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ファイアフライ その五「SNAFU」
カノンフォーゲル/文





 長い間動かしていなかった木箱をどかし、その下にある鉄製の扉に手をかける。

 案の定、固く閉ざされた扉は頑なに扉を閉じたまま開こうとはしない。

 良いのか?本当に開けて良いのか?

 そう扉は言っているようだ。

 良いわけは無い。こんな扉は閉じたままで居たほうが良いのだ。

 だが、開けねばならない。

 状況は限りなく悪いほうへと向かっており、それに備えるにはこの扉の奥にあるものが必要なのだ。

 意を決し、もう一度、今度は全力をかけて取っ手を引く。

 金属のこすれ合う耳障りな音を立てて、扉は開く。

 切り取られた闇夜のようにぽっかりと口をあけた、二畳ほどの空間。

 その中には、いくつもの米軍規格の弾薬箱と、大きなダッフルバックが三つ。

 ダッフルバックを引きずり上げ、積もった埃を払うと、ファスナーを開ける。

 中に収納されている金属や特殊樹脂でできた部品を機械的に組み上げて行く。

 程無くそれらは本来の姿へと戻った。

 SAWと呼ばれるベルギー製の分隊支援用の軽機関銃。

 重機関銃と同じ大口径の弾薬を使う、アメリカ製のアンチ・マテリアル・ライフル。

 半自動式ながら、突撃銃のそれより強力な弾薬を使う、やはりアメリカ製の狙撃銃。

 ほかにも剣呑極まりない物達が眠りから覚めていく。

 どれも、特殊害獣対策法で所持を認められた物ではない。

 全てを組み上げ、作動に問題が無いかをチェックし終えると、また分解して丁寧に油をさして、再び組み上げる。

 弾薬箱から5.56ミリNATO弾を取り出し、M16用の弾倉につめる。

 弾芯にタングステンを用いた、貫通力の高いSS109規格のグリーンチップ。

 カチン、カチンと音が響いた。

 「純一さん……」

 背後から声がする。

 「栞……」

 装填を終えた弾倉を置いて、振り返る。

 「大丈夫か?休んでて良いんだぞ」

 力無くふるふるとかぶりを振る。

 顔色は相変わらず冴えず、泣き腫らした瞼が痛々しい。

 「……しばらく、笹本さんとこにいくか?」

 栞はゆっくりと首を横に振る。

 「……わたしは…純一さんの側に居ます」

 「そうか」

 栞は日向の隣に腰を下ろし、日向の肩に頭を預けた。

 それきり、お互い口を開こうとはしなかった。

 戦いが、もう一度始まる。



 

 ファイアフライその5 「SNAFU♯1 偵察任務」



 

 ほかの二人が別任務で居なくなってからしばらく、ほたると皆川は駐屯地内での訓練に明け暮れていた。

 何の任務なのかはクライアントへの守秘義務とやらで聞いていないが、まあそれなりにやっているのであろう。

 仕事が無いのは困るが、今は食うに困るほどではないし、ほたるとしても、出動が無いのは別に気にすることではない。

 うっとうしい那珂も、ここ幾日かは姿を見せない。

 気分が良いことこの上ない。

 体がなまらない程度にのほほんと過ごしていたが、ある朝召集がかかった。

 「と、言うわけで今回は偵察任務です」

 ウルフパックの実質的指揮官であり、事務担当その他もろもろの役を追っているところの日成瀬美弥が机に広げられた地図を前に言った。

 反対側には皆川とほたるが立っている。

 「コースは2のC、全行程200キロの中距離偵察。まああなたたちはこういうは初めてだから、ほんとはあの二人もつけてあげたいんだけど、今居ないから。まあ、無いとは思うけどなんかに出会ったら実力でこれを排除すればいいだけ。まあ、だらけない程度に気を入れていってらっしゃい。気楽なドライブよ」

 この駐屯地は確かに最前線に位置しているが、だからといって駐屯地の先がすぐ戦闘区域というわけではない。確かにまれに迷い込んでくるようにローパーが現れたりもするが、それも月に一度か二度で、数としても一匹か二匹ぐらいと少ない。一般的にヒドラに似た増え方をするからほうっておくわけにも行かず、一匹でも非戦闘員や民間人には十分脅威なのだが、大抵はことも無く誰かが撃退しに行く。

