その日の夕食は、焼き魚に肉じゃが、根菜サラダと和風だった。
「そういえば直くん、どこの高校受けるの?」
茶碗によそったほかほかのご飯を直樹の前に置きながら、雪乃が聞く。
直樹は中学三年生...高校受験を控えているのだ。
「お前には関係ねーだろ」
相変わらずぶっきらぼうに返す直樹。
「ひどーい、直くん、せっかくお勉強見てあげようと思ってたのに」
エプロンを外しながら頬を膨らませる雪乃。
「いらねーよ」
興味なさそうに言い、食卓に並べられたものを食べはじめる直樹。
「もう...こう見えてもウチの高校、けっこうレベルが高いんだよ」
食卓の椅子に座りながら言う。
雪乃は高校二年生...雪乃の通う近所の高校は、東京でもかなりの名門校である。
「ああ、知ってるよ...よぉーっくな」
茶碗を持ってがつがつとかき込む直樹。
「ふうん...」
茶碗をはなした直樹の頬には、米粒が付いていた。
「....あっ、直くん、ほっぺたにお弁当ついてるよ」
それを見た雪乃は椅子から立ち上がって手を伸ばし、直樹の頬についた米粒を取る。
「うふふ...直くん、子供みたい」
嬉しそうに微笑みながら雪乃はその米粒をぱくんと口に入れた。
. . . . .
コンコン
直樹の部屋の扉を叩く、控えめなノックの音。
「おう」
ノックの主が雪乃だとわかっている直樹は、机にむかったまま声をあげる。
かちゃりと扉が少しだけ開いて、雪乃の顔がひょっこり現れる。
「...何の用だよ?」
机に向ったまま向こうともしない直樹。
「受験勉強ご苦労さま...お夜食もってきたの」
雪乃の持ったお盆の上には、サンドイッチとフルーツとコーヒーが乗せられていた。
勉強していることは雪乃には言ってないのに、雪乃はなぜか夜食を持ってきた。
「夜食?」
イスを回転させて雪乃の方を向く。
「エヘヘ...直くん、ウチの高校受けるんでしょ?」
お盆を持ったままニコニコと嬉しそうな雪乃。
「なんで知ってんだよ」
少しむっとした表情の直樹。
「さっき堂島先生からお電話があって...教えてくださったの」
手にしたお盆を棚に置きながら言う。
「(チッ...あのクソ野郎...)」
直樹の頭の中に...堂島のにやけた顔が浮かんできた。
「お前には関係ねぇことだ、あっち行ってろ」
手のひらを扇ぐように動かして追い払うような仕草をする。
「そんなこと言わないで、教えてあげるよ」
机の上に広げられたノートを覗きこむ雪乃。
その横顔が吐息がかかるくらいまで近づく。
ふわりと漂うリンスのいい香りが直樹の鼻腔を甘くくすぐった。
思わずくんくんと嗅いでしまう。
「ああ、この計算はね...」
しかしすぐに我に返った直樹はいきなり叫んだ。
「だああ! 邪魔すんな! あっち行けっ!」
びくっ! と雪乃の身体が机から離れる。
びっくりしたような、雪乃の表情。
やがてその顔が...叱られた子供のような表情にかわっていく。
「あ...おどかして悪かったな...とにかく一人にしてくれ」
あわてて取り繕う直樹。
「う、ううん、私こそごめんね、集中してるところを邪魔しちゃって...」
緊張したような表情で言う。
雪乃にとって直樹に嫌われるのは何よりも嫌なことなのだ。
「夜食...ありがとな」
雪乃の緊張をほぐすように...なるべくやさしい声で言う直樹。
「うんっ...食べたら廊下のところに出しておいてね」
最後に微笑むと雪乃は部屋を出て行った。
ぱたん...
ゆっくりと閉まったドアを見て...直樹は頭を抱えた。
雪乃が顔を近づけてきた時、我を忘れた。
危うくそのままベッドに押し倒してしまうところだった。
女性経験豊富だと自分では思っていたのに...雪乃の横顔にはまるで童貞のように反応してしまった。
他の女が相手だとしゃぶられても眉ひとつ動かさないのに...今は心臓が高鳴っている。
股間に視線を落とすと...ギンギンになった分身が突出し、ズボンがまるでテントみたいになっていた。
「何考えてんだ俺ぁ...アイツとは姉弟[きょうだい]なんだぞ...」
日増しに高まっていく姉の雪乃に対する思い。
「..........」
机の引き出しを開けると、そこには、リボンのワンポイントがかわいらしいショーツがあった。
以前、雪乃の入浴を覗いた際、脱衣カゴにあったものを失敬したやつだ。
「.....」
直樹はそのショーツを手に取る。
直樹の手におさまりそうなほど小さなその布を見るだけで...。
雪乃の小さくてかわいいお尻が頭の中に浮かんでくる。
「雪乃.....」
そう呟きながら顔に押し当て、くんくんと匂いを嗅いだ。
. . . . .
