「ふ……ふふ……これで………これで……」  
「何故……何故、アイリスを取り込まなければ、ならなかったんだ? しかも、しかも120人も……」  
"アイリス"は、自らの両手を見つめながら、何事かつぶやいている。  
僕は頭の中が真っ白になりつつも、"アイリス"に向かってつぶやいていた。  
――どうしても、これだけは聞いておきたかったから。  
「……何か勘違いしているな。オマエたちの目からは、そう見えるのかもしれないが、  
私はただ単に、元の私に戻ろうとしただけなのだぞ?」  
「元の……アイリス………?」  
こちらのほうを見ようともせずに、右手をうごめかしながら、"アイリス"は答えた。  
まるで、『雨が降ってきたから、傘をさした』くらいに平然と。  
……それはまさに、興味が無い相手に適当に返事をする時の、アイリスの口調そのものだった。  
こういうところを見ると、確かに彼女はアイリスそのもの、みたいなんだけど……。  
「そう、オマエが呼び出した魔法陣だと、私はそのままこちらへ来ることが出来ぬのだ。  
だから、断片的な意思を共有させた"私"を、124に分けることによって、  
こちらへ来ることが可能になったのさ。そして最後に私がこちらに来ることによって、  
125に分かれた"私"は、本来の私の姿に戻れる……そういうことさ」  
「そ……んな…」  
僕がそんなことを、ぼんやりと考えているのを知ってか知らずか、"アイリス"は平然とつぶやく。  
震える声とは裏腹に"アイリス"の説明に、妙に冷静に納得している自分がいた。  
 
――要は僕と一緒にいたアイリスは、分割ファイルの一部みたいなもので、目の前の"アイリス"は、  
それぞれの"アイリスたち"を結合させるための、解凍ソフトみたいなもの、なのか――  
 
頭ではそう理解していた。だが感情が、理解しようとはしなかった。  
そう、僕と一緒にいてくれたアイリスは……アイリスは、僕のことを………!  
 
「ふん。本来話す筋合いは無いのだが、仮にもオマエは"私"を召喚してくれた者だ。  
それに敬意を表して、事実を述べたまでだぞ? まあ、信じる信じないはオマエの勝手だがな……」  
まるで興味が無い、と言うふうに首をコキコキ鳴らしながら"アイリス"は言葉を続けた。  
依然として、うごめかしている右手を見つめたまま、で。  
「でも……アイリスは…ひとことも、そんなことを………」  
「まあ、言う必要はないからな」  
「いや! そ、それどころか、何も知らなかったみたいだし……!」  
地面に視線を落とし、ぽそぽそつぶやく僕に、"アイリス"は冷たく答える。  
僕はその言葉を打ち消そうと、ぱっと顔をあげ、必死に"アイリス"に向かって叫んでいた。  
「さあそれよ。今までオマエと一緒にいた"私"は何かおかしいのだ。召喚されて一年も経つのに、  
未だに召喚主と一緒に暮らしているわ、私の"呼びかけ"には応じようともしないわ……。  
おかげで、使う予定のなかった使い魔を、使わなければならない羽目になるわなんだで、  
ここまでなるのに、ひと月も掛かってしまったわ………」  
初めて僕に向かって顔をあげ、"アイリス"は答えた。……ひと月……そういえばアイリスも、  
ひと月くらい前から物忘れとかが激しくなってきたとか、言っていたっけか……。  
それって"アイリス"が言っている、"呼びかけ"のせいなのかな……。  
ぼうっとした頭の中で、そんなことを考えていた。  
もっとも、アイリスがこんなことになってしまった今となっては、もうどうでもいいこと、だけれど。  
僕は半ば諦めたように首を振り、ため息をついた。  
 
「でもまあ、それもこれも今日で終わり。これで私は、私に戻れる………」  
右手から視線を離し、初めて僕のほうに目を向けながら、"アイリス"は言った。  
恍惚としたその笑みは、エッチのとき先にイッた僕を見て、心底嬉しそうに微笑むアイリスのそれだった。  
 
