたくて堪らない。