【君の記憶の中の人】





―――そっちへ回ったぞ、捕らえろ!
―――居た!このガキ・・・がはっ?!


暗闇の中で見えない戦闘が続く。
いや、戦っている当人達には見えていたのだろう。
追う者と追われる者。
追われる者は一人、対して追う者は五人居た。寸刻前までは。
だが、追う者達は次第に数が減り、今ではたった一人になっていた。


―――ガキ、奪ったものを返してもらおう。
「そんな物いつまでも持っていると思ってんのか?俺は囮、お前達の掃除役だ。」
―――双忍か。


そう呟くなり切り掛ってきた追手の脇をすり抜け、振り向きざまに苦無を首へ打ち込むと顔に血飛沫が飛ぶ。表情に僅かな変化も浮かべずそれを袖で拭い、三郎は星を見上げて任務のために直走っているであろう彼を思い浮かべる。

「雷蔵ももうじき任務を終了する頃だ。」



依頼主はある地方の領主とそのお抱え商人。盗まれた密約を交わした書状を敵方から取り戻して欲しいと学園長は頼み込まれ、仕方なく引き受けた。
敵方の砦に潜り込んで書状を盗み出し運ぶだけの簡単な仕事であったため、学園長は五年生の鉢屋三郎と不破雷蔵にその仕事を言いつけた。砦はそれほど警護の厳重な所ではなかったから五年生なら充分やり遂げるだろうと思った。
しかし、三郎と雷蔵が忍び込んだ日に限って十名の忍が警護しており、二人は発見され追われる羽目になった。

「雷蔵、追手は俺が引き受けるからお前は手紙を持って走れ。」
「判った。終わったらそのまま学園に戻るから、三郎も気をつけてね!」

二人はそのまま分かれた。



雷蔵は取り戻した書状を懐へ忍ばせ、一路依頼主の元へ向っていた。追手は全て三郎が引き受けてくれた。障害は何も無い。
依頼主の館へ到着し、門を叩く。学園長の使いであることを伝えるとすぐに領主の元へ通された。


「お探しのものを見つけてまいりました。」

雷蔵は頭を垂れたまま書状を差し出す。
手紙を受け取った領主と商人は中身を改めると雷蔵に静かに問い掛けた。

「其の方、中を読まなんだろうな。」
「無論のことです。」
「そうか。大儀であった、大川殿にもよろしく伝えてくれ。」

学園長宛の謝礼と手紙を預かり雷蔵は館を後にした。


「なんだか胡散臭い人だった。」

そう独りで呟いて学園へ向けて緩やかに駆け出した。


月は無いが明るい夜だ。満天の星が降り注がんばかりに美しく輝いている。明日もいい天気になりそうだと空を仰ぎ見た時、雷蔵の頬を掠めて何かが飛んだ。
それは重い音を立てて地面に突き刺さる。

「苦無!追手か?」

すかさず雷蔵は刀を抜き身構える。追っ手の正体は何処の手の者か?
先刻三郎と忍んだ砦の者ではなさそうだ。だとすると・・・。

「御領主の差し金か?ならば忍術学園の者と知って何故狙う!」

気配を確かめると三つ、凄まじいとまでは行かないが殺気がある。雷蔵を子供だと見下しているようだ。
依頼主である領主から追手が掛かったと言う事は、あの書状の内容はよほど大事なものでそれを絶対に外に漏らしたく無いのだろう。雷蔵が手紙の中を見たか見ないかはさほど問題ではなく、要は疑わしきは消してしまえということだ。

雷蔵は懐から煙玉を出し炸裂させ、その隙に学園へ向けて走り出す。
学園まではあと二里ほど。余計な諍い事は作りたくない、学園に逃げ込めば奴らも手が出せない。
明かりの無い山道を影達が駆け抜ける。


領主の追手はなかなかの手練であった。三つに別れ殊更上手く標的を追う。
逃げているつもりが追い込まれていることに気がついたときはもう遅かった。
雷蔵は三人の忍に崖淵まで追い込まれ退路は無い。崖の下はとうとうと流れる濁流、崖の高さはかなりある。
雷蔵の背に冷や汗が流れると同時に、一人が刃を向けて飛び掛ってきた。

