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ファイアフライ 「廃墟にて」
カノンフォーゲル/文


 粒子の粗い、緑色掛かった視界に、いくつもの人影が映っていた。

 もはや見るもののないディスプレイ用のマネキン人形たち。それが人影の正体だ。

 長い間人の手が入っていないせいか、荒れ果てた雰囲気だった。

 どこかの窓が開いたままなのか、かすかな風にのって生臭い匂いが漂っていた。

 もっとも、名古屋の日本国政府が定めた警戒区域を越えた、制限区域にあたる場所にある、とうの昔に放棄された市街地なのだから、人影などあるほうがおかしいのだ。

 いまとなってはここで見かける人間は自殺志願者か、捕獲者と呼称される不運な女性、あるいは俗にハンターと呼ばれる武装集団だけだ。    

 正式には「特殊害獣対策法第11条第3項に該当する指定駆除業者」という、誠にながったらしい名称の、いうなれば下請け業者。時として軍と同等の装備を持ち、政府、自治体、あるいは企業、個人の依頼を受けて、警戒区域を越え、奴らのテリトリーへと侵入し、多様な任務をはたすのだ。

 そんな連中が跳梁する事など、誰が予測し得たろうか。

 いや、それ以前に奴らによって関東圏のほとんどが放棄せざるをえない状況になったなどと、前世紀の人々は誰も予想しなかっただろう。

 「……ブルー1、2、二階踊り場に到達。敵性個体、十二時方向、スライム5、ローパー2。訂正、3」

 踊り場の、朽ち果てた公衆電話機の台の影で、ささやくような声がした。

 『パレット了解。レッドチームの配置までマイナス120秒。配置完了まで無線封止を実施する。交信終了』

 単眼式の暗視ゴーグルを退かした。

 「ブルー1了解。……なにびびってんのよ」

 調子の強い小声で、階段にへばりつくようにしているもう一つの人影に、ごついハイテックマグナムのコンバットブーツで蹴りを入れた。声からするとまだ若い。10代半ば過ぎ位だろうか。   

 「…いえ。なんか、いまになって緊張しちゃって」

 「足ひっぱんないでよね。まったく」

 少女はひどく不機嫌な声を漏らした。

 「すいません」

 ごす。

 再びブーツがめりこんだ。

 「いちいちあやまるな」

 『レッドチーム配置完了、カウント20で状況開始』

 SDUベストのポーチから耳の後までのびているボーン・マイク式のイヤホンから、後方で待機している指揮所、パレットのオペレーター・・・若い女性だ・・・の声が聞こえた。

 そっと身を起こして、10ミリ口径のドイツ製の短機関銃、HK・MP5/10と、ハンドガードにマウントされたM203擲弾発射器のセイフティを外した。

 音をたてないように注意しながら、背後を見やる。

 「やるわよ」

 「はい」

 かすかに震えた声で、こたえた。

 『……3、2、1、突入、突入、突入!』

 ほぼおなじタイミングで、擲弾発射器のトリガーが引かれた。

 一秒半して、猛烈な閃光と轟音が廃墟を満たした。

 発射と同時にMP5/10を構えたまま駆け出す。

 閃光に照らしだされたのは、異形の物共だった。

 一つは、床に落ちている半透明のスライム状の生物。もうひとつは、肉色の柱から何本もの触手を生やした生物。

 どちらもまるでファンタジーの世界からでてきたような生物だった。

 特殊閃光音響弾に怯んだ彼らは、明確な行動を起こす前に、弾丸に体を貫かれ、肉片を撒き散らしながらのたうち回った。

 逃げ出そうとしたスライムも、中心に浮かぶ核を破壊されて動かなくなった。

 「クリアー!」

 「クリアー!」

 脅威となるスライムとローパーを蹴散らし、制圧した事をお互いに大声で確認しあう。 まだローパーの方は触手をぴくぴくと痙攣させていたが、程なく動かなくなる。

 再び駆け出すと、吹き抜けになっている開けた場所にでた。噴水がある休憩スペースかなにかだったのだろう、階下にはところどころにくちかけた椅子やテーブルが転がっていた。