 それで事は終わる。それより大きな群れで接近してこようとすると先に配置されている前進攻性拠点で撃退されてしまうからだ。

 もっとも、危険はローパーだけではないのだから安全とは言いがたい。

 こんこん、とドアがノックされた。

 ドアを開けて入ってきたのは、あの自称ジャーナリスト、那珂だった。

 「こちらは那珂さん。この作戦に同行取材をすることになります」

 美弥が事務的に紹介する。

 「那珂忠志です。お邪魔とは思いますけれど、どうかよろしくお願いします」

 露骨にいやそうな顔のほたるをちらりと見る。

 「ちょっと、哨戒って言っても観光じゃないのよ?素人連れてくの?」

 不機嫌な声でほたるは言った。

 「作戦中における負傷、死亡は自らの責任であり、同行する部隊等には一切問わない…ってね。俺も同行取材は初めてじゃないよ」

 軽口をたたく那珂に、皆川も嫌な顔をした。

 「ま、道中楽しくやろうや」

 言動に引けを取らない軽薄な笑顔を作った。

 



 「しっつこいわねえ、あいつ」

 オフィスの入っている棟の前の芝生を並んで歩きながら、ほたるは不満たらたらであった。

 どうにもほたるは那珂が気に入らないらしい。

 もっとも、それは皆川も同じだったが。

 「まあ、仕方ないですよ」

 「だってやなんだもの」

 「俺だってやですよ」

 二人で立ち止まり、顔を見合わせた。

 「ぷ…あはははは」

 「ははははは」

 どちらとも無く笑い出す。

 正直、ほたるはうれしかった。

 数日前の橋の一件からしばらくは不安だったが、皆川は変わらず接してくれる。

 むしろ、ほんの少しだが近づいたような気がする。

 それがとてもとてもうれしかった。

 不意に、空から低いローター音が聞こえてくる。それも一機や二機ではない。

 漆黒の塗装の、いくつかの型の混ざった編隊だった。

 「なんだろ?」

 「MH60KとMH6?……なんであんな機体が…」

 強い日差しを手で遮りながら、皆川がつぶやく。

 「なんなの?」

 「…米軍の特殊作戦用機です。所属は……ナイト・ストーカーズか」

 「ナイト・ストーカーズ?どこのチーム?」

 「ハンターごときじゃ運用できませんよ。ハールバート基地の第160特殊作戦飛行連隊です。日本にはいないはず…」

 「あ、降りてくる」

 駐屯地のヘリパッドへ向かい、降下を開始する。

 「何だ…?こんなところに…?先輩、なんか聞いてます?」

 「知らない…ねえ、そろそろ行かないと、定期便出ちゃうよ?」

 「え?ああ」

 あいまいな返事をしながら、歩き出したほたるの後を追いかけて、

 「先輩、少し見にいきませんか?滅多に見られるもんじゃないですよ」

 「へ?」

 きょとんとしながらほたるは間抜けな声をあげた。

 「滅多に見らんないんですよ?なんてったって軍事機密の塊なんですから」

 嬉々としている皆川に、ほたるは、

 「いつだったか乗ったじゃない、あれは」

 「あれはUH60JAでしょう。ペイブ・ホークとはぜんぜん違いますって。確かにMH60KはUH60の派生型ですけど、もうほとんど別物っす。外見上は空中給油用のブームと地形追随レーダー、それにFILRが目立った違いですけど、ほかにも対ミサイル妨害装置とかHIRSSとかいろいろ積んでます。特殊作戦用の機体としては最高クラスの機体ですね。もっとも、あんなゲテモノを運用できんのは米軍ぐらいのものですけど」

