『軍人さんたちのお仕事』 
 
帝国東領海、帝都と国内第二の港湾都市アドニアスを結ぶ海路は、その日機嫌が良かった。  
風は程好く、波は穏やか。航海にはもってこいの日和。  
嗅ぎ慣れた潮の匂いを心地好く思いながら、青年は隣に立つ長身の男へと尋ねる。  
「―――で、連中が運んでいるってのは確かなんだな」  
男は静かに頷いた。  
「すいませんカイルさん、ご面倒をお掛けします」  
「なーに気にすんなって。あんたはスカーレルのダチで、俺らの客人だ。出来るだけのことは  
 させてもらうぜ」  
精悍な顔ににっと笑みを浮かべてみせる。  
「アニキ!」  
と、頭上からの声に緊張がはしった。  
見張り台から金髪の少女が身を乗り出している。  
「十畤方向に目標発見! どうする?」  
「決まってるだろ」  
すう、と息を吸い込み船全体に響き渡るかのごとき大声で命令する。  
「全速前進! 目指すは―――海軍船!」  
マストの上にて掲げられた黒地にドクロを染め抜いた旗―――海賊旗が翻った。  
 
 
甲板を慌しく兵士らが駆け回る。  
その喧騒もどこ吹く風で、アティとビジュは海平線を眺めていた。海賊船はこの位置からでも  
目視可能なまでに迫っていた。  
「海賊風情がなめた真似してくれやがる」  
「よほど自信があるんでしょうね」  
気持ちは分からないでもない。訓練を受けた海兵隊とはいえ、こちらの兵力は一隻きり。向こう  
も一隻だが、船自体の大きさも人数もひとまわり勝っている。  
さらにカイル一家と称する彼らはここのところ負け知らず、腕も相当に良いのは確か。  
大砲が使えればまだ良いのだが、今回はそうもいかない事情がある。  
だがそれはあちらも同じ条件。接舷してからが勝負になる。  
 
やかましい足音を立て壮年の兵士が駆け寄ってきた。  
「ビジュさん、船尾の指示をお願いします! アティさんはアズリア隊長の元で待機!」  
了解の合図に軽く頷いた。  
「では、人死に出ない程度に頑張ってくださいね」  
「お互いな」  
言って。それぞれの場所へと歩き出す。  
 
 
話は一週間前に遡る。  
 
帝国海軍第六部隊へと下った新しい辞令は、ある物の護送だった。それはいい。問題なのは。  
「海賊の襲撃が予測されるのに海路を使えと? 上層部は何を考えているのですか」  
ギャレオの疑問はもっともだ。  
「その事については僕から説明させてもらいます」  
つとイスラが立ち上がる。華奢な軍人らしからぬ容姿だが、諜報部の正式隊員である。今作戦  
では第六部隊に一時同行する手筈になっていた。  
ちなみに隊長のアズリア・レヴィノスの実弟でもあり、今回の人事が「第六部隊は帝国軍というより  
レヴィノスの私兵」との陰口を誘発しているのだが、少なくともイスラは気にした様子もない。  
「本作戦で皆さんに運んでもらうのは、第二級封印された召喚術具です。  
 まだ用途は判明していませんが何らかの力があるということで、研究所のあるベルゲンまで  
 護送するのが基本任務です」  
「……ベルゲンまでなら召喚鉄道使えばいいだろうが」  
一応下士官ということで同席させられていたビジュが口を挟む。  
隣に座る軍医兼参謀兼雑務係なアティが斜に向き、  
「運ぶのは『基本任務』……つまりまだ何かあるってことでしょうね」  
「うん、その通り」  
一瞬にこりと笑みを閃かせ、すぐに真顔に戻る。  
 