………といっても、いつも僕が先にイッてるんだけど。そういえば、アイリスが先にイッたことって、  
今まで一度もなかったよね。召喚した途端、僕とエッチし始めて、先にイッた僕が主人になって、  
それからはずっと……ある意味、男として情けないような……。  
 
でも、エッチだけでなく、僕が風邪をひいたときに、優しく看病してくれたこともあったし、  
どんなに仕事で帰りが遅くても、ずっと起きて待っててくれているし、ご飯も毎回作ってくれるし、  
それに何より……僕が初めて『女神サマ』と呼んだ時に、驚きながらも涙を流して喜んでくれた、  
あのアイリスの笑顔は……まさに僕にとって、かけがえのない女神様そのものだった――  
 
 
「ね、ねえ。ひとつだけ教えて。今まで僕と暮らしていた、アイリスとしての記憶は……」  
初めて出会ったときの頃から、今までの出来事が走馬灯のように脳裏をよぎった僕は、  
"アイリス"に最後の質問をした。未練がましいかもしれなかったが、せめて、  
せめてアイリスが、僕の『女神サマ』であることだけは、覚えていて欲しい……。そう思って。  
「ふん。あくまで私は私。124の"私"の意識や記憶はあくまでも仮初めのもので、  
あっても邪魔なだけ。そんなもの、残しておく理由は無いわ……」  
「………そん……な…」  
だが、僕の願いもむなしく、"アイリス"は鼻を鳴らして冷たくあしらった。  
……アイリスが、僕の女神サマが、この世にはもういない……。  
その事実を受け止めきれずに、全身から力が抜け、がっくりとその場にへたりこんでしまう。  
胸に何かがこみあげてきたと同時に、段々視界が歪んでいき、頬を熱いものがつたっていた――  
 
「?? やはり……おかしい……? 何故…何故、私に戻らない?」  
前方から声が聞こえ、思わず涙にまみれる顔をあげた。言葉の意味を理解したわけではない。  
ただ単に、何か聞こえたから、反射的にそちらを見ただけだ。  
そこでは"アイリス"が、自分の両手をじっと見つめながら、疑問の表情を浮かべていた。  
「そうか。今までの"私"の召喚主は、私が来たときには、すでにこの世にはいなかったからな。  
それが関係しているかもしれない、か。さて……会ったばかりで悪いが、お喋りはこの辺にしておこう。  
悪いとは思うが、やはりオマエには死んでもらうぞ」  
やがて、何かを納得したように、羽をパタパタさせながら、"アイリス"は僕に近寄り、右手をあげた。  
その指には、長い爪が生えている。  
 
……それを、僕に突き立てるというのか。………いいさ。  
僕が愛したアイリスが、僕の女神サマがいなくなった今、もうこの世に何の未練もない。  
そう思った僕は、今さら"アイリス"に抵抗しようという気など、さらさら無かった。  
 
「随分といさぎよいな。まあいい、せめてもの慈悲だ。苦しまぬように、一瞬で葬ってやる」  
肩の力を抜き、顔を落としている僕を見て、"アイリス"は嬉しそうに残酷な笑みを浮かべた。  
……女神サマの姿をした"アイリス"に、あの世へ送ってもらうのも、悪くないのかもね。  
そう思いながら、僕はゆっくりと目を閉じた。アイリスの、女神サマの優しい笑みを、想い浮かべて――  
 
目を閉じている僕の肩に、ぽんと手が置かれる。……ああ、"アイリス"の手か。  
そう思うと、覚悟はしていたはずなのに、思わず体が強張ってしまう。  
「………御主人サマ」  
そんな僕の耳に、聞き覚えのある声が聞こえ、僕はそっと目を開けた。  
「……ア、アイリス……?」  
「ご、御主人サマ! 御主人サマあっ!」  
目を開けると、一糸まとわぬ姿のアイリスが、儚げな表情を浮かべ、僕の肩に手を置いていた。  
もう……あの世に来ちゃったのかな? そう思いながらつぶやく僕を見て、  
アイリスは大粒の涙をこぼし、僕の首筋にしがみついてきた。  
「アイリス……よかった……。こっちに、来てくれたんだね………」  
……この感触……この温もり……生きていた頃と何も変わらないなあ……。  
これなら、アイリスと一緒にいれるのなら、あの世も悪くないのかも……。  
そんなことを考えながら、僕はアイリスをそっと抱きしめ返した。  
 