 「ぁ…そうなの…」

 ほたるには理解できない単語が連発していたが、どうやらすごいヘリコプターらしいというのは何とかわかった。

 「ま、話の種にでも…」

 「よし、行きましょうさあ行きましょうすぐ行きましょう」

 まるっきり子供のようにはしゃいでいる皆川を微笑ましく思いながら、ヘリパッドの方へ向かった。

 見れば物見高い連中がすでに人垣を形成し始めていた。

 人垣を掻き分けていくと、三機目のぺイブ・ホークがまったく危なげない様子で、砂埃を巻き上げながら接地する所だった。

 「おお〜すげー」

 「初めて見たぜ」

 珍しい機体のせいか、好き物で知られる航空隊関係者以外の見物人も多いようだ。

 減音設計のメインローターの回転が落ちていき、ジェットエンジンもその回転音を急激に下げていく。

 側面のスライドドアが開いて、機敏な動きで乗員が降りてそれぞれの作業をはじめた。

 「あれ」

 「?、どうかしたんですか?」

 「あそこに居るの、純さんでない?」

 ほたるが指した先には、ヘリに向かって歩いていく日向の姿があった。

 部隊の指揮官らしい男がその姿を認めて駆け寄っていく。

 日向の前で立ち止まり、いささか崩れた感じのする敬礼をする。

 日向も答礼して、何事か話しはじめた。

 「ね、いってみよっか?」

 「は?」

 「近くで見れるし、どうせあとで会いに行かなきゃならないんだし」

 実際、「定期便」に間に合えばそれで日向の店に行こうとしていたのだから、それはもっともな話であった。

 「そうですね……って、あれ?」

 さっさとほたるは日向の元へと歩き出していた。

 慌てて後を追う。

 『とりあえず我々先遣隊一個小隊は、ここに仮本部を設置することになってます。本体の到着までは中尉の指揮下で…』

 「純さん」

 早口の英語で話す指揮官の大男の言葉に耳を傾けながら、手元のクリップボードをめくっていた日向は驚いた様子でほたるを見た。

 「ほ、ほたるちゃん…どうして」

 「純さんこそ。それにここに住んでるんだから居て当然でしょ」

 『中尉、こちらのお嬢さんは?』

 難しい顔の大男に促され、日向は、

 『ああ、悪い、少尉。こちらはここでハンターをしているホタル・ヒイラギさん』

 「?」

 「ほたるちゃん、こちらはダン・シリング少尉」

 目の前の大男は、岩石を削り落として作ったようないかつい顔をほころばせ、右手を差し出した。

 「よろしく」

 たどたどしい日本語で、シリングは言った。ほたるはグローブのようにでかい上級曹長の手を握る。

 「あ、ども」

 「おう、皆川君か。こちらはシリング少尉。米陸軍だ」

 ほたるに追いついてきた皆川に、日向は言う。

 『はじめまして、少尉。お会いできて光栄です』

 条件反射のように敬礼する。シリングの日本語と同じようにいささかたどたどしいが、それでも通じたらしくシリングは皆川にも握手を求める。

 『君もハンターか?…ええと』

 『皆川です。シュウジ・ミナガワ。…肯定であります、少尉』

 『そうか、何か力を借りることがあるかもしれない、よろしく頼む』

 『……曹長、続きは後で聞く。設営が一段落したら家へ来てくれ』

 一通り目を通し終わったのか、クリップボードを渡す。

 『了解しました、中尉』

 シリングは敬礼とともに答え、部隊の指揮へと戻っていった。

 (中尉…?)

 皆川は眉間にしわを寄せる。

 聞いた話では、日向は一尉であったはず…。

 英訳してもキャプテンであってルテナントではない。

 日向はほたるに向き直ると、

 「さて…何か用があったのかい?」

 「ん、そうそう。これから純さんとこ行こうかと思っててさ」

 「なるほどね。じゃあ、乗ってくかい?軽トラだけど」

 「うん、おねがい」



 

 「じゃ、これが223のミリタリーボール。.45はこっち。フェデラルのFMJ。9ミリはいつもの奴?」

 「うん。フィヨッキの奴」

 日向はカウンターに重そうな紙包みを置いていく。

 それを皆川が携えた頑丈そうな生地でできたトートバッグに入れていく。

 「請求書は事務所に回しておくよ。じゃ、気をつけてね」

 「うん、送ってくれてありがとう」

 「お得意さんだからね。時間があれば帰りも送ってあげられたんだけど…」

 「いいよいいよ」

 ほたるは笑って店のドアを押した。カウベルがカラン、と澄んだ音を立てた。

 「ああ、そうだ」

 後ろから日向が声をあげた。

 「なあ、最近前線のほう、変わったことはないかな?」

 「え?」

 「?」

 「たとえばほら、ローパーの活動が活発だとかさ…」

 「……?そういう話は聞きませんけど…何かあるんですか?」

 皆川が答える。

 「そうかそうか、それなら良いんだよ、うん。じゃ、毎度あり〜」

 「?」

 勝手に納得している日向を残して、店を出て、目の前の遊歩道化された川縁を歩く。

 「……先輩」

 「何?」

 「……あの日向って人、何者なんですか?」

 皆川の問いに、

 「……自衛隊の一尉だったって。例の、装甲服の開発をやってたって」

 「それがおかしいんですよ。装甲服の開発なんかやってる技術屋が、何で米軍の、それも特殊部隊の人間と面識があるんです?」

 「それは……合同の演習とか」

 「技術屋が特殊部隊と演習ですか?それにあのシリングって少尉、彼のことなんて呼んでたと思います?」

 「あたし英語わかんないよ」

 「中尉です。一尉ってのはよその軍隊じゃあ大尉にあたる階級です。何故中尉なんでしょう?」

 「う〜ん…」

 「だって怪しいですよ、あの人。開発に携わって、いくらコネがあるからって、装甲服なんか手に入るわけないでしょう?……腹に何かいちもつもってるって感じです」

 初めて会ったときから感じていた違和感。うまく形容できないが、普通とは違う何かを感じていた。

 かつての自分の部隊に似たにおいだが、それでいて何かが違う。

 「でもほら、あたしたちによくしてくれるじゃない。よくないよ、そうやって人を疑ってかかるのは」

 「はあ……」

 今一つ腑に落ちないものを感じながら、皆川は返事をした。



 