 「あっ…ひぃゃぁ……」

 「んっ…むぅぅはぁ…」

 「ひぎぃっ……あああー!」

 かつての人々の憩いの場は、いまは凄惨な凌辱の場となっていた。

 あたりにはすえた匂いと、あちこちから呻きとも喘ぎともとれる声が聞こえていた。

 噴水があったとおぼしき場所には、さきほど屠ったローパーよりはるかに巨大なそれが鎮座していた。そしてそれを取り囲むように、ちょうど竹を斜めに切ったような形の肉塊が並んでいた。

 巨大なローパー・・・・差し詰めキングローパーとでも言おうか・・・・の前には、腰までを肉色の触手に飲み込まれた全裸の女性が、両腕をやはり触手に絡め捕られ、吊られていた。力なくうなだれているので、表情は読みとれない。

 それだけではない。キングを取り囲む肉塊一つ一つにも、十代から二十代の女性たちが囚われていた。

 皆一様に、肌を露にし、肉塊に半ば埋もれるようにして喘いでいた。

 苦痛に、ではない。とめどない愉悦に、だ。

 「……遅かったわ。すでに『母胎』にされてる娘がいる」

 埃の積もった手摺りを握り締め、苛立たしげに呟いた。

 視線の先には、吊られている娘がいた。動かないところを見ると、ひょっとしたらすでに手遅れかもしれない。

 気が付くと辺りには迎撃にでてきたのか、突入した二チームをローパーの群れが取り囲んでいた。

 「やるわよ…」

 MP5/10を構え直し、油断なく群れに相対する。

 「オープンファイア!、キル・ゼム・オール!」

 レッドチームのリーダーの合図で一斉射撃が始まった。

 ここぞとばかりにトリガーを引き続ける。背中合わせに立った四人の足元に無数の金色の空薬莢が転がった。

 撃ち尽くした弾倉を素早く交換して、射撃を再開する。

 何度か繰り替えしている内、不意に少女のMP5/10が沈黙した。撃ち尽くしたのではない。送弾不良を起こしたようだ。

 ちっと舌打ちすると、プラ製のバックルを外してMP5/10を捨てた。

 「援護!」

 先ほど蹴りをくれた若者に命じると、自分は三分の一ほどに減った群れに吶喊する。

 一般的に、ローパーに近接戦闘を挑むものはそうはいない。

 彼らの近接戦闘能力は人のそれをはるかに凌駕する。一見するとただの肉で出来ているように見える触手も、獲物を捕らえるためのそれと戦闘に使うものとに分かれ、ことに戦闘用触手にいたっては極細のワイヤーのようになっており、条件さえそろえば装甲車両さえも両断することが出来る。