「その術具っていうのは剣の形をしていて、元々二振りで一揃いだったんです。  
 実は襲撃の予測される海賊が持っていたものだけど、紆余曲折あって一本は軍に、  
 もう一本はまだ海賊の手にあります。彼らにとっては大事なものらしく、確実に狙ってきます」  
なんだか読めてきた。  
「つまりその時を狙ってもう片方も徴収してこい―――そういうことか、イスラ」  
「姉さん正解」  
「欲をかくと碌なことにならないと思うんですけど」  
「その場合『碌なことにならない』のは俺たちだから、上は痛くも痒くもねェんだろうよ」  
「……ビジュも軍医殿も、その辺にしておけ」  
ごちゃつき始めた空気を引き締めるかのように、今度はアティが立ち上がり会議机の上に  
地図を広げる。ついでに胸ポケットから眼鏡を取り出し掛けた。  
「では、簡略にですが作戦の日時、及び概要を説明します。  
 作戦開始、つまり帝都よりの出発は三日後。一旦アドニアス港へと寄港し、工船都市パスティス  
 経由でベルゲンへと向かいます。パスティスまでは海路、それからは陸路で召喚鉄道を使用」  
台詞に合わせて地図上の地名へと青い頭のピンを突き刺してゆく。  
ベルゲンに立てたところで、次に赤いピンを持ち、  
「襲撃予測ポイントはここ、アドニアス沖と思われます」  
たす、と海を表す水色の面に刺した。  
「ここが勝負所になります。  
 でも忘れないでほしいのは、あくまで今ある術具の護送が最優先であるということ。  
 奪われてしまっては元も子もないですから」  
眼鏡のずれを指先で直す姿は、どこぞのいいんちょさんといった風情だ。  
説明が終わったのを受けて、アズリアは皆を見回し、  
「とりあえずはこんな所だ。くわしい説明は明日の定例朝会で行う。解散」  
言って席を立つ。  
 
 
そして現在に至る。  
 
 
「来たか」  
部下に指示を出していたアズリアに、アティは簡単な敬礼をした。  
「接敵予想は?」  
「四分後といったところか。で、アティに頼みがある」  
指差す先には、船室へと続く扉。  
「あの中に術具がある。部屋へと通路はここだけだ。お前に任せたい」  
「了解。そんな不安そうな顔しないで、十年来の親友を信じてください」  
「ああ……済まない、本来軍医のお前を前線に引っ張り出して」  
「適材適所、ですよ。  
 それに、癒しの術が使えない軍医なら他の方法で戦うしかないですから」  
自嘲も慰めもない。それが事実。選択の結果。  
二人は視線を合わせ、  
笑った。  
「―――隊長! 敵船、減速なしで接近中! ぶつける気です!」  
部下の報告にアズリアの顔が軍人のそれになる。  
「構わん突っ込め! 全員衝撃に備えてどこかに掴まれ!」  
「了解! ―――対衝撃、総員構え!」  
直後、身体を揺さぶる振動。  
収まるかどうかの間に、渡し板が鉤縄が次々と船を繋ぐ。  
 
戦端は開かれた。  
 
 (48様作、外伝へ→) 
 
軍船に乗り込んできたカイルらを、アズリアとギャレオが出迎える。  
「よう。奪った物、返してもらうぜ。  
 どうせあんたらが持ってても軍事利用するしか能がないだろうからな」  
「義賊気取りとは性質が悪い。どうせやっている事は他の海賊と変わらんだろうに」  
「その海賊の上前はねようとしてるのはどこのどいつだ?」  
挑発を返されてアズリアの眉がはねる。  
 
だが彼女よりも激烈な反応を見せたのは、  
「調子に乗るな、海賊風情が!」  
隊長命と巷で評判の副官だった。  
自分より怒っている者が側にいると、その分冷静になれる。  
「単刀直入に訊こう。術具はどこだ」  
「じゅつ…ああ、『剣』のことか。悪いが聞かれてはい、そうですかと渡せるか」  
「まあ仕方あるまい―――力ずくでも貰い受ける!」  
「やってみな!」  
武器が構えられ、一触即発の空気に満たされる。  
「隊長」  
ギャレオがカイルを睨んだまま言う。  
「ここは我々に任せて、作戦の遂行をお急ぎください」  
「へえ? 隊長さんなしで平気なのか」  
揶揄にこめかみを引きつらせつつも言い返す。  
「貴様らなど隊長の手を煩わすまでもない。それだけだ」  
雰囲気が更に剣呑になった。  
「―――分かった。ここは頼む。タークス、キリイ、ついて来い!」  
『はっ!』  
止めようとした海賊の一人がギャレオの拳に吹き飛ばされた。  
カイルの面持ちが変わる。言うなれば、遊び相手を見つけたガキ大将といった辺りか。  
「嬉しいねえ……俺はな、強い奴とバチバチやるのが好きなんだよ!」  
拳が唸る。筋肉のぶつかる固い音が響いた。  
 
