シンデレラif
汽笛が鳴り終わっても何も起きなかった。
このまま目を閉じていれば夢が続くかもしれない。開けたくない。
頬のすぐそばにあるリョウの顔。触れていなくても熱が伝わり
そうな気がする。
このまま、と願いながら、でももうこれでおしまいと胸の奥で
何かがささやく。嘘がつかえて魔法がとけるに決まってる。
シンデレラだってずっと魔法がかかったままなわけじゃ
なかったじゃない。
泣きたい気持ちで重い瞼をわずかに開くその直前、香は
ごく微かな溜め息を聞いた。
(…溜め息?リョウが?)
信じられない気持ちで、香の目がリョウを見上げる。ごく短い
一瞬、二人の目が合った。
「…時間だ。鐘は鳴り終わってしまったよ…」
つまらなさげに呟きながら、それでいてリョウの手は
香の頬をあたためるように添えられたまま、離れようとしなかった。
掌のぬくもりを今迄知らなかったわけではない。
危険から守られるとき、ふざけてケンカの真似ごとをするとき、
リョウの手が彼女の肩に背中に触れることはいくらでもあった。
いつもと同じぬくもり。
言葉はどうでも、そのぬくもりを感じると嬉しかった。
触れられたのは体でも、心の奥があたたまる気がした。
魔法が消える前に、少しだけそのぬくもりが欲しくて、
目を閉じ、かすかに頬をすり寄せた。
彼の溜め息の理由が、ちょっとでも自分と一緒だったら
いいなと思いながら。
そのはずみで、男の腕にイヤリングが触れた。ひやりとした
シルバーがもやのかかる中、なぜか光った気がして目をとめる。
見慣れたはずの首筋から耳元、頬のライン、そして静かに
伏せられた睫毛がリョウの中の何かを煽った。掌に寄せられた
頬の暖かさをこのまま、もっと。
いいのか、と問おうと思った。
何がどういいのかと問われたら返事のしようがないのに、
このままだましうちのように奪うのはやっぱ、と思って…
気づいたら止まらなかった。
頬に添えた手がなぜかするりと慣れた動きで首筋に
滑り落ち、腰にあてていた手は少し奥、背中のくぼみを
いつの間にか探し当ててしっかりと香の体を自分に
押しつけていた。
こいつが名前なんかつぶやくから。
俺の名前なんかつぶやくから。
聞きたくなくて、思わずお前の唇を塞いだだけだ。
彼から離れようとした瞬間、彼の手が背中に回ってふわりと
抱きしめられる。
えっ、と思う間もなく、彼の顔が近づいてきて、香は思わず
男の名を口走った。
一度、許しを請うようにそっと触れて、でもすぐにまた
今度はしっかりと彼女をとらえてなかなか離そうとしなかった。
少しずつ角度を変え、その都度彼女が嫌がっていないか
確かめるように間をおき、小さい吐息が許すようにこぼれたのを
とらえると、やっと安心したように抱きしめ直した。
どうしよう、どうしようと思いながら、彼女はキスの嵐に
翻弄されていた。もう別れなければ、もう立ち去らなければ
本当にどうしようもなくなるのに、離れられない。
たぶん、ちょっと身じろぎしただけでもリョウは
やめるだろう。だから動けなかった。
だって、キスしてるのに。ずっとずっとしたかった。
こわかったけど、したかった。
…すごく、気持ちいい…。
知らず、息が弾む。
はぁっ、とキスの合間に息を吐いたのを、リョウが
優しい目で見ている。
ああ、もうずっとこのままでいたい。無理だけど。
あと少しだけ…。
襟元のラインを、彼の指がすうっと撫でていく。
ぱっと体の奥で何かが熱くなる。触れられたわけでも
ないのに、胸の先がちりっとしびれる感じがする。
その間もたえずキスは続いている。少しずつ、
リョウの舌が入ってきて、唇の内側、歯の先、舌の先と
嬲っていく。柔らかくて、濡れていて、気持ちいい。
このまま、体の奥まで入ってきて欲しい…でも入れ物にも
触れ続けて欲しい。さっきのように、掌で私の形を
確かめて欲しい。
「ん…っ」
唇がゆっくりと離れて、思わず声が出る。
愛しそうに彼女を見つめた男が、耳元で囁いた。
「…行こう」