「直くん...カサ持ってるかな...」
体育館の中で、窓越しに降りしきる雨を見ながら雪乃はつぶやいた。
「こらっ! 藤原っ! 練習せんか!!」
雪乃の背後で怒鳴り声がした。
びくっ! と雪乃の肩が跳ねあがる。
「す、すみません!」
あわてて振り向き、ぺこぺこ頭を下げる雪乃。
顔を上げると、その声の主は晴子だった。
「な、なんだ晴ちゃん...」
ほっとした様子の雪乃。
「まぁーた弟クンのこと考えてたんでしょ」
からかうようにヒジで雪乃をつつく。
「えっ!? う...うん...」
びっくりした後、恥かしそうにうつむく。
「先輩にはあたしが上手く言っとくから、もう帰んなよ」
ふたりは同じ陸上部に所属していた。
今日は外が雨なので、体育館での練習だった。
「え...でも...」
そうしたいのもやまやまなのだが、真面目な雪乃は部活をサボることにいい顔をしない。
「ほらっ! ぼーっとしてちゃ練習に身が入んないでしょ! さっ、帰った帰った!」
「えっ、あっ、ちょっと晴ちゃん!?」
晴子は雪乃の背中をぐいぐいと押して部室まで連れて行った。
. . . . .
「あーあ、雨かよ...」
下駄箱を出た直樹は、降り落ちる雨を手で確かめながらつぶやいた。
「直くん!」
直樹を呼ぶ声。だが、直樹は振り向こうともしない。
「なんだ、雪乃か」
その方向を見もせずに言う。直樹のことを「直くん」と呼ぶのは雪乃しかいないから、見る必要がないのだ。
雪乃は高校二年生。直樹は中学三年生。
雪乃は近くにある直樹の中学校に直樹を迎えに来たのだ。
「カサ持ってきてないんでしょ? 一緒に帰ろっ」
雪乃は手をあげて、身長差のある直樹をカサの中に入れる。
「...ああ」
直樹はぶっきらぼうに答えた。
ふたりはおしゃべりをしながら帰った。
といっても、しゃべってるのはほとんど雪乃なのだが。
直樹は雪乃の問いかけに退屈そうに相槌を打っている。
「ね、今晩なに食べたい?」
直樹を見上げながら、雪乃は言った。
両親は結婚記念日で雪乃たちがプレゼントした旅行に行っていた。その間の家事は全て雪乃の担当だった。
「...カレー」
少し考えて、直樹は言った。
「わかった、カレーね!」
そう言って雪乃は微笑んだ。
毎日見ている顔だというのに、その笑顔に直樹の胸は高鳴った。
最近、雪乃を見てこういう気分になることが増えてきている。
ふと雪乃の身体を見ると肩のあたりがカサから出て、びしょびしょに濡れていた。
直樹はやっと気づいた。
あまり大きくない雪乃のカサでは、ふたりは定員オーバーだ。
だが、自分の身体は全然濡れていない。
それは、雪乃が自分の身体が濡れるのをいとわずに自分を入れてくれているからだ。
ふたりで一つのカサに入るときは、雪乃はいつもこうしていた。
「あっ」
直樹は雪乃の手からカサをひったくった。
「俺が持ってやるよ」
直樹はカサを雪乃の身体が入るように向けてやる。
...きっと、雪乃は自分の知らない所で幾つもの細やかな気遣いをしてくれているのだろう。
直樹は最近、少しづつでもその気遣いを知っていこうと思っていた。
「あっ、でも直くん、濡れてるよ」
やはり雪乃はすぐに気づいた。
「いいよ、別に」
気にしない様子で言う。
「だめだよ、風邪ひいちゃうよ!」
ぴょんぴょんと跳ねて直樹の手からカサを取ろうとする雪乃。
飛び跳ねる雪乃の背後に手をまわし、ポニーテールをつかむ。
ぎゅっ
「きゃあ!」
ポニーテールを引っ張られ、跳ねようとした勢いも加わり、がくんとのけぞる雪乃。
「いいから帰るぞ」
直樹は雪乃を黙らせるのによくポニーテールを引っ張った。
「もう...」
もう何度も直樹にポニーテールを引っ張られているというのに、雪乃はこの髪型を変えようとはしなかった。
. . . . .
ソファに座り、ぼーっとTVを見る直樹。
そこに、盆にカップをふたつのせ、雪乃がやってきた。
「はい、直くんコーヒー」
かちゃりと直樹の前にカップを置く雪乃。
雪乃はその横に座る。
直樹は黙ってそのカップを取り、口に運ぶ。
雪乃も同時に、両手を添えてカップを口に運ぶ。
ずず...
「うえっ!? 甘ぇっ!!」
「に、苦〜い」
ふたりの声が同時に発せられた。
「ご、ごめんね直くん、そっちがあたしのだ」
雪乃はあわててカップを取り替える。
直樹は辛党、雪乃は甘党。
逆に直樹はコーヒーはブラックしか飲めない。
雪乃はコーヒーは飲めないのでホットチョコレートだった。
「まったく...」
直樹は口直しとばかりに取り替えたカップに口をつける。
「あっ」
雪乃が小さく声をあげる。
「なんだよ?」
ちらりと雪乃を見ると、なぜだかカップで顔を隠すようにしている。
「直くんと...間接キスしちゃった...」
思わずむせそうになる直樹。
「ば、ばーか」
. . . . .
