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人気のないウルフパックのオフィス。
事務と、時には作戦士気もこなす、日成瀬美弥はたった一人でオフィスにいる。
他の構成員である四人の実働担当は、それぞれ任務で出払っている。
机の上を片付け、軽く息をついてから、卓上の電話機を取った。
一見すれば何の変哲のない電話機だが、その回線は二重に盗聴対策がなされていた。
もちろん、一介のハンターチームの電話回線にしては厳重すぎる措置であった。
きれいに手入れされている、細い指先が押す電話番号は、普通の番号よりも長い。
しばらくまってから、相手が出る。
「……例の件、状況開始しました。もう出発して、順調に行けば今日中に当該地域へと入り
そうです。……ただ、妙な記者がおまけについています」
『かまわないわ。あの子が指定した地域に入ることが目的なんだから。それより、救援の手配はできてるの?』
電話の相手は、女だった。
「はい。通常の警急小隊以外に対地攻撃機二個小隊と捜索救難ヘリを待機させています」
『上出来だわ。あの子が接触することは必要だけど、取り込まれるのは絶対に避けなければならないから。救出するのに傭兵部隊の男どもが1ダースや2ダース死んでもかまわないわ。だから必ず救出するのよ』
「分かっています」
『他に何かあるかしら?』
受話器の向こうから、かすかになにか金属がきしむ音と、くぐもった声のような音が聞こえた。
「いいえ」
『そう、よくやったわね』
その言葉を聞いて、美弥の顔はまるで夢見るような、喜びに満ちた表情になる。
「はい、ありがとうございます。……慶子お姉様」
『美弥』
「はい」
『いよいよ始まるわよ』
すっかり日が沈み、あたりは闇に閉ざされている。
ガスの携帯コンロの上のコッヘルでは、ことこととレトルトが煮られていた。
「いや、本当に面目ない」
「そーよ、反省しなさい」
「反省してます」
「海よりも深く?」
むすっとしたほたると小さくなった皆川。焚き火を挟んで反対側でそれをおかしそうにしているのは、先程の少女、瑞穂である。
ほたるとはあれから故障した車までの道中ですっかり打ち解けたらしい。
年のころ14、5ぐらいだろうか。顔だちはけして男っぽいというわけではなく、むしろいい部類に入るのだが、普段ボブカットの髪を帽子に押し込んでいるのと飾り気のない作業着ですごしているおかげでたびたび男と間違われる。
生来の人柄か本人は気にもしていないのだが。
「まあその辺で許してやってくれんか。この子も気にしてないようだし」
背後の闇の中から、一人の壮年の男が現れる。
「生真面目なのは良いんだが、もう少しものを見てよく考えろと、教えたはずなんだがなあ…」
出来の悪い生徒を見る目で、現役時代よりも戦略的撤退が進んでいる頭を掻く。
「はあ……」
皆川が気のない返事をする。ちょうど教師に叱られる生徒のように。
「隊を飛び出して、何をしてるかと思えばこんな仕事を…失礼」
ちらりとほたるに視線を向ける。
ほたるは機会の少ない歳の近い同性との会話に夢中だった。こちらには気が付いていない。
変わりに娘が気が付いたようだ。
「父さん、…ボク…少し、外すね。ほたるさんと話してるから」
「ああ。気をつけてな」
うん、と答えて、ランタンをもって二人は離れていく。
「……妙に気が付くもんだから、いつもあの子は損をする」
「………」
現役時は見せたことのない、父親の顔をしていた。
口元に自虐的な笑みを浮かべながら。
取り返しのつかない過ちを犯すと、こういう顔になるのかもしれない。
それは、よくわかっていた。
「……加賀曹長も、退官されていたんですか。これからって時に」
話題を変えようと、皆川が言った。
その男、加賀はかつて皆川が自衛隊にいたころの直属の上官であった。
だが今はもう退官して、警戒区域内での民間の運送業をしているという。
「まあな。家庭を顧みない、悪い父親、悪い夫の見本だよ、まったくな……」
「ご家族は…」
「妻も初穂も死んだ。もうあの子しかいない」
「………」
話題を変えるどころか地雷を踏んでしまった。
「まあいい。気にするな」
「はい……」
「……」
「……」
「……ひとつだけ言っておく」
「なんでしょう?」
「お前だけじゃない、あの若いブンヤにも言っておけ」
加賀は至極真面目な、ともすれば鬼気迫るとも言える顔で言った。
「……瑞穂に手ぇ出すなよ」
「は?」
思わず聞き返す。
「ま、お前はその辺大丈夫だろうがな。…しかし、お前変わったな」
「そうですか?」
「お前が退官する直前、あの頃のお前はひどかった……ただ己の技術を磨いていた…」
「……」
「なあ、お前は何故、ハンターになった?いったい何があった?」
「くだらないことですよ、何の益にもならない、そういう種類の」
皆川は何かをこらえるような、何かを思い出すような眼をして、笑った。
先ほどの加賀のそれと似た、喜びとは無縁な種類の笑みだった。
「……そうか」
それきり、加賀はその話題には触れなかった。
「………さて、本題に入ろうか。貴様、ずっと何か聞きたそうな顔をしているだろうが」
いささか砕けたような笑顔になり、切り出した。
表情は穏やかなものの、目は笑っていない。
父親の顔から、皆川のよく知る兵士の顔へと変わる。
皆川は迷ったが、この男相手に嘘が通じるとは思えない。
正直に吐くことにした。
「12旅団の偵察隊が川越のあたりに展開してました。……何か、知りませんか?」
「おいおい、わしはもう退官して久しい。隊の情報なんざはいりゃしない」
「そうですか……」
「と、言いたいところだが」
落胆しかけた皆川は、それを聞いて顔を上げた。
「何か?」
「……無人のはずの入間に対戦車ヘリ部隊が居る。多分…教導団だ。アパッチのほかにUH60も居たから、12機動旅団の分遣隊か何かだろう。わしもよくわからないが、何か探してる雰囲気だな」
「……」
「おまえは?そんなことを聞いてくるとなると、何かあるんだろう?偵察隊だけじゃない何か」
しばらく迷ったのち、皆川は、
「……熊谷の駐屯地に、米軍が展開してます」
「米軍?」
「は。記章類は見られませんでしたが、恐らく何らかの特殊部隊です」
「特殊部隊、か」
「は、ざっと確認できただけで小隊規模、輸送、支援ヘリ部隊を伴ったごく小規模ながら空挺強襲部隊です」
眉根にしわを寄せながら、何か考え込んで、
「おまえはどう読んでる?この状況を」
「………」
「皆川二曹」
答えない皆川に、少し強い口調で問う。
「……自分も、同意見です。ただ…」
「ただ?」
「すくなくとも米軍と自衛隊は、協同作戦というわけではないような…何か別のところで動いているような気がします」
「根拠は?」
「まず、協同作戦を取るのなら、行動の円滑化を図る連絡将校が必要でしょう。しかしそれらしい人物は居ませんでした。それにもしそうなら、うちの駐屯地で無くもっとしっかりした設備のある熊谷基地に降りるはずです」
熊谷市の隣、籠原市のはずれには航空学校がある航空自衛隊熊谷基地がある。
滑走路を持たないために固定翼機の運用はできないものの、ヘリコプターならば運用は可能である。
「ということは、何か政府に知られたくないことのためにやってきているということではないでしょうか?……もっとも、それが何かなど、知りたいとは思いませんが」
「同感だな。気にはなるが、深入りはしないほうがいい」
「しかし……」
「事が国家のレベルなら、関わるな。お前も俺も、もう自衛官じゃない、ただの民間人なんだ」
「………」
「妙な話だな、お前は退官するとき、どうしてもやらなきゃならん事があるといったな。それと、関係あるのか?」
「……いいえ」
「それでも、気になるのか」
皆川は答えに窮した。
「やあ、やっと終わった」
暗がりから、あちこちを油で汚した那珂が現れる。