「ばっきゅーん!」  
戦場には不釣合いな脳天気そのものの掛け声。呆気に取られた兵士らを、銃弾が襲う。  
「へへーん。人の船に無断で乗り込むからだよーだ」  
「ソノラ、あんまり調子に乗るんじゃないわよ」  
得意げに銃を構えた少女―――ソノラを、男がたしなめる。そういう彼も化粧に派手な襟巻と、  
来る所間違えてませんかと尋ねたくなる格好だ。  
 
「じゃあアタシは軍人さんたちの方に行くけど、大丈夫?」  
「スカーレルってば心配症なんだから。大丈夫だって」  
「そうですよスカーレルさん。お嬢は俺らが守りますんで」  
船員のフォローだが、ソノラはいまいちお気に召さなかったようだ。  
「あはは。じゃ、おもりは頼んだわよ」  
「ぶーぶー」  
ブーイングを受け流し軍船を見据える。その視線が酷く冷たいのを、ソノラは知らない。  
 
相手の拳が脇腹を掠める。己が拳が捉えかける。  
ありとあらゆる技を駆使し、二人はひたすら殴りあいを続けていた。  
カイルの一撃が左頬へとまともに入った。ギャレオはよろめくが直ぐに反撃を加える。どうにか  
避けて間合いを取った。  
「遅いぜおっさん!」  
「なめるなっ!」  
猛攻。回避。時に足技。  
だがカイルとて見た目ほど余裕があるわけではない。ギャレオの攻撃は、とにかく重い。まともに  
喰らわなくても掠っただけで鈍く痛んでくる。今はどうにか避けているが、間合いを掴んだのか  
少しずつ掠める回数が多くなってきた。  
(ちいっとばかりまずいな……)  
ギャレオの方は、相手の軽いフットワークに攻めあぐねていた。どうにか動きが読めてきたが、  
決定打が与えられない。こちらのダメージが累積してきたのも焦りに拍車をかける。  
(このままでは隊長の援護に向かえん)  
互いに図ったように睨み合い。  
「「うおおおおっ!!」」  
……退く、という考えはないらしい。  
そこには余人の関与を排する特殊空間ができつつあった。  
 
「召喚―――ギョロメっ」  
アティの呼びかけに一つ目の童子が異界より現れ、海賊へと雷を落とす。ひるんだところを  
兵士が槍でぶん殴り昏倒させた。  
「なるべく殺すな、って隊長のお達しですからね」  
息を弾ませ言うのに、アティはええ、と微笑みかける。  
まだ若い兵士の頬が別の熱に紅潮した。  
「あ、で、その、アティさん、大丈夫ですか?」  
攻撃の召喚術を連発し、時には味方のフォローにまわり、でアティはかなり消耗していた。  
「何でしたら少し休んだ方がいいと思いますよ」  
「そうですね……」  
せめてすっからかんな精神力だけでも回復させたほうが良いだろう。そう答えようとして。  
兵士の手から槍が落ちる。  
崩折れた身体の下から、じわりと赤いものがしみでる。  
とりあえず息はあるようだが、立ち上がる気配はない。  
「……っ?!」  
「その先には随分大切なものがあるみたいだけど、ちょっと通してくれないかしら?」  
短剣の血糊を払い落としながら、スカーレルは端正な眼差しを冷ややかに眇めてみせた。  
 
剣先に鈍い感触。  
野太い悲鳴をあげて海賊が倒れる頃にはアズリアは別の場所へと向かう。  
術具はおそらく船長室あたりだろうと踏んでいたが、それらしい報告はない。  
苛立ち始めたアズリアの前に、長身の影が落ちた。咄嗟に剣を構える。穏やかな面立ちの  
男だが、ここにいる以上海賊の仲間なのだろう。  
「戦う気がないのなら退け」  
一応警告はしておくが、予想通り首は横に振られた。  
「貴女がたこそ、退いていただけませんか? あれは軍の手には余るものです」  
男―――ヤードは静かに問いかける。  
 