 捕獲用の触手にしても一度もきつかれれば素手で引き剥がすのは困難で、締め上げる力は大人の胴を軽くねじ切るほどである。  

 触手の間合いに入る直前、腰の後ろで鞘走る音がしたかと思うと、白刃が閃いた。

 「でえぃ!」

 少女をとらえようとのばした触手は、その尽くが少女の小太刀に斬り伏せられた。

 間髪入れずにローパーの胴を薙ぎ、粘つく体液を返り血のように浴びながら次々と屠っていく。

 十体以上いたローパーの群れは、ものの三分とたたずにそのすべてが床に転がっていた。

 「ふん…」

 屍の中でたたずみ、呼吸を整える。

 踵を返して、他のメンバーにむかって歩きだす。

 「ちょっと、あんた何もしないつもり?援護しなさいって……」

 言いかけて、背筋にぞくりとしたものを感じた。

 斬撃が浅かったらしい、致命傷とならずに怒り狂ったローパーがすぐ後ろにいた。

 「しまっ…」

 「先輩、ふせて!」

 頭より体が反応した。身を投げるようにしてふせるのと、叫んだ若者が発砲するのとは同時だった。

 毎分800発の速度で撃ちだされる10ミリ口径弾は、ローパーの重要器官を正確に撃ち砕いていた。

 「先輩、怪我はないですか?」

 かけよってきた若者に、床に座り込んだまま親指をたてて見せる。

 めこ。

 片膝をついて手を差し出した若者に、少女はげんこつをふりおろした。

 「ったいじゃないですかぽかぽかなぐんないでくださいよ」

 「やかましいっ!しっかり援護しないあんたが悪い!」

 「援護も何も先輩がいきなり白兵戦はじめるから」

 『ブルー1、2、戯れるのは後にして。階下の掃討を始めるわよ』

 「了解」

 その後の抵抗は、微々たるものだった。準備攻撃で主力を掃蕩できたためか、まともに襲いかかってくるローパーはなく、スライム達が散発的に襲ってきただけであった。

 主力が健在ならば、今の20倍は人数と火力が要るだろう。主力の掃蕩が出来たから立った四人でここまで入り込めたのだ。

 シャッターが下りていたり、崩れて用をなさなくなっている階段が多く、結局吹き抜けからロープを垂らしてリペリングをする事になった。

 「しっかしまあ、よくもこんなに肥太ったものね」

 少女は一階に降り立つと、そびえたつ巨大な肉柱を見上げた。

 肥大化したキングそれ自体は、多くの場合ほとんど移動力をもたない。大抵は自ら生み出した兵士ローパーや働き手のスライムをかなりの数そろえているため、自身の機動力を必要としないためだ。

 『レッドチームが警戒しつつ爆薬の設置にあたるので、ブルーはグリーンの到着を待って作業を手伝ってください。興奮しちゃ駄目よ?皆川くん』

 「しませんって。仕事なんだから」

 オペレーターのからかいに憮然としながら若者・・・・皆川修二は答えた。

 もはや掃討戦も終盤にさしかかり、自然とジョークもでてくる。

 『はいはい。じゃああとで行き場のない高ぶりをお姉さんがなぐさめてあげようね』

 「美称サン、くだんないこといってないで仕事しましょうよ」

 『あらあら、そうだった。皆川くんはほたるちゃんのだったわね』

 「怒るよ」

 『冗談はさておき、作業を始めて頂戴。すぐグリーンが着くから』

 「了ぉ解」

 声はまるっきり怒っている。ほたると呼ばれた少女は、皆川に向き直る。

 「ほら、仕事するわよ!」

 「は、はい」

 「返事は明瞭に!」

 「はいっ」

 ほたるは先頭に立ってシェルと呼ばれる肉の檻に近付く。

 皆川は資料映像などでは見たことがあったが、間近で実物を見るのは初めてだった。

 直径は二メートルぐらいで、内側には細い触手がびっしりと生えており、囚われた女性はその中に沈み込むようにして嬲られるのだ。

 二人の前のシェルには、ほたるより3つぐらい下だろうか、14、5ぐらいの少女が絶え間なくうごめきつづける触手に弄ばれていた。

 胸元まで触手の群れに飲み込まれ、程よい大きさの乳房とその頂点にはやや太めの触手が吸い付いて刺激を与え続けている。

 おそらく、秘所もアナルも抽送が続けられ、あらゆる性感帯に人外の快感を少女に送り込んでいるのであろう。少女のあえぎとともに、何本もの触手を絡み付かせた双丘がゆれていた。