 「いいか、向こうじゃ何が起こるかわからん。自分の身は自分で守ってもらうぞ」

 「OKOK、大丈夫。わかっているさ」

 買い物から戻り、射撃場の隅に陣取った皆川は、那珂に最低限の銃の扱いを教えるつもりでいた。

 大方素人の強がりであろうという皆川の予想は、幸か不幸か、予想しない形で外れることになった。

 レンジについた那珂が私物であるオーストリア製のグロック26を構える。セルフディフェンス用のウィ−バースタンスは、なかなか堂に入っていた。10メーター先のペーパーターゲットを狙い、撃つ。

 9ミリの軽い発砲音が響いて、放たれた弾丸は

 「お」

 見事に中央を射抜いていた。

 続けざまに5発。

 ワンホールとはいかないまでも、すべてターゲットの中央にまとまっていた。

 手元のスイッチを操作して、穴の空いたペーパーターゲットを呼び寄せる。

 クリップからはずして、ターゲットと那珂の顔を交互に見比べる。

 「どうだい、悪か無いだろ?」

 あいも変わらず軽い笑顔を貼り付けて、イヤーマッフを外した那珂が言った。

 得意げな那珂の顔から視線をずらし、射撃場の反対側の隅に陣取っているほたるをみた。

 (……先輩より上手いんじゃなかろうか…?)

 悪くないどころか、グロックシリーズの中でも最小フレームのグロック26でここまで当てるのは早々できることではない。自分でもできるかどうか微妙だ。10メートルともなればフルサイズのオートマチックでも狙ったところに当てるのも難しいのだ。

 ほたるはというと、あいも変わらず難しい顔をしてSIGを撃っている。

 その腕前は……さしずめ素人に毛が生えた程度、といったところか。

 答え。射撃に関してはほたるは那珂に劣っている。

 「さてと、次は何を撃てばいいんだい?」

 何だかむっとしたまま、皆川は傍らにおいてあった自動小銃をさし出した。 



 