「っく・・・!」

雷蔵は刃を避けながらそのまま流れの中に見を躍らせた。
大きな水飛沫を上げて落ちた雷蔵が浮いてこない事を追手は確認する。 


「死んだな。」
「ああ、死んだ。」
「死体は流されてしまった、それでいいな。」
「それでいい。忍術学園の在学者に手を出したとあっては我々も只では済まない。」
「手は出して居ない。奴が勝手に飛び込んだ、それでいい。」
「契約は明日の日の出をもって終了だ。早々に立ち去ろう。」


忍術学園の在学者を手にかけて只では済まない。

それは闇の世界では暗黙の中の周知の事実。
しかしながら雇い主の命令も絶対である。雇われの身であった追手の忍は命令を遂行しつつ、己の保身も果たした。詰まる処この忍達も禁忌を犯してまで仕える値打ちのない雇い主のやり口に辟易していたのである。



三郎は自分が戻ってきた事を学園長に報告していた。途中雷蔵と二手にわかれ書状は雷蔵が領主の元へ、自分は追手を引き付けて始末した事も。

「そうか、では雷蔵もじき戻るであろう。ご苦労であったな鉢屋、下がってよいぞ。」
「・・・・では失礼致します。」

そう言って下がったものの三郎は首を捻る。雷蔵がまだ戻ってない。
自分は領主の館とも学園とも反対の方向へ走り追手を誘い倒した。雷蔵の方が自分より早く学園に到着していると思っていたのである。追手は全て潰したのだ、暫くすれば無事帰ってくるだろう。
納得して三郎は風呂場へ向かう。先程の斬り合いでかなりの返り血を浴びて血の匂いを漂わせたままで雷蔵と見える訳には行かなかった。

「なにしろ今日は週に一度の口付けの日!」

途端に三郎の顔がニンマリとろける。



三郎が雷蔵に恋人としてのお付き合いを申し込んで半年経つ。

しかし三郎と雷蔵の恋愛観念には大きく差があった。三郎は恋人関係イコール身体と身体のお付き合いであるが、雷蔵にとっての恋人は心の拠り所であるのが第一であった。
三郎から愛していると告げられ俯きながら了解した雷蔵はその場でいきなり押し倒された。
突然の暴挙に驚き、そんな事をする三郎には着いて行けないと泣き出す雷蔵に三郎は困り果てて、提示した解決案が「週に一度の○○の日」である。
三郎製作による週間予定表はこうなっている。


月曜日・・・週に一度の手を繋いで寝る日
火曜日・・・週に一度の足を絡めて寝る日
水曜日・・・週に一度の抱っこの日
木曜日・・・週に一度の胸を触っていい日
金曜日・・・週に一度の雷蔵から三郎に口付けの日
土曜日・・・週に一度のキスマークを付けていい(見えない所に1個だけ)日
日曜日・・・週に一度の口付け(五秒間だけ舌を入れても良い)の日


はっきり言って雷蔵は騙されている。


血の匂いもきれいに洗い流し、後は雷蔵の帰還を待つだけとホクホク顔で居た三郎だが時間が経つにつれて表情に険しさを増す。

「おかしい、遅すぎる。」
痺れを切らした三郎は学園長の元へ向かった。

「学園長、雷蔵の帰りが余りにも遅すぎます。厄介ごとに巻き込まれたかもしれません、迎えに行ってもよろしいでしょうか。」
「そうじゃの。疾うに帰ってきて居ってもよい時間じゃ。鉢屋、行ってくれるか。」
「はい。」

三郎は音も無く姿を消した。



程なくして三郎は依頼主の館方面から学園へ向かう山道で複数の足跡を見つけた。
追う者と追われる者。その追われる者の足跡は雷蔵の物であった。
三郎には雷蔵が追われている様子が手に取るように思い浮かぶ。いやな予感が頭をよぎる。

「まずいな、この先は崖だ。」

その嫌な予感が当たってしまう。
複数の足跡は崖の手前で止まっており、そのうち一つは滑り落ちていた。

「雷蔵!落ちたのか?」

三郎は崖下を確認するが暗い上に流れが速く雷蔵の姿は確認できなかった。三郎は焦りの色を濃くしたまま川に沿って下った。



空が白々となり辺りも薄っすらと明るくなってきた。
雷蔵を見つけられない三郎の背中や額は冷や汗で濡れ、気の遠くなる思いがした。
雷蔵を探していると川縁に掘建て小屋が眼に留まった。朝も早くから煙が上がっている所を見ると人がいるようだ。三郎は話を聞くために尋ねて行くと中では母娘が朝餉の用意をしていた。