「ならば貴様たちになら扱えるとでも?」  
「少なくとも貴女がたよりは遣い方を知っています」  
「どうせ碌なことに使わぬのだろう。ならば芽は早い内に摘んでおかねばならん」  
「……判ってはいましたが、やはり平行線ですね」  
ヤードが慣れない手つきで剣を抜くのを見、アズリアは内心哀れんだ。どう考えても  
接近戦で勝負になるはずがない。  
手加減する気はないが、せめてもの慈悲に一気に叩きのめすつもりで構える。  
かちりとヤードも構えた。が横伏せにした剣の腹をアズリアに向ける仕草で、振るう、という  
感じではない。  
構えを知らないのかそれとも。不審に思ったアズリアの耳に低い歌が届く。  
否。歌ではない。似て非なるもの、術の詠唱。  
不意に。背筋がぞわりと震える。恐怖、だった。理由もないのに……  
脳裡に会話の断片が蘇る。  
―――術具は一対。片方は軍が、もう片方は海賊が。  
―――それは剣の形を。  
まさか、あれが。  
「いにしえの盟約を果たせ、『碧の賢帝』シャルトス!」  
ヤードの呼ぶ名が、剣の、召喚術具の名だというのにも頭が回らない。  
膨れ上がる力が訓練で薄めたはずの恐怖心を引きずり出し動けなくなる。  
 
海賊船に乗り込んだイスラは、戦場の死角を選んで移動していた。目的は殲滅ではなく確保。  
体力の消耗は無駄だ。  
「さて、シャルトスはどこかな?」  
適当に誰か締め上げて吐かせるのが手っ取り早いだろうか、と考えていると。  
さわり、と空気の密度が変わる。  
召喚術―――しかも相当の規模。そして、この気配。  
「……向こうから出てきてくれるなんて、ね」  
魔力が収束する独特の空気。誰が的になっているか知らないが、そいつを倒して持ち手が  
油断したところを狙おうか。そう考えて、物陰から覗く。  
 
シャルトスを掲げる長身の召喚士、彼の前にいるのは。  
瞳が限界まで開かれる。全身が総毛立つ。血が逆流する。  
今まさに召喚術の餌食になろうとしているのは、自分の。  
「ねえさあああんっ!!」  
サモナイト石を握りしめる。間に合うか。  
 
誰かに呼ばれた気がした。幻聴だろうか。情けない。  
恐怖に目を瞑るのも、軍人にはあるまじき行為。  
でも、ただただ怖かった。  
目蓋の裏を塗り潰すまっかなひかり。  
痛みは、なかった。  
 
アティが汗でしとどに濡れた額を袖で拭う。気を抜けば疲労で膝をついてしまいそうだ。  
(ま、召喚術連発しておいて、杖一本でここまで応戦できたのは素直に凄いけどね)  
仲間をけしかけて消耗させ、精神力が回復する前に襲った自分が言うことではないけれど、  
とスカーレルは自嘲する。  
けれど。どんな手段を用いてでもアレは手に入れねばならないのだ。  
「どう? 道を開けてくれる気になったかしら?」  
「……残念、ですけど……ここは通行止めです……っ」  
「そう。残念ね―――?!」  
我知らず身をひねる。ふかふかお気に入りの襟巻を削いだのは、甲板に転がる投具。  
放ったのは、ビジュ。船尾からここまで敵をしのいできたのか、息が荒い。  
二撃目をもっと際どいところでかわしビジュへと疾る。遠距離ならば懐へ入ればどうにかなると踏んで。  
腰に佩いた刀を抜かれると多少厄介だから、とにかく素早く。  
彼我の距離が縮まり。  
ビジュは―――下がった。  
(抜かない?)  
何かの罠かとも思ったが、焦る表情を見る限りではそれはなさそうだ。  
もう攻撃範囲に入る直前、  
 
背後に気配。振り向きざま短剣を振るう。  
視界を覆う白い布。アティが白衣を脱ぎ投げかけたらしい。  
冷静にもう一歩踏み込む。  
刹那の間にアティは何の武器も構えていないのを読み取った。時間稼ぎのつもりだろうが、  
目くらましは役に立たない。  
本気で、刃を突き立てる。  
手応え。  
ただし肉よりも硬い。  
白衣が落ちる。我が目を疑い、読みの浅さに舌打ちした。  
短剣はアティの腕に喰い込んでいる。  
正確に言えば、白衣の下に仕込んでいた手甲へと。  
打撃までは殺しきれなかったのか、苦痛に顔が歪み甲板へと倒れる。  
違う。わざと、倒れた。  
短剣を放しそこねたスカーレルを巻き込んで。  
意図に気づき咄嗟に放すが間に合わず体勢が崩れる。その隙をついて、  
太腿に冷たい鋭痛。  
「……ちいっ!」  
その場からバックステップで離れ振り向けば、新しい投具を構えるビジュの姿。  
ズボンで多少緩和されたとはいえ肉に喰い込んだ刃をそのままに、自船へと走る。木床を  
踏みしめる度に激痛がはしるし毒の心配もあったが、今は何より失血による行動不能が恐い。  
 