 夜。皆川は部屋で出発前の最後の点検をしていた。

 狭い部屋の床に並べられた装備品を一つ一つ、適正な配置で大型の背嚢、ベルゲンに詰めていく。

 哨戒に使う車のほうには、すでに武器弾薬、燃料、食料などを詰め込んである。

 今ここにあるのは個人装備だ。

 もし何らかの事故で車を放棄したとしても、ベルゲンとは別に装備するベルトキットの装備があればたとえヘリでの回収ができなくても楽に帰ってこられる。

 ベルゲンがあれば、おそらくそのまま反対側の戦線にだっていけるだろう。

 自分一人なら。

 そういうことができるように訓練されたのだし、そういうことができるようになる必要があったのだ。

 目的こそ当初とは大きく変わってしまったが、訓練のかいはあった。

 今の目的を果たすには今後も多いに役に立つことであろう。

 大いに。

 最もこのベルゲンは、ほかの二人をつれかえるために持っていくようなものだ。

 何事もなければそれでいいし、保険は、かけておくに超したことはない。

 不意に、ドアがノックされる。

 つめおえたベルゲンのふたを閉じてから、ドアに向かった。

 覗き窓の向こうに、魚眼レンズでぐにゃりと歪んだほたるがいた。

 「どうしたんですか、こんな時間に。それにその荷物は」

 「えへへ・・・」

 みれば、装備の詰まったバッグを肩にかけていた。あたりをうかがうように見回してから、ドアの隙間を擦りぬけるように滑り込んでくる。

 「朝まで匿って。あいつうるさいんだもの」

 「あいつって…那珂ですか?」

 「そう。あんまりしつこいから、ベランダからラペルして抜け出してきちゃった」

 「よくやりますねえ…」

 「だからさ…ね、泊めて?」

 お願い、と拝まれては拒めない。

 「いいです、けど・・・下手をすると…」

 言い終わる前に、乱暴にドアがノックされた。

 「おーい、俺だよ、邪魔していいかい?」

 一瞬、二人は顔を見合わせた。

 そしてまるで一陣の風の如く動いた。

 SASも真っ青な動きだった。

 皆川が作りつけのクローゼットを開いて、装備を抱えたままほたるは足音を殺しつつその中へ入り、皆川は扉を閉じた。

 この間約5秒。

 二人は今までにないほど息が合っていた。

 ドアを開けると那珂が再びノックをしようと腕をあげているところだった。

 「何だ、居るなら返事してくれりゃあいいのに」

 「明日は早いぞ。寝なくていいのか?」

 仏帳面で言う皆川に那珂は、今気がついたとでもいいたげな顔をして、

 「そうだな、言われてみればそうだ。けどな、少しでいいから話をしたくて」

 何やら手土産を携えてきているようだが、あいにくそれよりもクローゼットのほたるが気になる。

 そんなことにはおかまいなしに、那珂はあがり込んでくる。

 「何、これは仕事じゃない。こないだの射撃上でのことで、少し弁明したくてな」

 未だ玄関で立ち尽くしている皆川を気にせずに、那珂は続けた。

 「こないだはすまなかった。反省してる」

 「……」

 「別にわかって欲しいとは思ってない。ただ、ね。本人にも謝りたかったんだけど、どうも留守でねえ」

 部屋のすみにたたんであったちゃぶ台を勝手に起こして、携えた袋をごそごそと探る。

 「なあに、俺も十分嫌われてるのはわかってる。逃げられたか居留守を使われたか…まあそんなのはどうでもいいや。確かにあの娘に興味はあるし、彼女を記事にしたいとも思ってる。でも、今じゃあんたにも興味が沸いてきてね」

 「俺に?」

 「ああ。俺が見るところ、あんたもただ金のためとか実力を試すとかそういうことのためにハンターやってんじゃない、もっと何か、別のことのためにやってるような気がしてきてね。むしろ、その目的は俺と似ている気がしてんだ。…吸うかい?」

 「吸わない。…何が言いたい?」

 差し出したパッケージをポケットに戻して、

 「ふん……まあいいさ。俺の話をしよう。あんたは聞いても素直に答えちゃくれないだろうしな」

 意図をつかみかねている皆川にかまわずに、那珂は話はじめた。

 「俺には妹が居る。こういっちゃ何だが、フリーのジャーナリストなんてやくざな仕事をしている俺には、はっきりいって過ぎた、よくできた妹だった」

 『だった』と過去形なのに気がついた。

 「けどな、いなくなっちまった。行方不明さ。あの日、たまたま東京に出ていて・・・巻き込まれちまった」

 皆川は息を飲んだ。

 「俺にはあんたやほたるちゃんみたいに銃を担いで駆けずり回ったりできねえしな。だからせめて、情報のつかみやすいところをうろうろしてる。そのためにこんな仕事を続けてるわけだ」