「何のことはない、オイルフィルターが詰まってただけですよ。一応、掃除しておきましたけど、早めに代えないとまたすぐ詰まりますよ」
どっこいしょ、と声に出して、腰をおろす。
「ありがたい、助かったよ」
「なあに、困ったときはお互いさまですって」
からからと笑う那珂。
自動車整備の経験がある(本人によると大学在学中は自動車部で仕込まれたらしい)那珂が、故障したバンを修理していた。
「ま、何かあれば相談にも乗るぞ。じゃあ、二時間交代でいこう。ローテーションはそっちで決めてくれ。わしは先に寝させてもらっていいかな?」
「ええ、かまいませんよ」
と、那珂。
適当に今まで話していた話題をぼかし、別の話題へと誘導していた。
立ち上がり、自分のバンの方へ向かいかけて、
「ああ、そろそろ娘たちを呼び戻してくれんか?……もうそろそろ奴等が活発に動く時間だ」
「了解です、曹長。おやすみなさい」
「おやすみ」
加賀は自分のバンへと戻っていった。
皆川たちから少し離れた廃墟の中。
そこに二人はいた。
「この辺……かな?」
「そうだね」
手元の明かりのランタンを置き、小さなポリタンクも置いた。
瑞穂は作業着を脱ぎ始める。
ほたるは少しためらいながらもそれに習う。
「大丈夫だよ、滅多に覗きに来るのなんかいないから。父さんもいるし」
「ぅ、うん……」
上着を脱いでタンクトップ姿になった瑞穂が言う。
確かにほたるには野外で服を脱ぐということに抵抗はある。
今まで泊りがけの仕事などやったことはないし、今まではこういった機会はなかった。
だがほたるの問題はそれではなかった。
(瑞穂って、着やせするタイプなのかなあ……)
ちらりと目をやれば、ランタンの揺らめく明かりに、瑞穂の露になった体のラインが照らし出される。
ほたるより年下ではあったが、体のラインはほたるのそれよりも起伏に富んでいる。
思わずため息が出た。
「ん?どうかした?」
視線に気が付いたのか、ポリタンクの水でタオルをぬらしていた瑞穂が言った。
「ああいや、なんでもないよ」
適当にごまかして、自分もタオルをぬらす。
絞ったタオルで体を拭きながら、ほたるが苦笑する。
「本当は、シャワーとか浴びたいんだけどね」
「ないものはしょうがないよ」
二人は笑った。
ほたるは思う。もし彼女が妹だったら、さぞかし楽しいだろうなあと。
結局、ほたると瑞穂はキャンプに戻っても一緒に時間をすごした。
お互い年の近い同性と話す機会が少ないために、いろいろなことを話し合った。
好きな食べ物のこと、今のこの状況のこと、これからのこと、恋愛のこと。
「ねえ、きいていい?」
「?」
「好きな人って、居る?」
興味津々と言った目で瑞穂が聞いてきた。
「うん」
少し迷ったが、正直に答えた。
彼女にはなぜだか素直に話せるような気がしたのだ。
「ほたる姉の好きな人って、あの人?」
いつの間にやら瑞穂はほたるを「ほたる姉」と呼ぶようになっていた。
「ぅえっ……なんでそんなこと……」
露骨に慌てるほたるを見て、瑞穂はしてやったりとした顔をする。
「ねえねえどっち?車直してくれたほう?それとも皆川さん?」
「し…知らないわよ」
「ふ〜ん、そうなんだぁ……」
にやにやと人の悪い笑み。
思えば最近、こうしてからかわれることがほんとに多い気がする。
思わず己が身の不幸を呪おうとしていると、瑞穂はくすくす笑いながら、
「………ほたる姉、こうしてよくからかわれてるでしょ」
「う、うん…」
「わかるもん、反応楽しいから。………告白、したの?」
「ううん」
「いい人だよね、皆川さんて。…全然、変わってない」
少しだけ寂しさの混じった笑みを浮かべて、瑞穂は言った。
「三年ぐらい前に、会ったことがあったんだ」
瑞穂の口からそう告げられて、少し複雑だった。
皆川が知らないほたるがいるように、ほたるが知らない皆川もまた、存在するのだ。
皆川にはすべてを話したわけではない。
自ら進んで触れ回るようなことではないし、養父からそのことは厳重に口止めされていたから、そのことを知るのはほたると養父、そして例の栗原慶子を含めたごく少数の人間のはずだ。
それと同じように、いや、そういうわけではないのかもしれないが、自分の知らない皆川を知る瑞穂が、少しだけ妬ましかった。
そんなほたるの心を知らずに、瑞穂は続けた。
「真面目で、気がやさしくて、まっすぐで……そういう人。……でも、やめる直前、なんだか人が変わったって。……父さんが、言ってた」
「……」
「すごく…それまでなんかよりずっと、うまくなって…強くなって……怖くなったって」
うまくなって、強くなって、そして怖くなった。
それが一体どういう種類のものであるのか、何をさすのか、ほたるにはよく分からなかった。
「でも、そんなことなかったね。これって、ほたる姉のせいなのかな?」
瑞穂は、きゅっと膝を抱えた。
「ほたる姉がそばにいたから、変れたのかな?」
「わかんない」
ほたるはそう答える。
「あたし、あいつには何もしてない。考えてみたら、あたしあいつになんかしてもらってばっかりだった」
最初は、何かと先輩風を吹かせて、意地悪のようなこともした。
けれど、皆川はそれを気にすることはなく、いろいろ助けてくれた。
思えば、ずっと大人なのかもしれない。
考えてみれば当たり前だ。自分は17で、皆川は23だ。
「……それに、あたしは……だめだから……誰も…好きななっちゃ……だめだから……きっと、誰も好きになってはくれないし…」
「なんで?」
「………ごめん、それはいえないの。そのことを知ったら、瑞穂ちゃんにもよくないから…」
と、ほたるは悲しみと寂しさの混じった笑みを浮かべながら、答える。
それきり、瑞穂も黙る。
沈黙に耐え切れなくなったほたるは、言った。
「…遅くなっちゃったね。そろそろ寝ようか?」
うん、と瑞穂は顔を上げた。
荷物の詰まったランドローバーの座席を倒しただけの狭苦しい寝床ではあったが、予想以上に疲れていたのか、それでもほたるはすぐに意識は眠りに落ちていった。
そのせいか、瑞穂がそっと抜け出していったのに気がつくことはなかった。
歩哨。
その任務は単調になりがちでありながら、それでいて重要なものだ。
増してや今のように敵性地域の直中にいれば、何をいわんやだ。
何事もないに越したことはないが、集中力の維持には随分と努力がいる。
本来なら複数が望ましいが、それほど人数に余裕はない。
当初は少し先にあるパトロール基地で夜を過ごす予定であった。
最も、何かが近づいてくれば皆川がキャンプの周囲に仕掛けた警戒装置が先に警報を鳴らすだろうから、一人でもことは足りる。
3杯目のコーヒーを飲もうと魔法瓶に手を伸ばしたとき、
「皆川さん」
瑞穂だった。
「どうしたんだい?先輩と一緒に寝てたんじゃないの?」
「…あの…何だか眠れなくって……その……少し、いても……」
なぜだかそわそわと妙に落ち着きのないそぶりでそう言った瑞穂に、皆川は
「かまわないよ。大騒ぎしたりしなければね」
ライトスティックの黄色い光の中、二人で魔法瓶の中のコーヒーをのみ、ささやくような声で話した。
他愛のない話ばかりだったが、それでもコーヒーよりよほど眠気を払う役には十分だった。
「瑞穂ちゃんも大きくなったね。最初誰だかわからなかった」
「だって、最後に会ってからもう3年だよ?…ボクだって……成長するもん」
口を尖らせる瑞穂に、皆川は、
「そうだね。瑞穂ちゃん、随分変わったよ。最初は誰だか本当にわからなかった」
冗談めかして、笑う。
しかし、なぜか瑞穂はうつむいてしまった。
黙ってしまった瑞穂に、声をかけようとしたが、その言葉を探しているうちに瑞穂がぽつりと言う。
「こんな・・・男の子みたいな娘は、嫌い・・・?」
瑞穂は、少しためらった後、言った。
「皆川さんは……今、好きな…その…こ、恋人って、いるの?」
「……どうしたんだい?急に…」
皆川は戸惑う。
「ほたる姉なの?ほたる姉じゃなきゃあだめなの?ボクじゃだめ?」
「それは……」