スカーレルが逃げる。深追いは避けるが吉だろう。  
「ザマあ見やがれ……で、いつまで寝てんだ軍医殿」  
アティは目尻に涙滲ませたまま動かない。  
「いたた……」  
倒れた時に傷めた腕を下敷きにしてしまった。間抜けな話だが洒落にならんくらい痛い。  
ビジュは舌打ちし、  
「ったく。とっとと立ちやがれ!」  
「ご面倒おかけします」  
アティを庇う位置で敵へと投具を放つ。  
庇われた方が何故だかちょっぴり嬉しそうなのは、この際黙っていたほうが互いの為だ。  
 
不思議と痛みがない。おそるおそる目を開ければ。  
召喚獣がいる。  
聖母プラーマ。本来は癒し手として召喚されるべき彼女が、アズリアとヤードの間に  
立ち尽くしていた。  
アズリアが受ける筈だった召喚術の衝撃により、身体の半分をこそげ落とした姿で。  
サプレスの住人は本来肉を持たぬ精神体であるため、傷口から血が零れることはない。  
だが、いやだからこそ凄惨さが際立つ。  
切れ切れの悲鳴を洩らしなが彼女は自らの世界へ還る。  
呆然とするヤードへと肉薄する殺気。  
「ぐうっ?!」  
シャルトスが叩き落される。目線の先には、底冷えのする黒い瞳の少年。  
「死になよ」  
研ぎ澄ました刃が胴体めがけて振られ―――  
甲高い音がして急に傾いだ。  
「ちょっとあんた、仲間に手出したら許さないんだかんね!」  
滑らかに弾倉交換をしつつ怒鳴りつけたのはソノラ。刀身に銃弾を当て軌道を逸らすという神業を  
披露してのけたが、内心ヤードに当たらなくて良かったと冷汗かいてるのはイスラには知る由もない。  
憎悪が湧き上がる。  
更に剣を構え、  
後ろの、姉の存在を思い出す。  
「…………命拾いしたね」  
嘲るように言って立ち位置を横にずらした。  
丁度ソノラからはヤードを盾にする位置。  
撃てない。撃てば味方に当たる。  
 
迷いをついてヤードの腹へと剣の平を打ち込む。鉄の塊だ。重いし痛い。  
息を詰めくの字に折れ曲がるのを横目にシャルトスを拾い上げ、アズリアの元へ走る。  
「姉さん!」  
足元を穿つ発砲音に負けじと叫んだ。  
アズリアがベルトから発煙筒を引き出す。ピンを抜き甲板へと転がした。  
真っ赤な、自然界ではありえない色の煙が勢いよく立ち昇った。  
 
軍船にて兵士の一人が狼煙に気づき、壁にかけた鉦を打ち鳴らす。  
高く、高く、ひらすら強く。  
それは作戦成功の合図。  
 
ギャレオが頬を腫らした凄まじい顔で笑う。子どもが見たら絶対泣く。  
「残念だったな海賊。我々の勝ちだ」  
血の混じった唾を吐き、カイルも少々苦めながらも笑った。  
「らしいな―――っと!」  
後方へと跳び退り背中を向けて駆ける。負け戦にいつまでもこだわる程馬鹿ではない。  
「仕方ねえ。引き上げだ! ぐずぐずするなよ!」  
つっかかってきた兵士の顔面に裏拳入れて怒鳴る。  
仲間が自船へと戻るのを見てから自分を渡し板へと足を掛けた。  
途中、同じく戻る最中の女隊長と目が合う。  
鼻で笑われた。  
少なくともそう見えた。  
(―――次は絶対ぶっちめる!!)  
内心誓っても今はどうしようもない。  
 
