姉  




「さよなら、長次。元気でね。」

隣に住む五つ年上の姉様は、母の無い俺を実の弟のように可愛がってくれた。
しかし俺が八つの時、その家の貧しさのため堺の廓へ売られた。
大切な姉様が居なくなるなど許されるはずが無い。幼い俺は姉様を連れて行く大人に食って掛った。
だが力の無いガキが大人に向って行っても到底敵うものではない。
足蹴にされ、嫌と言うほど打たれて地に這い蹲り、それでも姉様を連れて行く男達の足にすがったが甲斐もなく、顔に傷を造っただけの徒労に終わった。
以来、姉様の消息は子供の俺には知れなかった。



それから俺は人に心を捕われない様に心がけた。
力の無いがために掛け替えの無い者を奪われ歯痒い思いをするくらいなら、力を身につけるまで誰にも心を開かないと誓った。




十になった時、父に無理を言って忍術学園へ入れてもらった。力を手に入れたいと言った俺に、父は何も言わずに一年分の授業料を持たせ、今はこれだけしか用意出来ないがしっかり勉強しろ、と俺を家から出した。
それから一年間、脇目も振らずに忍術を学び、二年目の授業料は父から送られた分と、休みの日に自分の腕で稼いだ分とで賄える様になった。三年目、四年目と年を経て力を身につけるにつれ、わずかばかりだが俺の方から父に仕送りが出来るようになっていた。




夏休み、実家に帰る途中の茶店で同じ郷里の男が数人休んでいる処へ行き逢った。
知り合いと当り障りのない近況の話をするなど面倒だ。
笠を深くかぶり陰に入ると男達の話し声が耳に飛び込んできた。それは六年前に俺の目の前から居なくなってしまった姉様の噂話だった。姉様は堺から少し離れた街の廓に居ると。
勘定を置き、話に聞いた街へと向って歩いた。



その街に着いたのは陽の落ちる、宿屋が必死で客を掻き入れる頃だった。
宿屋が軒を連ねる通りから一歩裏路地へ入った、置屋と廓が並ぶ通りを姉様の名を訪ねて歩いた。
三軒目の廓で姉様と同じ名前の年頃も同じ女が居ると言う。在所を尋ねると俺と同じ邑の名が返って来た。今は太夫と座敷に出ているからと、狭い部屋に通された。


茶を一杯飲むほどの時間で部屋の障子が開く。そこには頭を下げて女が一人座っていた。
女はゆっくりと頭を上げ微笑む。
それは姉様だった。


「今晩は。さな、と申します。お声を頂きありがとうございます。」
姉様はさらりとした細い声で挨拶をする。俺が誰であるか気付いていなかった。


「お客さんお若いようですけどお名前、何とお呼びしましょうか。にいさんで宜しい?まだ旦那と呼ばれる歳でもないでしょう。」
盆の上に徳利と杯を運びながら、白い顔に赤い紅をひいた唇でかすかに微笑む。笑顔は昔のままの温かさがあるが悲しい目で笑っている。
姉様は杯を一つ俺に渡し、酒を注いだ。カチカチと杯が音を鳴らすのは、俺の手が震えているから。

「にいさん、緊張してなさる。こんな店に来るのは初めてのご様子。」
姉様は微笑んでいる。緊張している俺を可笑しくて笑っているのではなく、見守るような微笑だった。



「あんた、あとどれくらい年季が残っている?」
唐突に発した言葉とその意味に、姉様は一瞬驚いた顔をして、小さく笑う。

「私の年季?とっくに終わって借金も無いのよ。」
じゃぁ、なぜまだ廓に居るのかと聞こうとしたが、それは姉様の言葉にさえぎられた。

「借金も無いけど、行く場所も無いの。里の両親は疾うに死んでしまったし、いまさら邑にも帰れない。ここなら仲間も居るし、いろんな人に会って珍しい話も聞ける。私は私なりに満足しているのよ。」

俺はそれ以上話しをする事が出来なかった。


父に渡すはずだった金を酒代と称して置いて部屋を出た。酒代には余りに多すぎる額に姉様は俺を留めてどこかへ足早に消え、暫くして一人の少女の手を引いて戻ってきた。ふっくらとした頬の黒い瞳の少女は年の頃十二・三だろうか。

「この娘、今日売られてきたの!このお金、これだけあればこの娘を郷に返せる。いいでしょう、この娘のために使っても。」
振り向きもせずに無言で歩き出す背で姉様と少女の嬉しそうな声が聞こえた。


廓の暖簾をくぐり外へ出た所へ後ろから姉様がやって来て、俺を送り出すために頭を下げた。そして、
「ありがとうございました。―――――――――――ありがとう、長次。」
小さく呟いた声に振り向くと、もう姉様の背しか見えなかった。





結局俺には力が無い。
学生の身分で武将達と渡り合うだけの技量を身につけながら、肩の細い女一人救えず、いや、救いを望みもされず、過去に捕われたままの自分の方が救われたのだ。




普段にも増して不機嫌な表情で歩いているであろう処へ聞き慣れた声が掛かった。

「どうした長次、機嫌が悪そうじゃないか。悩みか?心配事か?相談に乗るぞ。その代わり・・・・」
人が機嫌を損ねている時に限って涼やかな声で話し掛けてくる奴。

「仙蔵、何故お前がこんな所に居る。」
月明かりに黒髪と白い肌を光らせて立つ姿は相変わらず。

「私の家はそこの門。この辺りじゃ名の通った置屋なんだよ。先刻廓の女を捜し歩いているこの辺じゃ見ない不審な男が居るって聞いて出て来てみりゃ、廓に入るお前を見かけてここで待っていたのさ。馴染みの女でも居るのか?それにしちゃ出て来るのが随分と早いじゃないか。」
無言のままでいると仙蔵が柳の陰へと袖を引いた。

「今からじゃ家へも帰れないだろう。泊まっていけよ。私は離れを持っているから静かに眠れる。ねぇ、長次。」
「お前と一緒に居て静かに眠れたことがあったか。」



そして俺はコイツに対しても無力だ。
技なら互角だが、力で俺の方が勝る。本気で斬り合えば俺が勝つだろう。
にもかかわらず、身体の細いこの男の我侭に逆らえない。


「金が要る。斡旋屋を紹介してくれ。」
「なぁんだ、そんなこと。だったら尚更、私のところへ来いよ。人手が足りなくて困ってたのさ。」
姉様とは違う艶やかな微笑みを浮かべ仙蔵は俺の手を牽いた。


俺よりも力の弱いはずの人間に、いとも簡単に俺は動かされ、逆らうことが出来ない。
力でねじ伏せてしまえばいいものを、そうは出来ないのは何故なのか。



それが解らないうちは、俺はまだガキなのだろうと思う。






・・・fin・・・
2001/07



仙蔵兄様、今夜のお楽しみをGETした所でお終いですvv
長次の周りに居る女性は薄幸の美女ってのが似合いそうで。
対して仙蔵兄様は幸せと楽しみは見逃さないぞ美人ですが。



目隠庭園の暮松様に私専用の『ラブリー長次のキュートなうりうりアイコン』を造って頂いたお返しにお礼と称して送りつけたもの。書いているときは気づかなかった、暮松様に指摘されてはじめて気がついた「長次の初恋ラブストーリーv」
ホントだ、改めて読んで見りゃ初恋ですな、こりゃ。年上の女性か。やるじゃん、長次。やっぱあんたって渋いよ。ん〜・・・LOVE!




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