「朝早くから失礼します。この辺りで私と同じ顔をした少年を見かけませんでしたか。昨夜その川に落ちて流され行方不明なのです。年の頃も私と同じ、濃紺の衣服を身に着けているのですが・・・あ、すみません、まだお休みの方がおいででしたか。」

部屋の奥に敷いてある布団の中に包まっている人の姿を認め三郎は声を潜めたが思わず息を詰める。
掛けられている布団から見える髪の色は見間違うはずも無い雷蔵の髪であった。

「貴方がお探しはあの方では。私共の仕掛けた簗に引っかかっておいででした。息は有るのですが意識がなくて。」

母親がそう指差す方へ慌てて駆け寄り布団をめくると、雷蔵は女物の服を纏い寝かされていた。
三郎は雷蔵の息を確かめ、額に手を当てる。熱は無いが流される途中で岩にでもぶつけたのだろうか、額に大きなこぶが出来ている。
首筋から、胸に手を当ててみると傷は無いものの身体が氷のように冷たい。三郎は母娘に失礼と断ると雷蔵を裸にし、自分も服を脱いで一緒に布団の中にもぐりこんだ。


冷えた雷蔵の身体をぎゅっと抱きしめる。
夢にまで見た光景ではあるが今は悠長な事は言っていられない。身体を密着させたまま、手は背や肩を擦り血液の循環を促す。
そうするうちに雷蔵の頬に赤みが射して、瞼もぴくぴく動き始めた。

「雷蔵、雷蔵、聞こえるか・・・俺だ。」

耳元で三郎が優しく名を呼ぶと雷蔵はゆっくりと瞼を開いた。ぼんやりと焦点のあっていない様子で三郎をじっと見ている。と、次第にその眼にたくさんの涙をためて三郎に抱きついた。

「にい様!とても怖い夢を見ました。にい様が雷蔵を置いて居なくなってしまう夢です。でも良かった、にい様はちゃんとココに居る。」

怯えた子供のように三郎の胸に額をすりつけ、そのぬくもりと存在を確認すると安心してニッコリ微笑んだ。

一方の三郎は何が起こったのか暫く解らなかった。



雷蔵が意識を取り戻して後、三郎は雷蔵が歩ける事を確認すると母子に重々な礼を述べて学園へ戻った。その道のりでの雷蔵は以前の様子は全く無く、する事なす事まるで子供のようである。乾かして貰った忍装束も自分一人では満足に着けられず三郎が手伝ってやった。
毒性の植物に手を伸ばしたり危険な崖に近寄って行ったり、学園敷地内に入っては訓練用の落とし穴に落ちる始末である。五年間学んできた忍としての心得はおよそ皆無であった。
しかし邪気の無い済んだ瞳で三郎を見つめる様は以前の雷蔵そのまま、「にい様」と甘えた口調で呼ぶ姿は以前にも増して愛くるしいものが有り、当惑しているものの口元が緩むのを禁じえない三郎である。




校医の新野と三郎は頭を突き合わせて悩んでいた。

「で?」
「『で?』とは?」
「雷蔵が頭を打って記憶を無くしているのは解りました。『で?』精神的に幼児化しているのは何故ですか。私を兄と呼ぶのはどうしてですか。」
「それが解らんから困っているんですよ。」
「困っているのは私です。」
「何故です?」
「何故って・・・。」


その横にちょこんと座った雷蔵は三郎の服を握り、しんべヱから貰った飴を美味しそうに舐めている。それは無邪気かつとても無防備に。
この無邪気な愛らしさが三郎の欲望を揺さぶるのは、学園の者なら容易に想像しうる事であろう。

「木下先生がご両親のもとへ報告に行かれましたから詳しい話はそれからです。雷蔵君の幼少の様子が分かれば治療法も見つかるかもしれません。それまで雷蔵君の世話は貴方に任せるしかないでしょう、ですが!くれぐれも変な気は起さないように。今の雷蔵君の心は子どもなのですから、心に傷を負うとそれこそ精神が壊れかねません。いいですか、いいですね、解りましたね、任せましたよ、お兄さん。」