「総員、退避!」  
「みんな引け!」  
首領の命に従いそれぞれの船に戻る人員。援護にと加えられる矢の風切り音が潮風を引き裂く。  
渡し板が次々と蹴り落とされ、  
「全員の帰還を確認!」  
「よし、離脱せよ!」  
矢が散発的に飛んでくるが、牽制以外のなにものでもない。  
 
 
双方とも大砲の射程からも外れたところで、アズリアは部下たちに向き直り、  
晴れやかな笑顔で宣言する。  
「諸君、よくやった。作戦は成功―――我々の勝利だ!」  
歓声が上がる。  
隊の損害は決して少なくはない。兵士の三分の二以上がなんらかの治療が必要な  
怪我を負い、船はあちこち焼かれ破かれ修理にどれだけ掛かるのやら。  
それでも、彼らは任務を完遂した。それだけで充分だった。  
 
 
アドニアス市内の軍病院受付で、女子事務員たちがなにやら囁き合っていた。視線は  
先程入院患者を訪ねてきた軍人二人に注がれている。  
「―――あれがレヴィノス家の?」  
「そう、女隊長! 話には聞いていたけれど、凛々しいお姿ね〜」  
「隣は弟さんなんでしょ。あっちも相当綺麗な顔してたわ。家系ね、羨ましい……」  
はあ、と揃って溜息を吐き憧憬と好奇の眼差しを向ける。  
そくりとしたものを感じて、アズリアはうなじに手をやった。  
「どうかしたの、姉さん」  
「いや……何でもない、と思う」  
何故だか受付室の方から、学生時代「おねえさま〜」と纏わりついてきた女子下級生  
を思い起こさせる気配を感じたのだが、とりあえず気にしないことにして教えられた病室  
へと足を向ける。壁に掛かったネームプレートを確かめてノックし、返事を受け入った。  
「隊長! わざわざすみません」  
「アズリア、イスラさん、こんにちは」  
ベッドの上で窮屈そうに敬礼をするギャレオと、側の椅子に腰掛け挨拶するアティ。  
二人に「見舞いだ」と手持ちの果物篭を掲げてみせて、自分とイスラの分の椅子を隅から  
引っ張ってきた。  
「その、隊長、そろそろ自分も回復しましたので……」  
「駄目だ」  
みなまで言わせずアティの隣に陣取る。  
「もう少し休め。これは隊長命令だ。大体お前、あの後誰か分からん状態だったんだぞ?」  
青痣だらけの腫れあがった顔や身体の痛みを思い出したのか、ギャレオが情けなく頷く。  
「アティは?」  
隣の病室からここまで自力で歩ける程度には回復しているのは分かるが。  
「明後日には包帯が取れます」  
 
添え木と包帯で固められた左腕を撫で、アティは微笑む。  
手甲に守られているとはいえ、刃を腕で受け止めるという無茶の代償に骨にひびが入った。  
なのに悲壮感がひとかけらも見えないのは、飄々とした性格のおかげだろう。  
「それは良かったな……さて」  
篭の中からナイフを取り出し、  
「ギャレオ、どれがいい?」  
「―――! 隊長にそのような雑務を押し付けるわけには!」  
「命令だと言っているだろうが」  
「いえ、あの……では、林檎をお願いできますか」  
「分かった」  
素直が一番とばかりに口の端を綻ばせ、皮を剥き始める。  
日焼けした頬にそれと分からぬ程度の朱を上らせたギャレオにとっては、イスラの棘満載の  
睨みも、アティの意味ありげな表情も蚊帳の外。  
「ねーねーアズリア、私はナウバの実が欲しいんですけど」  
「勝手に食え」  
「姉さん、僕も欲しいな」  
「仕方ないな、次剥くから好きなのを選んで待ってろ」  
「…………格差を感じます」  
拗ねた口調は本気ではない。アティは篭からナウバの実を持ち出し、片手と口で器用に  
(行儀悪くとも言う)皮を剥き、しっとりとした中身を露出させてゆく。  
ふと、イスラが思い出したかのように、  
「そういえばビジュさんは?」  
「怪我が比較的軽かったので散歩してくるって出掛けましたけど。イスラさん、何か用でも?」  
「ううん。ただ何時も一緒にいるから珍しいなって」  
そんなワンセットみたいに言われても、と眉をしかめるのに傍で聞いていた二人も吹き出す。  
窓から初秋の風がそよいだ。  
 