 皆川はいらついた声をあげた。

 「……何が言いたい?はっきり言ったらどうだ?」

 「皆川さんよ、あんた、いったい何のためにハンターやってんだ?」

 「……」

 「さっきもいったように、俺にはあんたが」

 ふっと、諦めたように笑うと、皆川は那珂の言葉をさえぎって、

 「似たようなもんだ」

 「は?」

 聞き取れなかった、というように那珂が問う。

 「あんたと似たような理由で、俺はこの仕事をやっている。ただ違うのは、俺の目的は探すためじゃない」

 「……それだけでいいよ。それ以上は聞かない」

 皆川の言葉をさえぎり、よっと声をあげて立ちあがる。

 「今夜は随分と収穫があった。あ、安心してくれ、このことは誰にも言わない、俺は、ほんとにあんたと話がしたかっただけなんだ」

 いささか拍子抜けした皆川を置いて、那珂はドアへと向かう。

 「おいおい、そんな怪訝そうな顔すんなや。ほんとだって」

 「おい」

 皆川は、頑丈なナイロンのホルスターに入ったグロックをさし出した。

 「9ミリじゃこころもとないからな。俺のガバと同じ45のやつだ。貸してやる」

 にっと那珂は笑って、ホルスターを受け取った。

 「借りとこう」

 「明日は早い、さっさと戻って寝てくれ」

 「そうするよ」

 片手を上げて、

 「あ、それは食っちまってくれ。二人でな」

 「!」

 にっと笑って、那珂はドアを閉めた。

 「ああそうそう」

 いったん閉めたドアを開けて、那珂は、

 「盗聴機仕掛けるなんて野暮な真似はしてないから安心してくれ。じゃな」

 言いたいことを言ってドアを閉めた。

 「ばれてたか…」

 皆川はばつの悪い顔をしながらドアに鍵をかけた。

 クローゼットの中から、ほたるが出てくる。

 「………案外、勘が良いわね、あいつ」

 「予想外でした。射撃の腕も悪くない」

 「へえ?」

 「先輩よりぜんぜん巧いですよ」

 「………ど〜せあたしは射撃音痴ですよ…」

 ほたるはふくれて見せた。

 それから少しの間視線をさまよわせて、言った。

 「………ねえ」

 「なんです?」

 那珂が残していった袋をごそごそとあさりながら、

 「皆川がハンターやってる理由って、何?」

 手が止まった。

 「……ろくな理由じゃないですよ。先輩が知るべきことじゃないです」

 ひどく冷たい、突き離すような言葉だった。

 「……そう…なんだ…」

 自身でも気がつかなかったものらしく、あわてて、

 「あ……いや……その」

 「良いよ、あたしも聞かない」

 ほたるは明るく言った。

「……でも、いつか教えてくれるとうれしいな……」


 「……」

 皆川が答えに窮していると、ほたるはいきなり袋に手を突っ込み、


 「あ」


 200ミリサイズの缶を取り出し、プルリングを引き開け、一気にあおる。

 「……っはぁ…」

「先輩…それ…」

 「……なんか…へん…」

 空になった缶の口をのぞいているほたるの目は、どう言うわけかとろんとしている。
 
「……お酒ですよ、チューハイ」

 「…ぁ、そうなの…」

 言い終わる前から前のめりに倒れ、ちゃぶ台に突っ伏す。

 「ありゃ。先輩、大丈夫ですか?」

 「………すー…すー…」

 完全に寝ていた。

 微かに染まった頬。

 小さな唇。

 邪気のない、年相応の少女の寝顔だった。

 (こうしてると……可愛いんだよなあ…)

 あどけない寝顔を見ていると、その可憐な唇を奪ってしまいたくなる。

 衝動的に、顔を近づけていく。

 「…ん……」

 ほたるの唇が微かに動く。

 ぴたりと皆川の動きが止まる。

 「ふう……」

 ぽりぽりと頭を掻いて、

 「先輩、先輩、こんな床で寝たら風邪引きますよ」

 ほたるの肩をゆする。

 起きる様子は無かった。

 ほたるを抱き上げ、きれいに整えられたベッドに横たえると、肌がけをかけてやる。

 (まったく……中学生じゃあるまいし……)

 顔でも洗ってこよう。

 明かりを消し、部屋を出た。

 「……はぁ……」

 真暗になった部屋で、小さなため息が洩れた。

 「……何やってんだろ…あたし…」

 (やっぱり、こういうのは…向いてないよね……)

 なんとも居たたまれない気持ちになってしまう。

 けれども、いまさら部屋に戻るわけにも行かない。

 寝返りをうって、枕に顔をうずめた。

 やはりアルコールが効いたのか、頭がふらふらする。

 (ぁ……これ…皆川のにおいなんだ……)

 などと思いながら、うつらうつらとしたとき、

 「…ぅ…っく…」

 得体の知れない感覚に声が出た。

 背筋をなにかぞくりとした感触が走る。

 昨晩もあったが、結局それだけで何か身体の変調があるわけでもないから放っておいたのだが…

 「何だろう…これ…なんか……怖い…けど…」

 かけられていた肌掛けに包まって、

 (こうしてると……あんまり怖くない……)

 ゆっくりと眠りに落ちていく。

 



 同じ頃。

 日向の自宅には、シリングやヘリ部隊の指揮官が訪れていた。

 テーブルの上には二万五千分の一、五万分の一など幾枚かの地形図や衛星写真が広げられ、日向とヘリ部隊の士官が難しい顔をしている。

 栞の姿もあったが、日向の隣に座って黙ってうつむいている。

 「一応、実地演習という形での展開となっています。そのため、重火器は持ちこめませんでした」

 のっぽのヘリ部隊の士官が言った。

 大柄なシリングより頭半分ほど背が高い。

 「じゃあ、歩兵と輸送ヘリで作戦か」

 「いえ、一応三沢と岩国の部隊に出動待機をかけています」

 シリングが脇から言った。

 「本隊は岩国に展開しますから、やはり……」

 「緊急対応には限界がある、か…」

 「ええ。場所が市街地となれば空挺降下やるわけには行きませんし、かといってヘリでは展開に時間がかかりすぎます」

 「もっと日本政府に協力が得られれば良いんだが…」

 「まあ、あまり無理を言うのも酷です。ただ…」

 シリングは言いよどんでから、

 「日本側はどうも一枚岩じゃあないようです。本国からも、防諜体勢に留意せよとの命令も受けています」

 「すると、何か。政府部内で、方針がまとまってないのか…」

 「いいえ。政府部内で、では無いようです」

 「……」

 一同の間に、重苦しい沈黙が下りた。

 「っ!」

 栞が突然、びくん、と痙攣でもしたように身体を震わせた。

 「栞!」

 腰を浮かしかけた日向のシャツをつかみ、すがりつく。

 他の二人も息を飲んだ。

 「……また、か?」

 こくん。

 大きく肩で息をしながら、栞はうなずいた。

 かすかに震える栞の背中を、落ち着かせるようになでてやる。

 状況は、未だ進行中だった。

 



