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歯車2 触穢
コギト=エラムス/文


 雪乃はバケツを洗ったあと、急いで男の待つ木の下へと向かったが、そこにはすでに誰もいなかった。

 

 無理もない。雪乃がここを離れてから7時間が経過しているのだから。

 「悪いことしちゃったなぁ...」

 オレンジ色の夕暮れに照らされながら、雪乃はつぶやいた。

 

 みーっ

 

 足元から、聞き覚えのある鳴き声。

 ふと足元を見ると、今朝助けた子猫がすり寄ってきていた。

 

 「あっ! まだいたのね!」

 雪乃はうれしそうにしゃがむと、子猫を抱き上げた。

 

 「よっ」

 その先には、子猫を助けてくれた男が立っていた。

 

 

 男の名前は金田と言った。

 雪乃はまるで水のみ鳥のようにぺこぺこ何度も何度も頭を下げ、金田に謝った。

 そして、お詫びのかわりに金田を家まで送っていくこととなった。

 

 「へぇ、いい車だな」

 駐車場に停車している雪乃の車...黄色いMR2を見て言った。

 「えへへ、ありがとうございます」

 愛車を誉められる雪乃の顔は、何よりも嬉しそうだった。

 

 ふたりは車に乗りこむ。

 すると、金田の手に抱かれていた子猫がぴょんと跳ねて運転席の雪乃のひざの上に乗った。

 

 「あっ、だめよ、そんなところに座っちゃ」

 ひざの上に座る子猫を、やさしく注意する雪乃。

 「みーっ」

 それを聞いて、不満そうに鳴く子猫。

 

 「あぶないから、ね、あとでだっこしてあげるから」

 子猫の頭を撫でながら、なだめるように言う雪乃。

 「みみーっ」

 雪乃の顔を見上げ、抗議するように鳴く。

 

 「もう、しょうがないな...でもおとなしくしてるのよ」

 ふぅ、とため息をついて雪乃は言った。

 「みーっ」

 それを聞いて子猫は嬉しそうに鳴くと、雪乃のひざの上でくるんと丸くなった。

 

 「うふふ...」

 その背中をやさしく撫でる。

 

 「.....驚いたな。本当に会話できるのか?」

 雪乃の子猫のやりとりは、どう見ても会話しているようにしか見えなかった。

 

 金田の言葉にはっと顔をあげる雪乃。

 「あっ、いえ、会話ってほどではないんですけど...この子の言ってることはわかります」

 そう言いながら、雪乃はやさしく子猫の背中を撫でていた。

 ごろごろと喉を鳴らす子猫。

 

 「そうなのか...」

 金田は難しそうな顔をして唸った。

 

 丸まっている子猫に触れないようにしながら、シートベルトをしめる。

 「では、行きますよ」

 雪乃は金田の顔を見て言った。

 「...ああ」

 

 その一言を受けて、車はすべるように走りだした。

 

 

 流れて行く風景を見ながら、金田はつぶやいた。

 「.....乗り心地のいい車だな」

 

 車とはこんなに乗り心地のよいものだったとは。

 だが、この乗り心地は車のせいではなく、雪乃の運転技術によるものだとは金田は知らずにいた。

 

 空飛ぶ絨毯に乗ったとしたら、おそらくこんな乗り心地なのだろう。

 雪乃のひざで丸くなっていた子猫もいつの間にかすやすやと寝息をたてている。

 

 「うふふ、ありがとうございます。パトリックさんも喜んでるみたいです」

 うれしそうに微笑む雪乃。

 「パトリックさん?」

 ちらりと金田を見て言う。

 「あ、この子のことです...この車」

 「なんだ、この車、パトリックって車種なのか」

 金田は車には詳しくなかった。

 「あっ、いえ...私がつけた名前なんです」

 雪乃は運転しながらにっこりと微笑んだ。

 雪乃のまぶしい笑顔に、この車を大事にしていることが金田にもひしひしと伝わった。

 

 相変わらず車は、宙にでも浮いているかのような走りで進んでいた。

 

 . . . . .