「...がんばってね」
ゴウンゴウンと音をたてて回りはじめた洗濯機をやさしく撫でる雪乃。
「さて、お洗濯の次は...」
ひょいっと顔を出して廊下を見る。
その視線が見るのは、直樹の部屋の扉だ。
扉の前には、先ほど差し入れした夜食がきれいに平らげられ、空になった食器が置かれていた。
「あっ...直くん、全部食べてくれたんだ...」
ぱっと雪乃の顔が明るくなる。
片付けようと扉に近づくと...何やら息苦しい声が扉の向こうから聞えてきた。
「.....?」
何だろう? と耳を澄ます雪乃。
「うあっ...はっ...あ...雪乃...雪乃おぉ...」
ゴシゴシと何かをこする音と共に、直樹が苦しそうに自分を呼ぶ声が聞える。
「な...直くんっ!? 大丈夫っ!?」
直樹が大変な目にあっていると思い、ノックも忘れてあわてて部屋に飛び込む雪乃。
「!?」
突如乱入してきた姉の存在に、さすがの直樹も石のように固くなる。
「えっ.....?」
固まった直樹を、不思議そうに見つめる雪乃。
直樹は椅子に座って見覚えのある下着を顔に押し当てていた。
そもそも自慰などという行為を全く知らない雪乃は、直樹が何をやっているのか全く見当がつかないでいた。
「?????」
頭の上に「?」をいっぱいにして小首をかしげる雪乃。
視線を落とすと...ズボンを下ろして股間のあたりを握り締めている。
股間からは...赤黒くて血管が走る、カサの張ったグロテスクな物体が生えていた。
一瞬、それが何かわからない雪乃。
「..........」
しばしの沈黙。
「きゃ!?」
ようやくそれが男性器だとわかった雪乃の顔が、発火したように真っ赤っ赤になる。
あわてて両手で真っ赤になった顔を押さえる雪乃。
「てめぇ! 何やってんだよっ!!」
ようやく動けるようになった直樹からの第一声は部屋を揺るがすような怒声だった。
椅子を蹴飛ばして雪乃にのしのしと近づいていく。
いままでにない形相の直樹に、縮みあがる雪乃。
「ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
震えながらぺこぺこと頭を下げ、何度も何度も謝る。
なぜ怒られているのかわからなかったが、とにかく謝った。
直樹は無言で雪乃を廊下に突き飛ばした。
「きゃあっ!」
直樹は力の加減ができず、雪乃の小さな体は吹っ飛び、廊下の壁にたたきつけられる。
床に置かれていた食器がその勢いで割れ、あたりに破片を撒き散らす。
バタンッ!!
雪乃の様子もおかまいなしに、扉が外れんばかりの勢いで乱暴に扉を閉められる。
「えっ、あっあ...あっ、あの...」
直樹の部屋から乱暴に追い出され、わたわたとパニックになる雪乃。
身体の痛みも確かにあったが、それよりも直樹に嫌われたのがショックだったのだ。
「え、えっと、早くかたさなきゃ! じゃ、じゃなくて、本当にごめんね直くん! い、いや、お洗濯だっけ!?」
自分が何を言っているかもわからないほどパニックになっている。
直樹の部屋のドアごしからも、雪乃が混乱しているのがわかる。
時折、「きゃ!」という悲鳴や、どたっ! と転倒したような音が響く。
「ふんっ...」
直樹は鼻を鳴らすと、そのままベッドに横になった。
. . . . .
「..........」
廊下に飛び散った破片を拾いあつめる雪乃。
だが、頭の中は直樹の顔がぐるぐると回っていた。
溢れた涙が滲んできて...前がよく見えない。
ぽたぽたと床に雫が落ちた。
「うっ...ぐす」
あふれ落ちる涙を拭う雪乃。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、顔を上げる。
しかし...目の前には冷たく閉じた扉があるだけだった。
いままで喧嘩をしたこともあったけど...いつも雪乃が悪くなくても雪乃の方から謝っていた。
でも、謝ると直樹は許してくれた。
だけど...あんなに怒った直樹は初めてだった。
あんなに謝ったのに...許してくれなかった。
「ごめんなさぃ...直くん...直くん...許して...ぐすっ」
雪乃は、その扉にすがりついて泣いた。
その夜、雪乃は自分の部屋で乱れた髪の毛も直さず、頭を抱えて唸っていた。
直樹はいったい何をしていたのだろう。
雪乃の思考におそらく初めて登場した「男性器」。
いままでそんなことを考えたことがなかったので、その存在が入るだけで急に思考力が低下してしまう。
雪乃のほとんどゼロに等しい性知識では、いくら考えても自慰などという答えが出るわけもない。
ぐるぐると目を回しながら、雪乃はいつまでもいつまでも頭を抱えていた。
. . . . .
雪乃は結局、きのう一睡もしていなかった。
「ふぅ...」
疲れた表情で2人分の朝食を食卓に並べる。
「あっ...そろそろ直くん起こさなきゃ...」
ちらりと時計を見て、呟く。
バタン! と廊下から乱暴に扉を閉める音がしたかと思うと、
ドカドカドカと廊下を早足で歩く足音が響く。
廊下の方を見ると、直樹が早足で玄関に向っていた。
「あっ!? ま、待って!! 直くんっ!!」
エプロンをしたままあわてて直樹を追いかける。
だが直樹は雪乃の声が聞こえないかのように早足で玄関から出ていってしまった。
バタンッ!!
乱暴に閉められる玄関の扉。
それを見て...昨日の夜を思い出し、泣きはらした瞳からまた涙があふれてきた。
「直...く...ん」
雪乃はポツンとひとりで立ち尽くしていた。
「チョコレートみたい 第七話」の続きです。
そろそろ次のステップに行かないと...。