違う、と口にすることができなかったのは、瑞穂がそれよりも早く言葉を続けたからだけだろうか。
「ずっとずっと好きだったの……あの時…はじめてあったときから……」
もはや止められずに、瑞穂の口から秘めていた気持ちが言葉としてあふれ出る。
限界だった。
「すまない、もう止めてくれ」
突然、皆川は瑞穂の言葉を遮った。
瑞穂の両の肩に手を乗せて、
「……瑞穂ちゃん、俺はね、誰かに好かれることも、好きになることもできる人間じゃない。今の俺には、そんなことはできない・・・・・・多分、これからも。俺には、やらなきゃならないことがある。そのために隊を辞めて、ハンターになったんだ。そしてそれは、瑞穂ちゃんが知るようなことじゃない、知っちゃあいけないことだ」
「………どうして…」
「…………」
「……皆川さんも……どうしてそんな悲しい事言うの…?」
声が震え、同時にぽろぽろと、瑞穂の頬を涙が滑り落ちていく。
皆川はそっと瑞穂の涙を指先でぬぐう。
「………瑞穂ちゃん、君が知ってる皆川修二って男は、もういない。ここにいるのは別人だ。……一番大切なものを、……守らなきゃいけないものを守れなかった、どうしようもない男の残骸だ」
「……それでも……いい……」
「だから・・・」
「ボクじゃ……だめ……?ボク…皆川さんが好きじゃだめ?」
涙をいっぱいにためた、すがるような目で見上げる瑞穂から視線をそらした。
「………」
皆川は答えない。
いや、より正確には答えられなかった。
今、何を言っても瑞穂を傷つけるだけにしかならないことがわかりきっていた。
沈黙の中、自分を縊り殺してやりたい気分になった。
これほどの無責任などそうはあるまい。
その沈黙を瑞穂は、肯定ととったらしく、うつむいてしまう。
「……ひとつだけ……お願い…聞いて……」
長い、もしかしたら短かった沈黙を破って、瑞穂が言った。
「キス……して……」
思いつめた瑞穂の顔。
「初めては…皆川さんに……」
その言葉に、皆川は強烈な既視感を覚えた。
いや、既視感ではない。
記憶の中の、闇の部分にある記憶。
「………だめ……ですか…?」
記憶の闇に飲み込まれそうになっている皆川を救ったのは、瑞穂の声と、そして今にも泣き出しそうな悲しげな顔。
皆川は答える代わりに、そっと瑞穂の頤に手を添え、自分のほうを向かせた。
瑞穂が目を閉じる。
皆川は瑞穂の唇に自分の唇を近づけていく。
二人の唇が触れる。瑞穂がぴくりと体を震わせる。
二人の唇が離れた。
舌を絡めることもない、ただ唇を重ねるだけの、そういうキスだった。
「すまない・・・俺には・・・今はこれぐらいしか答えてあげられない・・・」
瑞穂はふるふるとかぶりを振り、
「ボクも・・・ワガママ言っちゃったから」
目元に涙をたたえたまま、笑った。
それは今の瑞穂にとって、精一杯の笑顔。
「ボク…もう、寝るね……」
立ち上がり、車に戻っていく。
瑞穂は一度だけ立ち止まったが、振り返らなかった。
一人残された皆川は、大きなため息をつく。
「………で、いつからいたんだ?」
「ばれてたか…」
木の陰から那珂が姿をあらわす。
「俺を覗くのはかまわんが、あの子や先輩はやめてくれ」
「わかってるさ。…のぞくってったって今来たばっかだぞ」
那珂はどっかと腰をおろして、皆川からイヤホンを受け取る。
「瑞穂ちゃんの、『わがまま言っちゃった』あたりからかな。な〜に、詮索なんて野暮な真似はしないし加賀のおっさんやほたるちゃんには黙っとくからよ」
「……」
「しかしまあ、あれだな、いい娘だね、あの子は。ありゃあ十年後が楽しみだわな」
皆川は無言のまま少し動いて、傍らの木に背中を預けて目を閉じる。
「何かあったら遠慮なく起こしてくれ。俺は寝る」
「あいよ」
夜が明ける。
夏の太陽は今日も変わらずにいやというほど熱エネルギーを地表に降らせた。
すでに蒸し暑く感じるほどだった。
「いろいろ世話になった」
「いえ、そんなことはありません、曹長」
「今度熊谷に行ったときは寄らせてもらおう。何か手土産をもってな」
「は、期待してまっております」
「じゃ、お前らも気をつけてな」
「曹長もお気をつけて」
派手に黒煙をはくバンを見送る。
助手席の窓から瑞穂が大きく手を振った。
徐々に小さくなっていくほたるも負けないくらい手を振っていた。
ほたる達の姿が見えなくなってから、瑞穂は助手席のシートに身を沈めた。
「眠れなかったか?」
「ん……少し…」
加賀は横目で娘を見ながら言った。
目が少し赤く、はれている。
「大丈夫だよ、何でも…ない…」
そこまで行って、瑞穂の顔はくしゃ、とゆがむ。
窓の外に顔を向け、肩を震わせる。
加賀は何があったのかを悟ったが、男親の悲しさ、慰めてやる言葉が見つからない。
そうしたこともあって、注意が散漫になっていたのだろう。
気がつくのが、遅すぎた。
焦げた機械油の臭い。
転がる空薬莢。
そして、濃密な、金属臭。
バンは無数の弾痕を穿たれ、もはやその勤めを果たすことはできそうになかった。
ここまで撃たれて炎上しなかったのは奇跡といえる。
被弾して機関部が破壊されているHK33の側で、残骸に背中を預けて、ホールドオープンしたSIG・P220を握ったまま加賀は赤黒く染まった腹を押さえていた。
「…皆川……」
弱弱しく言って、それからは咳とともに血の塊を吐き出す。
「曹長……」
「救急箱とって来る!」
那珂はランドローバーへと駆け戻っていく。
ほたるは、立ちすくんでいた。
凄惨極まりないその情景から目を離すことができなかった。
「……先輩、車へ戻っていてください」
皆川が加賀の傷の具合を一瞥して言った。
「でも…」
「先輩、残念ですが、先輩にできることは何一つないです。戻っていてください」
強い口調で言われ、重い足を引きずるようにして、二人に背を向けた。
「ふん……相変わらず……気が…やさしいんだ……な…」
「事実ですからね…鎮痛剤、いりますか?」
事実、今ここに医者がいたとしても加賀は助からないだろう。
できるとすれば、モルヒネのような強い鎮痛剤を使って苦痛を和らげることぐらいだ。
もっとも、医師免許を持たない皆川はそれすらできない。
右足の太ももを大きくえぐられ、腕が隠していた腹の傷からは内臓がはみ出ていた。
何よりも、太腿の動脈からの出血量が半端ではなかった。
硝煙の匂いで消せないほどの金臭さが満ちていた。
これで意識があるのは脅威としか言いようがない。
「いらん…それよりも……」
血まみれの手で皆川の肩をつかみ、
「娘を…瑞穂が…連れていかれた…黒…アメ車…」
けん、けんとせきこむ。
「頼む…助けてやってくれ…くそ…頼む…瑞穂…みず…ほ…を…」
顔色が青から白へと変わっていく。ヒューヒューとのどが鳴る。
加賀は、死との和平を結ぼうとしていた。
「任せてください、曹長」
「すまん……」
大きくため息をついたように言うと、それきり反応がなくなった。
中途半端に見開かれた目を、指でそっと閉じさせた。
「皆川…」
振り返ると、救急セットを抱えた那珂がいた。
皆川はずっとつけたままのベルとキットからポンチョをはずした。
「すまない、遺体をポンチョにくるみたい。手伝ってくれないか?」
「あ、ああ…」
それきり一言も口をきかず、黙々と加賀の亡骸をポンチョにくるんだ。
皆川に言われ、車に戻ったほたるは、ひどい吐き気と戦っていた。
「ぅっ……ええ……」
背中を丸めて、膝をついた。
こみ上げる胃液が、のどを焼く。
原因は言うまでもなく、あの惨状である。
今まで、訓練中の事故で自分で足を撃ち抜いて地面を転げ回っている人間は見たことがあったが、実際に人間同士の戦闘での負傷者を見たことはなかった。
想像以上に恐ろしかった。
頭で感じる恐怖でなく、本能で感じる恐怖。
そして、それを目の前にして、ひどく冷静に行動している皆川。
あれが、瑞穂の言っていた、うまくなって、強くなって、そして怖くなった結果がなせる業なのだろうか?