 

 朝のキャンパス。

 歩いていた晴子の背後からぱたぱたと足音がしたかと思うと、横に雪乃がやってきた。

 

 「ね、ね、晴ちゃん、すごいんだよ!」

 雪乃は開口一番、晴子にむかって言った。

 「あのひとが乗ってると、パトリックさんの調子がいいの!」

 晴子の答えをまたずに続けた。

 「きっと、パトリックさんがあの人のこと、気に入ってくれたんだと思うの」

 そう言う雪乃の瞳は、きらきら輝やいている。

 珍しく興奮している雪乃を見ながら、晴子は口を開いた。

 「あのひとって、誰よ?」

 

 「えっ...あ、ゴメン」

 晴子の視線に自分が取り乱していることに気づき、バツが悪そうに肩をちぢこませる雪乃。

 その頬がほんのりと染まった。

 

 「金田さんって男の人なの」

 やっと落ちついた雪乃は、ゆっくりと口を開いた。

 「金田?」

 雪乃の一言に、晴子の眉が僅かに動く。

 「晴ちゃん、知ってるの?」

 きょとんとした雪乃の表情。大きな瞳が更に大きく見える。

 

 「知ってるもなにも...有名人じゃないの!」

 晴子は金田がこの学校の野球部の主将であること、そしてその実力でプロ球団からかなりのラブコールがあること、

 そして、女性にかなりの人気があることを雪乃に伝えた。

 

 「へぇ...晴ちゃんくわしいね」

 身振り手振りの晴子の説明を聞き、感心したように言う雪乃。

 

 「あんたが知らな過ぎるのよ」

 相変わらずのマイペースの雪乃に、晴子はため息をついた。

 雪乃は、たまにあきれるくらい男女の仲のことについて愚鈍なところがある。

 だが、先ほどの雪乃の取り乱しようは普通ではなかった。

 「ははーん、金田さんを気に入ったのはパトリックじゃなくて雪乃。あんたの方じゃないの?」

 晴子はニヤニヤと笑いながら、ヒジで雪乃を突つく。

 「えっ!?」

 その一言に、ぼんっと音がするくらいの勢いで、雪乃の顔が赤くなる。

 「そっ...そっそっ...そんなことないよっ!」

 ぶんぶんと首をふって否定する雪乃。勢いあまってポニーテールがぱちぱちと頬に当る。

 

 あまりにも図星の反応に、ツッこむ気も失せてしまう。

 

 「ま、ブラコンよりよっぽどマシだけどね」

 高校時代の雪乃は弟である直樹のことばかり考えていたのだ。

 それに比べれば今の雪乃の方が健全である。

 

 だが、雪乃はからかわれて、ぶーっとふくれていた。

 

 

 「でも...不思議なの。直くん以外の男の人の前に立つとあがってたのに...金田さんだと大丈夫なの」

 気を取り直した雪乃が、真面目な顔をして言う。

 今までの雪乃は男の前に立つだけであがっていたのだ。

 

 「よいよい。あんた、ただでさえ奥手なんだからね。金田さんでせいぜい男に対する免疫つけときなさい」

 晴子は嬉しそうに言いながら、ぽんぽんと雪乃の頭を叩いた。

 

 「...もうっ...晴ちゃんたら...」

 

 

 それから雪乃と金田は、幾度となくドライブをした。

 といっても金田の家に送るだけのかわいらしいもので、男女のつきあいとはほど遠いものだった。

 だが、パトリックも認める金田に、わずかづつだが雪乃の気持ちも傾いていった。

 

 . . . . .

 

 午後のキャンパス。

 

 「金田さーんっ!」

 背後から雪乃に呼びとめられ、その声の方を向く金田。

 ぱたぱたと雪乃が駆けてくる。

 

 「みーっ」

 金田の胸に抱かれていた子猫はうれしそうに鳴くと、ぴょんと跳ねて雪乃の胸に飛びこんでいった。

 

 「きゃっ! うふふふふっ! 元気だったー?」

 「みーっ」

 ぎゅーっと子猫を抱きしめる雪乃。

 

 またまた雪乃と子猫によって、ほのぼのとした空間が広がる。

 金田はしばらくその子猫と遊ぶ雪乃を眺めていた。

 

 「ほら、これ、あげるよ」

 子猫とじゃれあう雪乃に、金田が小さな箱を投げた。

 

 「えっ?」

 投げられた箱を子猫を抱いたままで、なんとか受け取る雪乃。

 