三郎は重々に念を押され保健室から返された。


いずれにせよ雷蔵の面倒は自分が見なくてはと三郎は意気込んでいる。
今の雷蔵は三郎の姿が見えなくなると大きな声で泣き出すのだ。
ほんのちょっと自分が厠に入っている間に事情を知らない同級生が宿題を教えて貰おうと雷蔵の手を引いて教室へ向って行こうとした途端。

「にい様!助けて、知らない人が!!やだ離して、にい様、にい様ー!!」

と一騒動有った。お陰で学園全体に「雷蔵幼児化」の話は広まり面白半分に見に来る六年生、心底心配して見舞いに来る四年生とそれが面白くないその友人、何を勘違いしてか「育児要項」の本を持ってきた事務員、お近づきになるチャンスとばかりにお菓子の差し入れを持ってくる一年生三人組など来客は絶えない。

あまり雷蔵の気を疲れさせてもまずいので、病状に触るからとそれ以上の来客は追い返し二人は食堂へ向かった。先ずは腹ごしらえも必要である。

今日の献立は煮物と焼き魚である。
三郎は先に雷蔵を席に着かせて二人分の食事を運んできた。

「さ、こっちが雷蔵の分だよ。ここでの決まりは絶対にお残ししちゃいけないんだ。雷蔵は全部食べられるかな?」
「はい、頂きます!」

ところが、煮物に入っている里芋を雷蔵は塗箸で上手く掴めない。突き刺すのは行儀が悪いと母の厳しい教えで懸命に掴もうと努力するが、里芋は器の中でぬらりくらりと転がるばかり。
いつまでたっても口の中に入ってくれない里芋と格闘していた雷蔵が、とうとう泣き出した。

「にい様・・・・にい様ぁ〜・・・。」
「んぁ?なんで泣いてんだ??里芋か、よしよし、私が食べさせてやるから泣くな。ほら雷蔵、あ〜ん。」
「あ〜ん。」

口をもぐもぐさせてニッコリ微笑み、「も一つあ〜ん」と言われれば素直に口を開けて待っている。
三郎にとっては至福の時間である。
周りの人間は俯いたままに食事を終えてそうそうに立ち去った。

いつもの倍以上の時間を掛けて食事を終えた二人、次は風呂へと向かう。
脱衣所で三郎は手早く脱ぐと次に雷蔵の服を脱がせる。着慣れているはずの忍装束も今の雷蔵には難関である。

「ほい雷蔵、右手曲げて、次左手、はい両手をバンザーイ、降ろして、次右足ね、よし左足、後ろ向いて、コラ褌がまだだろう、脱いだものはたたんで籠に入れるんだぞ。待て待て、前は隠して行けー!」
三郎はしっかり母親していた。



慌ただしい一日が終わり雷蔵が寝付いた頃、部屋の外で鼠がチッチッと鳴く声を聞き三郎は音もなく布団から抜け出した。
木下が雷蔵の家族に詳細を伝え戻ってきたのである。

「雷蔵のご両親はなんと?」
「雷蔵には六つ年上の兄が居たそうだ。顔は今の雷蔵にそっくりで病弱な母君に代わり兄が雷蔵の世話をしていたのでべったり懐いておったが、雷蔵が八つの時に病で亡くなったそうだ。だからその時の落胆振りは酷かったと。話の様子から今の雷蔵は八・九歳頃に戻っていると思われる。ご両親は雷蔵が落ち着いておるのならこのまま学園で生活させても構わないと仰っておる。どうする三郎、お前このまま雷蔵の面倒見るか?」
「もちろんです。」
「では雷蔵はお前に任せるとして問題が一つあってだな、その・・・母君の仰るに雷蔵は・・・。」
「雷蔵は・・・?」

途端に木下は渋い表情をし、声を潜め三郎に耳打ちした。三郎も木下に近づき小さく聞き返す。

「・・・・・九つまでお寝小が治らなかったそうだ。」
「は?」



暫しの沈黙を置いた後、閉じた障子の向こうから三郎を呼ぶ雷蔵の鳴き声がした。



次の朝はよい天気、五年生忍たま長屋には布団と白い寝巻きと褌が干されていた。
その前ではいかにも憔悴しきったという顔の三郎があった。
普段見ることの無いやつれた表情に、学級委員長が遠慮がちに声をかけてきた。