コンバットブーツの固い足音が、すぐ近くで聞こえた。
顔を上げると、背を向けた皆川が車の中で何かを探している。
「……加賀さん……は…?」
未だ嫌な酸味に満ちている口を動かし、かすれた声で聞いた。
皆川の動きが止まる。
「手遅れでした」
短くそう答えた。
答えて、また何かを探し始めた。
「な…なんで…」
震える声で、それだけをつぶやく。
「腹部の深い裂傷と、右太ももの動脈からの大量の出血です」
淡々と答えた。
「違うわよっ!」
かちん、と来た。
ほたるの中で、ショックが急速に怒りへと変換される。
「何でそうして平気で居られるのっ!あんたの教官だったんでしょっ!?悲しくないの!?」
「悲しいですよ」
吐き気など、どこかに消えた。
「あんたっ……!」
それ以上、言葉が続かなかった。
振り返った皆川の顔を見て、続けようとした言葉が消し飛んだ。
「悲しくないわけはありませんよ。けれど、だからといって泣いてる暇は無いんです」
何の表情も映さない、能面のような顔。
それでいて、目だけはぎらぎらと光っている。
手にはスコップを持っていた。
「何…するの…?」
その眼光に射すくめられ、言葉がまた震え出す。
「曹長の遺体を埋めるんです。つれては行けませんが、野ざらしにもできません。……これが、今できる精一杯です」
道路脇の、植え込みだったところに、加賀の遺体を埋めた。
作業は皆川と、那珂がやった。
ほたるはその側で立ちすくんでいた。
盛り土に加賀が使っていたHK33を墓標代わりに立てた。
「曹長……あとで迎えに来ます。瑞穂ちゃんは、まかせてください」
墓標に向かって敬礼する。
ほたると那珂も脱帽する。
たったそれだけの、弔いとも言いがたい行為。
皆川は敬礼を解き、踵を返す。
「どうするの…これから…」
ほたるは墓標を見つめたまま。
「瑞穂ちゃんが曹長を襲った奴らに拉致されています。奴らを探します」
「どうやって?あたし達だけじゃ……」
「増援の到着を待てませんし、望めません」
「たぶん、だが」
ずっと黙っていた那珂が口を開いた。
「ここだと思う?」
「位置関係からすると、ここだと思うよ」
そこは、かつてはラブホテルだったのだろう。
高い塀で囲まれ、巧妙に目隠しが施されたそこは、小規模なアウトロー集団の溜まり場になっているようだった。
加賀が今際の際でつぶやいた、「黒いアメ車」の通り、あちこちへこんだ黒のダッジ・ラムが止まっている。その他にも車が1〜2台止まっていた。
「こんなとこで何やるつもりかな?この辺、昼でも奴らがうろうろしてるらしいし」
茂みの中で姿勢を低くしたまま、誰とはなしに問う。
「あるいは、それが目的かも」
「ぇ、どういうこと?」
「多分…AVかなんかの撮影じゃないかな。あとは変態野郎のお遊びとか…」
ボソッと、那珂が言った。
「AV?AVって…その…」
いい淀んでもごもごと口の中で言葉を転がしているほたるに、那珂は腕を組んでうんうんとうなずきながら言った。
「初々しくていいねえ、ほたるちゃん。おにーさんは好きだよ」
「冗談はよして。それより本当なの?本当に…そうなの…?」
「ああ、前に記事かいたんだ。結構高値で取引されてんだぜ?例の化け物と絡んでるのとかは、こっちじゃないととれねえし」
「な…なんで…そんな…」
あまり世事に興味を持たないほたるにとっては、それは十分すぎるほど衝撃だった。
「知るかよ。よーするにそういうのが好きな奴が多いんだろ。化け物どもに犯される女の子眺めんのが。…割り切っちゃえば案外いいのかもよ?頭の中真っ白になるくらい気持ちいいらしいからねえ…」
「どうして…そんなこと言うのよ…!」
刺すようなほたるの視線を受けて、那珂は口をつぐんだ。
視線を駐車場に戻した。
「武装した男が、3人か…。とりあえず応援を呼んでから…」
ミル表示の刻んである軍用双眼鏡を覗きながら、ほたるは言った。
「助けるのかい?」
那珂の問いにほたるは
「あたりまえよ!ねえ!」
ほたるは相棒に同意を求めようと振り返ったが、そこに皆川の姿はなかった。
「皆川…?」
「え…あれ…?いつの間に…」
那珂が頭を上げてきょろきょろあたりを見回す。
「動かないでよ!見つかるでしょ」
口では言いながら、自分も視線をめぐらして皆川を探す。
人一倍気配に敏感なほたるが、気づかないなどこれまでなかったことだ。
「這って車まで戻るわよ。あせらなくていいから、静かにね」
姿勢を低く保ったまま、ずりずりと後ろへ下がっていく。
「皆川…」
ほたるは視線の先のどこかにいるであろう相棒の名をつぶやく。
熊谷駐屯地には、静かな緊張が満ちていた。
前日から、どういうわけか対地攻撃隊二個小隊が普段のスクランブル待機に加えて待機し、その他にも救難作戦を行うために降下救難チームを載せたロシア製のKa62カサッカが待機している。
そして、駐留し始めて間も無い米軍部隊にも動きがあった。
消音を考慮して再設計されたメインローターが空を切る。
ブラックホールシステム付きのジェットエンジンのノイズは甲高い咆哮を上げている。
すぐに離陸できるよう待機しているペイブ・ホークの周りには専属の整備兵や地上要員のほかに、銃身下に全長の短いショットガンをマウントした特殊部隊用の短い突撃銃を携え、迷彩服の上に抗弾処理されていない軽量のタクティカルベストといった装備に身を固めた兵士たちがいた。
『搭乗!』
ローター音にかき消されないように声を張り上げるのは、シリング上級曹長。
てきぱきと、十分に訓練されたすばやい動きで、10人の兵士たちが乗り込んだ。
『中尉、離陸準備完了です』
プロテックの軽量ヘルメットをはずして機内用のヘッドセットをつけたシリングが、そう報告する。
『了解した。官制から許可が出次第、離陸してくれ』
日向もまた、他の兵士たちと同じ装備を付け、機内に乗り込む。
「純一さん」
背後から栞に呼び止められた。
振り返ると、そこには黒い野戦服に身を包み、長い髪を根元でまとめた栞がいた。
風になぶられ、髪が舞う。
『離陸待て!』
ヘッドセットにそう告げて、ヘリを降りた。
「栞、何のつもりだ!」
「わたしも行きます。……あれを探すにはわたしが必要ですし、あれの相手は、わたしがいないと危ないです」
栞は決然と言った。普段の、どこか儚げな雰囲気は微塵も感じられない。
「しかし…」
「大丈夫です、…『槍』さえ、使わなければ」
言い出したら聞かない。ひどく頑固で、一度決めたらてこでも動かない。
そういう娘なのだ。
『中尉、管制から許可、出ました。離陸できます!』
機長の准尉が力一杯の声を張り上げる。
「……絶対に『槍』は使うなよ、約束だ」
諦めて、日向は言った。
栞に手を貸してキャビンに入れると、
『准尉、離陸だ』
『スーパー61より管制、これより離陸する』
『管制よりスーパー61、無事なる帰還を祈る』
准尉はサイクリックレバーを引いて、ヘリを離陸させる。
管制の離陸許可から2分後、米特殊部隊の汎用ヘリは真夏の空へと舞い上がっていった。
驚いたことに、皆川は一度車に戻っていたらしい。
シートの上には皆川の小銃とともに、連絡があるまでここで待機してほしいという旨の書置きが残されていた。
落ち着き無いそぶりで、しきりにほたるは日本仕様のM16A2のサイトをいじくり回していた。
ほたるは今までのそう長くは無いハンターの仕事の中で、人間同士の戦闘の経験はいまだ無かった。
今まではたいてい、中小規模の営巣地へのヘリを使った空挺強襲だった。
紙のターゲットやローパーどもは撃ったことはあっても、相手は人間なのだということが根本のところで引っかかり、不安、というよりは恐れを感じさせていた。
そしてそれをほたるは原因の知れない苛立ちとして表していた。
「…まったく…皆川のやつ…」
「大丈夫じゃないの?あいつなら」
「あんた何を根拠にいってるの?」
とりあえず近場でつまらなそうにしている那珂にかみついた。