 わずかに残った理性がそうさせているのか、あるいは限界以上の快感がそうさせるのか、光を失った瞳は、涙に濡れていた。

 いったい、どれだけの間この凌辱は続いたのだろうか。

 「ぼーっとしてないで、引きずりだして」

 皆川は少女の脇に腕を入れて、力をこめた。

 「いっ…ひあっきゃううっ!」

 少女は感極まったような声をあげ、びくん、びくんと体をわななかせた。

 あちこちに吸い付いていた触手が離れた拍子に、いままで以上に感じてしまったらしい。

 ずるずると粘液でぬめる体を引き出すと、ほたるが手を延ばしてきた。

 訝しんだ皆川に、そっぽをむいてろとめくばせする。

 「くうっ」

 「きゃひぃっ」

 少女が声をあげて、自由になった両手で皆川の戦闘服の袖を思い切りにぎりしめた。

 秘所に潜り込んで暴れている太い触手をほたるが引き抜いたのだ。

 続いて後ろの穴を犯す触手をつかんだ。

 「ひゃううっ…やぁ…抜いちゃ……あ…」

 すぐにまた声をあげ、少女の手に一層の力がこもった。

 「いいわ、ひきずりだして、横にしてあげて」

 言いながら、腰の後ろの小太刀を抜いて一閃、獲物を逃がすまいとする触手を叩き斬る。

 「ひぃ…あっ…」

 シートの上に横たえられた少女は、荒い呼吸をしながらしばらく小刻みに体を震わせていた。

 グリーンチームの女性が駆け付け、OD色の大きめのバスタオルを少女にかけてやると、今だに余韻がぬけきらないのだろう、また声をあげた。

 「ほれ、次よ」

 その姿に複雑なものを感じながら、肩を小突かれほたるの後に続いた。

 辺りには到着したグリーンチーム、すなわち政府の応急医療隊が行き交っていた。

 あちこちでシェルから犠牲者を救出し、応急処置を施している。

 本業だけあって、レンジャーであるほたるたちより手際がいい。

 すでにほとんどの捕獲者たちを収容し、先程枠状爆薬で開けた突破口から素早く搬出している。

 「シェルの方は連中にまかせればいいわ。あたしらの仕事は、あれよ」

 噴水に巻き付くように、肉色の蔦がひとりの少女を吊るしていた。

 上からでは見えなかったが、ほたると同年代の少女だった。

 「…『母胎』に…されてるんですか?」

 皆川の問いに、ほたるは頷く。

 ごくまれに、キング自身に囚われた被害者が見つかることがある。だれがいい始めたのか、その行為を『母胎』と呼ぶようになった。

 くわしいことはわかっていない。キングの慰みものとする説、シンボル説など、噂や俗説があるが、どれも確証はない。もっとも、ローパーやスライム自体多くが謎に包まれているのだが。

 他の『捕獲者』たちは、根気よく身体への治療や精神面でのカウンセリングを続けることで回復にむかうことが多いが、『母胎』にされた少女達は、精神虚脱に落ちいって例外なく脱け殻にされてしまうのだ。あらゆる医療処置が試みられたが、すべて徒労に終わっていた。なぜ、なんのために、そしてなにをされたのか、それは彼女たちだけが知っている。

 しかし、彼女たちが語ることは、ない。

 ぐおおぉぉぉぉぉ

 突然、広場の空気が震えた。『母胎』を奪おうとするほたるに対するキングの威嚇だ。

 目の前の巨大な肉柱が暴れた。キングにしてみればそれは身じろぎだったのだが、スケールがスケールだけにまわりにあたえる影響も半端ではない。

 一抱えはありそうな建材の固まりが、あちこちに降り注ぐ。

 予想以上の威力に、あたりは騒然となった。

 「総員退避!、退避しろ!」

 爆薬の設置を終えたレッドリーダーが怒鳴っていた。

 「ランチャー用意しといて。弾種は化学弾頭」

 三点式のスリングで吊っていたM203付きMP5を皆川に渡した。ベストから40ミリの擲弾をふたつ、とりだした。弾頭は紫色の、対生物用化学弾頭。

 ふう、と大きく息を吐いて、ほたるは噴水にむかって歩きだす。

 「先輩!」

 「あの娘を下ろしてくる」

 「危ないですよ、まだ」

 手足たるローパーどもはほぼ掃討したものの、キング自体の攻撃力は残っている。いまはおとなしいが、いつ牙を剥くかわかったものではない。

 ほたるが足を止めた。

 「危ないから、あたし達がやるのよ」

 今もなお脈動を続ける幾本もの触手にまとわりつかれた噴水の残骸に取りつくと、注意深く、かつ素早くよじ登っていく。

 『母胎』の少女の目の高さまでくると、ほたるは声をかけてみた。案の定反応はなかったが、とりあえず生きてはいる。

 少女の上半身を自分の肩に預けさせ、向き合うようにして左腕一本で姿勢をささえる。 空いている右腕で小太刀を抜くと、少女の両腕を拘束している触手を切った。続いて、大体の見当を付けて少女の下半身を包む肉塊を切断した。

