A Thousand Doors 4


4 死の扉

もうどのくらいの時間が経過しているのか、香にはわからなくなっていた。
香の胸に顔を埋めている男は、一向に果てる様子がなかった。

いつにも増して僚の愛撫が激しくて、眠りに落ちたい香の口から漏れる喘ぎ声は
すでに拒否しか表していなかったが、僚は聞こえないふりをしていた。
僚が香の胸元から舌を滑らせて喉元を舐め、香の口を塞ぐ深いキスをしてきた。
香は頭を振って逃れたため、僚の唇が逸れて香の耳元に滑り落ちた。

「眠らせてなんか、やらない…絶対に…!」

僚は荒い息遣いでそう囁いた。香は顔を背け、僚からさらに逃れようともがいた。

「行かなきゃ、ならないところがあるの…。お願いだから、もう・・・眠らせて!」

そう懇願しても僚には聞き入れられず、引き戻されて身体を組み敷かれてしまった。
心臓がこれ以上もたないくらい、速い鼓動を刻んでいた。

ここまでは香の記憶に残っている、いつかのシチュエーションと同じだった。

…これは「あの日」の前夜のこと?
ううん、違う。
だって、あの時の僚は、こんなこわい顔であたしを抱かなかった。
もっと優しかったし、もっと温かったし、もっと心地よかった。
どうしてこわい顔をして、あたしを抱くの?

どこへ行くって?いったい、俺から逃れて何処へ行こうってんだ!?応えろ!!」

表情だけでなく、怒りの隠った今まで香が聞いたことのない冷たい口調だった。
身体の一部が繋がっていたのを、僚は香の上体を起こしてさらに深く穿って
激しく揺さぶりをかけ、香が応えるのを促した。
身体をのけぞらせた香は、目を硬く閉じて応えない代わりに、大きな喘ぎ声を上げた。
・・・ふと、胸に温かいものが落ちてきたのを感じ、驚いた香は目を見開いて僚の顔を見た。

どうして僚が泣いているの?泣きたいのはあたしの方なのに…。
僚がいなくて、あたしは狂ってしまいそうで、どうしようもなくて…、
あたしは病院を抜け出して、兄貴の形見で胸を撃った。
もう、すべてから逃げ出したくて・・・。

香の驚きを余所に、僚は香の胸の一点を見つめてぼろぼろと涙を落とし続けた。
香の左胸中央寄りに小さな穴が穿たれていて、僚の涙は次々とそこに
吸い込まれていった。
香は自分の胸の中へ、僚の悲しみが流れ込んでくるのに耐えられなくなって、
意識を遠くに飛ばそうとしていた。

集中治療室の扉の前で、よろけそうになるさゆりを支えて冴子が佇んでいた。

「事故からまだ3日と経っていないのに…。なんてことなの」

冴子はそう呟いて、前髪を掻き上げた。
あの灼熱地獄のような中にあって、ただひとり香は命に別条なく救出され、
左腕に火傷を負っていたが、1週間もすれば退院できるはずだった。
にも関わらず、今、香はこの扉の向こうで死の淵を彷徨っていた。

「どうしてこんなことに…。香さんは無事だったんじゃなかったの…?」

さゆりは、もう何回も冴子に訊いていることを、譫言のように繰り返していた。

香が撃った銃弾は、肋骨がクッションになって心臓を貫かずに済んだが、
心臓に食い込んだ位置が悪く、取り除くことで大出血を起こしかねないため、
銃弾が心臓から脱落しないよう固定するしか方法がないと、
さゆりと冴子は執刀医から説明を受け、すぐに手術は開始された。
手術は成功したものの、香の意識は混濁したままだった。
ふたりは、僚が香を連れて行かないことを祈るしかなかった。



僚の胸に抱かれて、香は少しの間眠っていた。
僚は穏やかな表情で香を見つめ、髪を撫でていた。
香は目を覚ますと、上目使いにいたずらっぽい微笑みを僚に向けた。

「僚、あたし今、すごくイヤな、こわい夢を見ていたわ」
「…どんな?」
「言うのもすごくイヤなこわい夢よ!あたし、忘れたいの。ねぇ、僚。
忘れてしまえるくらいスゴいの、して…」

僚は片眉を上げて、おやおや…という表情を浮かべ、これ以上ないような…
とても優しいキスを、香にした。

それで、香は自分がこれからどうしていくべきかをすべて悟った。

「僚、あたしたち…また、会える…?」

僚は、穏やかな眼差しを香に注いで無言のままだった。

「ひとり…になるの…?そんなに、あたしは、強く…ない」

頬に涙が一筋流れ落ち、香の意識は戻った。
「あの日」から約2ヵ月が過ぎていた。
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