「く…ぐ……ああ…な…何故……何故、オマエが出てくるのだ!? …あ…ああっ……」  
「え? ……ア…アイリス……?」  
不意に、苦しそうに悶えるアイリスの声が聞こえた。顔をあげると……両手で頭を抱え、  
上半身を仰け反らせるアイリスの姿があった。え? じゃあ…僕が抱いているアイリスは……?  
少しだけ冷静さが戻ってきた僕は、今の状況を確認して、腰を抜かさんばかりに驚いた。  
僕はアイリスを、しっかりと抱きしめていた。そのアイリスと、目の前で悶えるアイリスは、  
腰のところでひとつに繋がっていたのだ。………何が…どうなっているの……?  
驚く間もなく、形容しがたい音が響き渡り、アイリスは完全に二つに分かれていた。  
じゃ、じゃあ……まだあの世には、来ていないの?  
 
「ぐあ……あ…あ……。何故……何故………く…ううっ……」  
「うあっ! あ…あ…あ…ああ………」  
悶えるアイリスは、右手で顔を覆いながら、左手を触手のように伸ばして、僕が抱きしめている、  
アイリスの頭に絡ませた。触手が絡みついた途端、僕が抱きしめているアイリスは、  
まるで金魚のように口をパクパクさせながら、苦悶の表情を浮かべる。  
僕は必死に、触手を引き剥がそうとするが、完全にアイリスの頭の中に潜り込んでいるらしく、  
剥がすことも出来ずに、ただアイリスを抱きしめることしか出来なかった。  
 
「………………………キ、キサマ! "私"を召喚するとき、方法を間違えていたなっ!?」  
やがて触手を左手に戻しながら、アイリスは僕を指差して叫んだ。  
あ……そういえば……アイリスを召喚するときって、図形を間違っていたんだっけか。  
だからあの時は、あんなことがあって……僕がアイリスの『御主人サマ』になったんだよね……。  
「道理で……道理で、"呼びかけ"にも応じようとしないわけだ………」  
僕がそんなことを考えている間も、アイリスは全身を震わせながら、何事かつぶやいていた。  
でもそうすると、今、僕が抱きしめているアイリスは………?  
ふと見ると、胸にはかつて僕がプレゼントした、ネックレスが光り輝いている。  
「アイリス! アイリスッ!!」  
その輝きを目にしたとき、僕はアイリスを抱きしめる腕に力を込めた。  
女神サマが…僕の女神サマが……帰ってきてくれたんだ……。  
先ほどと同じように視界が歪んできたが、今度は絶望ではなく、嬉しさに全身が熱くなっていた。  
「………まあいい。こうなったからには仕方ない。一度戻して、呼び直せばいいだけだ………。  
………だが、私にここまで手間を掛けさせてくれた礼だ。キサマにも、この世から消えてもらうぞ」  
と、"アイリス"は冷静さを取り戻したのか、ぱっと顔をあげ、僕たちに向かって言った。  
その声にはわずかながら、苛立ちと怒りの感情が伺える。  
確かに、分割ファイルの一部が破損してた場合は、ダウンロードし直せばいいんだけど……って、  
そ、それって僕たちを!? そう思う間もなく"アイリス"は、こちらへ飛びかかってきた。  
「ご、御主人サマ……」  
「アイリス……アイリスっ!………」  
抱きしめていたアイリスが、僕の顔を見上げながら、弱々しくつぶやく。  
僕は女神サマの名を呼びながら、アイリスを抱きしめる腕に力を込めた。  
 