 莢に小太刀を収めると、器用に少女をかかえ生まま噴水を下りていく。

 「撃て!」

 皆川のM203が火を吹いた。一直線にキングをめざす弾体の影が、一瞬だけ見え生。

 40ミリ化学弾頭の効果は、すぐにあらわれた。

 弾頭には強力な神経毒が仕込まれている。風に乗せて空中散布すれば一発分で山手線の内側の半分をゴーストタウンにできるほどの威力だ。

 液体と気体の違いこそあれ、その効能はVXやソマンといった神経ガスとなんら変わりは無い。

 恐ろしい速さでキングの神経を殺していった。

 もう自身でも制御できない運動なのだろう、まるでで生らめな動き方をしている。

 苦し紛れに放ったのか、あるいは偶然か、キングの一撃が、ほたるの頬を浅く裂いた。 

 「っ」

 わずかに顔をしかめただけだったが、この傷はほたるの運命を大きく変えることになるとは夢にも思わなかった。

          

 胴体側面に大きく赤十字を描いたCH53が猛烈なダウンウォッシュで砂埃を巻きおこしながら接地する。

 機体後部のカーゴドアが開くと、ローターの回転がとまるのを待たずに待機していた人員が駆け寄ってきた。

 機内から顔を出したクルーと、二言三言かわして機内の担架をはこびだす。幾人かは自力で歩けるらしく、手を借りながらヘリパッドに隣接している、野戦病院として使われている建物へと歩いていった。

 少し離れた、別のヘリパッドに、少し遅れてUH60Jが降り立った。

 あけっぱなしのスライドドアからほたるたちがおりると、汎用ヘリはローターの回転数をあげて離陸していった。

 残された四人の脇に、高機動車がブレーキをきしませて止まる。

 ハンドルを握っているのは、オリーブグリーンの飛行服を着た20代半ばぐらいの、おっとりした印象の美人だった。小作りな鼻に眼鏡をちょこんとのせて、長い髪をみつあみにして肩からたらしている。

 「おかえりなさい。ごくろうさま」

 「ただいま。美称さん」

 助手席にほたる、その他が荷台に乗ったのをミラーで見て、美称は高機動車を発車させた。

 「作戦成功、おめでとう。皆川くん、初陣の感想は?」

 「大活躍だった。聞いて驚け、今日親玉仕留めたのは、こいつだぞ」

 レッドリーダーの、大柄な30代後半ぐらいの白人の男、コンラッド・ガーンズバックがグローブのような手でばんばんと皆川の背をたたいた。

 「暴れ出した親玉の触手をくぐって一発!お前は最高だぜ!」

 戦闘からほどないせいか、まだ興奮が冷め切っていないようだ。

 「……ぅ」

 シートの隅でだるそうにしていたほたるが小さく呻いた。

 「?、どうした、具合でも悪いのか?」

 「ん、大丈夫。なんでもない……ちっとだるいだけ」

 答えた声にもあまり覇気がない。よく見れば顔も心なしか赤かった。

 程なくチームのオフィスがある三階建てのビルの前に着くと、それぞれ装備を持って降りていく。

 「少し顔赤いな。先に戻るか?」

 「…うん、そうさせてもらうわ。ごめんね」

 「気にするな。後は、こいつがやってくれるさ。なあ皆川」

 装備を担いだコンラッドが、にっとわらってみせた。

 「宿舎によってくわ。蛍を送ってくる」

 美称は再びギアを入れ、大型の四輪駆動車を発進させた。

 狭苦しいユニットバスの浴槽のなかに、ひとりの少女がいた。

 熱めのシャワーの水流を浴びながら、壁に背を預けて自らの肩を抱いている。

 引き締まった、さりとて筋肉質というわけではない健康的でしなやかな肢体だった。

ちらりと脇の洗面台の鏡を見れば、切なげな表情を浮かべてこちらを見ているショートカットの少女がいる。普段なら強気な光を宿す瞳は潤み、頬には朱がさしている。

 ほたるは腕を解いて自分の胸に目を落とす。

 平均より少し(少なくとも本人はそう主張している)小振りだが形の良い乳房の頂点には、小さく可憐な桜色の乳首がその存在を誇示するようにかたくしこっていた。

 (……まずったなぁ、まともに浴びちゃったからなあ)