 
どこの街にも暗部がある。  
例えば今、男が居る場所のような。  
表通りでは目立つ、顔半分をにじる刺青も、組織に属する者独特の身のこなしと雰囲気も、  
ここでは大して珍しくもない。  
男の前に立つのは黒ずくめの人間。  
厚いフードとマントで全身を覆い、やたらとくぐもった話し方をするため、年齢、性別ともにはっきり  
しない。確かなのはそいつが取引相手の証明である割符を持っていたということだけだ。  
「今回はこれだけか?」  
「ああ」  
「……分かった。では同志に今後の指示を待つよう伝えろ」  
黒ずくめは去り際に巾着袋を男の手へと落とした。  
姿が完全に見えなくなったところで、男は割符を砕かんばかりに握りしめた。  
巾着を中の貨幣ごと地面に叩きつけ踏みにじりたい衝動に駆られる。  
……落ち着けば、そんな事してもどうにもならないと分かるのだが。  
自分は単なる使い走り。それにこの金が消えたところで『彼』は「あ、そう」と言うだけだろう。  
 
最初の理由はもう覚えていない。  
小金欲しさだったのかもしれないし、青臭くて年下で女な上官に対する反発があったのかも  
しれない。  
どちらにしろ男は『彼』に隊の機密情報―――といっても大したものではなかったが―――を流し、  
幾ばくかの報酬を受け取った。その内に先程の連中への連絡役という仕事が加わり、この様だ。  
断ることは、出来る。  
「そういえば君、次問題を起こしたら軍法裁判だね」という台詞さえ気にしなければ。  
一度は裏切り捨てた場所にしがみつくのは愚かなことだと分かっていた。  
けれども、其処以外に居場所はないのにも今更ながら気がついてきた。  
泥沼だった。深みに嵌るのを感じながら何もできない。しようとすらしない。  
 
内通者。裏切者。それが今の男を表す名。  
 
 
「気に入らねえな」  
海賊船の会議室と呼んでいる部屋で、不機嫌そうにカイルは吐き捨てた。  
原因はスカーレルが持ってきた話だ。信用の置ける情報屋が流してきたのは、先日苦杯を  
嘗めた海軍部隊の今後の作戦に関するものだった。  
軍船を囮とし、『剣』は一般客船にて運ぶ。危険極まりないが、その分虚はつける。カイルらも  
情報がなければのこのこ引っかかっていただろう。  
「どうして? あれが取り返せるんだからいいコトじゃん」  
脳天気な妹分の発言に、  
「裏切り者は好きになれねえんだよ」  
一本気なカイルらしい言動にスカーレルが微かに笑う。  
「ま、これで潰れた面子も回復できると思って、多少の事には目をつぶりましょ」  
「……軍の奴らの問題とはいえ、気分悪いぜ、全く」  
呟きが話題の当人らに届くことは当然ながら、無い。  
 
 
「涼しいですね」  
夜半過ぎの病院の屋上で、アティは片手で可能な限り背伸びした。  
ビジュは手すりにもたれたまま、素っ気ない相槌を返すのみ。  
「……あのですねえ、せっかく夜のデートに誘ったのですからもう少し可愛げのある態度  
 とってくれてもバチは当たらないんじゃないですか」  
「俺は副隊長の奴と同室で息が詰まるから抜けてきただけだ。そっちの都合なんぞ知ったことか」  
「あ、ひど」  
むくれたのも束の間、アティはビジュの袖口を掴みじゃれつく。普段はしない態度に少々戸惑った。  
 
こんな風に。  
いつまでも居られたら幸せなのに。  
 
それはどちらの想いだったのか。  
 
「ねえ、ビジュさん」  
体温が感じられる直前まで近づいて、  
「今日は」  
言葉が途切れる。  
続きは予想がついた。  
もし今日何をしていたのかと問われたなら、どう答えるのか、自分でも判らぬまま、待つ。  
―――力が緩まり束縛が解け―――離れた。  
夜風が表情を覆い隠すように紅髪をまき上げて。  
「……いえ、今日はもう、おやすみなさい」  
別れの余韻は時ならぬ突風に散りぢりになる。  
 
 
手を、離してしまったことを。引き止めなかったことを。後悔する時が、何時かくる。  
 
それはそう遠い事ではないだろう。  
 
 

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