 朝。

 0500時。

 未だ日は上らず、東の空が明るくなってきただけだ。

 だが、駐屯地は基本的に24時間営業である。

 スクランブル待機中のレシプロの対地攻撃機はいるし、通信隊も耳をそばだてている。

 暗視装置の軽便化・高性能化で戦場に夜はなくなった。

 そう言われて久しいものの、やはり夜は活動も鈍る。

 だが熱を頼りに活動するローパーは、夜を主な活動領域とする。

 余計な熱が減り、獲物を捕らえやすいからだ。

 それにどういうわけか奴等は昼間の太陽光線を嫌う傾向がある。

 だから昼間はあまり活動しない。

 その代わり、人は夜はおとなしくするのだ。

 しかしながら、それに当てはまらないものも居る。

 駐屯地の駐車場に、一台のランドローバーがエンジンを暖めていた。、

 「時間です、出発しますよ」

 ハンドルを握った皆川はギアをドライブに入れ、サイドブレーキをはずした。

 余裕を持って四人分の水と食料、武器弾薬、通信機器などを積み込んで四輪駆動車が重たげに走り出す。



 



 カーブを抜けると、一気に視界が開けた。

 荒れた路面が車体をゆする。

 夏の太陽が屋根をじりじりと熱し、窓を開けてもアスファルトに熱せられたぬるい空気が入ってくるのみだ。

 皆川自身は気にはしないのだが、ほかの二人の厳重な主張でクーラーをかけている。

 なまじハンヴィーや高機動車など借り出さなくってよかった。

 「夏だね〜」

 後部座席の那珂がのんびりした声で言った。

 窓の外、真っ青の空にはむくむくとした夏の雲が浮かんでいる。

 ほたるはクーラーでは足りないらしく、どこから持ちこんだのかでっかく「祭」とかかれた団扇で扇いでいる。

 「あたし暑いのやだな〜。どっちかって言うとまだ寒いほうが……あれ?」

 外を眺めていたほたるが妙な声をあげた。

 「戦車だ」

 「は?」

 見れば、朽ち果てた店舗の前の駐車場に、角張った砲塔を載せ巨大なコンバットタイヤを履いた車両が止まっている。

 皆川はハンドルを操りながら、

 「ああ、あれは戦車じゃないですよ。87式偵察警戒車って奴です」

 「なにそれ?」

 「装輪式の偵察車両。25ミリ機関砲一門装備…だっけか?」

 那珂が言うと、

 「無知で悪かったわね」

 ほたるは少しむっとして答えた。

 皆川はそのまま、スピードを落とすことなく通り過ぎる。

 「おい、良いのか?なんかあったんじゃないのか?」

 基本的には対特殊害獣警戒線の内側において、自衛隊は継続的に出動することができる。

 その任務は、特殊害獣の殲滅、掃討、そして治安の維持。

 しかしその活動には限界があるため、大半はハンターに委ねられる。

 「あったとしても奴らは任務でここに居るんだ、俺達が干渉することじゃないし、聞いても答えちゃくれない」

 サイドミラーで後方へと小さくなっていく無骨なシルエットを見ながら言った。

 ハンターたちには、警戒線の内側は自分たちの仕事場であるという認識がある。しかし自衛隊にしてみれば、警戒線の内側といっても自分たちの守備範囲であり、ハンターたちは傭兵やら軍隊経験者が居るとはいえ所詮民間人であるという意識が根強い。

 そういった意識の違いはあるものの、連携はやはり不可欠であるために、少しづつではあるが交流は協同作戦や訓練のような形で行われ、、一時のような目に見える反目は無くなっている。