「!? どこだ? どこへ行った!?」  
僕たちに爪を突きたてようとした"アイリス"が、不意に何かの気配を感じたのか、後ろを振り向く。  
あ、あれ? 貴代子が……いない?  
……そう。先ほどまで、血まみれで横たわっていた貴代子が、どこにもいなかったのだ。  
確かに…確かに、貴代子のものではあろう、血溜まりはあるのに………?  
「こっちだ!」  
"アイリス"は、あたりをキョロキョロ伺っていたが、不意に上から声がして、その方向を見上げた。  
次の瞬間、貴代子が手刀を振りかざし、"アイリス"目掛けて宙から舞い降りた。  
 
ズシンッ  
 
「な! ぐわああっ!?」  
手刀は見事に炸裂し、直撃した"アイリス"は絶叫とともに、地面に叩きつけられる。  
「ぐ…ぐう……何故だ…キサマ……何故動ける………?」  
「はん、答える必要は無いね。……それより、『次があれば、また遊んでくれる』んだろ?」  
地面に這いつくばったまま、顔だけは貴代子をじっと見据えながら、"アイリス"は声を絞り出す。  
だが貴代子は、皮肉そうな笑みを浮かべながら、"アイリス"の髪を引っ掴んで体を無理矢理起こさせた。  
「ちっ……かは……か…体が……ぐはあっ!」  
"アイリス"は舌打ちしながら、貴代子の腕を掴み返そうとしているが、  
先ほどの、貴代子の一撃がかなり効いているようで、その動きは恐ろしくゆっくりとして弱々しい。  
貴代子は容赦なく、中腰になっている"アイリス"の顎に膝蹴りを見舞った。  
こらえきれずに、"アイリス"は2メートル近く吹き飛び、そのまま大の字に倒れこんだ。  
 
……少し、やりすぎかも。そう思う間もなく、貴代子は一足飛びで、  
"アイリス"の目の前に跳び寄ったかと思うと、右足を天高くかかげ、その姿勢でピタリと止まった。  
……よくあそこまで、足があがるなあ……。何だかまるで、新体操の選手みたい。  
などと、どこかズレた感想を頭に浮かべながら、僕たちは事の成り行きをじっと見守っていた。  
「……今のは、ハヤトくんの兄たちの分。そして、これが……」  
「あ…あ……も、もう、や、やめ……」  
右足を高くかかげたまま、貴代子は"アイリス"に向かって静かに、でも怒りのこもった声で言った。  
"アイリス"は上半身を起こし、左手を貴代子へ伸ばし、声を震わせながら弱々しく首を振る。  
「これが、美沙ちゃんの分、だ!」  
 
グシャッ  
 
「ぐぎゃああっ!!」  
貴代子は叫び声とともに、右足を"アイリス"目掛けて打ち下ろした。……今は亡き、ア○ディ・○グか。  
鈍い音が響いたかと思うと、"アイリス"は悲鳴をあげながら、その場にゆっくりと崩れ落ちていた。  
……ああ。『殺人犯の痕跡を辿って、僕たちの家を見つけた』って言っていたけれど、  
被害者は顔見知りだったのか。確かにそうでもなきゃ、殺人犯を追ったりはしないか。  
正直、怒りに任せて"アイリス"をボコッてるのかと思ったけれど、ちゃんと理由があったんだね。  
 
「ひ、秀人さん! こ、これ! 今のうちに!」  
「え? あ、ああ……。我、命ずる! 彼の者を彼の地に!」  
そんなことを考えていると、不意に僕を呼ぶ声がする。振り返ると、ハヤトが件の本を差し出していた。  
あらためて周囲をよく見ると、"アイリス"の倒れこんだ場所に、不可思議な図形が描かれている。  
そうか……姿が見えないと思ったら、魔法陣を描いててくれてたのか!  
貴代子のカカト落としによって気を失ったのか、"アイリス"は魔法陣の上で、  
身動きひとつ出来ずにうずくまっている。い、今のうちに唱え終われば!  
ハヤトから、本をひったくるように受け取った僕は、中に書かれている呪文を急いで詠唱し始めた。  
 