「まぁ、今の雷蔵は子供と一緒なんだから寝小便くらい仕方ないんじゃないか?」
「そうじゃない。雷蔵のものなら小便だろうがなんだろうが汚いとは思わんし、世話をしてやるのも苦じゃない。ただ・・・」
「ただ?」
「無防備で愛らしい雷蔵が布団の中で俺にぎゅぅっとしがみ付いてニッコリ微笑んで眠りに付くんだ前は俺がちょっと手を伸ばしただけで蹴られたり叩かれたりしたのに今は俺にしがみ付いてくんだ俺が抱きしめたら暖か〜いって微笑んで胸に頭擦り付けてくんだ風呂でだって素っ裸の雷蔵が素っ裸の雷蔵が素っ裸の雷蔵が身体拭いてーって俺のトコに微笑みながら走ってくるんだなのになのにっ・・・!手どころか舌すらも出せないだなんてこれじゃあまりに惨過ぎるっ!!」

そこまで一気に喋りきった三郎は拳を握り締めたままピタリと固まった。
そして小さな声で呟く。

「それだけじゃない。」
「まだ何かあるのか。」
「雷蔵の目に映っているのは俺じゃなくて死んだ兄貴だ。今の雷蔵の中に鉢屋三郎は居ないんだ。」
「そりゃぁ・・・・つらいな。」

心中を察した学級委員長は慰めの言葉も見つからない。



病状に変化無く、雷蔵は自分が学園に居る理由も疑問に思わないまま一週間が過ぎた。雷蔵にとっては大好きな兄と始終一緒に過ごす幸せの日々、一方の三郎は生肉を眼前でちらつかされている空腹の狼である。このままではいつ自分が雷蔵を襲うか解らない危険な状態だ。
取分け雷蔵の中から鉢屋三郎という存在が無くなっている事が非常に腹立たしく悲しい。
雷蔵の記憶を戻す手段を三郎は調べ、記憶を失う直前と同じ行動を取らせる事が一番有効的であると言う結論に達した。
三郎は事情を学園長に説明し一週間の休学を願い出た。学園長も新野先生の参考症例にもなるし授業の一環になると快く認めた。
雷蔵は三郎と旅に出られるのでとても喜んでいる。

「良かったな雷蔵、お前見捨てられてなかったぞ。学園も手塩にかけてきた生徒を今更捨てる訳には行かなかったんだろう。ま、学園がお前を捨てても俺がきっちり拾うけどな。」
「にい様、雷蔵はよく解りません。」
「いいんだ、私の独り言。」


道中は手を繋いだまま、傍目から見るとにこやかな情景ではあるが実際三郎の心中は穏やかではない。
雷蔵の記憶が戻らず自分を兄と思い込んだままだとしたら?
このまま一緒に暮らすのもいいだろう。それはそれで一つの幸せではある。しかし雷蔵が慕うのは兄の形をしている三郎であり、鉢屋三郎個人ではないのだ。早く記憶を取り戻したいと心は焦る。


三郎は自分達の忍び込んだ砦を雷蔵に見せても反応は特に無かったが、依頼者であった領主の館を見せたとき、雷蔵の表情がわずかに曇る。


「雷蔵、この館を見た覚えは無いか?」
「初めて見ます。でもこのお館、雷蔵はあまり好きでは有りません。なんだか暗い感じ。」

初めて見るとはいいながら雷蔵の様子で、この館が雷蔵の記憶喪失に何らかの関係があるのだろうと予想はつくが確かな事は何も無い。
三郎は雷蔵の手を取って足跡のあった通りに山中の崖へ向かおうとも思ったが、そろそろ日も暮れる頃なので近くの街で宿を取った。

小旅行で喜び昼間はやや興奮気味だった雷蔵は、疲れのせいで食事の時からうつらうつら舟を漕いでいる。そんな雷蔵を優しい瞳で見つめる三郎、しかしその眼の奥には悲しみがある。その更なる奥には欲望もある。
抱っこも口付けもすべてお預けなのに、雷蔵から片時も離れられないのでこの一週間は自慰すらしていない。そろそろ本気でヤバイと思う。