みみっちく根元まで吸ったたばこを灰皿代わりのあき缶に押しつけた。
「ほたるちゃん、あいつの経歴って知らないのかい?」
ひどくのんびりとした、投げやりとも取れる態度で那珂が口を開く。
「知ってるわよ、自衛隊にいたんでしょ。うちのチームにきたのは自衛隊の知り合いの紹介だもの」
いささか憮然としながらほたる。
「いーや。奴はただの自衛官じゃない。奴は、自衛隊特殊戦群の隊員だったんだよ」
「特殊戦……群…?」
人外の敵が現れたといっても、人と人の戦いが完全になくなったわけではない。
混乱に乗じたさまざまな騒乱に対応する為に強化増強された部署もいくつかある。そのひとつに対ゲリラ戦を専門とする対遊撃戦部隊がある。対テロリズムを主たる任務とする米陸軍デルタフォースや、さまざまな特殊作戦をこなす英連邦のSASなどに教えを受けて設立された。
那珂はシャツやズボンのあちこち探りながら、続ける。
「ああ。奴は候補者ナンバーワンの実力を持っていた。でも奴は…実戦配備直前でやめちまった。例の加賀さんとか、訓練に当たった教官たちは総出で引き止めたらしいんだが、理由は話さなかったそうだ。ただ、一身上の都合、それだけでね」
ポケットから出したたばこのパッケージを覗き込み、空のパッケージをくしゃりと握りつぶした。
「隠密接敵や近接射撃戦、ナイフ格闘…そのどれもが水準を越えていた。いわば殺しのプロさ」
「そんな…それじゃ…皆川は…」
「ああ、相手が武装してるっていってもたかが素人に毛が生えたぐらいの奴等、奴一人でかたをつけることだってできるだろうよ。ってか、俺達がくっついてったら足手まといにしかなんねーって」
「それ…どういうこと…?」
「……ほたるちゃん、人を撃てるかい?」
答えに窮して黙るほたるを見て、那珂はにやりと笑った。
「それができないなら、ほたるちゃんは何一つ、奴の役には立てないよ。奴がこれからやろうとしているのは、そういうことさ」
「それ…どういう…」
聞かずにはいられなかった。答えなど一つしかないと言うのに。
「全員を無力化する…早い話が皆殺しさ」
「…………」
冷酷な答えは予想と違わなかった。
いつの時代でも社会の規範から外れて生きるものはいる。
「放棄」によって見捨てられた東京圏ではあったが、それでも完全に無人になったわけではない。
東京圏に残った人々は小規模なコロニーを作り、生活している。
何らかの事情を抱えて残留を決めたものや、「政治的理由」の為に死守している場所や施設の守備隊。……そして、さまざまな非合法行為に手を染めた犯罪者たち。
「放棄」後の法整備によって東京圏内の犯罪行為に関してはほかより厳重に処罰されることとなっている。最も、遭遇したハンターとの戦闘によって射殺されることのほうが多いため、逮捕者はそうあまり多くはない。
「………ひっ…やあ……」
おそらく手ひどく脅されているのだろう。瑞穂はあちこち引き裂かれてもはや襤褸切れと化した作業着を抱えて必死に胸と秘所を隠して、ろくに抵抗することなく床にへたり込んだまま泣きじゃくるばかりだ。
瑞穂を見下ろしているがらの悪い男が言う。
「へっ…そうしておとなしくしてればいいんだよ。…なあに、すぐに気持ちよくなるさ。せいぜい楽しみな!」
「いやああああああっ!」
ついに緊張の糸が切れた。瑞穂は泣き叫びながら逃れようと手足をばたつかせて抵抗しようとしたが、男は何の苦も無く組み伏せた。
と同時にまるで手品のように鮮やかな手際で瑞穂を後ろ手に縛り上げてしまった。
「暴れても痛いだけだぜ、お嬢ちゃん」
べろリ、と瑞穂の頬をなめ上げる。
あまりのおぞましさに鳥肌が立った。
「やだ……やあ……」
身体を這い回る男の手は、嫌悪感しかもたらさない。
年の割に豊かな双丘をこね回される感触に、大粒の涙をこぼす。
「や……助けて……父さん……ほたる姉……皆川…さぁん…」
「何だ、彼氏でもいたんか、最近のガキはませてるねえ」
背後の男が言う。
「おいおい、いつの時代の人間だよ」
「ははは、違いない」
おかしそうに笑う二人。
ひとしきり笑い転げた後、男は、
「なあ、もうそいつとはもうやったのか?」
もう瑞穂には答えるだけの気力は無かった。
その一言一言が、瑞穂を傷つけていく。
惨めさで涙がこぼれた。
「ま、どっちだってかまやしないけどな」
「やうっ…」
再び始まった愛撫に思わず声が漏れる。
瑞穂自身の意思に関係無く、今だ未熟なその体に確実に快楽を流し込まれていく。
必死に耐えようと身を固くしていると、男は、
「お前、処女だろ」
瑞穂ははっとして、すぐに顔をそむけて唇を噛んだ。
それを肯定ととったのか、
「初めては愛する彼にってか?泣かせるねえ」
瑞穂を仰向けに突き倒すと、男は自分のものを取り出す。
すでに十分過ぎるほどいきり立ったそれを、露わになった瑞穂の秘所にあてがった。
「や…やめ…やだあ…」
「残念ながら、現実はそう甘くねえんだよなあ……」
いやらしい笑みをはりつけたカメラマンが移動して、ファインダーの中に瑞穂の秘所を捉える。
「た〜だ痛いだけじゃあんまりだからな、こりゃあサービスだ」
男は傍らから小さなボトルを取り出して、その中に入っている粘性の高そうな液体を瑞穂の秘所に塗りこんでいく。
「………っ」
ぬめりを帯びたその感触に、瑞穂は声にならない悲鳴を上げる。
ころあいと見たか、男は高らかに宣言する。
「じゃ、そろそろ初めてをいただくとするかい」
そう宣言して、腰を動かし、瑞穂の胎内へと侵入を開始する。
その動きは必要以上にゆっくりとしたものだったが、処女の瑞穂を気遣うようなものではあり得なかった。
むしろ、瑞穂の恐怖と苦痛をあおるものだった。
「いっ……や……ああ……」
今となっては、瑞穂には羞恥よりも苦痛のほうが大きいようだ。
瑞穂のそこは男を受け入れるには未だに幼く、対して男のものはそこに侵入させるには大きすぎた。
「いたい!いたいぃぃ!」
めりめりと音を立てて、体がまっぷたつに裂かれていくようだ。
瑞穂はもう悲鳴を堪えることもできなくなっていた。
生い茂った木々の間を、音もなく駆け抜ける。
皆川はほたるたちの元を離れて、彼らに近づいていた。
林の中の、一抱えほどの木の影に飛び込むと、様子をうかがう。
いまだ十分距離があるために気づかれていない。相変わらずぼんやりと紫煙をくゆらせている。
腰の後ろのバックパックから、大き目のバンダナでくるんだ包みを取り出す。
結び目に手をかけて、一瞬手が止まる。
(香澄…)
一瞬あの笑顔が脳裏をよぎった。
二度と見ることのできない笑顔。
包みを解くと、ガバメントの弾倉がいくつかと銃身、それに筒が一本。
ホルスターからガバメントのカスタムであるTRPオペレーターを抜いて、弾倉を抜いた。
スライドを引いて薬室が空なのを確認して、スライドストップを抜く。
リコイルスプリングをはずし、銃身をはずす。
包みの中から出した銃身を代わりに組み込み、もう一度銃をくみ上げる。
スライドから2センチほど飛び出している延長銃身の先に刻んであるねじに合わせて、筒をねじ込んでいく。
弾倉を包みから出して、弾頭が緑色に塗られているのを確認して装填する。
マグパウチの弾倉もすべて入れ替えた。
当座必要にない装備を全部はずして身軽になると、バンダナを額に巻いた。
オペレーターのスライドを引いて、初弾装填。
「状況開始」
再び走り出す。
彼の立てる足音は、注意していても聞き取れないほど小さく、それでいてすばやかった。
迷いはない。
香澄のような娘を増やさないために。
自分はこの為にハンターになったのだから。
ホテルの一室で、陵辱は続いていた。
「…助け…いうっ…うぁ…」
秘所を出入りするものがよく見えるように背後から抱きかかえられるようにして少女は犯されていた。
そしてそれを真正面からビデオカメラが捕らえている。