ぼんやりとふたりでTVを見る。
直樹の手は、雪乃の頭に伸びていた。
雪乃の髪の毛をくしゃくしゃにして、再び手ですいて元に戻す。
そして、それを何度も何度も繰り返す。
直樹は雪乃の髪の毛を触るのが大好きだった。
やわらかい上質のシルクに触れているような感触。
側に雪乃がいると、つい触ってしまうのだ。
雪乃はそれを嫌がりもせず、されるがままにTVを見ている。
雪乃も直樹に髪の毛を触られるのが大好きだった。
髪の毛には何の神経もないのに、なんだかマッサージされてるような、ほんわかした気分になり、ついウトウトしてくる。
だが、直樹はサッカーを見ている時だけは雪乃の髪の毛をいじらないようにしていた。
エキサイトして手に力が入り、髪の毛を力いっぱい引っ張ってしまったことが何度かあったからだ。
「すや...」
ふと見ると、雪乃は直樹にしなだれかかったまま、すぅすぅと寝息をたてていた。
「雪乃.....」
とても姉とは思えないほど小柄な雪乃。
気弱で泣き虫なくせに、たまにお姉さん面をして、直樹のことを一番想ってくれる人。
その髪の毛に触れるたび、ふわりとリンスの良い香りが漂ってくる。
雪乃の頭に顔を近づけ、くんくんと匂う。
あまりにも愛とおしい匂い。自分を包み込んでくれるような、母親の匂い。
「雪乃...」
どくんどくんと、鼓動が高鳴ってきているのが自分でもわかる。
女性の香りにすっかり正常な思考を失った直樹は、つい雪乃の顔に唇を近づけてしまう。
ちゅ...
軽く、雪乃のひたいにキスをする。
一向に起きる様子はない。
ちゅ...
今度は、唇。
ふわりと淡い雪のような触感。でも、とろけるほどに甘く、あたたかい。
さっきまで雪乃が飲んでいたホットチョコレートのせいもあるのだろうが、
「(チョコレートみたいだ...)」
直樹は雪乃の濡れた唇を見て思った。
とろけるほどに甘いのに、辛党の直樹でももう一度味わってみたいと思う、その味。
直樹はキスは初めてではないが、これほどにときめいたキスは今だかつてなかった。
早鐘のように鳴る鼓動。あまりのキスの気持ちよさに、相手が姉であるということをすっかり忘れてしまう。
「雪乃.....」
直樹はごくりと唾を飲みこみ、再び雪乃に顔を近づける。
ちゅっ...
今度は、触れるだけでなく、ぴったりと唇を合わせる。
こつんと鼻の頭が雪乃の眼鏡に当る。
ただの皮膚が触れ合っているだけだというのに、身体の芯が熱くなってくる。
「ん...」
ぼんやりとした声と共に雪乃の瞼がうっすらと開く。
「.....?」
何が起こってるのかわからない雪乃は、しばらくそのままでいる。
だが、次の瞬間。
「ななななななななななおくんっ!?」
ばっ! とものすごい勢いで離れる雪乃。
その顔はまさに色でも塗ったかのように真っ赤になっている。
「な、なんだよ」
直樹はバツが悪そうに目をそらす。
「...子供の頃は雪乃の方からせがんでたじゃねーか」
わけのわからない言い訳をする直樹。
確かに子供の頃は、雪乃は自分から直樹にキスをせがんでいた。
まだキスの意味も知らないほど、幼い頃だが。
「う、うんっ...直くんなら...」
赤い顔のまま肩をすくめ、恥かしそうにうつむく雪乃。耳たぶまで真っ赤だ。
血の繋がった姉弟だというのに、ドキッとするほど可愛い。
だが、直樹はぶんぶんと顔をふってその煩悩を振り払う。
ぎゅっ
直樹は雪乃のポニーテールを掴むと、ぐいっと引っ張った。
「きゃっ!?」
ポニーテールが引っ張られ、雪乃の顔がかくんと上に上がる。
ぐきっと鈍い音がする。
「い、いった〜ぁ」
首を押さえ、泣きべそをかきながら直樹を見上げる。
「ばーか、調子に乗ってんじゃねーよ」
直樹は立ちあがり、吐き捨てるように言う。
「も、もう...」
むくれた顔で直樹を見上げる雪乃。
「風呂入るけど、沸いてるよな?」
「あ、うんっ、タオル用意するね」
雪乃は気を取りなおし、立ちあがった。
「純愛週間」第1弾ですが、慣れないことはするもんじゃないですね。
すごい不自然な文章となってしまいました。
一応、純愛度数は★★★と設定しましたが、抗議などありましたら掲示板までお願いします。
今回はHなしですが、次回からいろいろやる予定。
これからは「歯車」と交互に書いていきたいと思ってます。