雷蔵が寝静まってから一人厠へ・・・・。
と思ったが、雷蔵は一人では布団へ入ってくれずあまつさえ三郎の寝間着の袖口をしっかり握ったまま眠っている。下手に動けば起こしてしまう、かと言ってこのまま鼻っ先をくすぐる雷蔵の髪の匂いと寒いからと絡められた柔らかな素足の感触を愉しんでいる余裕はない。
既に顔は熱く火照っているし額には脂汗も滲んできた。ちょっと気を抜くと熱を帯びた身体の中心がムクリと起きあがりそうだ。頭の中で必死に念仏を唱え九字を切り気を逸らしていたところへ、雷蔵がもぞもぞと動き三郎の身体に更にぴったり密着してきた。

―――お・お・・オイオイ・・・・やばいって、雷蔵・・・・・。

雷蔵と僅かでも距離を保とうと頭が思ってみても、身体が動かないのは惚れた哀しさか。せっかくくっついている温もりをみすみす見逃したくもない。そうこうしている内にとうとう三郎の中心は起きあがってしまった。その場所はちょうど雷蔵の腰の位置に当たっている。
その起きあがったものに、同じく熱い固まりが触れているのを感じる。

―――これは・・・雷蔵の!?なんで膨らんで・・・・。

色々な想いが頭の中でグルグル巡っていたがはたと思う節があり三郎は雷蔵を叩き起こした。

「雷蔵起きろ!厠に行くぞ!」



翌朝、雷蔵は寝ぼけ眼で三郎と並びとぼとぼ歩いていた。夜中に便所に起こされた為に寝不足なのであろうが、もっと深刻なのは三郎の方である。
昨夜は一睡もしていない。

雷蔵を叩き起こして便所へ連れて行ったが如何せん子供である雷蔵は眠気が手伝って愚図る。その尻をたたいて便所へ立たせたはいいが、雷蔵の股間は大きく誇張したままで下を向かない。雷蔵は立ったまま半分眠っており、早く用を足させなければまた着物を汚してしまう。そう思った三郎は仕方無し、あくまでも仕方無しに自分の手を雷蔵のそれに添えて用を足させた。

その感触が・・・・

―――忘れられん!自分の手に、この手の中に雷蔵の・・・・!!

悶々とした欲望を抱え、それをどう処理する事もできず朝まで同じ布団に入っていた。
近すぎる愛しい存在。なのに抱けないもどかしさ。
無理を押せば抱くことは容易い。今の雷蔵に自分を拒むだけの力は無いし言葉で言いくるめるも簡単、しかしそれで何が残る。
優しく抱き寄せても乱暴に突き放しても雷蔵の中に残るのは三郎ではない、兄の姿だけなのだ。三郎の中に残るのは虚しさだけしかない。

―――やはり早々に雷蔵の記憶を取り戻して・・・でもどうしたらいいか。昨日の様子ではまるっきり効果はなかったようだし、今からあの崖の近くまで行ってみるか。どちらにせよ兄弟のままではなぁ・・・役得も多いがやりたいこともやれんし、雷蔵が弟だなんて・・・。

「雷蔵が弟だなんて嫌だ。」


知らず口をついて出た言葉。
すると雷蔵がはっと瞳を見開いて三郎を見た。
大きな瞳にはみるみるうちに涙が溜まってぽろぽろとこぼれ落ち、雷蔵は泣きながら走り出した。

「わぁぁぁん、にい様が、にい様が雷蔵は要らないって、雷蔵は嫌いだってー・・・」

バタバタと無様に走りながら雷蔵はあの崖のある方へと向かってゆく。三郎は危険を察知し後を追うが不覚にも追いつけない。
涙で前は見えていないであろうに、雷蔵は耳も貸さず走る。

「雷蔵!待て、そっちは崖だ戻って来い、雷蔵!」

迂闊だった。今の雷蔵にとって聞かせては成らない言葉だった。
後悔の念は置き雷蔵を捕まえようとしたが、細かく動き回る雷蔵はなかなか捕らえられない。
雷蔵はだんだんと崖に寄っていた。三郎が危ないと叫ぼうとしたとき、雷蔵は草の根に足を取られ転んだ拍子に崖縁から身が乗り出してしまった。