男は少女の顎をつかんでカメラのほうに向かせると、
「ほうら、瑞穂ちゃん。瑞穂ちゃんのやらしいとこ、撮られてるよ…」
「い…いやぁ…やめてぇ…!」
ただ無表情に少女の痴態を捉えつづけるレンズが目に入ると、瑞穂の声が悲痛なものになった。
「いいぜぇ、もっといい声で鳴いてくれよ!」
男の突き上げが早くなり、限界が近いことを示していた。
「おいおい、あまり激しくして壊しちまうんじゃねえぞ」
外野の男が言った。
「へっ、こんぐらいのほうがいいのさ!それに初めから薬漬けにしたらつまんねえだろう?…っく」
「いやああああああああっ!」
男の肉棒が爆ぜ、膣内を暑いほとばしりが満たしていく。
体内に注入される灼熱の塊が、汚されたという現実を認識させていた。
「ぁ、ぁ、ぁ………」
瑞穂は空ろな瞳を虚空に向けて、力なくあえいだ。
「さあて、第二ラウンドいこうか。おい、おまえも来いよ」
言って、男は瑞穂の足を持ち上げて、体を回転させて自分のほうに向かせた。瑞穂は抵抗することも無く、なすがままだ。
肉棒をくわえ込んだままの少女の秘所が卑猥な水音を立てた。
「何でぇ、また俺後ろかよ」
「へへへ、好きなんだろ、おまえはよ。それよりも、あれつかわねえと、本当にコワれちまうぜ」
そんな会話が交わされているとは知らずに、瑞穂は力がぬけてぐったりしたまま荒い呼吸をするだけだ。
もう一人の男が慣れた様子でケースから注射器を取り出すと、アルコールを浸した脱脂綿で瑞穂の二の腕を消毒した。
「ひ…ぁ…?」
アルコールの冷たさに声をあげた。それが何であるか、何を意味するのかを考える暇も無く、注射針は静脈目指してもぐりこむ。
「痛っ……」
鋭い痛みに一瞬だけ我に返った。
「ごめんなぁ、瑞穂ちゃん。でもすぐに、ね」
「え…?え…あ…ああ……や…熱い、熱いよお…」
自らの体の変調に戸惑った声をあげる。
「さ、第二ラウンドだ」
もはやその言葉は、瑞穂の耳には届いていなかった。
見張りは玄関の壁に背を預けていた。
いかにも下っ端という雰囲気の男だった。
鉄板を張りあわせて作ったような外観の短機関銃、M3グリースガンを肩からかけている。
いきなり口を抑えられて、同時に腕を極めて動きを封じられた。
と、同時に伸び放題育ち放題となった植え込みに引きずり込まれる。
「!」
「動くな。声をあげたり動いたら殺す」
見張りの男は見を硬くした。
視界の隅には反射を抑えるフラット処理されたナイフのブレードが見えていた。
「質問に答えろ。肯定ならうなずけ」
こくん。
「よし…ここには貴様の仲間は何人いる?八人か?」
ふるふる。
「九人?」
こくん。
「最後の質問だ。おまえらがレイプしてる女の子は一人だけか?ほかにもいるのか?」
ふるふる。
「一人か?」
激しくうなずく。
「そうか」
そこから先は一瞬の出来事だった。
あごをつかんで上を向かせて声を封じ、直線で構成された肉厚なタントーブレードのマントラック・コンバットナイフで喉と頚動脈を一撃。刺す、というより突く動き。
突き刺し、こじる。
何のためらいもない、まるでパン籠のパンでもとるような、流れるような動作だった。
切り裂かれた喉に頚動脈から噴出す血液が流れ込み、ごぼごぼと嫌な音を立てた。
男は何がおきたのかもわからぬうちに絶命する。
男の体をゆっくりと横たえて、服で血まみれのマントラックをぬぐって、サスペンダーに逆向きにつけた鞘に戻す。
これで一人。
男の言うことが本当で、かつ偵察によればあと8人いるはずだ。
植え込みを出て油断無く銃を構えたまま、足音を殺してホテルへと侵入する。
「おい、戻ったぞ」
玄関のホールに侵入すると同時に、ソウドオフしたイサカのショットガンを携えた男が奥から現れた。舌打ちしながらも一秒経たぬうちに頭部を狙ってトリガーを絞った。押し殺された銃声は、スライドの作動音にかき消された。
弾頭を重くして亜音速で飛ぶように作られた45口径サブソニック弾は狙いたがわず男の眉間へと吸い込まれていった。
ただでさえ弾速が遅い45ACPは男の頭の中で停弾したらしく、そのまま後ろへ倒した、そこまではよかったのだが、イサカが床に落ちた瞬間に暴発した。
どうやら安全装置がかかっていない上に薬室に装填したままであったらしい。
鹿撃ち用のOOバックが壁に九つの穴を穿つ。と同時に轟音が響いた。
「ちっ」
素人の不用心さに舌打ちすると、一気にかけて、廊下を渡った。
かつてのフロントの名残のカウンターを飛び越えて裏があわに転がり込む。
程なくいくつかの足音が近づいてきた。
「どうした…うお!」
「誰が…」
「わからねえ、探せ!遠くにはいってないはずだ!」
男が二人。仲間の死体に泡をくったようす。
それぞれ武装していた。
混乱時に遺棄された自衛隊の装備らしいものをでたらめに身につけ、手には短機関銃よりも強力な突撃銃を携えている。
少しは考えて人員を配置している、と皆川は思った。
だがそれは素人の浅はかさ、明確に指揮をする人間が不在ではせっかくの予備兵力も意味は無い。
確認もせずに玄関ホールへ飛び込んで、床に転がる仲間の死体の前で立ちすくんでいる。
音も無く立ちあがり、二発づつそれぞれ右肩と頭を狙って撃ちこむ。
床の死体の周りに、新たに二人分の死体が増えた。
カウンターから用心深くあたりをうかがい、ほかに気配が無いのを確認すると、死体に歩み寄る。
武器を手の届かないとこまで蹴り飛ばし、わき腹に蹴りを入れ、完全に死んでいるのを確認した。
二人に息は無かったが、後から来た内の一人は、まだ息があった。すでに意識は無く、出血の度合いから見て、到底助かりはしないだろうが。それでも僅かばかりに残った生にしがみついている。
弱弱しくうめいた男を見て、運の良い奴だ、と皆川は思った。
二人の死体と一人の半死人の装備を改めると、実弾の詰まった幾本かの弾倉とともに手榴弾が出てきた。
無表情に安全ピンを毟り取り、注意深く安全レバーを押さえたままうめいている男の体の下にもぐりこませた。
不用意に体、もしくは死体を動かせば安全レバーが外れて手榴弾が爆発する。
化石化したオーソドックスなトラップだが、正規の訓練を受けていない相手には有効だろう。 床に転がっている突撃銃を拾い上げ、改める。
教練でさんざん扱った豊和の89式自動小銃。空挺隊や車載用にストックが折りたためるタイプのものだった。
チャージングハンドルを引き、薬室に装填。
セイフティをかけて、スリングで背負う。
火力は必要になるかもしれなかったが、狭い室内で自動小銃を振り回すような愚は犯さない。
全長の長い自動小銃では動きや射撃姿勢が制約される。まして救出しようとする対象がいるのに、貫通力のある5.56ミリは使えない。
人体はもちろんこの程度の安普請では、簡単に貫通してしまうからだ。
「じゃ、いただきますかねえ……」
カメラを片手に、上気して玉の汗を浮かべる瑞穂の背中をすっとなぜた。
「ひゃうぅぅ…」
それだけのことで瑞穂は身を震わせて、声をあげた。
「お〜効いてる効いてる」
「こっちもすげえぞ、きゅうきゅう締め付けてくる」
とろんとした目をして荒い息をつく瑞穂を抱えたまま、男が言った。 そのまま後ろへ体を倒し、瑞穂を上に乗せて仰向けになった。
あまり肉のついていない瑞穂の尻を割り広げ、愛液を流しながら男のものをくわえ込んでいる秘所の上の小さな窄まりをさらけ出す。
「んああ……ぅうあ…」
瑞穂はもうまともに言葉の意味を成さない声をあげる。
「おい」
下になった男がさっきのボトルを投げてよこした。
受け取ると、カメラマンは器用に片手でふたを開け、中身を瑞穂の後ろの穴の回りに塗り付け、中にも塗りこんでいく。
「ひ…ぁ…な…」
本来ならば経験することの無い異様な感覚に、瑞穂は声をあげた。
「力抜いてろよ、……って、もうへろへろか」
瑞穂は逃れようとしたが、さっきの注射の所為か力がまるで入らない。