 戦闘中に、強い催淫作用のあるローパーの体液を浴び、しかも経皮でも強く作用するそれがキングにやられた掠り傷から血中に入ってしまったのだ。 

 それを中和するための薬もあり、支給されてはいるのだがほたるは訳あって使えない体質だった。

 回収のヘリでは、なんとか精神力で押さえ込んでいたものの、ついたころにはもう限界だった。

 (……やだ……こんなに、かたくなってる)

 そっと、壊れものでも触るようにそれに触れてみる。

 「っぅ……」

 思わず声が出てしまった。誰にも聞こえないとわかっていても、唇をかんで声を押し殺す。

 電流が走ったような強烈な快感が、ほたるの体を駆け巡った。

 理性は押しとどめようとするが、一度意識し始めるともうだめだった。

 シャワーの水流が硬くとがった乳首を刺激し、体を流れ落ちる水滴を体は愛撫と受け取った。

 「ひ…あ、あうぅ…」

 もう声を抑える余裕はなくなっていた。

 指が更なる刺激を求めて半ば無意識に動き出す。

 「やぅ…だめ…とまんな……ぃ…」

 思考は遥か彼方に消し飛び、ただひたすらに快楽の渦に飲まれていく。

 制御を離れた指先が、莢に収められていた小さな肉芽に触れる。

 その瞬間、ほたるは体をのけぞらせ、幾度か痙攣するように身を震わせると、ずるずると浴槽の底にへたり込む。

 「……っ…っぅあ………はあ…はあ…はあ……」

 荒い呼吸を妙に遠く感じながら、シャワーの水滴を頭から浴びていた。

 

 (白兵なんて、するもんじゃないなあ)

 シャワーのせいだけでない火照った体を引きずって、後ろめたさを感じながらドアノブをひねる。

 バスルームから出ると、窓の外からレシプロエンジンの爆音が入ってきた。

 併設された臨時飛行場に降りるホーカー・タイフーンとイリューシュン・シュトルモビクがタイトな編隊を組んで旋回して、最終進入に入った。編隊着陸でもしようとしているのだろう。ここは物好きなパイロットが多い。

 小規模な索敵/掃討作戦であれば歩兵火力での対抗ができるが、中規模以上の営巣地や繁殖地ともなれば、歩兵火力では手におえない。強力な支援火力は必要ではあるが、空挺強襲や武装を持たない非装甲車両による機動性を主眼に置いた展開が基本の現在では、結果としてある程度地上との連携を取れる航空支援が必要になる。

 そのため小火器だけでなく対地攻撃に適した低速で滞空時間の長いのレシプロ攻撃機も流入している。定評のあるA1スカイレイダーやCOIN機の傑作、OV10ブロンコが主流だが、最近では趣味に走ってわざわざ第二次大戦中の払い下げ機をどこからか探し出してレストアして用いる者も多い。

 シャワーを浴び終えてタンクトップにショートパンツと、ラフな格好のほたるが備え付けの冷蔵庫の扉に手を掛けた時、ドアがノックされた。

 「どなた?」

 「私よ。開けてくれない?」

 その声にほたるは、露骨に顔をしかめた。

 「帰ってください」

 「つれないわね」

 一も二もない答えが返ってきたと同時に、ドアが開いた。

 スーツに身を包んだ美女が滑り込むように入りこんできた。ややウェーブのかかった髪を肩辺りまで延ばし、ぴったりとしたスーツが美称と同じくらい、いや、それ以上かもしれない抜群のプロポーションを見せていた。