「助け・・・にい様・・・あ・・・わぁーっ!」

「雷蔵!」

咄嗟に縄を投げても雷蔵はその縄を掴むことなく流れの中に落ちていった。






「雷蔵・・・・しっかりしろ。大丈夫か?頭、痛くないか?」

雷蔵はぼんやりとした意識の中で目を開けた。
ここは何処だか見覚えのない小さな小屋の中。
自分は布団の中で三郎に抱きしめられている。やたらと肌に熱を感じるのは・・・。

「えっ、僕・・・・・・・・・裸!?なんでぇ、さぶ・・・・ろ?」
「良かった・・・。俺の雷蔵だ。」

三郎は雷蔵の体を抱き寄せるときつく抱きしめ、大きく息を吸い込みながら雷蔵の体の匂いを胸一杯に吸い込んだ。

「俺の雷蔵だ。」
「何言って・・・ね・・ぇ、誰か人が居るじゃない。」

ここはあの母娘の小屋、再び梁に引っかかり助けられたのだ。
他人が居るのに抱きしめられる恥ずかしさで、放してよと小さな声で訴えても三郎は聞かなかった。しばらくもぞもぞ動いていた雷蔵も懐かしく感じられる温もりを手放すのは惜しい気がして三郎の好きにさせていた。




「三郎、まだ書き終わらないの?」
「んん、もう少し・・・・。今、結果とまとめを書いてるから。」
「もう遅いよ、明日にすれば。」
「学園長には明日の昼に渡すと言ってあるんだ。今夜中に書き上げて読み直さないと・・・・。」

三郎は今回の出来事を報告書にまとめている。
雷蔵の証言から依頼主であった領主と商人には忍術学園からの手痛い報復があり、偶然ではあったが二度にわたり雷蔵を助けてくれた母娘には充分な謝礼も出された。
雷蔵の病状について詳細な様子を書いてまとめ上げているとき、後ろでこっそりそれを読んでいた雷蔵が顔を真っ赤にして三郎に尋ねる。

「ね、三郎・・・。記憶喪失の病状を細かく書く事って大事だとは思うけど・・・・これ、抱き心地とか温もりとか、髪の匂いとかって必要なのぉ?」
「あ、そっちはっ!!」
「ひょっとして学園長への提出用はもう出来上がってて、今は君個人用を書いてる?」
「う・・・・ん、まぁ、その、俺だけの雷蔵メモリアルっていうか・・・・。」
「やだよ、そんなのぉ。だってお寝小のことも書いてあるんだろう。」
「それだけじゃない、雷蔵のアレを握って用を足させたことも・・・・。」
「やめてよー、君のことだからそれも細かく書いてあるんだろう?ねぇ三郎、それやめようよぉ。」
「いいだろう俺だけが見るんだから、あっ、こら返せ!」

深夜にも関わらず部屋の中をバタバタと騒がしく暴れ回っている内に、三郎は雷蔵に覆い被さる形になりながらやっと紙を取り戻した。勝負に勝ち誇りながらふと我に返ると、体の下で記憶のない時の眼差しで笑っている。
ひょっとしたら。
もしかしたら。
名前を呼んだら「にい様」と呼ばれそうで、こわい。

「どうしたんだい?怖い眼。」
「俺は・・・誰だ?雷蔵。」
「なぁに、今度は君が記憶喪失?僕の上にのしかかってくる厚かましいやつは君だけ。重いよ、どいて三郎。」
「雷蔵、恋人としての俺のこと、好きか?」
「僕はねぇ・・・三郎が好きだよ、君が好きなんだ。」

雷蔵の中に自分の存在を確認した事にほっと心の中で胸をなで下ろしながら、今日が金曜日であることを思い出し、今までお預けになっていた週間予定表を全て消化しようと三郎は目論んだ。






・・・fin・・・
2001/12



見切り発車のマナコ様がお踏みになった我が家のキリ番222のリクエスト作品です。『用事で忙しい三郎に仔犬のようにまとわりつくちょいと寂しがりな雷蔵と、それが目から涎が出るほど嬉しいものの忙しくて構えない涙の多忙三郎』 で、ひとつ・・・・・・!!! は、鉢雷で・・・!!!
たしかご希望は上記の通りでしたが・・・・玉砕しました。
気持ちはあったんですよリク内容に沿おうと。でもでもどうしても話の筋がこう少しづ〜つ右の方へ反れて・・・・。
ごめんなさい。




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