テストの後は。
「ふぅ……」
家に帰ってまで仕事だなんて。教師も案外大変だ。…まぁ、空き時間に処理しきれない自分の要領の悪さにも責任はありそうだけど。
苛々しつつ、すでに3本目の缶ビールを飲み干してから、何本目かの煙草に火をつける。
そもそも、こんなことになったのも。
いつもは週初めに行われるはずの語学が最終日になったのが悪いんじゃない?
こんな日に限って、帰りに氷室先生につかまっちゃって、食事に付き合わされるし。
あの方は、自分ができることは当然他人もって思っていらっしゃるから、採点を理由には断りづらいのよね。
さすがに、その後、飲みに行くのは遠慮させてもらったけれど。
結果発表が明日ってのも、どうかしてる。試験休みとか、無いわけ?はば学は。
こんど理事長に相談してみようかしら。
「はぁ……」
もう一度盛大な溜息をついたその時、ソファの上に置きっ放しの鞄の中で携帯が鳴った。
彼からだ。
彼からの電話の時にだけ鳴るメロディー。
苛々をぶつけないように、大きく深呼吸してから、携帯を取り出して、通話ボタンを押した。
「ですか?……あの、千晴です」
携帯に名前が表示されるのを知っているはずなのに、律儀に名乗る彼を、少しかわいいと、いつも思う。
つい、笑みをもらしてしまうと。
「あの……どうかしましたか?」
耳元から心配しているような、少しオロオロした彼の声が聞こえて、なんだか心地いい。
……なんて、わたし性格悪いかな。
「ごめん。なんでもないの。ただ……」
「ただ、何ですか?」
「千晴くんだなぁって思って」
言うと、彼は無言になってしまって。今ごろ頭の上に「?」がいっぱい浮かんでいるのが想像できる。
一緒にいる時に、何度もそんな表情を見たことがあるけれど、
彼はそれを、自分の日本語が不十分なせいだと思っているみたい。違うんだけどね。
「……あの。僕は……」
不安げに呟く声に、また、困らせちゃったかな?と少し反省しつつ。
「ごめんね。おかしな言い方して。嬉しかったんだけど、嬉しいって言うの忘れちゃったから」
「嬉しい…ですか。、何かいいことがあったんですか?」
まだ戸惑っているような声で、的外れな答え。
こんなところまで、かわいいと思ってしまうなんて、相当やられてるって、自分でも思う。
「いいこと、あったよ」
たまには、ストレートに。彼に合わせて伝えてみるのも悪くないかな?
そう思って。
「千晴くんの、声、聞けた」
言ってから恥ずかしくなった。今、顔真っ赤かもしれない。なんて、思ってたんだけど。
それきり彼も黙ってしまって。
「……千晴くん?」
少しの沈黙の後呼びかけると。
「は、ズルイです」
少し悲しげに、それでもはっきりと彼は言った。
「そんなことを言われたら、このまま帰れません」
「帰れないって、今どこにいるの?」
もしかして……。
ベランダに出て外を見ると、暗闇の中、外灯に照らされた彼がわたしを見上げていた。
「な////なんで?上がってきてよ。そんなところにいないで」
顔を見ながら電話で話すのもおかしいけれど、直接会話するにはムリのある距離で。
「でも……大丈夫ですか?今」
躊躇う様子の彼に、
「とにかく、来て?」
それだけ言ってわたしは電話を切って、部屋に戻る。
携帯を放り投げ、慌てて部屋を出て、エレベーターホールに辿り着いた時、
開いた扉から彼の姿が見えた。
リビングのソファに彼を促して、テーブルの上に散乱する解答用紙の山と、
3本の空き缶と灰皿を片付けようと手を伸ばすと。
「手伝います。あ、灰皿は、いいですよ?煙草、大丈夫ですから」
意外な言葉が返ってきた。
「―――――――は?」
思わず間の抜けた返事をしたまま口を開けていると。
「健康には良くないです。でも、我慢をしてストレスを溜め込むのも、心配ですから。
吸い過ぎない程度なら構わないと思います」
妙にきっぱりとした口調で、もっともらしいことを言う。
「千晴くんは、煙草を吸う女の人は嫌だとか、思わないの?」
「女の人とかは、関係ないです。それに、人格が変わるわけではないですから。気にしません」
あまりにも想像とかけ離れていて、少し笑ってしまった。
彼は訝しげにわたしを見て。
「僕、また、何かおかしなことを言ってしまいましたか?僕が真剣に話していると、
時々は笑いますね。やっぱり、僕の日本語は、まだおかしいですか?」
不安げに瞳が揺れていた。
違うのに。
彼は、いつになったら、気づくのかな?
わたしよりずっと、綺麗な日本語を話していることに。
「違うよ。ただ、びっくりした、だけ。嫌がられるって思ってたから」
わたしの言葉に彼は優しく微笑むと。
「僕は、煙草もお酒もまだ、許されない年齢ですけど、嫌いではありません。
早く、一緒に楽しめるようになりたいです」
またしても予想外な言葉を吐いた。今度こそ、わたしは本気で笑ってしまった。
「千晴くん、煙草は・・・・似合わないと、思う」
必死で笑いを堪えながら言うと。
「は、赤いワインが似合いそうです」
そう言って彼は、やわらかく微笑んだ。
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