カメラマンが瑞穂の尻を割り広げたそのとき、階下から銃声が聞こえた。
「なんだ?」
二人の動きが止まる。
「フロント、どうした?」
瑞穂を抱えたままベッドサイドのトランシーバーに問い掛ける。
「フロント、答えろ、笹沼!」
答えは返らず、ただただノイズが聞こえるだけだった。
サイドのスライドドアを開け放ったまま飛んでいるペイブ・ホークの機内は、ローターの風を切る音に満ちていた。
その所為でまともに会話することも困難だ。
しかもキャビンには装備をつけて着膨れした兵士が11人も乗っている。
あまり快適とは言えない状態だ。
『あと10分で入間上空です』
副操縦士が振り返って言う。
日向はそれに手で答えて、もう何度目かになる質問をする。
「栞…何か感じるか?」
隣に座った栞は、ふるふるとか振りを振る。
『レーダースパイク!!』
いやがおうにも危機感をあおるような電子音が鳴り響く。
『どうした!』
『レーダー照射を受けました!』
『前方を飛行中のペイブ・ホークに告ぐ。こちらは陸上自衛隊、富士対戦車ヘリ教導団。貴機の所属と飛行目的を明らかにせよ!』
常に開かれている公用帯の電波でそう告げてくる。
慌ててサイドドアから身を乗り出して後ろを見ると、いつのまにか無骨な攻撃ヘリが後ろについていた。
『ロングボウ・アパッチか…!』
シリングがつぶやく。
見るものを威圧するような角張った機体。
機体の左右に突き出た短いスタブウイングにあふれんばかりの対地兵装を抱え、さらに操縦席下には対地対空両用の30ミリチェーンガン。そしてそれらの威力を発揮させる、恐るべき悪知恵を備えた電子兵装。
マクダネルダグラス/ヒューズ社製のAH64に、ミリ波レーダーなどの追加装備を施した発展型攻撃ヘリである。
対地攻撃用の装備に加え、自衛用に短距離対空ミサイルも装備している。
もっとも、ミサイルなど無くとも今飛行しているような低空での空戦能力は戦闘機のそれを凌駕する。
改良されたローター部により、固定翼戦闘機の空戦機動を行うことができる上に、固定武装の30ミリチェーンガンは可動式の砲架を持っているために広い射界を実現している。
ペイブ・ホークの機動性能では振り切るのは不可能だし、施された武装でロングボウ・アパッチを撃墜するのは小石を投げて石垣を崩そうとするようなものだ。
『……応答しろ、准尉』
日向は
『こちらは合衆国空軍160thSOAR所属、コールサイン「スーパー61」。当機は現在作戦中である。追尾を中止されたし』
しばしの沈黙。
『富士5よりスーパー61へ。これより先は現在飛行禁止区域に指定されている。直ちに進路を270へ変針、当空域を退去せよ』
『スーパー61より富士5。こちらは作戦中である、直ちに追尾を中止せよ』
『これより先は現在飛行禁止空域に指定されている。指示に従い、変針せよ。命令に従わない場合、攻撃する』
交渉の余地は無い、とばかりにドドン、という音がローター音に混じって聞こえ、進行方向に向かって曳光弾が飛んでいく。
『畜生、奴ら本気だ!中尉!』
日向は唇を噛んだ。
ちらりと機内を見回す。
『…進路を方位270へ、この空域を離脱する』
『……了解。富士5へ、当機はこの空域を離脱する』
『富士5了解、交信終了』
機内に重苦しい空気が満ちる。
『准尉、出直しだ』
『了解、61、RTB』
何かが倒れる音がしてから、また静かになった。
見張りの二人と、様子を見に行った二人からは、何の連絡も無い。
なにも聞こえない静寂が、かえって恐怖をあおる。
よそのグループの襲撃か?
否。それならばこんな静かにはやらないはずだし、そんな技術を身につけているとは思えない。
あるとすれば……。
その事実に思い当たり、顔色を変えた。
「お、おい、見てこいよ」
待機組、といえば聞こえは良いが実のところこの部屋でビールを飲んでいたチンピラ風の二人は狼狽した様子を見せる。
「まさか…さっきの…」
「そんなわけあるか!あの怪我だ、とっくに冷たくなってる!」
「じゃあ、仲間とか…」
「おい、どうすりゃ良いんだよ!」
言い合っていた二人の片割れが、その部屋に居るもう一人の男に向き直る。
「……あんたらはお楽しみの二人に知らせてくれ。僕は……た、退路を確保するから」
痩せ型の男が眼鏡を指で押し上げながら言った。
「てめえ、まさか一人で逃げるつもりじゃないだろうな!」
いきなりチンピラ風は眼鏡の胸倉をつかむ。
「ま、待ってくれ、話を聞いてくれ」
眼鏡の男は慌てて、
「進入してきた奴はなるべく音を立てないようにしてるようだ。さっきのもみんな僕達の銃の音だ。つまり…」
「御託はいいから早くしろよ!」
「つ、つまり、相手はこっちの人数より少ない。一人か、せいぜい二人……多分。だから、複数の人間で固まっていれば大丈夫だ。それにここに入ってくる前に、車に仕掛けがしてあるはず。それを直せるのは僕と下に居た笹沼君だけだからね」
しぶしぶながら納得したのか、チンピラ二人は、
「判った、行けよ。けどもし逃げたら……判ってんだろうな?」
とすごむ。
「わ、判ってるよ」 出て行く眼鏡の男を見送り、自分たちもまた武器を手に部屋を出る。
「行くぞ」
それぞれ銃を構え直して、人気の無い廊下を進んでいく。
自分たちのブーツの足音がやけに大きく感じた。
「なあ、笹沼達、やられちまったのかな」
「知るかよ。でも、ヤバそうな雰囲気だよな」
「……奴にくっついて逃げたほうが良いんじゃねえか?」 「はあ?なに言ってんだ、垣田。そんな事したらあいつらに殺されるぜ」
「でもよぉ、なんか嫌な感じがするんだ、俺」
「同感だな」
あらぬほうから第三の声がした。
二人が振り返ったときには、垣田の隣の男は喉を切られていた。
刃が深く入って頚動脈が切断されたのだろう、彼は切られた喉を押さえながら、指の間から盛大に鮮血を吹き出していた。 喉を押さえているのと逆の腕は助けを求めるように空をつかむ。
「あ…あ……」
恐怖のあまり声もでない。
ナイフのブレードの背がそのあごを持ちあげる。
「動くな、抵抗したら殺す」
耳元に恐ろしく落ち着いた、無感情な声でささやかれる。
気がついたときには、すでに背後から動きを封じられていた。
こつ、こつ。
ドアがノックされる。
「だ、だれだ?」
返事はない。
こつこつ。
再びノック。
「答えないと、撃つぞ!」
返事は無く、代わりに何か重いものがドアにあたる音がした。
「わ、わああああ!」
二人の緊張が切れた。
ドアに向かって闇雲にトリガーを絞る。 耳を聾するほどの銃声が部屋に充満した。
弾倉の中の弾丸を全て撃ち尽くすまで止まらなかった。
穴だらけになったドアと床の隙間から、どろどろとした赤い液体が流れ、硝煙の臭いに混じって金臭い臭いが漂ってくる。
「へ、へへ…」
「は、ははは」
どちらとも無く笑いがこぼれた。
「やった、やったぞ」
引きつった笑い声をあげながら、ドアに近づき、開けた。
「!」
足元に転がる、ぼろぼろの躯の、半分しか残っていない、かろうじて判別できる顔を見て声をなくす。
「どうした」
「垣田だ…」
「あ?」
「垣田だよこれ、垣田を撃っちまった!」
半ばパニックになり、わめき散らす。
「仲間を撃ったってのか…畜生なんてこった…」
「がっ…?」
死体を確かめに行ったカメラマンが声をあげた。
カメラマンの頭の左半分が炸裂し、脳漿が床に飛び散る。
「お…おい…」
何かが飛んできた。床に当たって、重く、硬い音がした。
こぶし大ほどの、金属の塊。
「うわあ!」
手榴弾だ、と同時に何を思ったかドアに向かって走り出す。
カメラマンの死体を飛び越し、床に広がる垣田と呼ばれた男の血で足を滑らしながらも、廊下を駆け抜ける。階段まで、後少し。
逃げられる、と思った瞬間、左の足が蹴飛ばされたように跳ね、埃の積もった廊下に転げた。
立ちあがろうとして、左の太ももに激痛を感じた。
見れば、薄汚れたズボンが赤黒く濡れている。