 「……何の真似ですか?」

 「あら、大好きなほたるちゃんに会いに来るのに、理由なんて必要かしら?」

 一発で異性を、ともすると同性をも魅了してしまいそうな、妖艶な笑みを浮かべて、女はほたるに近づいた。

 「衛生研究所ってところはずいぶん暇なんですね」

 ぴりぴりとした敵意にも動じずに、女はほたるにせまる。

 ほたるは顔をそむけたまま、わずかづつではあるが後退るが、広くもない部屋なのでついには隅まで追い詰められてしまった。

 「ええ、それほど楽しい所じゃないわ。でも、あなたが来てくれれば、私も退屈しないですむの」

 壁に手をついてほたるの退路を断つ。

 「どう?わたしの所にきてくれない?」

 「……その話は、前にも断った筈です」

 「あなたが手伝ってくれれば、あの娘達、助けられるかもしれないのよ?」

 「そのために自分を差し出すほど、あたしは自己犠牲の精神に溢れてませんから」

 「衛生研なら、戦闘で危ない目に遇わないですむわよ。こんな風に顔に傷を創ることもないし。可愛い顔が台無し……でも、これはこれで可愛いわね」

 うなじに吹きかかるように、熱っぽくささやいた。

 「……っ」

 先程の余韻が抜けていない今、ほたるの体はそれだけで感じてしまった。

 女はクスリと笑うと、続けた。

 「あら、ずいぶん敏感なのね。可愛いわ」

 女の手がほたるの首筋から鎖骨を経て、余計な肉の付いていない脇腹を滑り下りていく。同時に反対側からは耳たぶを舌で責める。

 「ひゃうっ…」

 「ふふ……いいわ。もっと、啼いて見せて。可愛い声で、ね」

 タンクトップの上からいまだしこりの残る乳首を指の腹で転がしてから、乳房を手の平で包み込む。

 声を殺そうと固く閉じたまぶたの端に涙の玉を作り、自分の指に噛み付く。

 さらに下っていた指がショートパンツの上から、ふれるかふれないかの微妙な指使いで秘所を撫でた。

 「ゃ……やめ……」

 女の責めから逃れようと必死に手をのばすが、どうにも力が入らない。ともすれは力が抜けて、床にへたりこんでしましそうになる。

 「だぁめ。逃がさないわよ。あなたはわたしのもの」

 いきなりショートパンツの中に指がすべりこんだ。

 「A1022……ここか」

 教えられた部屋番号を反芻しながら、ドアの番号を確認する。

 作戦後のデブリーフィングをほたる抜きで済ませ、以後のスケジュールを連絡しがてら様子を見に来たのだ。

 初めての、それも異性の部屋ということもあり、些か緊張していた。

 コンラッドぐらいの図太さがほしいと、いまほど思ったことはない。

 ドアの前で立ち尽くしたまま、三分ほど悩んだ挙げ句、やっとの事でノックしようとして、部屋の中からの悲鳴を聞いた。

 「いやぁぁぁぁぁっ!」

 女の指が入ってきた瞬間、ほたるは悲鳴をあげた。快感によるものではなかった。女はその悲鳴に驚いて、動きを止める。それまで抜けていた腕に力がもどり、思いきり突き飛ばした。