 「12旅団…相馬原の第12偵察隊か」

 「そういや、なんか昨日も偵察機飛んでたよな、自衛隊の奴」

 「なにかあったのかな?」

 「さあ…」

 適当な答えを返したものの、皆川は自分の預かり知らぬところで何かが起きている気がした。

 米軍の展開、偵察隊の不自然な配置、偵察機の飛来……。

 何が起きているのか。

 「ねえ」

 ほたるの声で、物思いからかえった。

 「なんです?」

 「……休憩、入れない?」

 いささか躊躇いがちに、ほたるが言う。

 「そうですね。そろそろ」

 「なるべく早く」

 妙にそわそわしている。

 それきり押し黙ったままのほたるを横目に見ながら、どこか適当な休憩場所を探す。

 ほたるの意をつかみかねていると、ルームミラーの那珂は「ははーん」という顔をしている。

 「はあ」

 今一つ合点の行かない皆川に、苦笑した那珂は、

 「もう出発して3時間だ。そろそろ休憩入れようぜってことさ。さ、決まり。さっさとどっかにとめてくれ」

 言われるまま、手近な駐車場の跡に車を入れる。

 あまり気は進まなかったが、こうも急かされては仕方が無い。

 車が止まるのを待たずに、ほたるがドアを開けて降りようとする。

 「あ、ちょっと!」

 「緊急事態なのっ!」

 そう怒鳴って、あまり荒らされていない店舗のほうへ走っていく。

 建物の手前で一度振り返って、

 「ついて来たら死なすからねっ!」

 顔が赤いのは、さんさんと降り注ぐ太陽の暑さの所為ではあるまい。

 「あ……」

 「ようやくわかったか、この朴念仁。それともマジボケか?」

 軽く那珂を睨みつけてから、水筒から少し水を飲む。

 「いや〜しかし、あれだな。人っ子一人居ない」

 「立ち入り制限地域だからな。……最も、完全に無人ってわけじゃない」

 四車線の国道には、ごみが散らばっている。往来は無いわけではないのだろうが、まだ一度も見かけていない。

 「まったく…こんなとこに何を好き好んで住んでるのやら」

 うんざりしたような顔をする那珂。

 「いろいろあるのさ。きっとな」

 皆川はどこか陰のある目で空を見上げた。

 



 「はあああ……」

 何とか間に合った。

 幸いにしてまだ使えるトイレが残っていたというのも幸運だった。

 (時々すごく鈍いところがあんのよね…)

 後始末をしながら、ふとそう思う。

 トイレから出て、戻ろうとしたとき、不意にめまいがして壁にぶつかりそうになった。

 「あっ…」

 どうも今朝から調子が悪い。

 (アルコール残ってるのかなあ……)

 身体の切れも、ほかの感覚も、なんとなく違和感を感じる。

 「ま、いいか。戦闘任務じゃないし」

 気が緩んでいたのかもしれないし、本当に不調だったのかもしれない。

 トイレの中で、ごそり、と動いた気配にまったく気が付かなかった。



 

 小休止を経て、再び一向は走りだした。

 走るものの無い国道をしばらく走ったとき、視界に人影が現れた。

 「とまってーっ!」

 両手を大きくを振って、叫んでいる人影がいた。

 少し手前に車を止めて、皆川は振り返った。

 「俺が行きますから、車の中にいてください。何かあったら離脱してください」

 言い残して、皆川は運転席を抜け出す。

 「どうしました?」

 あちこち汚れた作業着を着た、細身の少年のようだった。

 「車が…故障してしまって、この先に父がいるんです、助けてもらえないでしょうか?」

 皆川は迷った。

 その言葉が真実ならば、見捨てるわけには行かない。

 この付近は情報に寄れば、質の悪いアウトローが出没するという。

 ローパーの出没が少なく安全が保障される地域ははるか後方だ。

 だが、同時に彼がおとりで、罠にかけようとしているという可能性も否定はできない。

 「よし、両手をあげたままここまで来い」

 有無を言わさぬ口調で言った.

 ホルスターからTRPオペレーターを引きぬいて安全装置をはずした。

 「え?」

 「おいおい、やつは銃を抜いたぞ?」

 皆川の反応に車内の二人は驚いた。

 だが、二人の予想に反して、少年は素直にその言葉にしたがった。

 両手を高々とあげながら、レンジローバーのところまで歩いてくる。

 「よし、両手をボンネットについて、足を交差させて立て」

 「武器は・・・腰の38口径だけです。ほかには何も・・・」

 車内の二人に気がついたのか、救いを求めるような目で見ている。

 「あ」

 ほたるが声をあげた。

 「どしたい?」

 「いいから動くな」

 油断なく銃をつきつけたまま、ボディチェックをしていく。

 「だから武器は何も・・・」

 少年は慌てたように主張する。が、それはかえって皆川を不審がらせる結果となった。

 「きゃっ!」

 襟、袖と這っていく皆川の手が、脇の下にかかったところで、少年は悲鳴をあげた。

 皆川の手は、少年の胸に、軟らかな感触を確かに感じた。

 「こら、あんた女の子に何してるのよ!」

 怒りの形相すさまじいほたるがいつのまにか目の前にいた。

 「え?」

 「…あの…放して…まらえます…?」

 三人が三人とも、そのまま固まった。



続く


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