「…………今ここに、真紅の終幕を!」  
「な、何だこれはっ!? は、離せっ!」  
僕が呪文を唱え終わるや否や、地面から真っ赤な腕のような触手のようなものが、  
何本も生えてきて、魔法陣の上に横たわる"アイリス"に、次々と絡みついていった。  
ようやく気がついた"アイリス"は、自らの体に纏わりつく触手に驚きの声をあげ、  
振りほどこうと必死にもがいていたが、どんどん触手の数が増していき、"アイリス"を覆いつくしていく。  
 
「こ、このや……う、うわあああっっ!!」  
やがて、触手に全身を覆いつくされた"アイリス"は、この世のものとは思えない絶叫をあげた。  
いくら別人(?)だとは分かっていても、その声は紛れも無い、アイリスそのものだった。  
僕は思わず、抱きしめていたアイリスの胸に顔をうずめてしまう。  
そんな僕の頭を両腕で包み込むように、優しく抱きしめてくれるアイリス。  
ああ……アイリスは……僕の…僕の女神サマは、ちゃんとここにいてくれる……。  
これ以上無い安心感を覚えた僕は、今置かれている状況も忘れ、アイリスに体を預けようとしていた。  
「うあ……あ……あ…っ………」  
が、"アイリス"のか細い悲鳴を耳にして、我に返った僕は、再び"アイリス"のほうを仰ぎ見た。  
そこでは、触手が何本も複雑に絡み合い、まるでひと塊の、巨大な肉塊のようにも見える。  
時々、中心部がビクンビクンと動いているが、あれってまさか………。  
あまり想像したくないことを想像してしまい、それを振り払おうと、首を思い切り横に振った。  
よく見ると、時々うごめく心臓のような肉塊、もとい触手は、ずぶずぶと地面に沈みはじめていた。  
 
やがて、真っ赤な触手が完全に地面に姿を消した時、"アイリス"の姿はどこにも無かった。  
僕は念のため、アイリスを抱きしめたまま、恐る恐る魔法陣のあった場所に足を運んだ。  
そこは、周りとは何ひとつ変わらない、ただの草むらが広がっていた。  
不思議なことに、ハヤトが描いたはずの魔法陣さえ、その形跡ひとつ無かったのだ。  
これで……終わったの……か? 僕は思わず、その場にへたり込んでしまう。  
アイリスは何も言わずに、そんな僕の手を優しく握り締めてくれていた――  
 
 →Another Ending 
 
「……さて、と。美沙ちゃんの仇は取れたし、帰るとするかい? ハヤトくん」  
「う、うん……」  
どれだけそうしていたか、不意に背後で貴代子とハヤトのやり取りする声が聞こえた。  
「き、貴代子さん……?」  
「秀人さん。おかげで美沙ちゃんと、ハヤトくんの兄さんたちの仇が取れたよ。  
どうもありがとう。縁があったら、また会おうや」  
「えっと……あ、いや、こっちこそ……」  
僕が貴代子たちのほうを振り返ると、貴代子はこちらに向けて親指を突き立てながら、  
白い歯を見せ、にっこりと微笑む。………ううん、やっぱり牙が生えている。  
そんなことを考えながら、僕は貴代子たちに向かって、ペコリと頭をさげた。そう…だよね。  
彼女たちがいなかったら、僕たちは今頃………。  
不意に、"アイリス"の残酷そうな笑みを思い出し、身震いしてしまう。  
「それじゃあな。彼女を大事にしろよ!」  
「秀人さん、さようなら……」  
「あ……ありがとうございました!」  
いつの間にか、貴代子たちは土手のほうにあがっていて、こちらに向かって手を振っている。  
気がつくと、僕とアイリスは二人に向かって、深々と礼をしていた。  
 
「さあ、帰ろう……アイリス……」  
「……うん、御主人サマ……」  
ふと、アイリスを見ると、一糸纏わぬ姿でプルプル震えている。  
僕は着ていた上着を、アイリスに羽織らせ、そっと肩を抱きしめた。  
アイリスは体を震わせながらも、コクリと頷き、僕に身を寄せてきた。  
 
 

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