「ひ…!」
撃たれた、と自覚したとたん、耐えがたい痛みが襲ってくる。
廊下を振り返るが、誰も居ない。……少なくとも、床に転がっている二人を除けば。 「うあ……ああ…」
固形化してまとわりついてくるかのような恐怖に、言葉にならない悲鳴を上げながら、必死に体を引きずる。
その頃、皆川は二人の死体を踏み越えて、部屋に入った。
床に転がるピンとレバーのついた手榴弾を拾って、ズボンのポケットに入れた。
乱れたベッドに近づき、気を失っている瑞穂を見た。
後ろ手に縛られたまま、身に着けていた衣服はぼろきれと化していた。
レッグホルスターのベルトに指してあった、バックのライナーロックの刃を起こして、瑞穂を拘束しているロープを切った。
「……ぁ…皆川…さ…」
瑞穂がびくり、と体を震わせ、目をあける。
「……すまない、遅くなった」 「皆川…さぁん…」
瑞穂が皆川へ手を伸ばし、絡める。
「皆川さぁん…………」
「な…?」
瑞穂は皆川の予想しない行動に出た。
「皆川さぁん……好きぃ……だい…てぇ…」
潤んだ瞳で見上げてくる瑞穂。
尋常ではないその雰囲気。
「どうした、しっかりしろ、瑞穂ちゃん!」
「皆川さぁん……ボクのこと…嫌い…?」
目尻に浮かぶ涙の玉は、繰り返された陵辱のための悲しみか。それとも気持ちを拒まれる悲しみか。
絡められた瑞穂の腕に、小さな注射の跡があるのに気づいた。
(……薬か?…くそっ)
「瑞穂ちゃん、ごめん!」
当て身を食らわせて気絶させる。
くたりともたれかかる瑞穂を、そっとベッドに横たえた。
自身の汗と愛液と、そしてあの男たちの精液で汚されてしまった華奢な体を、きれいに拭ってやり、シーツを裸身に巻きつけて体を起こす。
こぽり、と小さな音とともに、露わにされた瑞穂の秘所がピンク色の粘液を吐き出した。
「……畜生っ…」
それも拭ってやり、肩に担ぎ上げた。
「銃声?」
射速の早い、短機関銃のものらしい銃声にほたるが顔をあげた。
「まさか…皆川!」
蹴り開けるような勢いでドアを開けて、かけ出す。
「おい、おいちょっとまてよ!」
那珂も後を追った。
(皆川…皆川…)
出発前夜からのわだかまりなど消えていた。
薮を蹴散らすように漕いでいく。
『…先輩……』 開きっぱなしの無線機から、声が聞こえる。
「皆川!?あんた無事なの!?、ねえ!」
喉に巻きつけるようにしてつけているスロートマイクに向かって叫ぶが、返事はない。
『ホテルの103号室に瑞穂ちゃんがいます。敷地内の脅威は排除、制圧下にあります。彼女を車に運んでください』
交信というよりは一方的な送信のようだった。
『……自分は、これより残敵掃討に移ります。交信終了』
追跡は容易であった。
何せ、被弾したあとろくな止血も成しに逃げていたから。
転々と続く血痕が逃がした奴のところまで導いてくれる。
逃がした?
果たしてそれが正しいのか。
逃げさせたのではないだろうか。
僅かでも逃亡のチャンスを作り、希望と、それに倍する恐怖と苦痛と絶望を与えるために。
恩師を殺し、その娘を陵辱した相手とはいえ、それほどまでに自分は残虐になれるのか。
答えにたどり着くよりも早く、足を引きずり逃げ惑うあの男を見つける。
思考などするまもなく、トリガーを絞る。
今度は右足を撃ちぬく。
男は地面に転がり、悲鳴を上げた。
ゆっくりと、踏みしめるように近づいていく。
「待て、待ってくれ!あの娘を犯しちまったのは謝る、だから撃たないでくれ、助けてくれ!」
必死に懇願する男の額に狙いをつけたまま、皆川は黙っている。
「頼む!金だったらあるんだ、いくらでも!これでも金持ちなんだぜ?!」
「……あんなことをして稼いだ金か」
「金は金だろ?なあ…」
皆川は無言のまま、銃を下ろした。
男の目に希望が浮かぶ。
「あ、ありがてぇ…恩に着るぜ…!」
「……」
皆川は、左手を額に当てる。
どうしようもない脱力感に襲われていた。
死に物狂いで耐え抜いた訓練は難だったのか。
こんなもののために、瑞穂はあんな目にあったのか。
こんな男達のせいで、香澄は死んだのか。
こんな取るに足らない、くだらない種類の人間の為に。
もう獰猛に体を動かしていた怒りも、やり場の無い悲しみも消えうせ、情けなくなってきた。
豹変した皆川に、男は好機を見た。
袖に隠していた細身のナイフを抜き、皆川の内腿を狙った。
腕から先が勝手に反応した。
萎えていた闘志が再び起きる。
男の汚さにも似た生への執着に感謝すらした。
下げていた銃を一瞬で持ち上げ、トリガーを絞った。
45ACPが親指の付け根から入り、そのまま腕の中にもぐりこんでとまる。
「ぎゃぁああああああぁっ!」
激痛に腕を押さえてのた打ち回る男に、さらに弾丸を撃ちこんだ。
「た、助け…」
背骨にでも当たったのか、すでに動かない下半身を引きずり、張って逃げようとしている男の背中を踏みつけて、動きを止める。
「あの娘も、そういったんじゃないのか」
「ひ…」
振り返り、恐怖に引きつった顔に向け、トリガーを二回絞る。
TRPオペレーターのスライドが後退したままとまった。
空になったマガジンを抜いて、パウチから新しいマガジンを抜いて、装填。
スライドストップをはずしてスライドを戻したのと、ブッシュから那珂が出てきたのは同時だった。
「皆川…!」
「那珂か……ホテルの一階に、瑞穂ちゃんがいる。援護するから車まで運んでくれ」
「何故だ…あんた……そんな…」
那珂は、ひどいショックを受けた。 「……これが、理由だ」
今まで聞いたことのない、まるで疲れた中年のような声だった。
那珂に背を向ける。
「俺は、こういう奴らを殺すために、ハンターになった」
ゆっくりと、自分自身一言一言確かめるように皆川は言った。
「うそ…」
皆川が固まった。
「うそ……でしょ…?」
那珂に遅れて、ほたるが現れていた。
目の前に広がる惨状よりも、皆川のその言葉にショックを受けているようだ。
「ねえ、うそだと言ってよ!」
ほたるの頬を、ぽろぽろと涙が流れ落ちていく。
逃げなければ。
奴は化け物か。
女を攫ってヤることしか考えていない奴等に、曲がりなりにも警戒や戦闘の仕方を教えたのは自分だ。
けれど、それはあくまで素人相手のやり方だ。
あの娘を攫った時だって、死ぬ思いをしたではないか。
数で押し切った形になったとはいえ、運が良かったとしかいえない状況だった。
あれは、プロの仕事だ。
高度な訓練を受けた、本職の。
自分のような遊びでやっていた奴とは違う。
あの老いぼれも、今度の奴も。
彼らのやり方は最初から命のやり取りを前提としたものだ。
恐らく駐車場の車も使えない。
奴らとともに居たのはそのほうが生き残れると判断したからだ。
何の義理も無い。
こんなときのために隠してある車の元へ急いだ。
森の中を走っていると、いきなり胴に何かが巻きついて、そのまま宙に浮いた。
次の瞬間には、背中側から何かがもぐりこんでくる感触と、言葉では形容しがたい苦痛がもたらされた。
「ぎぃやああああああああっ!」
男の腹から赤い蔓が伸びていた。
両手でそれをつかみ、絶叫している。 男の体が空中に持ち上げられ、放り投げられた。
大きな穴のあいた胴体が、下半身の重さに耐え切れず、地面につく前に千切れ飛んだ。
ぐしゃ、と嫌な音を立てて男の体が転がる。
茂みから、蔓の本体がゆっくりを姿をあらわした。
頭、二本の手足と、人の形をしている。
しかし、その体表は湿り気を帯びた剥き出しの肉だった。
右の手のひらから延びてい触手が、音を立てて手の中に引き込まれた。
目も口もない頭が、あたりを見回すように動く。
程なく『それ』は、捜し求めるものを見つけたのか、ずるり、ずるりと湿った音を立てて歩き出す。
今しがた、男が走ってきた方へ。
続く
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