 「な、なに?」

 女は突き飛ばされてよろけた。

 「先輩っ!」

 ドアが開いて、皆川が飛び込んで来る。

 部屋の隅で震えている着衣の乱れたほたると、立ち尽くしている見知らぬ女。パンケイクホルスターからS&Wのショーティ40を抜いて、女の頭にポイントする。

 「先輩に何をした!」

 「なにってなによ、あなたは誰?この娘とどういう関係?」

 「うるさい質問に答えろ!」

 皆川の剣幕に押されたのか、女は唇を噛んだ。

 答えは、横から返ってきた。

 「……国立衛生研究所、特殊生物対策部、第6研究課長、栗原慶子」

 「先輩、大丈夫ですか?」

 「大丈夫。大丈夫だから、銃を下ろして」

 目だけを動かしてほたるの様子をうかがう。まだ顔は青いが、いくらか落ちつきを取り戻したようだ。まだ腑に落ちないところもあるが、とりあえずデコックして銃を下ろした。

 「……栗原さん。帰ってください。あたしは、あなたに協力するつもりはありません」 

 慶子は悔しげに皆川を睨むと、踵を返してドアに向う。

 ショーティ40をぶらさげたまま、皆川はその後ろ姿を見送る。

 大きな音を立ててドアが閉まる、と同時にほたるが床にへたりこんだ。

 「先輩!柊先輩!」

 皆川が駆け寄ると、ほたるはいきなり抱きついた。

 「せんぱ…」

 「ごめん……落ち着くまで……すこし、このままで……」

 途切れ途切れに、震える声でそういった。

 小刻みに震える肩を、恐る恐る抱いてやると、ほたるは一瞬びくっとしたが、抗わなかった。

 おもったよりずっとか細く、小さな肩だった。

 先ほどの鬼神の如き戦いを演じたのと、とてもではないが同一人物とは思えなかった。

 まだ乾ききっていない髪から、シャンプーの香りが鼻をくすぐった。

 このまま押し倒してしまいたい欲求に、理性が必死の抵抗を続けている。

 どれほどの間そうしていたのだろう。

 五分、十分…あるいはそれ以上か。

 少なくとも皆川には恐ろしく長い時間に感じたのは確かだ。

 まるで深海の底のような(少なくとも皆川にとってはそう感じた)居心地の悪い沈黙を破ったのは、彼の腕の中の少女だった。

 「……なにも……しないんだね」

 ほたるはうつむいたまま、小さな声で言った。

 「え?」

 「……てっきり、襲われるかなって」

 いきなり図星を衝かれて、皆川は慌てた。

 「おれはそんな」

 するりと、まるで手品の様に腕の中から抜け出すと、ぺろっと舌をだしてわらった。

 「冗談だよ。ありがと、助かったわ」

 「………」

 「よし、あたしが今日はごはんおごったげよう、ちょっとまっててね」

ひょいひょいとクローゼットから衣類を出して、バスルームに引っ込んだかと思うと、

 「皆川、あんたいいやつだね」

ひどく楽しげなほたるを、ぽかんとしてみていた。

 基地から5キロほど離れた場所に、市街地が広がっていた。

 ローパーにより東京が放棄された後東京に近い交通の要衝として、旧JR高崎線の熊谷駅は急激に発展した。

 埼玉県三郷市から大宮市を経て熊谷にかけてのローパーに対する阻止線、北部防衛線から近く、そのために熊谷の人口は物資の集積による運輸関係者や基地の人間相手の各種サービス業者によってその大半を占められている。

 放棄以前から続く店も多い。

 そして、ここ「ダンテ・アリギエリ」もそのひとつ。

 アルバイトの女の子が、明るい声で告げた。

 「カルボナーラトリプル、お待たせしましたぁ」

 ドン、とばかでかい皿に盛られた、これまた圧倒的な量感を誇るパスタに、皆川はあっけに取られた。

 「はい、アマトリチァーナダブル、お待たせしました」

 続いて向かい側、ほたるの前に皆川のそれより幾分小盛りな皿が置かれる。

 視線が目の前の皿と、ほたるの顔を往復する。

 「…食べないの?」

 「あの、…これ…」

 「見てのとおり、スパゲティーじゃない」

 「…これが?」

 眼下の、うずたかく盛られたパスタの山を見た。

ベーコン、卵、ミルクソース。そして、怒涛のごときパスタ。

 どう見てもカルボナーラスパゲティだ。量を除けば。

 「おいしいわよ。食べないの?」

 あたりを目だけで見回したほたるは、声を潜めて、

 「ここだけの話、次からはトマトソース系にしたほうがいいわよ。ミルクソースはキツいから」

 「?」

 何のことかよくわからずに、パスタを一口。

 なんとも形容しがたい味だった。カルボナーラらしいのだが、どうにも記憶と違うような気もする味だった。ソースだけでなくパスタ自体もなんだか違う。それらが一つとなって、一種独特な味を作り上げていた。

 「………?」

 「ね、いったでしょ。ま、そのうち慣れるっていう人もいるけどね」

 上機嫌でフォークを動かすほたるを見ながら、皆川は小麦粉とミルクソースの要塞の攻略に取り掛かった。

 苦戦はするだろうが、勝てない相手ではない。


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