 「開けてみて」

 驚く顔の雪乃に、金田は言った。

 

 「あっ、はいっ.....よいしょ...」

 子猫を胸に抱いたまま、器用に小箱を開ける雪乃。

 

 そこには、銀色に輝く腕時計があった。

 腕時計といってもベルトの腕時計ではなく、ブレスレットのような腕時計。

 純銀と思われるそれは、腕時計というよりもアクセサリーに近かった。

 

 びっくりする雪乃。

 「こっ、こんな高そうなもの、頂けません!」

 あわてて金田に返そうとする。

 

 「いいから! はめてあげるよ」

 「あっ!」

 金田は素早く小箱から時計を取り上げると、子猫を抱えて自由のきかない雪乃の手首に時計をはめた。

 

 「あっ...」

 ぱちり...

 固定されるような音をたてて、雪乃の手首にその時計はぴったりとはまった。

 

 「で...でもっ...あっ!」

 戸惑う雪乃の肩を、金田はぐいっと雪乃の肩を抱き寄せた。

 「さ、行こうぜ」

 肩に手を回され雪乃の顔が、かあっと赤くなる。

 

 「あ...あのっ、金田さんっ」

 雪乃は恥ずかしくてうつむいているが、見下ろしている金田からは赤く染まった耳が見えるので、雪乃の顔の状態がすぐに想像がついた。

 「ん?」

 顔をのぞきこむようにして言う金田。

 

 「素敵な時計、ありがとうございます...」

 雪乃はまだ恥ずかしいのか、うつむいたままでぺこりと頭を下げた。

 

 . . . . .

 

 すでに車を運転する時は雪乃のひざは子猫の指定席になっていた。

 いつものように子猫に気遣いながら、シートベルトをしめる雪乃。

 

 「あ、そうそう、いい音楽のテープがあるんだ。かけるよ」

 「あっ、はい...」

 金田は内ポケットからカセットテープを取り出し、デッキに入れた。

 

 かちゃり...

 

 軽い音をたてて、テープが回りだした。

 それを合図にするかのように、ゆっくりと駐車場から走りだす車。

 

 たったったったったっ...

 かちゃん...

 

 テープからは、足音と、そしてなにか金属のものを持ち上げるような音が聞こえた。

 「.....?」

 何のテープだろう? 雪乃はハンドルを切りながら、耳をすました。

 

 するっ...するるっ

 

 今度は何か脱ぐような、布ずれの音が。

 

 んっ...う...

 

 しばらくして、女性のうめき声が聞こえた。

 その声を聞いて、雪乃はいぶかしげな顔になる。

 声は聞き覚えのある、自分の声だったからだ。

 駐車場から出ようとした車が、ピタリと止まる。雪乃がアクセルを放したからだ。

 

 チョロッ...チョロロッ...

 

 流れた水が金属を打つような音が響いた。

 

 チョロロロロロ...

 

 「え...!?」

 断続的に流れるその音に、雪乃の顔がさっと青くなる。

 車は駐車場の入り口で、アイドリングをしたままだ。

 

 ふぅ.....

 

 流れる音が終わったかと思うと、テープの中の女性は、ホッとしたようなため息をついた。

 

 「こ...これは...」

 信じられないような顔で、金田を見つめる雪乃。

 

 「そう...雪乃が講堂のなかでションベンした時のテープだ」

 金田はなんの衒いもなく言ってのける。

 

 「か...金田さん...どうして?...どうして...?」

 両手を口にあて、真っ青な顔で震える雪乃。

 その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 

 「さ...行こうぜ、ドライブするんだろ? 俺と」

 

 雪乃の手首の銀色の時計が夕日を受けて、わずかに光ったような気がした。

 

 

 


解説

 ひさびさの「歯車1」の続編です。ですが今回もHなしです。

 でも次回はHを入れられそうな引き方なので次回を御期待ください。

 

 この「歯車」の前の話というのも現在構築中でして、

 今回のお話のなかでも晴子が言っている弟の直樹との関係を扱ったものです。

 それは一応純愛モノなのですが、いずれ公開予定です。

 

 そういえば最近『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』を始めました。

 仕事の合間に小説書きにあててた僅かな時間を使って遊んでます。

 なので、少々更新が疎かになるかもしれないので御容赦ください。

 


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